イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 水星の魔女:第17話『大切なもの』感想

 かくして、最後の決闘が始まる。
 機動戦士ガンダム水星の魔女、学園編の終わりを告げるような第17話である。
 クッッソムカつくやられ役だったはずのグエル先輩が16話分の艱難辛苦を経て勝利者となり、可愛く健気な水星のお上りさんが虚無をさらけ出して敗北していく。
 始まりの第1話を綺麗に反転した構造が、虚飾でありながら確かに青春の熱量があった学園決闘物語の終わりと、より苛烈で人間味のない総裁戦の開始を上手く照らしていた。
 友情、努力、克己、覚醒。
 長い旅の果てに”主人公”になったグエルと、真実が暴かれるほどにその資質を失った……ように思えるスレッタが、自分以外の参加者全てが敗北を仕込む戦いの中で、何を吠えていたか。
 そこがいちばん大事なのかなと、個人的には思う。

 

 

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第17話より引用

 プロスペラによる支配の強さ、クワイエット・ゼロという父の悲願、スレッタへの愛。
 ミオリネにのしかかるものは重たく、その内側へ花婿は踏み込み得ない。
 無垢に母を絶対視することで虚無に輪郭を与えているスレッタが、推しても引いても変化しないことを最後に確かめて、ミオリネは父にそうされたように、良かれと思って相手に相談もなく、苛烈な試練を叩きつけていく。
 色々あったけども、お母さんの言う通り望ましいものを手に入れられた学園生活が永遠に続き、花嫁と最高のドレスを着て添い遂げるハッピーエンドを、水星の魔女は夢見ている。
 だが他でもないその手で赤い洗礼を浴びせられ、生きることと死ぬことの実態を思い知ったミオリネは、自分のルーツと世界の真実を探る旅を終えて、甘い夢から醒める。
 醒めたつもりでいる。

 序盤はあんなに微笑ましかった『やりたいことリスト』も、決闘システムが破綻し地球の実情が描かれ、スレッタの異質な生まれと内面が掘り下げられた今、おぞましい色合いを帯びている。
 『本当に?』と、僕は自分に問い直す。
 死の宿命を越え魔女の妄念でこねられ、パーメットの申し子として呪われて生まれたガンダム・サイボーグは確かに異質で、未熟で、無知だ。
 しかしそれはスレッタが選択した結果ではなく、選択する可能性をあらゆる領域で剥奪された結果の現状だ。
 同時にプロスペラの長い影の中にありながら、確かにスレッタだけの願いも祈りもそこにはあって、彼女がキモい怪物に見える(よう、かなり強めのフィルターを作劇が乗せている)ようになっても、そこに変化はない……はずだ。

 結局『お母さんがそう言わないから』で拒絶されるとしても、最終的に投げ捨てられる願いだとしても、スレッタが色んなことを感じ、与え、変えてきたことは物語の蓄積の中、確かな事実としてある。
 ”主人公”ともてはやされるグエルくんの善き変化が、どんな出会いから生み出されているかを思い出してみても、スレッタが何もしていない、何も出来ないということはないだろう。
 この子は確かにスレッタ・マーキュリーという個人として、大事な何かを誰かに手渡せていて、だからこそミオリネも冷たく暗い場所を見据えている。
 嘘っぱちの希望を剥ぎ取ってみれば、そこが現在地なのだと。

 決闘者が花嫁と共謀し、エアリアルという呪いの子宮からスレッタを引きずり出す荒療治を行う今回、何も知らないスレッタは婚礼を夢見る。
 その赤らんだ頬があまりに可憐で、僕はとても悲しい。
 決闘という漂白された殺し合いを通じて、あるいは鮮血と土に塗れたリアルな闘争の中でも、隣に並んだ人たちは幼年期を終えた。
 肉親の死や過酷な真実を突きつけられ、終えざるを得なかった。
 スレッタだけがエアリアルと温室の中、母の呪言に縛られ幼いままだ。
 荒療治になろうと、何もかも裏切ろうと、そこから我が花嫁を出す。
 ミオリネの硬いかんばせには、そういう掠れた愛が色濃い。
 それも悲しい。

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第17話より引用

 これまで”入れる”ことで真心の接点となり、あるいはそこに”いれない”ことで心の距離を示してきた温室も、最後の戦いを前に大きな仕事をする。
 無理くり押し入ることで乙女ゲー気取りのバチバチ電撃アプローチに失敗する五号と、入って、守って、出ることで今の自分をしっかり示すグエル先輩の対比に、その対話を隠れて聞くミオリネが混ざって、ここまでの話数で何が失われ、何が得られたかが可視化されていく。
 四号のあっさりした処分を思い出すと五号が強硬手段にでたのも理解できるのだが、その手筋がよりにもよってあんまりにもむき出しの”暴”過ぎて、異様な面白さ醸し出してるのは流石である。
 徹底して逃げる男として、その先に”一つ”は掴めるのか。
 サイバネ世界の児童闘争という本筋にはまーったく絡める気配がないが、こういうキャラを目が離せないオモシロに育てたのはこのアニメの強さだよなー。

 さて。
 負けて屈辱に塗れたり、道具扱いが嫌で学園を飛び出したり、その先で親ぶっ殺したり絶望に食われかけたり生きて死ぬ意味を学んだり、本当に色々あったグエル先輩はようやく、飾りのない自分をスレッタの前に差し出す。
 第1話で温室を荒らした結果、とんでもない運命に巻き込まれていった彼はあえてその外に出て階段に下がることで、ミオリネとの身長差を埋めたフラットな視線を作る。
 対等な人間同士として、権力や強がりを間に挟まず、率直に感謝と愛を伝える。
 その上で、一歩進み出すとスレッタよりもよく育った体躯、第1話よりも成長した精神がせり出してきて、二人が見ている世界のギャップが顕にもなる。

 頭一つ分の”高さ”はつまり、父を殺したコックピットの中で、死にゆく少女の体温を感じながら戦った場所で、見つめた真実が少年に与えた変化だ。
 ミオリネも似たものを、物言わぬデリングや喋りすぎるプロスペラの周りで学び取って、自分を安らかな檻の外に出した。
 そこは苦しいけど嘘のない大人向けの場所で、そこでこそ学べるものがあると知ったから、彼らは退かずに進み続ける。
 体は温室の外に出してもらえたとしても、スレッタの心は幼いまま、壁の向う側にあるものを見ない。
 見れない。
 グエルがようやくたどり着いた純真はそんな現状と、それでもなおずっと赤毛の少女が抱えているものを、軒下のミオリネに教えていく。

 

 

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第17話より引用

 ミオリネが閉じて暖かな場所を共有する相手はグエルになっており、スレッタが去ったあとで優しい謀略が差し出される。
 この最後の決闘が終わった後に始まる、巨大な企業宮廷の玉座継承者を決める新たな闘争に向けて、結ばれるべき偽婚の相手。
 それは企業=家族である歪な近未来経済において、グループの消失は家の消滅を意味するのだと、強く理解している子ども達の共鳴によって成立している。
 愛よりも大切なものに向き合うために、グエル先輩は堂々思いを告げてしっかりフラれたし、ミオリネは愛する相手に何も告げぬまま、愛を守るために突き進もうとしている。
 冷たい実益だけで繋がった現代企業を、愛蔵渦巻く血族の箱として先祖返りさせることでドラマと共感を宿しに来た作劇が、ここに来て冷たい儀礼性ではなく、家族が本来持つ血の温もりに立ち返りつつある感じは、なかなか面白い。
 親を殺したり殺されたりして、否応なく護られ支配される子どもではいられなくなった者たちは、愛の箱を維持するために家督を継ぎ、宇宙規模の企業グループのトップを目指していく。

 その先に、ガンダムも争いもない無垢な世界があるのだとミオリネは光を見つめ、地上でそんなものがないことを思い知らされたグエルは闇に立ちすくむ。
 そういう現実を知ってなお、天と地をつなぐ軌道エレベーターにたどり着いて、物語が始まった場所へ帰還した騎士は、何にも絶望していない。
 自分の過ちも、地球で出会った数多の悲憤も、確かにそこに在ってしまって、それでもどうにかしたいなら受け入れた上で進むしかない。
 そう考える彼にこそ闇が待っていて、冷徹を志しつつスレッタだけには甘い夢を届けたいミオリネの前に、光がある。
 明暗をありきたりなイメージで処理しない、かなり独特の光の詩学を持っている、このアニメらしい描き方だと思う。
 自分が悪役になってスレッタに自由を与えようとするミオリネの、前に広がる眩い光は、かつてプロスペラを照らしていた禍々しい光明とどこか、似ている感じもある。

 

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第17話より引用

 大昔の少女漫画のように、失恋未練を後ろ髪ごとすっぱり切り落とし、視界がクリアになったグエル先輩は、寮の仲間に囲まれ、メカニック総出のチューンナップを施されて最後の決闘に進み出る。
 ミカが失踪しているので、地球寮側は十全な支援をエアリエルに与えられないのと、なかなか面白い対比だ。
 かつて団結は”主役”であるスレッタたちの武器であり、気に食わねーアーシアンの重圧をはねのけ勝利の快楽を持ってくる、大事な強さだった。
 クエタ襲撃以来そこにはヒビが入り、健気な主役はキモい怪物の中身を漏れ出させ、株式会社ガンダムベンチャーな夢も、ハグレモノが肩寄せあって未来を拓く物語も、どこかに座礁したように思える。

 でもチュチュ達は本気でスレッタを応援し続けていて、地球寮のみんなはとても大きなものに翻弄されつつも、今も自分たちなり必死だ。
 激動は子ども達を激しく揺さぶっているけど、そう、何もかもが変わり果てたわけではない。
 このお話は巧妙に、視聴者に見せたいものと見せるべきものを制御してキャラやドラマの印象を操作する。
 第1話のグエルくんと、この話数のグエル先輩の見え方、感じ方、描かれ方の差異は、そういう巧さが何を生み出しうるのかを、非常に的確に描いている。
 だからこそ、メインカメラで切り取られず、しかし水面下で確かに次なる物語への準備をしているものを俺は見落としたくないし、見落とすべきではないとも考えている。
 踊らされっぱなしはもったいないし、気にも食わないのだ。
 凄い作品を相手取るからこそ、自分なり感激やら失望やらの手綱を握って、感じさせられた以上のものを自分の中から引っ張り出し、記述しておきたい。

 最初の決闘のやられ役から、万民に支持される勝つべき主役へと、グエルを押し上げた物語の力。
 それは普遍的なすれ違いの悲劇と、過酷な試練と、出会いの奇跡が人間をどう変えていくかという、とても素直なお話の力(を引き出すために、一切容赦なく過酷さでキャラを殴りつけ鍛鉄する手腕)に支えられている。
 ある意味、ナチュラルな成長の物語だ。
 生まれも、身体の構造も、心のあり方も、何もかもいびつで人造的なスレッタという、ガンダム・サイボーグには歩み得ない物語を彼が歩いたからこそ、最後に始点に戻ってくる物語の快楽が、確かにそこには宿る。

 

 

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第17話より引用


 その真っ直ぐさはとてもパワフルで、僕も良いもんだと思う。
 同時にキモく捻じれて矛盾だらけの世界をわざわざ創造し、その呪われた製造からPROLOGUEを始めたアニメに惹かれている身としては、やっぱりスレッタのキモさが良い。
 GUND技術の申し子として、機械と人間の狭間を無垢にたゆたう彼女は、作品を強く象徴する、独自性を宿した主役だと感じる。

 プレーンでナチュラルな善性に無事帰還できた、グエルくんでは描けないものが、この敗北から生まれてくれることを、僕は強く期待している。
 それは彼が人間の持つべき全うさ……”主人公”の資質を、親殺しの罪深さを吐き気とともに飲み下したからこそ背負いえばこそ、描ける未来だろう。
 誰かがこの残酷な世界で守るのがあまりに難しい、人間の当たり前を背負わなければ、パーメットの申し子として復讐の道具として、生まれた時から歪なあの子が前に進むための物語は、形にならない。
 第1話から第17話まで、彼が歩んだ山あり谷ありの道が与えてくれた強さが、彼を作中随一の『マトモな人間』に育てた。
 そういう力がこのお話にはあったし、彼の変化に深く、スレッタの純真は突き刺さってもいる。
 だからこそ、歪で空虚で自発性がなく、ガンドに呪われ母に縛られどこにもいけない主人公が、残酷にぶっ壊されたこの話数は好きだ。
 ここが、スレッタ・マーキュリーの終わりではないからだ。

 

 震える手ですべてを壊すスイッチを押した時、ミオリネは父にとても良く似ている。
 愛すればこそ伝えない、求めればこそ間違える宿命は、家と血と思いを守るために過酷な総裁戦へと突き進む彼女を、捉えて離さない。
 17歳の誕生日を祝う”ハッピーバースデートゥーユー”は、このアニメにおいて常にそうであったように呪歌で、冷酷な企業宮廷の女王候補としての自分を、ミオリネはエアリアルやグエルと共犯して生み出した。
 残酷な一言で何もかもを奪う仕草の、奥に血をにじませる愛。
 それに気づけず泣きじゃくるスレッタは、父の思いに触れる前……スレッタに助けられ運命に向き合うことになったミオリネと、どこか似ている。

 いつでも産声は悲鳴であり、赤子は血に濡れて生まれてくる。
 ならばこの残酷こそが、スレッタが鋼鉄の子宮から這い出して真実欲しい物を掴み取るために、必要な産褥であった。
 そう思える物語が、ここから続いていくと良いなと僕は思う。
 続かないのなら、僕はこのお話を許せないだろうな、という感触もある。

 猛烈で残酷な別れを叩きつけ、そのショック以外にスレッタの自律呼吸を促す手立てはないと、ミオリネが思い詰めてしまう布石に関しては、ここまで既に積まれていると思う。
 ソフィの死すらも、母なる呪いからスレッタを開放する決定機にはならなかったのだ。
 ならば、『進めば二つ、逃げれば一つ』というあまりに耳障りの良いキャッチコピーに希望を感じていた時代が、進んでエアリアルもミオリネも失ってしまったこの結末で終わるのは、終わったからこそ何かが始まるのは、多分必然だろう。
 それでも、あの赤毛の幼子があまりに無邪気に、あまりに真摯に求めていた指輪とドレスの甘い夢が、ミオリネ当人の手で引き裂かれてしまったのは悲しい。
 それはミオリネ自身が、誰も殺さず誰かを愛せるきれいな夢に決別する、一つの儀式だったのだろう。

 グエルくんはその言葉に自分のドラマを動かされ、進む恐怖も逃げる意味も自分の足で踏破した上で、最後の決闘に勝った。
 お母さんの魔法がなーんの役にも絶たないと、関係者全員の共謀で突きつけられたスレッタは、ようやく鋼鉄の密室から己を出す。
 出さざるを得ない。
 へその緒からもう生きる糧が供給されない、悲惨と残酷に満ちた世界の現実を吸って、ガンドの申し子は何を願うのか。
 ようやく大事な人たちと同じ景色を見れる目が空いて、世界と自分をどう見定めるのか。
 決闘はステージを変えて、兵器のショーケースではなくそれを売る元締めに誰が座るのかを、この歪な世界がどうなっていくのかを定めるための戦いになっていく。
 次回も楽しみだ。

 

 

 

 

画像は”機動戦士ガンダム 水星の魔女”第17話より引用

 それはさておき、物語的役割の結構な部分を終えてなお生き残っちゃった連中が、ラスボス候補の間近でまとめて一部屋に打ち込まれてるこの状況、あんまりにもオモシロすぎるだろ……。
 かつて相容れなかったグエルとミオリネが魂の共謀者として強く結びつく裏で、殺し上等超殺伐な関係性が、陣営を越えて煮込まれている。
 『心を通わせる空いてとは、閉じた場所を共有する』っていうお話の演出ルールに、しっかり則って場面が編まれているのも、あんまりに端正な作り込みをおもしろ三人組に割り振ってて、めっちゃ”水星の魔女”っぽいなと思う。
 このオモシロ愉快倉庫は温室とかコックピットのようにエモくはないけど、成り行きと策謀と暴力がこんがらがって転がった結果生まれた世界の縮図として、大変良いポテンシャルを秘めている。
 今後も、いい塩梅にここで生まれる化学反応を描いていって欲しい。

 

・追記 愛こそが、人を怪物にしていくのならば