イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

私の百合はお仕事です!:第5話『もしやり直せるのでしたら』感想

 本名解かればかつての仇、嘘と本気が正面衝突して袂を分かった二人が、何の因果かシュベスター、バックヤードで渦巻く思いが、造花で飾った舞台に漏れ出す。
 カーテン一枚、めくれば香る鉄錆た怨嗟とその奥微かに……思い出の芳香。
 くっそ面倒くさい女たちが外面と本音、仕事と感情をネトネト混ぜ合わせて毒ガス発生させまくるコンカフェ地獄絵図、激動の第5話である。

 

 小学校時代の因縁を引きずり、夢売り稼業に相応しい外面を作れなくなった結果仕事がギスギスし始める最悪状況、嘘つき女とクソ真面目は妥協点を見つけられるのか? ……という展開。
 美月は『リーベ女学院のコンセプトも理解していないじゃない!』と怒るが、いやオメーも上司も説明してないだろうが、この”仕事”が何を大事にして顧客に何を届けるお仕事なのかを、陽芽ちゃんにも視聴者にも!
 他者の関係性を戯画化されたコンテンツとして、生きてる人間の生臭さを消して消費していくヤダ味は横において、たとえ衝突が起きたとしてもそれはあくまで文脈の内、プロが演じる安心安全のリアル・フィクションとしてコンカフェに通っている客にとって、バックヤードの人間事情は覗き込みたくない夢の臓物である。
 溢れ出すドス黒い渦をそれこそ鉄の外面でせき止め、客の求める嘘を演じきるのがプロの仕事だとすれば、個人的な過去に揺すぶられて接客が揺らぐ陽芽ちゃんも、演技に固執している割に作り込みが甘い美月も、全くもって夢売り失格である。
 まぁ陽芽ちゃんに関しては、ゆかりん声の萌えヤクザに強引に手を引かれ、ワケも分からねぇまま”仕事”押し付けられている立場なので、同情の余地は充分あるけど。

 『愛されるべき、かわいい自分』というイメージで武装してる陽芽にとって、愛されなかった過去は否定するべき汚点であり、それを思い出させる矢野美月は相容れない仇敵……であると同時に、”仕事”で姉妹を演じる相手役であり、嘘っぱちの愛を本当にしたかった、特別な相手でもある。
 ここら辺の超めんどくさいこんがらがりを、間近に接して感じ取っている香乃子が、善良ぶったアドバイスで距離が離れるよう、焼け木杭に火がつかないようジャブ入れまくってるの、最高に邪悪で面白い。
 『心から陽芽ちゃんを思い理解している親友A』みたいなツラして、キモい独占欲が隠しきれないヤバ人間なの、このお話らしい配役だと思うよ、つくづく。
 んで美月の方も”本当”しか抱えてらんない不器用人間なんで、陽芽の嘘を許容しきれず自分を捨てたのだと思いこむし、制裁めいて関係ぶっ壊すことでこれ以上傷つかないよう自分を守るし、そのくせ(だからこそ)未練タラタラで新たにやり直す夢を捨てられないしで、お互い感情ギトギト距離感ヌトヌト、大間違いしかないすれ違いと絡み合いの大迷宮(ラビュリントス)。

 

 果たして導きの赤い糸玉はどこにあるのか……って状況だが、遂に外面で覆いきれないほど関係がこじれた結果、涙混じりの本音バトルが勃発したのはいい傾向である。
 いや良くねぇんだけどさ、客に聞かれてるし。
 人間関係を維持していくのに不可欠な嘘と、どう付き合うのか、付き合えるのかという部分では真逆だが、それぞれ愛を求めて一度は手を取り、ぶっ壊れてなお諦めきれない気持ちの強さでは同じで、だからこそ拗れきった思い込みが簡単には壊れない。
 自分が何をしたいか、相手が何をしたいか。
 探るのも解るのも止めてしまったエゴイストたちが、どこかちったぁマシな場所へ自分たちを引っ張り上げる鍵は、想像力を上手く使うことにある。

 かわいい語調を引っ剥がして、荒い本音を全力で叩きつける所まで追い込まれた結果、陽芽は自分が何をしたかったのか、何をしてほしかったかを考え直すことになる。
 そうやって演技プランを作り直さないと、誰かに愛され顧客を満足させる芝居をやり抜くことは、もう難しくなってしまったからだ。
 陽芽のソトズラは自分に都合の良い結果を引っ張り込むための、便利で身勝手な嘘に過ぎなかったわけだが、ここら辺からちったぁ人間の”誠”に通じていく思慮が駆動を始める。
 嘘をつくことになれすぎている陽芽が、だからこそ見えにくくなっている自分の気持ちは、美月という鏡に照らしてみなければ解らない。
 そうさせるだけの引力が、矢野美月であり綾小路美月でもある女には、確かに宿っているわけだ。

 逆に”本当”しか信じられない性分を暴走させた結果、大事にしたかったものを全部ぶっ壊した(自覚が、あんまりにも乏しい)不器用女は、なんでキレイな嘘を売るコンカフェ稼業にここまでこだわるのか。
 他にはない魅力をこの”仕事”に感じたから、綾小路美月として最悪の幼なじみ相手に姉妹ごっこを演じきる意地も宿るわけだが、そこら辺はまだ明瞭ではない。
 陽芽があんだけ重視し結果振り回されている、愛されるための嘘の意味を美月は知ろうとしないわけだが、客の求める華やかなフィクションを作り出す”仕事”は、嘘に熟達しないと演じきれない。
 因縁の動脈瘤が遂に破裂し、表舞台に膿が溢れ出して客にかかったこの局面、美月もまた外面と本音、嘘と本当の裏腹な関係性を、ほじくり返す必要がある。

 

 生の自分をそのまま突き出しても、誰も愛してはくれないというのであれば、嘘で固めた鎧に思いを隠して、愛で包まれる以外に道はなかろう。
 しかし嘘と本当の境界線はそこまではっきり別れたものではなく、リーベに通う客は嘘と知りつつ百合色の演目に本当の喜びを得る(のだろう)し、そうやって演じることが役柄を越えて演者の人格を揺さぶることだって、もちろんある。
 この曖昧な境界線、真逆なはずの概念が相互侵犯を繰り返す構造は”好き”と”嫌い”の間にもあり、憎んでいるはずなのに離れられない、しかし本当の願いも見えない状況奥が、複雑に絡み合っている。
 このややこしさが仕事場にあふれて、ネットにいらねー憶測がはみ出してもいるわけだが、これを解決するにはもう一つの境界線……”わたし”と”あなた”の境目を見つめて、もう一度線引をやり直す必要がある。

 誰かを愛して、手の届く距離にいて欲しいと願う時、わたしとあなたの境目は混じり合っていく。
 連弾の音符のように一つの曲を奏でていたはずのものは、嘘と本当の境目を不用意に弄んだ陽芽と、そのあわいこそが人が人と触れ合う要なのだと思えない美月の衝突で、バラバラに砕けた。
 その残骸がまだ燃えて、致死性の毒ガスモクモク放っている状態だが、なーんでこんなことになっとるのか。
 拗れまくった結び目を解くには、自分と他人をちゃんと見つめる必要があるだろう。

 過剰な嘘とやりすぎな本当、真逆な方向に身勝手で幼い二人が、わたしの中に居続けるあなたと、あなたを思い続けるわたしを通じて、少しずつ心を成熟させていく。
 そういう物語の輪郭が、ようやく鮮明にもなってきた。
 この洞察の先に果実が実っているのか、性自認と相互関係生にまつわる面倒くささもまた顔をだすわけだが、その前にまずは”仕事”をちゃんとしなきゃぁイカン。

 外野の雀がピーチクパーチク、勝手にさえずり憶測を広げる。
 麗しき花園にはふさわしくない暗雲をはねのけ、眩しく輝く姉妹愛という嘘を、二人は演じきることが出来るのか。
 その”仕事”はネジ曲がった気持ちの奥で眠る、揺るがない本当を思い出させるのか。
 次回もネトネトグツグツ、面倒くせーのがエグみ放つ物語は続く。
 楽しみですねッ!!!