強さも正しさも崩れ落ちる苛烈が、少女から英雄の証を奪う。
ソラ・ハレワタールの遍歴に長い長い影が落ちる、ひろプリセカンドシーズン、衝撃のクライマックス前編である。
前回悪いオタク剥き出しで『バッタくんさぁ~~~どの面下げて極悪人やるの~~』とかナメてた顔面に、一才の容赦を欠いた本気の”悪”がぶち当たってきて、マジすいませんでした……って感じだッ!
シャララ隊長の使い方もここさえ乗り切れば万事無事に戻ってこれる感じで、しかしギリギリを超えた追い込み方に戻ってこれるヴィジョンが一切湧かず、英雄志願の小娘が本物のヒロイズムに向き直るために必要な、過酷な試練としてバッチリそびえ立ってきた。
大変強いエピソードだった第15話を活かす形で、バッタモンダーのつまらねぇからこそ悪辣で醜悪なプライドにどす黒い血を注ぎ込み、最悪の選択を迫る圧力が大変に分厚くもなった。
烈火の如き憤怒に気圧されてしまった自分を許せぬまま、誰かの大事な人を逆手に握って殴りつける、身勝手で最悪で……でもそこに確かに在ってしまう、ありふれた邪悪さ。
これを振りかざされてなお、ソラ・ハレワタールは英雄を夢見れるのか。
大変いい感じに、最悪の正念場が燃え上がっております。
ひろがるスカイ!プリキュア……知ってはいたけど、このアニメ面白いな……?
つーわけでシャララ隊長の幻を追いかけ、死ぬか殺すかの土壇場にソラちゃんが追い込まれた後が記憶に残るエピソード……なんだけども、そこに至る前の描写や、過去に描かれたものが結構大事かな、と思った。
序盤描かれる虹ヶ丘邸の日常は、エルちゃんを中心に大変幸せで穏やかで、バッタモンダーが突きつけた剥き出しの悪意を前にすると、儚い夢にも思えてしまう。
でもみんな一緒に餃子を焼いてバクバク食べる、幾度も繰り返す当たり前の幸せが嘘なはずはないし、嘘であってもいけない。
そういう場所でソラちゃんも笑えていたから、正しさと強さを結び合わせて翼に変える戦いに、恐れず迷わず進めてきたはずだ。
しかし涙ながら戦いを否定した時、彼女の心には守るべき愛しい日常も、そこから湧き出す強い思いも消えてしまって、変身アイテムは心意気の消失を追いかけるように消える。
……あんまりに追い込み方が凄いので、ムリもねぇけど。
ソラちゃんが忘れてしまったものを次回思い出させるのが虹ヶ丘ましろであることは、そんな日々の中で彼女がどれだけソラ・ハレワタールの間近に立って、時折見落としがちな正しさを差し出している姿に、既に刻まれている。
虚妄に惑わされず、事実を追うこと。
言葉に重きを置けばこその戸惑いを、堂々乗り越えて信条と掲げること。
日常の中にある小さくて大事な迷いを、ましろちゃんは穏やかに優しく、しかししなやかに受け止めて、ソラちゃんに手渡ししている。
異世界少女のグイグイ突き進むパワーに惹かれて、虹ヶ丘ましろは己を変えてきたわけだけども、一歩後ろに引きつつも大事なものを見失わないその強さは、共に暮らす中でソラちゃんにも染みているはずだ。
このありがたみと特別さをけして見失わず、しっかり言葉にして感謝し凄いと言い放つ英明こそがソラちゃんの持ち味……だったはずなんだけども、これもまた悪辣に傷つけられて取り落としてしまっている。
だからそういう、愛すべき友達の善さと強さを拾い上げて、泥を払って手渡してあげることが次回、キュアプリズムが挑むべき闘争になると思う。
これはなにかとキュアスカイの後を追ってきた彼女が、孤軍故に自分らしく戦い抜く試練場としても良い機会で、逃げたからこそ己を問われるだろうソラちゃんと、面白い対照にもなりそうだ。
敵を倒せば、大事な人が死ぬ。
隊長を核にしたランボーグが内包する、闘争の圧倒的なリアリティを前にして、仲間たちの言葉はソラちゃんの心を救わない。
他ならぬ隊長から受け継いだ言葉に、相応しいだけの生き様を貫けるか悩んでいた前半のソラちゃんが、暗く反転して己を刺すような展開である。
言行一致は武人の習い。
軽々と理想を己に刻まぬからこそ正義執行に重さが宿ると信じるソラちゃんが、その高邁な理想を体現しうる大した人間なのだと信じ背中を押したのも、また虹ヶ丘ましろである。
だからもう一度、本当の思いを言葉に込め、それに支えられて苦闘に挑むキュアプリズムの背中に、来週ソラ・ハレワタールは何かを見つけてくれると思う。
第20話で見つけた彼女だけの夢が、『童話作り』という言葉を扱うものであることが、ただの言葉では信念を掬い上げられなかったソラちゃんに向き合う時、格別の意味を持ってきそうな展開でもある。
あの時ましろちゃんの心が燃えたのは、得意でみんな喜んでくれるパン作りではなく、やり方も分からないけどとにかくやってみたいと思えた、新しい世界だった。
普通に言葉を届けても、エルちゃんの独善は揺らいでくれなかったけども、物語という形式に歪め、だからこそ強く心を叩く言葉の力を、ましろちゃんは自分だけの特別な翼だと思えたから、絵本作りを頑張ることにした。
ソラちゃんが思い悩んだ言葉と行いの間にある断絶は、バッタモンダーの凶悪に暴き立てられる形で彼女の憧れを引き裂いたけども、そんな彼女とともにある虹ヶ丘ましろは、言葉こそが行いとなり、形のない夢が何かを越えて届く表現の可能性を、既に選び取っている。
その決断を見届け後押ししたのは、他でもないソラちゃんなのだ。
だから、必ず力のある嘘っぱちが、ただの言葉でしかないはずなのにへし折れそうな心を支えてくれるものが、ましろちゃんからい出てソラちゃんに戻ってくれると、僕は信じている。
ハードコアな人生の難問を全力で叩きつける形で、ソラちゃんを奈落の底に叩き落したバッタモンダー。
その邪悪を打ち払う可能性が、どす黒い展開の中微かに、確かに燃えているところが”プリキュア”だと思ったりもするが、それにしたって最悪中の最悪である。
可愛げと猛悪なりの矜持があったカバトンに比べ、自身を『優しいボク』と語る彼は敗北にネジ曲がったプライドをどうにか真っ直ぐ立てるために、傷ついた隊長を復讐の道具に帰る。
その名前に”治癒”を背負うPretty Cureの真価が問われる状況だが、アンダーグエナジーは死にかけの命を我欲の道具にすることはできても、傷を癒やし立ち直らせる力にはなり得ないことが、良くわかる道具立てだ。
自分を鑑みるより相手を呪うことで、どうにネジ曲がった魂を立ててる悪漢の、つまらなくて身勝手なプライドはしかし、つまらなく身勝手だからこそ暴力的に切実だ。
その燃え盛る黒い熱量を、KENNが見事に好演してこの決戦前夜なのは、大変いい感じだ。
漆黒の鏡に照らされてこそ真のヒロイズムが顕になるのなら、悪役の存在感は英雄物語の死活そのものである。
本物の憤怒に一歩引く弱さを、素直に受け入れられないからこそ勝利を求め、卑劣と残酷で少女を殴りつける。
バッタモンダーの人間味やバックボーンは未だ見えないが、見えないからこそそうならざるを得ない悪の畢竟だけが彼の”今”として突きつけられてきて、いい具合にのっぴきならない空気を出してきている。
とにもかくにも、何がどうなろうとも、奴は”本物”を前に退いてしまった自分を認められず、使える道具は全部使って、自分の強さと正しさを証明したがっているのだ。
この容赦の無さに一度は翼をもがれたソラちゃんであるけども、あれだけ焦がれた英雄神話に背中を向けて、それでもなお立ち上がれるのなら、胸の中に湧き上がるものは間違いなく本物だろう。
ノートに刻んだ言葉が本物であったことを、迷って折れて思い出す……といったほうが正しいか。
第17話でましろちゃんが影の中示したように、普通の人間はみなそういう影に喰われかけて、誰かの手助けと己の中から湧き上がる風に助けられて、眩しい何かを見つけて走る。
それを見つけられなかった、見つける助けを得れなかったからこそ、バッタモンダーはああなっちゃってるんだとも思う。
その身勝手な威迫は、プリキュアがぶん回す暴力の一側面を……『当たりどころが悪いと、殴られた人は死ぬ』という一つの事実を、ソラちゃんに教えもした。
その上で、握った力をどう使うか。
今回のランボーグが素体となった隊長の華麗さなど全く無く、最短距離で命を取りに来る剥き出しのアクションを見せていたのが、この後キュアスカイが掴むべき答えの良い反証だなと、思ったりもする。
ああいう剥き出しで、優しさも正しさも強さもない力に憧れなかったから、ソラちゃんは隊長の背中を目指して進んできた。
その足取りが途絶えるとしても、終わりにしないための戦いをキュアプリズムは、相棒の支えなく戦いきらなければいけないだろう。
それはソラちゃんが心のノートに新たに書き加える、けして揺るがない正義の幻想となって、彼女もまた正義の具現たるべき力強さを、しっかり持っていることを証明する。
虹ヶ丘ましろがそういう人であると、このお話はずっと書いてきた。
だからソラちゃんにとってとても大事な話数になるだろう次回は、彼女が大好きな友達にとっても、とても大事な話になると思う。
とても楽しみだ。