イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN:第2話『危殆 Flame』感想

 泥沼のチェルノボーグ市街戦、ロドスは負傷者を抱えながら脱出を試みる。
 立ちふさがるは感染者叛乱軍”レユニオン”、その幹部たる魔人達……という、ボスの顔見世回。
 ドクターとアーミヤにクローズアップして見せていた前回に対し、今回はロドス隊全体、世界情勢と市街戦全域を幅広く俯瞰し、状況が見えやすくなる回だった。
 BGMを控えめに、音響にこだわることで生まれる独特の緊張感はそのままに、世界設定の開示やら重要キャラクターの開陳やら、色々手際よくやってくれる。
 あからさまではなく、しかし的確に意図を伝える演出も冴えて、第1話とはまた違ったアニメの魅力を伝えてくれるのはありがたい。

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第2話から引用

 悲しむべきことに、現実の社会情勢のほうが物語の方に寄ってきて、暗いリアリティが宿るレユニオン暴動。
 不気味で不自然な野放図がチェルノボーグを襲い、彼らは容赦なくかつて自分たちを差別し、死地に追いやった存在を殺していく。
 冒頭、猛烈に叩きつけられる敵意と殺意は、負傷者を見捨てず連帯を保って先に進むロドスと好対照だ。
 同じ感染者でも解りあえるとは限らないのは、既に第1話の親子で描かれた現実だが、レユニオンとロドスは呪われた双子のように似通っていて、正反対に異なっている。
 死病に侵されてなお人であり続け、人を救うものたち。
 人であることを許されない極限値で取った刃が、敵の喉笛と自分たちの尊厳を削り取っていくものたち。
 見た目ほど分厚くはないその境に立ち、アーミヤとその仲間たちは厳しく、信念と理性を試されていくことになる。

 廃墟と化したアザゼル診療所(といい、ニアールの『記憶を失った友人』といい、既プレイ層をひっそりクスグる手際が良くて嬉しい回でもあった)には、レユニオンが皆殺しにした人々にも生活があり、未来があったことを語る。
 暴徒の刃が幼子を例外としないことは既に示されており、空っぽになった子供部屋が何を喪失したかは、描かれないからこそ良く刺さる。
 唯生きたいと願うものが、唯生きたいと願うものに殺されるこの世の果て。
 その裏で渦巻く策謀に気づくこともなく、戦火に飲み込まれた数多の生命を画面上に刻む筆は、なかなかに重苦しい。
 こういうモブ……にすらなれなかった残骸の描写が良いと、それを見据え背負い先に進んでいくアーミヤ達の旅路も重みを増すので、美術が鋭いのはとてもいいと思う。

 

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第2話から引用

 クラウンスレイヤー、メフィストファウスト、タルラ……。
 ロドスが今後相対していく魔人達がどんどん顔見世する回でもあるが、仮面の下にそれぞれの怨念と事情を抱えた暴徒たちは、けして一枚岩ではない。
 この不協和音が、数で劣るロドスがレユニオン運動に立ち向かう足がかりにもなっていくわけだが、股の間にカメラを置く歪な構図でもって、その大きさは良く伝わる。
 ドローンによる俯瞰(これがゲームプレイ画面っぽくて、ユーザーとしてはアニメとのゲームのシンクロが高まり面白い)や、静謐な市街地描写を基調としつつも、ところどころ軋んだ構図を挟むことで、組織とキャラクターのバロックな質感を伝えてくるのは、抑揚の付いた良い演出だ。

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第3話から引用

 道化のように饒舌で、テンションの上下が激しいメフィストと、寡黙にして苛烈なる黒の狙撃手……ファウスト
 地獄のプリキュアの瞳に宿るものも、このように大変良い感じに切り取ってくれた。
 二人が纏う幼く凶暴な空気は、ファウストの奇襲に対応し死地を切り抜けるニアールの頼もしさにも繋がっていて、敵味方両方がかっこよく見える、なかなか良い運びだと思う。
 今回暴徒との遭遇戦→魔人の狙撃→人間サイズのゴジラ火炎と、暴力に適切な傾斜がかかっていて、最後にババーンと見得を切るタルラが一番映えるよう構成が考えられているの、なかなか良かった。
 迫りくる脅威にドクターだけが気づいていて、その警告でギリギリ初手全滅を避けれる形だったのも、記憶喪失の主人公がただの足手まといではないと、上手く描けてたと思う。
 立ち向かうべき相手の凄みはすなわち、それを超えていく味方の強さを照らす光なので、ハッタリがパワフルに効いてるのも、それが適切に刺さるよう工夫されているのもとても大事だろう。
 それにしたってアニメのたるファイアー常理を越えた超火力過ぎて、感染者の究極系がどんなもんか、説得力のある描写で大変良かった。声も真綾だしなー……最高。

 僕にとっては初見の魔人ではなく、長い物語を共に駆けた共演者のようなものだから、レユニオン幹部に声が付き動くのは”嬉しい”。
 虐殺者にそんな感情を抱くのもおかしな話だが、キチショタ力全開なメフィストがどんな思いと過去を背負って狂気の舳先に立っているかとか、超絶調子乗ってるクラウンスレイヤーさんがどんだけ”人間”かとかを、ゲーム体験を通じて思い知っている身としては、彼らを顔なき”悪役”としては見れないし、アニメもそうは描いていないだろう。
 ゲーム体験を心新たに思い出させてくれる演出は随所に光っていて、霧の中襲い来る犬の凶悪さとか、地面を砕くドローンの戦慄とか、一人称的ゲーム体験だと気づけば鈍ってしまう衝撃を、アニメというキャンバスで鮮烈に書き直そうと頑張ってくれていた。
 これはメディアの違いを把握し、意図的にそこを埋める……あるいは乗り越える意図がないと生まれない表現だと思うので、そういう書き方をしてくれることでアニメ制作人への信頼感も高まる。
 『理解ってないと出来ない』というやつだろう。

 

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第2話から引用

 虐殺と敵意が渦を巻く地獄の脱出行のなかで、あくまで製薬会社の実力行使部隊であるロドスは、守るため生きるために戦っている。
 そんな軍団の要、エリートオペレーターであるAceが、常に舞台の殿を守り、最も危険な場所に立ち続けている描写は、目立たないが執拗だ。
 とにかく徹底的に、チームのケツモチはAceおじさんが盾持って担当していて、過酷な状況でも消えない穏やかさといい、思わず頼りたくなる存在感を上手く醸し出している。
 広間前の会話といいフラグはビンビンで、全てを焼き尽くす煉獄の化身が追いついてきたこの状況。
 『殺さず、死なず』というロドスの信念……記憶を失ったドクターがこれからその心に刻んでいくものが、どれだけ高く付くかを物語は厳しく試していく。
 それでも理性を手放し衝動に流されれば、ロドスはレユニオンへと簡単に落ちていってしまう。

 

画像は”アークナイツ 黎明前奏/PRELUDE TO DAWN”第2話から引用

 上着を脱いだアーミヤは、とても可憐で脆く……まるで普通の女の子のように感じられる。
 自身も感染者として、痛ましく浮かび上がった病の痕跡に苦しみ、治療を受ける立場にありながら、診療所を出れば彼女はロドス代表の仮面をかぶり、死地へと踏み出していく。
 そこにしか、理想と生命を守る現場はないからだ。
 時折滲ませる年相応の儚さも、健気に鎧った戦士の顔も、アーミヤの全てではなく、間違いなく真実でもある。
 そんな人間であることのあやふやな不思議さ、難しさを、人間でしかない(ことを選び続けている)アーミヤは過酷に過ぎる戦場で体験し、学び取っていく。
 その小さな体を、仲間がちゃんと気遣ってくれているのは嬉しい。
 多分それだけが、綺麗で脆すぎるなものを現実に引っ掛ける大事な釘だ。
 レユニオンにその釘がないのかというと、これまた別問題なのだが。

 現実なるものの酷薄な重力が、魂を高潔から引きずり降ろそうと舌なめずりし続ける世界の中で、少女は気高くあり続けられるのか。
 あるいは気高いからこそ、黒き炎龍は暴動の舳先に立ったのか。
 チェルノボーグを焼いて、物語は続く。
 次回も楽しみです。