プロジェクトセカイ イベントストーリー”満たされないペイルカラー”を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
ニーゴの承認欲求モンスター、プロセカで一番めんどくさいヤツこと絵名が、凡人でありクリエーターであり青年である自分にイヤというほど向き合うエピソードである。
痛く、暗く、生っぽい。大変濃厚ニーゴ味。
絵名は自分を誰かに認められたいと強く願い、同時に自撮りアカにたっぷりひっつく”良いね”では満たされない面倒くささを持つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
そこには父への憧れと、それが反転した憎悪、反感、負けん気の入り混じった執着がこびりついている。
”お父さん”を”あいつ”と呼び替えなければ、生き残れなかったほどの崩壊
それを越えて、なんとか自分を繋いだ結果が今の絵名だ。歪んでいて、矛盾していて、面倒くさくて、必死に生きている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
それを『間違っている』と上から正せるほど足場も、同じ目線で痛みに共感できる瑞々しさも僕にはないけども、なんともニーゴらしい存在感で良かったと思う。
”Period of NOCTURNE”での冬弥と同じ様に、絵名も父との関係に難しさと摩擦を抱えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
『この頃合いの子供はみんなそうだ』みたいな、神様めいた物言いをするつもりはないけども、セカイに惹かれる子どもたちは結構な確率で、家庭に問題を抱えている。
それは親たちの問題であると同時に、セカイに助けられながら世界(の中にいる自分)を確立しつつある子供の問題でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
冬弥は父と自分の距離感、これまで与えられたもの、育まれたもの、そこから生まれる未来を客観視し、許し己から譲ることで、変化の兆しを掴んでいた。
この両者の中間点に立っている、彰人は父と絵名のまん中に立ち、ぶっきらぼうに見える態度の奥に優しさと家族愛を込めて、両者を繋ごうとしてくれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
父親が完璧な存在ではなく、不器用で間違え傷つける、ただの人間である事実。
これを認めるのは、結構難しいことだと思う。
そういうマイナス点で思考を止めるのではなく、悪気なく、娘が傷つくのを止める意味もあって、自分が体験した画業の厳しさを飾りなく(あまりにも飾りなく)伝えたのだと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
彰人は絵名が今見ているものの奥へと、視線を既に向けている。多分、父も姉も大事で、好きなのだと思う。
”第3話 凡人”というタイトルが開放された時、あまりの切れ味にウッとのけぞったが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
ニーゴメンバーが軒並みそうであるように、人生の苦さ、ままならなさを切り取る筆はなかなか容赦なく、凡人であり特別でありたい絵名に襲いかかる。
幼い夢を実の父…多分、優しくしてほしかった人にぶっ壊され。
それでも、だからこそ諦めきれずに絵に縋り、挑み、非才に跳ね除けられ、別の形で承認を得ようとして満たされず、グジャグジャの不安定さに揺れ続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
そんな彼女の視界は、様々な色が入り混じった青春のカオスに塞がれていて、自分のことも他人のことも、なかなか良くは見えない。
それが真っ黒な絶望に世界を塗ると、死にたい消えたい以上ないとセカイを塞ぎ始めるわけだが、既に絵名はニーゴに出逢ってしまっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
友達として、クリエイティビティで繋がる同志として、絵名を求め続ける三人はセカイに閉じた絵名を追いかけ、奏は歌を届けて新しい色を足す。
己の凡才を自覚するが故に、絵名は天才へのコンプレックスが濃い。それが嫉妬と憎悪に反転しきらず、非常にピュアな(時に危険な)憧れを持ち続けている所が、なかなか面白いと思うけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
大好きなKからのエールに相応しい自分であるためにも、絵名は筆を執り直す。こなくそと根性を絞り出す。
それはただ、承認を求めての行動ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
何がどうなろうと描かざるを得ない業のようなものが、まだ真っ白な灰にはなっていないことを仲間は知っていて、絵名もその一員だと信じ…あるいは呪ったのだろう。
同病相哀れまず、ただ共に死地を行く。良い色の友情だなぁ、と思う。蒼くて赤い。
同時に『死ぬほど褒められてぇ…特別でスゲェって言われてぇ!』というネトついた感情を、マジレス人間・朝比奈まふゆがぶっこんできたのも、また面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
自分の肚から湧き上がる黒い炎に、罪悪感を感じてしまうのは、多分絵名が”いい子”だからだ。ワガママになれるなら、どれだけ楽だろうか。
優等生の仮面を引っ剥がしたまふゆは、とにかく本当のことしか言わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
飾りのない真実のナイフでザックザックと世界を斬る態度は、絵名を常に苛立たせている。
しかしその飾りの無さが、今回は答えの一つをえぐり出す。
愛され、求められたい。それの何処が悪いのか?
真っ直ぐ過ぎる問いかけは、絵名を構成する色の一つを肯定し、自我のキャンバスに位置を与える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
散々キャンキャンぶつかりつつも、天才クリエーターとしてのまふゆに熱すぎる感情を燃やしてる絵名にとって、まふゆからの肯定はキラキラして見えたのだと思う。
何処にもいない”みんな”の肯定を求めていた絵名は、非常に親しい、尊敬できる仲間の個人的な肯定を受け止めて、前に進むことにする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
荒れてた心は落ち着きを手に入れ、絵筆をもう一度掴む事になる。
この動きが、セカイの外、ニーゴの外…家庭というセカイでも起きているのは面白い。彰人マジ偉い。
そんなセカイにリンが増えたわけだが、彼女はまふゆのセカイに乗り込んできたニーゴの仲間、ニーゴを己の一部と受け入れたまふゆの心が、生み出した存在だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
自分で見つけられてはいないが、確かにそこにある思い。
絵名を見つけて、自分の近くにとどめておきたいという願い。
ユニストを終えたセカイはバーチャルシンガーの数を増やし、その意味合いを変えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
”誰もいないセカイ”は、そこに奏の歌が、ニーゴとしての表現活動と友情が届いてしまったときから、実は名前と矛盾する場所になっている。
リンの出現も、その一環なのだろう。
セカイは集団無意識めいて、主が自覚しない願望や初期衝動、世界認識を強く反射している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
自分を空疎と任じつつ、しかし確かに、見つけてもらった事実を心の砂漠に染み渡らせて、ちょっとずつ変わっている自分を、まふゆはセカイの住人ほど自覚していない。
しかし確かに、救済という名前の呪い、友情という名前の共犯は生まれてしまっていて、まふゆはちょっとずつ、他人を心に住まわせられる自分を再生しつつある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
そんな自分をいつか、彼女自身が見つけ直せると良いな、と思っている。とても難しいし、時間もかかろうが。
リンは他のバーチャルシンガーと同じ様に、絵名の閉ざされた世界に問いを投げかけ、彼女の目を塞ぐドクサに罅を入れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
『本当に、そうなのかな?』
そう問いただすことで、子供たちを苦しめる鎖を自ずから断ち切るヒントを与える姿は、ちょっとソクラテスっぽくもある。思考の産婆術としての詰問。
しかし問いかけが心に届き、己のセカイを変化するためには、(自覚するか否かは別として)思考を固めきらない柔軟さ、変化に対して開かれた強さが必要になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
絵名は彰人に言われても、父を許さない。
でも、その不器用なアドバイスを受けて、己の絵に手を入れていく。
そんな柔軟さが心にまだあるのならば、ヒビの入った親子関係も(もしかしたらいい方向へ)変化しうるだろうし、そんな微かな希望を生っぽく繋いで、ちょっと明るい、ありふれた手触りの青春をたくさん紡いでいくのが、この物語の狙いなのかな、と思ったりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
他の子供達の物語がそうであるように、絵名のストーリーもまた、今回限りで終わらない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
様々な問題と矛盾、己を焼き前に進める情感の炎を抱えながら、彼女は進んでいく。
そ過ちに満ちて、凸凹で、しかし孤独ではない歩みが、他の子供のセカイと繋がることも、またあるだろう。楽しみだ。
しかしプロセカで圧力のある”親”が、まふゆの顔なき母以外は大体父親なのは、どういう傾斜なのかなー、とずっと考えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
偶然でもいいし、なんらか意図を込めていてもいいんだけども、確かに傾斜がある気がすんだよね…ここら辺見えるのは、奏の父が起きたときかなー、と思ったりもするが。
以下、自分語り。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月20日
今回のイベスト、ネットの海にアニメ感想放流して、いいねの数でニマニマしてる自分としては他人事と思えない部分が多々あり、大変痛かった。
俺も心底褒められたいし、『だーれが見てんだこんなブログ!』と、一日三回は思ってる。
勿論、あなたが見ている。それを忘れちゃイカン