イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

私の百合はお仕事です!:第10話『こわしてしまうのですか? 』感想

 永遠に凍りついた森の中で、ずっと二人きりでいたいだけ。
 静止した永遠と変遷の刹那が、熱に溶かされ震えて交じる……いざ女女概念喫茶油地獄の真骨頂、わたゆりアニメ第10話である。
 『剥き出しじゃなきゃ”獣”は止まらねぇ……』と覚悟キメたギャル先輩が、かつてリーベを引き裂いた過去をメガネに突きつけるものの、『そういうオメーも過去に呪われてんじゃねぇか!』な言葉は届かず、一体どこに転がったものか。
 決戦のブルーメ選挙が近づく中で、さぁさぁ皆さんお立会い! という、アニメクライマックス開幕である。

 

 前半6話で自分らの話をだいたい落ち着かせた、外面姫と本音バカをすっかり外野に置いて、生粋の”いい子”と”いい子”になりたくない怪物の関係は拗れていく。
 姫ちゃんが間を取り持ってくれたおかげで、なんとか形成された果乃子のペルソナ(更にいえば、リーベでのキャラ)があんだけ忌避してる”いい子”なのがなかなか面白いところだが、現状維持を求めつつ恋愛に呪われてる果乃子も、自分たちの居場所をぶっ壊した恋愛を憎む純加も、どっちも時計を止めたまま真の自分を見れていない。
 これは陽芽と美月が嘘と本当が正面衝突した過去を、リーベという嘘と本当が入り交じる”仕事”の中でなんとか取り戻し、かつて手に入れたかった幸せに近づいているのと好対照を為す。

 果乃子は永遠に変化しない今を求めているが、人間否応なく流れていく時間に身を置いているわけで、変化しないためには全速力で走るしかない。
 停滞は腐敗を産み、癒やされない傷跡からは満たされない願いが膿んで流れ出し、入り混じった毒は大事なはずの何もかもをぶっ壊していくのなら、ダイナミックに変化する感情や関係に全霊をなげうって、嵐に翻弄されながら欲しい物を掴む覚悟がいる。
 実はまだまだ結構な難題が眠っているわけだが、一応は自分に向き合い過去を振り返った陽芽と美月は、止まっていた時計を動かし直して、ちったぁ実りのある相互理解へと始めの半歩を踏み出した。

 

 対してメガネとギャルはお互い停止した時間に固執して、今自分たちを包囲しているものが世界の全部なのだと頑なに、変化を受け入れない。
 恋愛は世界を壊す猛毒で、絶対禁止だとギャーギャー吠えるのも、それこそが自分の中のたった一つの本当で、それが壊れるくらいなら何も届かなくていいと凍りつくのも、人間の身の丈では抗えない時の流れに、棹さしベキッとへし折れる所業だ。
 止まってくれないのは時だけでなく、人と触れ合い変わっていく自分の心も同じで、『こうだ!』と決め込んだ感情が動き、他者との関係性を変化させたいと願う自分も、たしかにそこに在る。
 不安定で不確実な動的平衡は、いまを生きている少女たちに否応なく降り注いで、その在り方を変えていってるのに、ふたりとも変化している自分……と、たしかに繋がっている他人に向き合わない。

 変化と停滞、一瞬と刹那の交錯にもう少し複雑な色を足すのが、本気で嘘をついて商売にしているコンセプトカフェという業態だ。
 そこで演じられる姉妹関係は、良好な舞台裏の本音にこそ咲く花なのに、蓋を開けりゃあギスギスビシビシ、大事だからこそ摩擦が強まる。
 純加の口からぶっぱなされる過去の失敗は、まぁ七割がた”欲望の獣(マスターテリオン)”五影堂大先生がわりーんだけども、仕事とプライベートを切り分けない、切り分けられないリーベの特異性が、加速度を付けた側面がある。
 そもそも同性愛と友愛の入り混じった、名札の付けれねぇ感情を演じてゼニコ稼いでいる因業な商売自体が、相当に危うい感情労働でもあるんだけども。
(舞台裏で火の粉上げてる実情を気にせず、『キマシタワー』と特等席に金払って百合芝居楽しんでる客たち、かーなりどうなの感でてたな……。それでも対価払ってもらってる以上仕事は仕事だし、嘘の後ろで渦巻く本音を安全圏から消費しているヤダ味が、”百合”を取り巻く読者にメタ的投射されてる感じは、意地が悪くて結構好きなんだけどね。)

 現実から切り離された体で演じられる芝居は、観客の反応をじっくり見据えたライブの出しものであり、裏でバチろうがギスろうがやり遂げなきゃいけない仕事であるはずなのに、だからこそ境界線は曖昧だ。
 一過性の嘘でしかないはずのものが、継続して変化していく人生と人格にどういう影響を及ぼすか、美月を主役に描かれる物語はアニメの範囲じゃやんねぇんだろうけど、そういう『コンカフェだけに出来る、特別な善さがあるんだよ!』ってのが前半戦に全然顔出さねぇの、やっぱスゲェ構成だよな……。

 

 

 

画像は”私の百合はお仕事です!”第10話より引用

 恋愛を禁忌と自分を縛り付ける純加は、他人が苦しんでいるのを見てられない持ち前の正しい優しさと、もうちょいネトついた不定形の感情を混ぜ合わせながら、リーベを壊す危険分子に接近していく。
 この距離感を定点観測する物差しとして、無骨な鉄階段は有効に機能しており、第8話から継続する関係性の変化、感情質量の変質を可視化する舞台装置として、キャストの本音がむき出しになるプライベートとして、見事に活用されている。
 暗く冷たい間合いから始まった関係は、(相当ヤバい果乃子とは真逆に)純加が他人の思いを無視できない柔らかな心の持ち主であるがゆえに、独占欲と自己愛の泥のなか確かに咲いている純真を受け止めて、光の色合いに近づいていく。
(第8話での描かれ方は、当時の感想を参照のこと)

lastbreath.hatenablog.com

 

 純加は果乃子が抱え込む、軋んだ永遠への歪な願いを正しくないと否定しつつ、それを望んで叶わない果乃子の苦しみには、強く惹きつけられていく。
 誰かを特別に思えばこその危うさが、かつての満たされた関係を壊したのだと純加は憎むのだけども、彼女の死角になっている場所で狭く特別な感情は果乃子へと流れ込んでいて、複雑なねじれに組み込まれていく。
 この傾斜に気づかぬまま、かつて傷つけ傷つけられた姉妹芝居の相手に愚痴を漏らすの、『このアマいけしゃあしゃあと……』感があって大変好きだ。

 寧々さんは自分の過去の傷を、自分が選び取った自分だけの勲章だと誇る。(誇れる対面を、なんとか取り繕う)
 誰かの痛みがただ痛ましく避けるべきものではなく、真実に近づいていく時必要不可欠な切開であり、心の奥底で不定形に渦巻いている感情を見据え、自分だけの本当を演じる武器にもなり得る事実。
 これを真っ直ぐ見据えるためには、他人の弱さをいたわるのと同じくらい、強さに敬意を払って対等に向き合う必要がある。
 リーベという場、そこに働く人達を恋に翻弄され傷つく犠牲者と、決めつけることで自分の正しさを確保している純加も、他の連中とはまた別の角度で、同じくらい歪んでいて……愛しく正しい。

 

 間違ったり上手く行かなかったり、泣きたくなるような苦しみが流れていく時の中には、人と人が触れ合う巷には満ちているけども、それでもその不確かなうねりの中にしか、生きている自分はいない。
 それを避けて表面だけの関係を取り繕ったり、自分の中の本当だけを抜き身で叩きつけたり、歪に完結した閉鎖系にしがみついたり、博愛のナパージュで飾った臆病な正しさを振り回したり。
 麗しき百合の園に集う乙女たちは、皆外面に似合わぬ業をハラワタの奥に渦巻かせて、なんとか形を取り繕っている。
 それが破綻してしまうほどの内圧が恋という感情、そこできしむ関係にはあって、だからこそ否定しようと必死になったり、奪われまいとしがみついたりする。

 そんな吉羊寺動物園の住人たちに、ブルーメ総選挙はどんな結末と変化を……新しい始まりをもたらすのか。
 残り話数も後少し、拗れてねじれてなおどこかに、一輪咲き誇る真白の百合。
 その芳しき腐臭をいかに描き切るか、アニメの筆も脂が乗り切ってまいりました。
 次回も大変楽しみです。