東京、大阪、金沢……エルフと巫女の三都物語が、今穏やかに幕を開ける。
三者三様の日常を描く、大江戸エルフ第10話である。
普段より細かく場を割って、テンポ良く皆が暮らしている日々をスケッチしてくる手付きがこのアニメらしく、大変良かった。
こうして描かれる穏やかさの奥に、神様であること、永生者であることの意味をがっちり練り込んであるので、ただただ優しく柔らかな歯応えを楽しむのではなく、かすかな苦味が日常に浮かんでくるのは、『10話使っていい形に作品を育てたなぁ……』という手応えがある。
月島サイドのナレーションを、今はもういない小夜子お母さんがやってるのが、遠い場所から彼女の神様と娘を見守っているのが誰なのか、静かに示す構成で良かったと思う。
というわけで三者三様、三都の日常である。
大阪と金沢のエルフが初お目見えした時は、両方とも月島に旅してくる形だったので、地元でどんな風に遇され、どんな時間を過ごし、どんな関係を作っているのかどっしり見れるのは、大変ありがたい。
ヨルデと向日葵の縁側親子漫才、いすずとハイラの敬愛混じりの親しさ、お説教ばかりに見えて共にどら焼きを食べるエルダと小糸。
それぞれ個別の距離感があり、しかし別々の場所を満たしているのは同じ幸せだ。
こうして積み上がっていくものが、カミにもヒトにも良いものをもたらすということが、一生キャッキャしてる連中を見ているとしっかり理解できる。
つくづくありがたい……。
三都祭神を横に並べることで、各エルフのパーソナリティ、地域との触れ合い方が立体視出来てくるのも、また面白かった。
別にハレの祭りがあるわけじゃないが、氏子の祈りを聞き届け、あるいは地元をチャリンコで爆走し、土に馴染んだ生き神として日々を過ごす。
その隣には特別な巫女がいて、穏やかに時は流れ積み重なって……人はいつか去って、エルフは置き去りにされて産土に残る。
それでいいじゃないか、と。
色んなものを食べて育てながら、幸せに暮らす姿のスケッチは語りかけてくる。
一瞬一瞬生成される奇跡を当たり前に受け止める姿勢は、歴史から切断された刹那に溺れる快楽主義を上手く遠ざけて、過去から繋がる今、今から生まれていく未来との緩やかな繋がりを、穏やかに祝いでいる。
東京来訪で小糸に気持ちを受け止めてもらって、愛ゆえの反発の収めどころを作ったからこそ、今回のいすずはエルダとの向き合い方が、ちょっと柔らかくなっていた。
永遠に同じところに足踏みする”日常系”に見えて、確かに喜ばしい変化は積み重なって、時の川は停滞せず流れている。
そういう人間の当たり前に、耳の長い神様がギャーギャー楽しく寄り添って、同じ釜のメシをもぐもぐ食っている様子を見ると、やはり心が落ち着く。
クールに見える向日葵がどんだけの慈愛を持って”うちん所の姉ちゃん”を見守っているかとか、それに包まれて褐色エルフが、永遠に元気なじゃりん子してる様子とか、見れて凄く良かった。
月島の駄エルフと巫女の日常は見慣れたものだが、良いもんは何度見ても良いのでありがたい。
日が昇り沈むまでをどっしり追いかける形態にすると、否応なく三度の食事を描写することになり、祭神と姉に毎度毎度、滋養に満ちた心尽くしを用意する小柚子の偉大さも際立つ。
このお話のエルフが何かとメシ食うの、神人共食を基盤に置いてる信仰に位置づけられる存在らしい描写で、かなり好きだね。
まぁ俺はアニメでメシ食ってる描写自体、いっとう好きなんだけども……。
という感じの、穏やかな日常回でした。
ネコを描く時ネコ自体ではなくキャラのリアクションを捉え続けることで、不在のネコを実在させる表現とか、抜き回らしいカロリーコントロールをサラッとやってて、スジとは関係ない所で感心しちゃった。
1クールアニメらしいこういう塩梅を、ひっそりこなしている所も含めて、とても良いアニメ化だなーと噛み締めております。
残り二話、どんな話で続いていく日々を一旦収めていくのか。
有終の美に期待を込めつつ、次回もとっても楽しみです。