イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕の心のヤバイやつ:第2話『僕は死んだ』感想

 純情と性欲と肥大化した自意識をブレンドした、むせ返るような中学二年生の原液を、笑いとキュンキュンで調理したトンチキ青春物語、二枚目のカルテである。
 京ちゃんの過剰な自意識に比例し、堀江さんのモノローグにぎっしり埋め尽くされて蠢く青春は、自分を怪物だと思いたい京ちゃんのセルフイメージからはみ出す、繊細な観察力と優しさが、色濃く滲んでいる。
 山田杏奈と出会ってしまったことで勢いがついた青春は、猫のように自由な彼女に引きずられて思わぬ方向にゴロゴロ転がっていくが、実はそれは双方向的なもので、山田もまた京ちゃんを気にかけ、語りかけ、見つめている。
 幼いまどろみに満たされていた季節が終わり、自分も他人も本当は良く分からないのだという事実に直面して、戸惑いあがく季節。
 そこに取り残されている京ちゃんの孤軍奮闘を楽しく追いかけつつ、実は思いの外色んなことを気にかけ、気にかけられている様子が丁寧に追いかけられていて、とても良かった。
 そこには主人公とヒロイン以外に色んな人がいて、もちろん山田杏奈はあまりに巨大な光の塊としてビカビカ画面を専有するのだが、しかし京ちゃんの視線はその隣りにあるものを、結構しっかり見つめている。
 自分は静謐な箱の中で死を弄ぶ危険人物なのだと思い込み……本当に思い込みきって自分を書き換えれるほどにはイカレてもおらず、しかし柔らかな生身で世間と対峙するには、あまりにも生焼けな時代。
 その息遣いを、時折イカ臭い蒼き情動を交えつつ積み重ねた先に、どんな景色が待っているのか。
 ペースが少し落ち着き画角が広がった、第2話に相応しい筆致が生きて、作品がもつポテンシャルが新たに発揮された話数でした。

 

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第2話から引用

 というわけで、自称・同級生の死を想起し静謐な箱に閉じこもる危険人物、現在の視界がコレである。
 一生山田杏奈のことを見守り続け、全力疾走してコップを探しに行き、こぼれた水の後始末にダバダバ駆け回り……ハタから見りゃたった一言、『もう……大好きじゃん……』としか言いようがねぇ。
 『手の届かないまばゆい光』というフレームに収めておくには、山田杏奈はあまりにおもしれー女であり、京ちゃんと同等の変人であり、瑞々しい心を自分なり学園生活に踊らせている、中学二年生の女の子でもある。
 その弾むような魅力が謎のねるねるねるね制作コントに元気に踊っており、大変良かった。
 山田がトンチキで可愛い子なのだと理解らせてくれないと、ドンドン心惹かれ世界を拓いて新しい自分と出会い直していく京ちゃんの青春に、視聴者のシンクロ率上がっていかないもんな。

 京ちゃんは自分を陰気なモブと考え、影に押し込め高望みをしないことでコレ以上傷つかないよう、プライドを守って生きている。
 スクールカースト上位(に見える)山田は自分を歯牙にもかけない、だから後ろから見守り続けるのだ……という思い込みは、実はかなり早くに崩れている。
 山田は自分のために頭おかしくなっちゃうクラスの純情ボーイを、結構面白いやつと気にかけて、図書館での奇妙な遭遇を日々の潤いと、自分なり楽しんでもいるのだ。
 その双方向な気持ちの証として、食べ差しのねるねるねるねを差し出すのが山田杏奈であり、その奇妙さはひねくれきった京ちゃんの感性に、ビンビンに響く。
 自分とは真逆のはずで、でも目を離せない眩しい光で、キレイなだけでは終わらないトンチキと可愛げが、身体から溢れている女の子。
 彼女を追いかけ、追いかけられる形でこの物語は先に進んでいく。

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第2話から引用

 この双方向性は京ちゃんと山田個人に限定されず、彼らを取り巻く人間集団にも伸びている。
 京ちゃんは山田グループのキャッキャウフフを萌え漫画の一コマとして外側から消費しているが、クソ童貞がアホバカ性欲ぶん回している京ちゃん周りの景色も、ハタから見てりゃ大変可愛らしい。
 『クラスメイトのために、ちょっと荒々しい手段にも出ちゃう俺』を演じるその時、周囲を見渡し頬を赤らめ反応を確認する、青春の身動ぎ。
 そのクソおバカ男子中学生っぷりは、京ちゃんが憧れつつ近づけないリア充劇場と同じくらい魅力的で、クラスに居る皆がそんな、眩しい時間を自覚なく生きているのだ。
 ずっぷり京ちゃんの自意識に潜り込んでいるようで、教室全体を俯瞰し彼らが息をしている季節がどんな空気に満ちているか、愛しくスケッチする客観性も元気なことが、逆に主人公の肥大化した自意識に潜って息苦しくない、むしろ心地よい秘訣なのかもしれない。
 みんな可愛いねぇ……。(全てに枯れ果てたジジイの感想)

 

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第2話から引用

 馥郁たる甘さを至近距離で吸い込み、山田杏奈で脳髄とちんぽこパンッパンにしつつも、京ちゃんは山田と自分の周囲にひろがる世界を、結構横幅広く見据えている。
 ”彼氏さん”がどのくらい山田と親しく、優しく暮らしているのか見つめているのは、もちろん京ちゃんが山田が好き過ぎて一生観察し続けているからなんだが、そこで愛する山田以外の誰かが、どんだけ頑張っているのか見れるのは京ちゃん自身の優しさだ。
 原さんの豊満な乳房に目を奪われつつ、山田の透けブラに心音を跳ね上がらせつつ、体内を満たすアツい迸りをトイレに放出しつつ、山田と出会い好きになることで、京ちゃんの暗く閉じた世界は否応なく拓けていく。
 誰かを好きになることは、そうやって自分を広げ生来の善さを思い出させる効能が、確かにあるのだと。
 恋の駆け引き……未満の不定形なドキドキ、そこで摩擦され発火する欲望を明るく楽しく描きつつ、この年頃の人間がどう変わっていくのか、しっかり見つめている視線が好きである。

 僕は京ちゃんが性欲モンスターな所が好きだ。
 漂白されてないイカ臭さは、京ちゃんが今まさに中学二年生男子である事実を覆い隠さず、笑いつつ嘲笑わず、身勝手な欲望と他人を大事にする優しさが、不思議に同居している現状を切り取ってくる。
 『そらーおっ勃つわな……』な日常的エロスシチュエーションを喜びつつ、学校でまよわずブッこく勇者っぷりに慄きつつ、山田だろーが原さんだろーが、相手構わずおっ勃っちゃう不自由と野放図を見守りつつ、京ちゃんがままならない自分をなんとか制御しようと、必死に悪戦苦闘している姿を楽しんでいる。
 凄くピュアで優しいものが思わず身を乗り出してしまうのも、それとは関係なくちんぽこがおっ勃つのも、市川京太郎の”今”なのであり、切り取るならば楽しく笑えるように。
 そういう姿勢に、面白く相乗りさせてもらっている。

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第2話から引用

 つまりはねるねるねるねを楽しむ山田と同じく、京ちゃんも思わず好きになっちゃうチャーミング・ボーイであり、そうして惹きつけられる視聴者の視線と、山田杏奈の視線は重なっていく。

 京ちゃんの肥大化した自意識が大事な話なので、あくまで物語は京ちゃんの一人称で進んでいくわけだが、その隙間で何が起きているのか、かなり親切に描いてくれてもいる。
 悪意で墓に名前を刻んだのなら悲しいなと見つめる瞳も、原さんを不器用に守るように自分のヤバさを前に押し出す京ちゃんも、それを見つめて切なくなっている山田も、勢いよく回るモノローグの奥で、確かにしっかり描かれている。
 京ちゃんが自分の内側から勢いよく盛り上がってきた、名前をつけられない”ヤバいヤツ”にぶん回されているように、山田杏奈もまたお菓子大好きな幼さから身を乗り出し、市川京太郎に惹かれている自分に戸惑っている。
 そんな二人の今は、京ちゃん自身が思っているよりも良いハーモニーで青春を踊っているわけだ。

 

 

画像は”僕の心のヤバいやつ”第2話から引用

 それがagraph謹製の最高劇伴に背中を押され、透明感あるドキドキイベントともに暴れ来るって、一切合切皆殺しにして第2話は終わりである。
 チャーミングなキスを暗喩する、筆を用いた二人の距離感の活写。
 バッキバッキに血管浮かせた不随意筋をどこに持っていくか、右往左往のイカ臭いコメディと、青く澄んだ美しい空間は確かに同居していて、その間に気に食わないナンパイが自分のために、苦労して自転車引き上げてくれた記憶が挟まる。
 自分をゲキヤバ人間だと思いこむことで、優越と孤高と保護を掴み取ろうとしてる京ちゃんだけども、世界と他人のいい所を無視できない公平な視力を、殺し切ることが出来ていない。
 根本的に優しい少年で、山田杏奈はその優しさをちゃんと解っていて、めっちゃグイグイちょっかいかけてくる。
 赤い筆先が柔らかな頬に触れ、桜貝のような小指の爪がひっそり、地図の上を滑る。
 そういう甘やかな詩情に満ちた距離感が、元気に弾む中学生活の中でじわじわ、ヤバい奴の外堀を埋めてきている。

 その接近はやっぱり双方向的で、携帯電話の中に切り取られた市川京太郎殺戮兵器が、写実の客観性でもって、今の二人の現状を丁寧に切り抜く。
 『もう……大好きじゃん……ふたりとも……』
 まぁ、そういう話である。
 やっぱ好きだなぁ……いいアニメ化してもらっとるわ。

 さーこっから、ガンッガンに接近しつつも決定的な”一撃”を己にも世界にも許さない、甘い身悶えに精神ボッコボコにされる時間が続くわけだが、覚悟は良いか丸太は持ったか!!
 ラブコメってジャンルの定番を規範的になぞるわけではなくて、京ちゃんと山田が色々ヤバいモノを持て余しつつ自分の青春、全力疾走している一過程として、付いたり離れたりもどかしくも面白い日々を過ごす。
 その個別で生き生きした息遣いを、色んな描き方で届けてくれるエピソードでした。
 張り詰めたちんぽこも、制御できないヤバさも、柔らかな優しさも、弾むときめきも。
 全部全部、彼らの今の本当なのだと思わせてくれる物語は、まだまだ始まったばかり。
 次回も大変楽しみです。