イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

呪術廻戦「懐玉・玉折」:第29話『玉折』感想

 青い宝石みたいな季節が砕けて、その残骸を浴びながら混濁の先へ進んでいく。
 いつか交わりなおす時、僕らは殺し合うだろう。
 それでも終わらない呪いを、青春と呼ぶのなら。
 確かに、あの惨劇は僕らだけの夢だった。

 呪術廻戦アニメ、長く短い過去編を終わらせる第29話である。
 満を持しての御所園コンテで贈る、夏油傑の決定的な崩壊と教師・五条悟の誕生秘話である。
 夏油が本音と選んでしまった非術師鏖殺の決断が、それに反発する形で誰かを育て導く道を選んだ五条が、ともに呪いに満ちた世界の苦しく哀しい必然なのだと分からせる、画作りと話運び。
 アニメだからこその、音響と動画の強さ。
 4話かけて描かれた、青春の万能感をへし折るのに十分なありきたりの悲劇をしっかり活かして、それぞれの未来へと物語を繋ぐ、優れた終章でした。
 MAPPAはアクションに優れた派手なスタジオだと捉えられがちだけど、湿り気の強いナイーブな表現を適切に操れるからこそ、カタルシスに満ちた決め所もバッチリ刺さるんだなぁ……と、認識を新たにする回にもなった。
 檻のように積み重なる疲弊と憎悪を、生真面目だからこそ誰にも預けられず自身を呪いに落とした夏油傑の内面に、見ているこちらも飲み込まれるような迫力がずんずんと積み重なって、離別に至る。
 それはとても悲しい決別で、しかし予告されていた必然でもあり、それ以上に最強だった二人の物語に付き従った僕らを納得させる、魂の震えがあった。
 本音を抱いて生き方を選ぶのが大人になることならば、人間サイズの呪いに己を変える決断が夏油の子供時代卒業式であり、一足先に大人になってしまったマブダチに追いつけない悲しみが、五条傑に教師を選ばせたのだろう。
 お互いの生き様を決着させる闘争が、この長い過去語りの後に続くけど、今は埋葬されてなお息づく思い出の残響を、少し抱きしめたい気分だ。
 ”過去編”ってのはやっぱ、この痛みとセンチメンタリズムが大事だよね。

 

 

 

画像は”呪術廻戦「懐玉・玉折」”第29話より引用

 物語の前半は心理主義的遠近法ともいうべき主張を活用しながら、夏油傑の疲弊と逸脱に寄り添っていく。
 肩を組み、背中を合わせ、とても身近だったはずの相棒は遥か彼方の高みに達し、神域の異能はゲロ雑巾啜って力を蓄えなきゃ戦えない夏油を、遠くに置き去りにしていく。
 九十九に出会うまで夏油を包囲する世界には不鮮明なフィルターがかかり続け、クローズアップで何かにピントがあう場面は極端に少ない。
 友達との対話、果たすべき責務、呪術師である意味と意味。
 理子ちゃんの惨殺と無様な敗北、それを経てなお変わらない人間の醜悪を認識しないように、夏油傑の世界は遠く遠く、霞んで描かれ続ける。
 それを直視してしまえば、少なくとも正しい呪術師であろうとした夏油傑はこわれてしまうと直感しているし、人間の業から抜け出せないこの無間をなお軽やかに飛べるほどの……例えば五条悟のような才覚が、自分にないことも解っている。

 どんな夢想も叶えられる、死も敗北も反転して書き換えられるインチキが自分にはなくて、楽しくもねぇ呪霊啜り繰り返して、楽しくもねぇ呪霊狩りやって、それを生み出す人間の最悪に直面し続けて、どうしようもない人間の中でどうしようもない人間として生きていくのだ。
 そんな呪術師・夏油傑の現実を未来として、強制的に見据えさせられるのが甚爾との敗戦、理子ちゃんの死亡で……なによりそういう劇的なイベントすら当たり前に飲み干して、人生が続いて行ってしまう実感なのだろう。
 今まで自分が信じていた世界を、自分が信じていた自分を、ぶっ壊してなお延々と続く人生という檻、世界という獄をまともに見てしまったら、もう耐えられない。
 不鮮明にピントをずらすことでなんとか耐えている中で、もう耐えられない夏油傑にだけ、しっかりとフォーカスが当たる。
 滴る雫は幾度も、『こんなの生きてれば当たり前だ』と必死に誤魔化してなお、脳裏から這い上がってくるあの拍手に、白々しい破滅の情景に繋がって、夏油の精神を削る。

 

 とにかく前向きな、可愛い後輩との対話でも夏油のフォーカスはあわず、しかし九十九と遭遇する……してしまうことでピントが合いだす。
 九十九は高専のやり方と合わない、呪術師としての責務に従わない、子どもを嘘っぱちの欺瞞でも正しく優しい道に引きずっていく責務を負わない。
 ”教師”ではない彼女は、自分の口から出る爆弾がどれだけ決定的に、最悪の精神状態で揺れている夏油傑を壊してしまうか、理解していない。
 『呪霊根絶』なんて絵空事を本気で追いかけている狂人が、人間がどう生きるかなんてありきたりで難しい問題に神経配れるはずもなく、見知らぬ人だからこそポロッと吐き出した本音をすくい上げて、『アリだ』と方向付けてしまう。
 それはずっと、世界と自分を重ね合わせられなかった夏油のピントをようやく合わせて、意味のある答えを指し示してしまう。
 猿どもを皆殺しにして、呪霊がもう生まれない……こんなに辛くて気持ち悪い生き方をしなくて良い世界を作る。

 後の生き方を決定づける『アリ』を手渡してしまったのは、善悪というよりは、いつか遠い昔に彼女もまた選んだ、大人として生きる上での本音に関わる問題なのだろう。
 無辜の人々を侵す呪いを弾き飛ばし、幸せな日常を守る選ばれた戦士。
 腐りきった呪術界が押し付けてくる建前を、生きる意味として夏油傑は信じていたし、信じていたかっただろう。
 しかし理子ちゃんの事件が決定的に暴いた世界の残酷と己の無力は、そんな夢が真実ではないことを、嫌というほど教える。
 ゲロ雑巾を啜ってやっとこさ呪術師でいられる自分も、そんな苦悩を理解することなく最悪に生き続ける世界も、何もかも辛い。
 その重たさを半分背負って、一緒に生きていくような殊勝な人間らしさを、教師ではなく特級術師である九十九は当然持ち得ない。
 呪術師のあるべき勤めを根本的に果たすために、人間や世界の在り方すら変えてしまう決断をためらわないのだから、『コレ言っちゃったら、ヤバい状態にある子どもが更にヤバくなっちゃうかも……』とは想像しない。

 ……って、わけでもないんだろうなと思う。
 敗北とか残酷とか、夏油がどんだけボロカスにされたか隣に座れば解るわけだし、生きあった大人として、理不尽の内側をちったぁ知る側として、フォローは必死に入れている。
 しかし人間がどんなタイミングで壊れていくのか、見通せるほど万能でもなく、ましてや選んだ生き方は優しさより正しさに偏ってる女は、人でなしに成り下がる本音を『アリ』だと告げてしまう。
 正しく優しくありたかった夏油傑が、大虐殺者に成り果てるって一点を除けば、それは確かに『アリ』だからだ。
 夏油が疲弊した心身で遠く睨みつけ、嫌悪と憎悪に震えながらなお守ろうとした日常は、呪術師という超越を極めた九十九には、酷く遠いのだろう。
 そんな価値観と、器から漏れ出した呪いが意図せずぶつかって、最悪が転がりだす。
 人生も呪いも、まぁまぁ大体そんな感じよね。

 

 

 

画像は”呪術廻戦「懐玉・玉折」”第28話より引用

 降り注ぐ雨音とあの拍手が重なって、思わずこぼした思い。
 さんざん吐き出した後ふと正気に戻って、答えを示してくれた人もまた衝立の奥に隠れて見えなくなる。
 正しく優しい夏油傑だからこそ、かけがえない関係を築けた友達たちには言えなかった思いが溢れたのは、九十九が高専に縁がない、見知らぬ人だったからだろう。
 それだけ友達の中にある『最高の呪術師・夏油傑』ってイメージは、夏油にとって大事にしたいもので、だから貯まる膿を吐き出せないまま腐り果てて、人生の非常口から学校の外に出る道を選ぶ。
 九十九が一応、呪術師として学園に残り/戻り、今まで大事にしてきたことを守り通す道もあるのだと示しているのは、フェアではある。
 しかし友達も先生も教えてくれなかった『アリ』に、夏油はもうピントを合わせてしまった。
 猿を皆殺しにして、生きるべきだと決めた身内だけ、呪霊のいない世界で生きていく。
 そういう安楽で安易な……九十九が言ったとおりEasyな解決策は、もう見えてしまっているのだ。
 夏油が選んだ解決法を選び取らなかったからこそ、九十九はより困難な根本的解決を目指して突き進み、意図せず人間一人の運命と、そこに付随する色んな人の未来を捻じ曲げても行くのだろう。
 そうやって繋がりの中、否応なく何かが生まれ壊れて行ってしまう生成のプロセスを呪いというのならば、つくづく人間は呪う動物なのだ。

 昨日まで一緒に笑っていた仲間があっけなく死に、夏油のピントはその死体と、まだ動く自分の手に合う。
 呪いの根源を払ってなお、罪なき子どもを檻に閉じ込め殺せと喚く猿は、瞳が見えない異物として描かれている。
 顔があり、共通理解を作れ、一緒に生きていける同類として誰を見て。
 眼のない怪物として、こちらの理解できない言葉でわめきたて、そのくせ汚物のような呪いを延年吐き出す猿として、誰を殺していくのか。
 張り詰めた夏油の精神は遂に弾けて、真っ青な本音の中で虐殺に身を染めていく。

 猿は嫌いだ。
 それを、本音だってことにして突き進んでいく。
 『正しい呪術師として、誰かを守り続ける』という、借り物であり本音にもなり得た夏油傑の在り方はここで投げ捨てられ、だからこそ彼の親友だった五条悟が拾い上げて、人生全部を捧げるに足りる綺麗事として飲み下すことになる。
 人外の力に目覚めた人でなしとして、ゴミクズどもを皆殺しにする決断を、教団の奥で五条は夏油に委ねた。
 夏油は殺さぬことには意味があると、その段階でけっこう信じていられなかったお題目を押し付けて、神様が人殺しになることを防いだ。
 五条の人生が奈落に滑り落ちかけた現場に夏油は間に合ったけど、夏油の生き様が堕ち果てるその瞬間は、最強になった五条を置き去りに燃え上がる。
 人類最強の強さを手にしても、親友一人が人生間違える瞬間に居合わせられないのが、人の人たる所以か。
 その無力と理不尽がギリギリ、五条悟を人間の側にせき止めている感じもある。
 俺たち二人ずっと無敵で最高なんだと自分たちを信じていたかった、子ども達を襲ったありふれた理不尽を思えば、そんな達観したことはけして言えないけども。
 

 

 

 

画像は”呪術廻戦「懐玉・玉折」”第29話より引用

 殺戮を以て決定的に引き裂かれてしまった道のりを、それでも五条は追いすがって夏油の背中を捕まえる。
 甚爾との二度目の戦いで、神々しく溢れ出していた六眼の輝きはそこにはなくて、ただただ人間の……否応なく子どもから大人になって、何かを選ぶしかない時代の青色が切なく瞬いている。
 必殺のはずの掌印は力なく緩んで、去っていく最悪の呪詛師を正しく討ち果たす力など宿らない。
 ここで夏油を殺せるほどに達観もしていなくて、夏油とともに外道に落ちれるほど諦めてもいない場所に、最強になった五条悟がいられているのは、理子ちゃんの任務を『人が死ぬんだぞ』と念押しし、五条の当惑と同じモノに自分も襲われているのだと素直に教えてくれた、夜蛾先生の存在が大きいのかなと思う。
 九十九は世界改変者であることを選んで大人になったから、夏油に『アリ』を手渡しちゃったけども、夜蛾先生は超常の力と厳しすぎる宿命に揉まれてなお、人間でいることしか許されない呪術師を導く立場を選んだ。
 呪術界の腐った権力としきたりに立ち向かいながら、笑って怒って思い上がって、必死に生きてるただの人間でしかない子どもたちに、今必要な言葉がなんなのか必死に考える大人になった。
 そういう人の差し出したものを、ギリギリに張り詰めた状況で受け取れたから、五条は夏油を殺せないし、一緒にもいけない。

 新宿を埋め尽くす雑踏に顔は薄く、しかし完全に消え去ってもくれない。
 夏油がうんざりとこの後殺していく、無能力者達の群れ。
 そういう道を選んだ親友が、それでも意味はあるのだと告げたから守ることにした日常の一幕。
 それをかき消す圧倒的な力があっても、五条はその只中で前に進もうとしてどこにも行けない道に囚われる。
 お前ならこのノイズをかき消す夢物語を実現できるのに、俺はお前じゃないからドブまみれに地道にやっていくよと、最悪の決別を突きつけられる。
 神様になってしまった自分が、置き去りにして置き去りにされる最高の友達。
 その背中に追いつけないしせき止められない自分を思い知ったことが、天上天下唯我独尊のおごりを砕いて、五条悟を大人に……人間にしていく。

 全てを討ち果たし新たな世界を定める神様になろうとして、その力がないから人間として足掻くしか選べなかった男。
 そんな切望を叶えるだけの特別を持ちながら、人間に隣り合って共に進んでいける未来をまだ望んだ男。
 真逆の道は宿命の果てでもう一度交わって、今度は殺す。
 殺したはずなのに、続く。
 糾える縄のごとく、因縁は絡み合いながら先へ先へ、彼らを押し流していく。
 それが自動的で抗いがたい濁流であると同時に、どうにか自分である証明をそこに突き立てたいと願った当たり前の青春であり、だからこそ酷く無惨な形で砕かれてなお続く物語であることを、骨の髄まで思い知らされる5話だった。

 

 

 

画像は”呪術廻戦「懐玉・玉折」”第29話より引用

 そうして別れた道の先、夏油は自分をこの地獄に追い詰めた場所に立ち直して、五条袈裟まとった生き神様へと変じていく。
 神様と同等の力を持った親友と、同じにはなれないと思い知らされて行き着いた場所で、救う気もない猿から銭金かっぱいで(彼信じるところの)善を為すのは、あまりに皮肉な結末である。
 誰にも知られることなく命をかけ、呪いを祓う自分たちの生き方を、酷く皮肉な形でありがたがられ拝まれる立場に繋ぐ、教祖という職業選択とも言えるか。
 悪霊も見えないクズから活動資金を盗み取る生き方は、反転してみれば蔑んでる猿に寄生する道ってことで、圧倒的に数が多い非術師を皆殺しにして目指す新世界が、どんだけ遠いかを皮肉げに語ってもいよう。
 血みどろの達磨が教祖誕生を祝う前、夏油傑の生き様を決定的に壊した幼子の頭を撫でる掌は優しい。
 でもそれは、そうして祝いだ家族以外を徹底的に嘲り殺す、呪霊めいた生き方が対岸にある家族愛だ。
 人でなしに落ちきった夏油傑は、その最悪において決定的に人間的で、だからこそ非常に呪術的な大人になったのだ。

 そんな夏油を救えなかった五条は、何もかも見通せるはずの瞳がなにも見抜けなかった事実を、神様と等しい自分の限界を思い知って、仲間を求めて弱者に手を差し伸べる。
 それは在りし日の夏油傑が意味あるものと規定して、五条悟の代わりに追いかけてくれた理想の追跡であり、人生賭けて親友が否定したものを、引き継ぎ証明していく生き方かもしれない。
 ガキを売り飛ばして家族を不幸に巻き込む、腐り果てた呪術界。
 それを人間の形を保ったまま変えていくために、五条は頼れる仲間を増やすことにした。
 自分一人だけが神様でいても、何も変わらないし成し遂げられない事実を、追えなかったあの背中に思い知らされたから、封じた瞳を時折上げて、人間の世界が、そこで生きる人たちがどんな顔をしているか、ちゃんと確かめる。
 それが、人間の規格外に生まれつき神域へと目覚めてしまった自分が、果たすべき責務なのだと、彼は選んだ。
 ……梵天勧請だなコレ。
 覚者が何故教説して衆生に交わらなければならないのかっつー問いに、天上天下唯我独尊以外の答えを見つけたわけだ。。

 恵をモノ扱いの運命から拾い上げ、教え子として共に進める未来に引っ張り上げたのは、自分が殺した甚爾の遺言を、地面に足付けて聞き届けたからだ。
 エサ食って生きて死ぬだけの動物ではなく、己が確かに此処にいるのだと人類最強を打倒して証明しようとして、引き際間違えて死んだおろかな人間が、最後に託したものを確認する時も、五条はその瞳で思いを確認している。
 それはずっと一緒に無敵だったはずの男が、何に狂って殺戮者に落ちたのか確認しなかった過去を、取り戻すための贖罪行脚なのかもしれない。
 行き会うすべての人に夏油傑の面影を感じつつ、しかしもはや失われた過去は取り戻せないのだと痛いほどに思い知って、神様に等しい自分と同じくらい、目の前の教え子も尊いのだと、肉眼で確認する。
 それを怠って何かが成し遂げられるほど、自分は偉くも強くもないと戒めるべく、強すぎる神の瞳を普段は封じているように思えた。

 そうして無明を彷徨って、たどり着いた場所で神は眠る。
 夏油傑でなくても、隣を預けれる仲間を焦らず増やしながら、五条悟はもう青くない季節を生きている。
 今まで見ていた先生と一緒の楽しい日々の奥には、そういう痛みと後悔がギチギチに詰まっていて、溢れさせないように自生し自問しながら皆生きている。
 ふとしたきっかけで溢れ出せば、人生を捻じ曲げてしまうものを他人に浴びせかけないのが立派な大人なら、五条悟は最強であり無敵ではない自分を思い知ることで、自分を大人にしたのだろう。
 そうありつづえけることが、幾度殺そうとしても消えない青い面影を、嘘にしないためのたった一つのやり方なのだ。

 

 という感じで、呪術廻戦「懐玉・玉折」終わりました。
 大変良かったです。
 原作の骨格や雰囲気をしっかり守りつつ、アニメならではの演出や解釈をたっぷりとはさみ、残酷に美麗に鮮烈に物語を編みなおす。
 そうして見届けたものの奥から、いろんなものが蘇ったり、新しい顔を見せてくれたり、とても豊かな視聴体験でした。

 こうして描かれた青い季節とその終わりの先に、新たな惨劇が待ち構えるわけですが。
 未だ青春を歩いている五条の教え子たちを待ち構える、過酷すぎる運命をこのアニメがどう書くのか。
 少しだけ怖くて、とっても楽しみです。