イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プロジェクトセカイ カラフルステージ感想:Get over it

 青春凸凹バンド、ついに迎えた勝負のワンマン! ……自体も、その先にある事務所所属も話の真ん中には置かない、運命の中間地点にある小さな迷いにフォーカスしたイベストである。
 みのりにおける”拝啓、あの頃のわたしへ”とか、こはねにおける”Kick it up anotch”みたいにステージ本番をクライマックスに置いて、ピークを音楽を通じた自己実現に持ってくる作りも出来たはずだが、しっかり何かを成し遂げた手応えをライブの刻みつつ、レオニはそういう語り口を選ばなかった。
 無心に楽しさを負う咲希に引っ張られて、聴衆を引き付け納得させる高みへと駆け上がった一瞬と、その後に続いていくプロとしての人生。
 それを前にした少女の小さな当惑と、新たな交流と、そこから生まれる一歩を大事に語っていく、凄くプロセカらしくレオニらしいイベストだった。

 ”Little Bravers!”でもそうだったけど、レオニは”私たち”であるとはどういう事か、四人の小さな繋がりを足場に”私”であり続けること、”みんな”になることを、まだ学校というアジールに護られている高校生が見つけていく、ココロとセカイのお話を良くやる。
 高校入学以来、ばらばらで孤独な”私”になってしまって、自分らしさを見失っていた友達がバンドになることで、プロを目指して本気で音楽をやることで、自分が何をしたいのか、どうなりたいかを確かめていく。
 そこでは世間が求める『こうあるべき』はまだまだ良く解らなくて、でもそれに従わなければ自分でいることも難しそうで、それでも必死にあがいて掴んだ”私たちである私”を手放したくもなくて、非常に不確かなものが微細に揺れ続けている。
 今回ワンマンやプロ化それ自体にそこまで重心を置かず、一見どうでもいいように思える咲希の悩みを丁寧に描いていったのは、そんな不確かで時に軽んじられて、でも確かに普遍的に色んな人の心にある震えを、大事にしてレオニの物語が進んできたからだ。

 

 商売のパートナーとして、しっかり果たすべき責務を果たすこと。
 そのために時には自分を譲り、”私たち”であることを諦め、物分かりの良い大人になること。
 それが成長なんだろうなと、ぼんやり考え震えている咲希に生きるヒントを手渡すのは、セカイの住人ではなく新たにレオニと進んでいく新堂さんだ。
 第8話のMEIKOとの語らいと合わせて、一生の仕事を手に入れ子どもではなくなっていく少女たちが、自分たちだけのセカイを必要としなくなっていく嬉しさと寂しさが、そのメンター選択にはあった。
 志歩と一緒にプロを目指してやっていく、大きな決断が一つの答えにたどり着いた今回、”俺”と”私”を行ったり来たりして、人間としてのレオニに親身になってくれる新堂さんが、物語的に大きな存在になるのは当然のことだ。
 そういう新しい出会い、新しい決断へ少女たちを押すために、セカイとその住人はあったのだろうし、プロとして今後やっていくレオニは余人が立ち入れない聖域ではなく、誰もが公平に出入り可能な音楽市場に踏み出していく。

 その上で自分たちを守り見守り鍛えてくれたセカイは、まだまだ子どもでもあるレオニにとってセカイは変わらず大事な場所で、時折立ち戻って現実と戦う力をくれたり、折れ曲がりそうな心を休めてくれるホームでもあり続ける。
 真堂さんをビジネスパートナー、あるいは守ってくれる理解ある大人として、プロとしてより広い場所に音楽を届ける中で、レオニはセカイで自分たちだけが見たものを、もっと多くの人に届けられるだろう。
 そういうセカイへの恩返しも、プロになって大人になっていけばこそ叶うものだろうし、色々なものが変わりつつ、大事なものが確かに揺るがずそこに在り続ける。
 咲希の迷いを見逃さず、自分の傷を晒すことで決断の手助けをした真堂さんと、一緒に苦労しながらレオニは、そういう場所に近づいていくだろう。
 ここら辺、一歌がミクを用いて音楽を作るミライへ着実に進んでいて、今は隠されるべき秘密の妖精郷でしかないセカイを、自分たちの創作物として世界へ送り出しうるのだと既に見せてるのが、個人的には面白い。
 プロになった一歌がミクの歌を世に問う時、思春期に悩む四人の秘密基地だったセカイはもっと多くの……あの時のレオニと同じように人生に悩んでいる子ども達の救いになっていくはずで、そうなった時がジュブナイルとしてのプロセカ、一つの終わりなのかななどとも考える。

 

 今回描かれた咲希の小さな震え方を見てると、そういう場所にたどり着くのはもうちょい先かな、という感じもある。
 世間のことあんま分かんねぇまま、”音楽をする私たち”が本当に大事だから本気で挑んで、時にいけすかねぇ激ヤババンド女に言葉の礫を投げつけられたりしつつ、私らしくたどり着けた頂き。
 そこはあくまで中間地点でしかなく、音楽が仕事になる以上色々厄介な問題も待ち構えながら、新たに広がった場所でなお”私たち”であれるように、その歌が”みんな”の歌になるように、レオニは頑張っていく。
 あんだけブッこいてた朔が後方腕組み古参理解者ッ面しだしたのめちゃくちゃ面白かったが、そうやって納得させるだけの演奏と気合でもって、ワンマンに挑んだわけだ。
 その努力の過程は、結構な分量のイベストで語られて、今回の結果がある。
 そしてそれも、新たなミライへの過程でしかない。

 そうして幾度も山を登るように、”私”と”私たち”をより広くて高い場所に連れて行く歩みの中で、一見ちっぽけな違和感や震えとちゃんと向き合って、向き合う手助けをしてくれる誰かと出会う。
 そんな一つ一つの音符が、連なって一つの歌なのだと、新たに奏でるようなイベストでした。
 レオニが星座モチーフなのは、そういう連なりを見失わないことで大きな”私たち”……あるいは”みんな”が生まれうるのだという、共同体論的な意味合いもこもってるのかも知れない。
 より広く、より大きな輝きを一つに繋げることができるプロの舞台へ、レオニはこれから踏み出していく。
 そこに体温のない都合だけでなく、瑞々しく震える人間の心が瞬いていけると、とても良いなと思う。
 次のエピソードも、とても楽しみだ。