イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ダンジョン飯:第19話『山姥/夢魔』感想

 育ちの悪いネコチャンを加えて、夢の向こうまでレッツゴー!
 まーたひと悶着ありそうな新キャラが仲間に加わりつつ、夢魔を媒介にしたマインドダイブが敢行される、ダンジョン飯アニメ第19話である。

 尻尾や耳がピコピコ動いて、イヅツミの猫力と可愛さが一段と加速されており、マルシルの心という迷宮に潜る旅もモノクロームの演出力が映えて、アニメになった強みが良く暴れた回だったかなと思う。
 山姥とのバトルも迫力があったし、食材無駄にされてバチ切れな自分を必死に抑えているセンシの意外な顔も、しっかり重たく描かれていた。
 内心印象最悪なんだけども、腹減ってる若い衆には極力ジェントルに接しようと頑張ってくれているセンシ、大人であろうとしている大人過ぎてLOVE……。(いつだってセンシが大好き人間)
 イヅツミとセンシの出会いと触れ合い、完全に最悪家庭環境の結果やさぐれた不良少女と、優しいこども食堂のおじさん過ぎて、心の柔らけぇ部分に染みていくんだよなぁ……。

 

 というわけで、イヅツミ加入までの一悶着と、夢魔が引き起こした夢騒動を手際よく料理していく今回。
 イヅツミを被差別種族の奴隷に縛っていた鎖を解き、まだまだ距離はあるけども利害一致の奇妙な道行きとして仲間に加える今回のタイトルが、『キノコのリゾット』ではなく『山姥』なのは結構好きだ。
 シュロー相手にはあんなに暖かく差し出されていたマイヅルの料理と愛情が、イヅツミ相手だとどうにも冷たい隔意になってしまって、誰も頼らず親しまず、食事のマナーも最悪な荒くれネコチャンになってしまっているのは、愛も料理も無条件で人間を救える、万能の処方箋ではないと教えてくれる。

 そんなイヅツミを縛る2つの呪いの内、山姥(≒恐ろしい存在となってしまい、料理の道具を殺しに使う”母”。シュローにはダダ甘なマイヅルの陰画)は燃やして料理できたが、混ざりあった魂は不可逆の難問だ。
 人質取ったりメシ投げ捨てたり、荒っぽい態度が目立つけれども、イヅツミなりの必死さで藁にも縋るように変人パーティー接触して、解決の糸口が結局見えないのはショックだったと思う。
 猫と人が混ざった身体は現状差別と不幸を連れてくるだけの呪いであり、イヅツミは『自分が自分であること』を否定したくてしょうがないわけだが、それは簡単には書き換わってはくれない複雑な呪いだ。
 そんな在り方を複雑怪奇な運命の流れの果て、龍と混ぜられ心を染められ、『ファリンがファリンであること』から一番遠い場所に流されてしまったキメラを、救うべく迷宮の最奥を目指すライオス一行。
 結果として解呪の半分は叶い、半分は不可能っぽい判断保留のまんまトンチキパーティーに同行することになったネコチャンのあり方が、どう変わっていくのか。
 その物語もセンシ手ずからのリゾットを”食べきる”ことから始まっていくのは、正に”ダンジョン飯”といったところか。

 

 俺はライオスがイズツミの存在を、魔物オタク特有の早口交えつつも凄くポジティブに、自分が望む未来への道標として歓迎してる姿勢を見せたの、凄く好きだ。
 彼の好意と喜びの表現はなかなか伝わらず、それで軋轢も生んだりするが、絶望的な状況でなお妹を救う道を諦めず、でも挫けそうな気持ちは確かにあって、だから”キメラ”と何とかやっていける可能性を見せてくれたイヅツミの存在を、希望として受け入れる。
 爪を押し付けワーワー騒ぎ、食事の流儀も生き方も噛み合わない猫耳の異物を、それでも新しい仲間だと認められること……その気持ちを自分の外に出して、イヅツミの手をしっかり握ったのは、リーダーとして人間としてとても偉いな、と思う。
 センシの親身な食育は、トゲトゲすることでしか厳しい運命を生き残れなかった猫少女に染みるには時間がかかるものなので、こっちの関係構築はどっしりやってく感じだ。
 まー教え導く立場のセンシが、めっちゃ気長かつ紳士的にイヅツミを受け入れる姿勢既に見せてくれているので、大いに安心なのだが。
 ここら辺、彼が作り振る舞ってきた”ダンジョン飯”が冒険に挑む者たちの滋養となり、絆を育む足場になってくれた実績を見ているからこそ、感じる頼もしさかもしれない。

 ライオス達のヘンテコな歓待があったればこそ、『もしかしたら……』という望みを抱えつつお互いの利害を一致させて、イヅツミは奇妙な呉越同舟へと進み出すことになる。
 魔物食という共通の関心も、パーティーとして死地をくぐった絆も、仕事にまつわる矜持もない、育ちの悪い野良猫。
 イヅツミはライオス一行に色んなトラブルを持ち込むだろうが、ソリの合う仲間だけではなく反発し合う相手がいてくれてこそ、色んなモノが見えてくるというのは、カブルーやシュローとの接触で既に描かれたところだ。
 前回ライオスが幻術を見抜く中で示した、外見にこだわらずフラットな対応が出来る強みが、差別と無理解に苦しんできたイヅツミがこの旅で、何かを得ていく足場になりそうな予感もある。
 トゲトゲ警戒心が強く、自由気ままに生きていたいイヅツミが彼女なり、このヘンテコな”パーティー”になって行く様子と、そこで”飯”がどういう仕事をするかが、作品の新たな面白さを描いてくれるのは間違いないだろう。
 なによりイヅツミたん、最高に可愛いネコ忍者ちゃんだからな……ほんっと耳と尻尾の表情が豊かで、TRIGGERマジでありがとうって感じだ。

 

 そんな感じで新メンバーを加えた一行を、新たな精神攻撃が襲うッ!
 一行がお互いをどう見ているか/見られているかを幻術で可視化したライカンスロープもそうだが、夢魔もマルシルがなかなか見せない深層心理と過去を暴き、ライオスが彼女の恐怖にどう手を貸せるのか、普通に冒険していてはなかなか結晶化しない部分をいい感じにエグるエピソードと言える。
 生老病死の定めが愛する人を置き去りに、マルシルだけを現世に取り残す恐怖は彼女の根本であり、また真実が暴かれる夢の中での彼女が極めて幼い少女であった事実は、凄くクリティカルにマルシルという人間の在り方を示す。
 これを覚えすぎていては、後々現実で色んな厄介事を乗り越え、一緒に飯を食って分かり合っていくドラマを先回りしすぎてしまうわけで、”夢”という形にすることでおぼろげな記憶に落とし込んだのは、巧い物語制御だと思う。

 思い出と心の深いところまで踏み込む特権を、ライオスは持ち前の魔物知識(あと優れた癒し手だった妹との記憶)を活かして得ていく。
 これは夢魔が心を削る厄介な”敵”であると同時に、現実世界ではなかなか暴かれない心の深い迷宮へと、物理的に踏み込み冒険するための補助装置として、機能するが故だ。
 これは”ダンジョン飯”においてモンスターが障害であると同時に食材であり、倒すべき相手であると同時に命の糧をくれる隣人でもあるという、複層的な視点の新たな変奏だろう。
 奇妙で危険なモンスターの能力を良く知り、その危うさに飛び込むことで、普通に生きていては掴めない”宝”を手に入れて戻って来る今回、夢魔は美味しそうな酒蒸しとなる以上の糧を、ライオス一行と僕らに与えてくれている感じがある。

 

 ポンコツな言動に似合わぬ魔術の冴えと、日頃のしっかりした態度から見落としてしまいがちなマルシルの内側へ、ライオスと一緒に踏み込む今回。
 冒頭、夢魔の精神攻撃でライオスの過去も示されていたりするのだが、彼は奇妙にドライに夢を夢として認識し、トーテムたる白犬に変じて自分の傷を噛み砕き、長命種の心という迷宮に踏み込んでいく。
 このちょっと乾いた客観的な態度は、人間関係において彼が浮き上がる原因にもなっているけど、今回は悪夢にうなされるマルシルの旅を助け、モノクロの世界をカラフルに戻す大きな武器になっていく。
 異常な状況に巻き込まれても客観性を失わず、どっか遠くから状況を観察しているような態度は、例えばカブルーが人間の修羅場を睨みつけている姿勢と似通ったものがあり、主体性を持って生きるか死ぬかの現場に身を投げている存在から、隔意と同時に解決の糸口を掴み取る特権を青年たちに与える。

 今回のマインドダイブはマルシルを怯えさせる怪物の正体を探る、知恵が問われる謎解きという側面もあり、また少女一人では戦いきれない死闘に心からの賛辞で勇気を与えるという、イカレ人間なりの真心を感じる旅でもあった。
 イヅツミの手を握ったときもそうだけど、ライオスが何かを褒める時は一切の二心なく心から感じ入っていて、しかしその感動がなかなか他者に伝わりにくい現れ方をして、良い結果が出ない……こともある。
 しかし今回は二つの冒険、二人の少女を善い結末へと導く大きな仕事をしていて、ヤバい部分も頼れる部分も両方もっている、凸凹込みでライオス・トーデンという人間を理解する上で、結構大事な回かもしれない。

 

 夢魔という厄介な障害を便利に使うことで、50歳という年齢、危険な冒険を乗り越える才媛というマルシルの外側から見えにくい、生身の彼女も良く見えた。
 つーかなまじっか才能に溢れエリート校とか卒業しちゃってる分分かんねぇけども、精神年齢はガチの子どもであり全然分かんねぇこと、受け入れられねぇこと山ほどある中で、愛別離苦の定めをどうにか乗り越えるべく沢山勉強して、親友を取り戻すべく学んだことを実地で使ったら怪物になっちゃって、そらー悪夢も見るわ……って感じ。
 『外見は頼りにならない』というのは、異種族間のコミュニケーションを扱うこの物語において幾度も顔を出すテーゼであるが、マルシルの成熟した(ように思える)外見に惑わされて、全く不安定で幼いその心根を見落としていた僕らに、白狼のサイコダイバーが真実を見せてくれる回である。
 ライオスは夢景色に見た仲間の真実をおぼろげに忘れていってしまうが、迷宮の外側から彼らを応援している僕らは忘れるわけにはいかない訳で、どんくさエルフが見た目ほど大人ではなく、日々泣きじゃくる子どもを胸の中隠していることは、大事に覚えておきたいところだ。

 外見年齢で人物を判断し、大事な所を取りこぼすってのは、ドライアド性教育で一笑いもってったセンシとチルチャックの関係で、コミカルに描かれた部分でもある。
 持ち前の才能に助けられる形で、魔法学園という社会に漕ぎ出し、そこに適応して大人びた社会的な振る舞いも(一応)学んでいるマルシルが、どんだけ子どもでどんだけ重たい宿命を背負っているのかは、なかなかに見えにくい。
 そういうものを可視化する装置として、ファンタジックな怪物の異能を活用しているのは、先週楽しく描かれたシェイプシフター劇場にも通じるものがあって、なかなかに面白い。

 こういうダンジョン特産のチートツールを使わずに、腹割って膝つき合わせて……それこそ同じ釜の飯を食ってお互いを分かり合っていく、地道で生々しい現実的な人間関係の変化も、もちろんこの作品は描く。
 その時何が大事になるのか、愉快な冒険の中に暗示する前駆としても、今回のエピソードはとても興味深かった。
 あんなに怯えていた灰色の悪夢が、フワフワ楽しいバカ犬に助けられ勇気づけられることで、カラフルで楽しい冒険にマルシルの中で変じているところに、我らが愛すべき魔物マニアに何が出来るのか、それが待ち構える困難をどんな結末に導くのか、陽気に教えてくれている感覚は、とても好ましい。
 キメラ・ファリンが引き起こした虐殺の血みどろとか、カブルーの洒落になんない過去とか、人生の苦い部分にもしっかり視線を向けつつ、それでも食って闘って続いていく人間の生は笑えるものなのだと、前を向いてくれるお話なのは、力強いし嬉しいものだ。
 今回おぼろげに踏み込んだ天才少女の心迷宮から、新たな怪物が飛び出す時も必ずあるわけだが、そこでの艱難辛苦をどうにか乗り越えて、皆で笑って夢を食べれる時がまた来るのだと、今回の蜃気楼ディナーは良く教えてくれる。

 

 というわけで、とても良いエピソード二篇でした。
 ドタバタ大騒ぎで加入したイヅツミは今後も、好き勝手に色々騒動を巻き起こすわけだが、その身勝手に”パーティー”としてどっしり付き合う仲間たちの姿勢をアニメで楽しめると思うと、大変ワクワクします。
 マージでアニメのイヅツミ可愛いからなぁ……(漫画のイヅツミも、どんなイヅツミも可愛い。イヅツミだから)

 夢魔の見せた不思議な夢歩きも、恐怖あり幻想ありのなかなか不思議な味わいで描かれ、大変面白かった。
 色んな要素が一つの皿に盛り込まれているからこそ面白い原作の魅力を、TRIGGERの多彩な表現力が最大限Animateさせてくれているのは、つくづく良いアニメ化だなと思わされます。
 新たな仲間、新たな旅、新たな危険と新たな絆。
 次回ライオス一行をどんな冒険が待ち構えているのか、とても楽しみです。