イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ひろがるスカイ!プリキュア:第24話『輝く一番星☆エルちゃんの秘密 』感想

 蒼き英雄伝説第一章ここに完結ッ!
 激闘のエピローグとしてスカイランドに錦を飾り、エルちゃんが親元離れて販促続ける理由付けを強引にねじ込む、ひろスカ第24話である。
 お商売のご都合として、情勢が落ち着いてなおエルちゃんは虹ヶ丘邸で暮らす必要があって、しかしあんまりに色濃く家族の情愛を書いてしまった結果そうするなら言い訳は必要で、作品のファンタタジー力総動員してなんとか、都合を飲ませにくる回だった。
 ここら辺完全無視してゴリ押しされるより、物語の都合に押し流されるキャラクターがそれでも、作中世界で生きてるからこそ感じる思いをちゃんと書いてくれるのは有り難いが……まー難しいな。
 ここの難しさが際立つのは、エルちゃんと両親を血肉通った存在として書けたからこそだと思うし、プリキュアたちが家族じゃねーのかっていうとそんなはずもないので、ここで残念を断ち切って今後お出しされるものを飲み込むハラ作ったほうが、自分にも作品にも良いのだろう。
 星が託した宿命の子がどう育っていくかってのは、ソラちゃんのヒロイズムがある程度の感性を見たお話が、未だ続いていく上で結構大事なエンジンになるだろうしね。

 

 つーわけで我らの赤子が星の子エルちゃんであることが判明したわけだが、血筋だけが家族を規定するわけではないと堂々告げたのは、大変良かったと思う。
 理不尽な超自然存在が好き勝手絶頂に押し付けてきた小さな命が、どんだけ小さな手のひらで世界に触れ、どんだけ不確かな視界で世界を見ているのか、あの人達は解かろうとした。
 その慈しみこそが尊いわけで、宿命が我が子を引き離そうと、血の繋がりがなかろうと、エルちゃんの親は王様夫妻である。
 ここら辺、前回血が繋がったハレワタール家の絆を色濃く描いた裏打ちになっていて、『血が繋がっていないからこそ、本当の家族なんだ』みたいな良くない結論を導かなよう、気を配ったバランス感覚だと思う。
 血縁が支えるものもあるし、奇縁が巡り合わせるものもあるし、色んな縁が寄り集まって色合い豊かな慈愛のタペストリーが編まれていくのだ。
 その一片として確かに、血の繋がらぬ親子のありふれた幸せがそこにあったのだと、お絵描きしたりおしゃべりしたり、三人の時間をたっぷり書いてくれたのは良かった。
 マージで全部終わったら、あの暖かな家に帰って行って欲しいよ……。

 エルちゃんの物語が未来に続くものなのに対し、残り四人の描き方はある種の”始末”というか、ここまでの総決算な感じがあった。
 前回あれだけの激闘をくぐり抜けた戦士たちが、しっかり国を上げて堂々祝福されるのは気持ちが良かったし、シャララ隊長の背中を追いかけて走ってきたソラちゃんが、憧れの英雄を助ける側に回ったその先を書くためには、あの首飾りを返さなきゃいけないんだろうな、とも思った。
 既に得ていたと思いこんでいた答えを厳しい試練に崩され、迷った先に自分が誰かに送った勇気を送り返されて、自分だけのヒロイズムをプリズムの反射の中に見出す。
 そういう場所にたどり着いた少女は堂々祝福されて然るべきだし、自分をそこまで導いてくれた憧れの葬式を、微笑みながら終わらせるべきなのだ。

 第13話以来のバトルなし回であったけども、この朗らかなエピローグを闘争の気配なしで、プリキュアの力をただただ祝祭をより良い形にするために使って描けるのは、とても豊かだったと思う。
 エルちゃんの扱い見ても、”プリキュア”は”色んなご事情に左右されるわけで、バトルノルマもその一つだと思う。
 その上でそこをどうにかやりくりして、物語が今求めているベストな演出を掴み取れるよう、作品ごと一話ごと色々やっている努力が、僕は好きなのだ。
 ひろプリは日常描写に漂うサウダージが良いお話なので、無理くり闘争を挟むのではなく時にはその枷を外して、その力を優しく使えるエピソードがあるってのは嬉しいことだ。

 

 そして今回、異世界……というか異国としてのスカイランドがしっかり描写されていたのも、その意味を感じ取るのがましろちゃんなのも良かった。
 タンポポの綿毛に星の形の花がついて舞う、似てるけど違う場所。
 その書き方は異質性と同質性が上手く繋がった、受け入れられる/受け入れるべき異国としての色合いが濃く感じられた。
 それはスカイランドの描写の奥に、現実世界にある様々な異質性を『違うから』だけで拒絶するのではなく、『違うから』こそ響き合う喜びを感じ取り、受け入れて欲しいという祈り(またはメッセージ)を、僕が勝手に感じ取ったからだろう。
 性差、世代、国籍、文化……グローバルに世界が”ひろがる”大きな流れは、人間存在が必ず背負う差異を際立たせ、異質性は排除すべきノイズとして立ち上がってくる。
 ボールドーナツに似てて、でも違うから面白いドールボーナツを飲み下すように、それをノイズではなくハーモニーとして楽しんで欲しい。
 断絶に満ちた世界を、それでも微笑みながら祝いで欲しい。
 そういう祈りが、持ち前の感受性を絵本作家という夢に繋げつつあるましろちゃんを主体に語られたのは、なんだか凄くプリキュア的な場面だなーと思った。
 僕はこういう、創作が現実に向けてメッセージを投げかけるシーンが好きだ。

 無論差異は衝突を必ず生み、その事実を無視してないからアンダーグ帝国に仮託して闘争による対話(あるいは対話の不成立)も描かれるわけだが。
 しかしバトルのない今回、異国の生活を体験する喜ばしさを穏やかに描く中で、ぜんぜん違う私たちがそれでもなお”私たち”である奇跡がずっと続くように、ましろちゃんは祈るわけだ。
 そこにはそれが永遠ではありえないというシビアな視点があり、でも永遠であって欲しいしあるべきだという願いがあって、だからあの場面が美しく劇中に結晶化しているのだと思う。
 そういう美しい理想がただ幸福の中で微睡んでいれば実現するわけではないから、前回ソラちゃんはあんなに厳しい戦いに投げ込まれたわけだけど、その厳しさもまた誰かの手に引かれ、自分の足で立ち上がって、必ず乗り越えていける。
 そうしてたどり着いた場所は、幸せに満ちた場所でなければいけない。
 現代のおとぎ話を語る者たちが、そういう信念を抱えてお話作っているのだと思える場面が印象的だったのは、自分的にはとてもありがたかった。

 ましろちゃんは違うからこその”私たち”を永遠に続くべき価値だと感じて、カバトンは彼女たちの優しさを『理解できん』と切り捨てた。
 異質性を前にどのような態度をとるかは、それを無理解のまま排斥し闘争を撒き散らしていくか、異国の食べ物を喜んで飲み干すように己に引き寄せていくか、生きる上での姿勢に直結していく。
 闘争と敗北を経て、”悪”がどう変わったかはこの差異が絶対的なものなのか、変化しうるものなのかを探る上で個人的には大事で、だからカバトン再登場を心待ちにしている部分もある。
 善良で美しいものだけが正しく生きられるってのは、あんまりに寂しいじゃんねぇ……。
 間違えきった果てにその独善を拳で叩き割られた者が、一度は跳ね除けた異質さへの共鳴に心を開いて、排除するべき異物だった自分の弱さとか優しさとか、そういうモンとの付き合い方を彼なりに見つけてくれる姿が見れたら、ヒロイズムが”プリキュア”の特権ではないのだと、より強く感じられる気がする。
 なんで、そのうち再登場お願いしますね……。

 

 というわけで、憧れに導かれていた時代が終わり、新たな旅へ進み出す者たちへの祝福の回でした。
 話数的にも折り返し、アニバーサリーな回を一本きっちり、エピローグの余韻に使ってくれるのはとっても良かったです。
 出会って迷って戦って、ここまでの旅路があったからこそ目の前に立ち現れてくる奇跡の意味を知れる描写も沢山あって、ひろプリ第一章の終わりとして素晴らしかった。
 一年間のお仕事終わったら、エルちゃんはちゃんとお家に帰るようにね!!(念押し)

 かくして始まる新章は……まーたトンチキアニメの匂いがしてきたぞ!
 俺はひろプリの剽げた所がとっても好きなので、動物園を舞台に好き勝手絶頂ボンクラしてくれると、すっごく嬉しいです。
 次回も楽しみですね!!