イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

江戸前エルフ:第5話『月島ガールズコレクション』感想

 佃島を舞台に展開する御神体日常コメディ、スマホとオシャレの第5話。
 まー特に波風なくまったりと楽しく時間が流れていくお話だが、やはりこの空気、この呼吸がたまらず心地よく、今週も大変いい気持で見られた。
 俺はなんてことなく流れていく当たり前の日々に、小糸がエルダに、エルダが小糸に特別な視線を向け、定命と永世がたとえ同じ場所には行き着けないとしても隣り合いすれ違っていく一瞬の肖像画を見届けるのが大好き。
 なので、そういう情景で日々のドタバタを綺麗に納める作りも大変良かった。
 永久を生きる生き神にとって、人の子の生老病死はあまりに忙しく、しかしその瞬きに宿る眩しさを、高耳神社の御神霊はけして忘れない。
 小金井家伝来の振り袖は、郷愁と慈愛を宿して美しく青い。

 

 

 

 

画像は”江戸前エルフ”第5話より引用

 というわけでAパートは精霊飛脚スマートホン、時代を越えて色々ある”通信”にまつわるお話。
 保守的……つうか単純にものぐさなくせに、人恋しくて新しもの好きな駄エルフが腰までスマホ依存にズッぱまりして、精霊くんがグレるお話である。
 ヒキってる割に俗欲強いエルダが、巫女を便利に使って物欲満たしてる……というより、メチャクチャ小糸が好きで甘えてる様子をたっぷり摂取できて、『普通こんだけ体重預けられたらキレるだろ!』という距離感も、小糸は淡々と耐える。
 これが生まれた時からずっとエルダが側にいたからの態度なのか、永遠に美しい女(ひと)に惹かれているからなのか、判別は難しい。
 二人の複雑怪奇な当たり前を、わざわざ腑分けして名前を付けなくとも、そういう間柄としてそこにあるのだから、それでいい。
 そういうものかもしれない。

 飛脚豆知識なんぞも交えつつ、エルダは最新文明にたっぷりと迷って、精霊くんの健気な主張に正気を取り戻す。
 Aパートでエルダ→小糸の甘えを描き、ダイナシ感のあるイイ話オチでまとめておいたのが、Bパートで生きてくる構成はかなり好きである。
 毎日ワイワイ、とても小さく楽しい騒動にさらさらと身を任せて共に生きつつ、それを当たり前にはしない特別な思いと関係が、二人の間にあること。
 そこにはスマホとブランド物で武装し、令和の世を駆け抜けていく若駒の瑞々しい息吹と、人間が生み出す時代の片隅で、不変でいることしか出来ずそれでも巫女を介してその営みに、確かに寄り添う永生者の共鳴と断絶が、確かに宿っている。
 時間感覚も生きる定めも別々で、でもこの一瞬を確かに共有している二人の今を、明るく楽しく優しく切り取る。
 そういうアニメの、穏やかなる真骨頂が元気だ。

 

 

 

 

画像は”江戸前エルフ”第5話より引用

 そしてBパートは”おしゃれ”……に背伸びしたくなる、小糸十代の肖像画にエルフが寄り添う。
 ジャンクメシにだらしなく舌鼓をうったと思えば、顔面の圧倒的破壊力でドギマギさせてきて、『小糸もそらー正気ではいられないよ! 自分ところの御神体にズブズブだよ!!』と納得もしてしまう。
 スタイルがいい高麗ちゃんを隣に置いたことで、小糸のちんちくりん加減が強調される残酷なカットが多めで、それはつまり(彼女自身言っていたように)今後の成長の証でもある。
 若人にとっては大人っぽさへの憧れであるものに、思いの外あっという間に追いついてしまって、婚礼を果たし母となり振り袖が着れなくなり、娘に美しい衣を託す立場になる。
 400年、綿々と受け継がれてきた時の流れをエルダは俯瞰で見ていて、小糸は当事者として全体を知り得ない。
 永生者の哀しみと喜びが静かに滲む独り言で、大変綺麗にお話をまとめ上げるラストカットが、素晴らしい切れ味であった。

 高耳神社の紋付き振り袖は、時の流れに揉まれつつ江戸月島の人たちが継いできた文化の結晶であり、小糸が背伸びして求める(そして今は似合わぬ)舶来のトレンチコートに比べ、時間と土地の匂いがある。
 神君家康公の請願を受けて、佃島という土地、不老不死の定めに縛られて動けないエルダは、あっという間に生まれ育ち年老い死んでいく人間の営みを、ただ見守る立場だ。
 俗世の文化にどっぷり染まり、年下の巫女に甘え倒すその態度は、けして氏子と同じ流れには入ることが出来ない寂しさを、後ろにおいた稚気なのだろう。
 無論心底俗垢に溺れてる性分もあろうけども、先に待つものを思い知りつつ今、目の前に立ち上がる少女の眩しさを心から祝いで、一緒に楽しい時間を過ごす事に注力して、神様をやっている。
 こういうシリアスで重たい空気を、小糸にはめったに委ねず駄エルフやり続けている所がエルダの偉さで、そこを見落とさずススっと見せるのが作品の巧さ、キャラクターへの誠実さだろう。

 アホバカ駄目エルフにだって、400年神様やってりゃまぁ、色々あるのだ。
 あった上で、今代の巫女との縁を経糸に、令和という時代を緯糸に、毎日を編む。
 宿命への悲嘆や離別の苦しみを混ぜ込まず、それすらも一つの喜びと思えるように、エルダは結構気を使って自堕落しているのだ。
 余っている袖に似合うほど手足が伸びるのに必要な時間が、青春真っ只中の小糸当人が思うほど長くはなく、しかし当事者にとっては永遠と同じに感じることを……その待望にこそ今を生きるモノの息吹があることを、エルダはしっかり解っている。
  解っていて、なお寂しく愛しい。
 小金井小糸という個人が、先代、先々代の巫たちと同じように好きで、一人ひとりの思い出を大江戸豆知識のようにしっかり頭に焼け付け、小糸が生を全うした後も楽しく覚え続けていられるように。
 そこに、時に置き去られる微かな哀しみが匂うのが、永生者を描く筆として大事だし、良いものだと思う。

 

 というわけで”通信”と”おしゃれ”二刀流でもって、高耳神社を流れる日常を鮮やかに切り分け、見てるこちらにサービスしてくれる回でした。
 大変良かったです。
 エルダの傍若無人な甘えっぷりを、思わず許してしまう小糸のズブズブ感をたっぷり堪能できたし、一見一方的に善意を甘受しているように思える生き神様が、どれだけ優しく流れる時を、それに押し流され離れていく人の定めを見守っているかも、よく伝わった。
 程よい噛み味の日常コメディでたっぷり満足させつつ、その真芯にある重たく生真面目な質感を、しっかり描く。
 とても優れた筆先でした。
 次回も楽しみです。