イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ひろがるスカイ!プリキュア:第33話『究極のちから! マジェスティクルニクルン』感想

 頼れるあの子は伝説の戦士か、愛しき嬰児か。
 動けないほどに悩むのならば、行くしかないぜ不思議のダンジョン
 虹ヶ丘ましろの細やかな価値観が複雑に揺れ動き、マジェスティ三部作ひとまずの幕引きを描く、ひろプリ第33話である。

 『いやー……ムヅいなキュアマジェスティ!』てのが、終わってみての素直な感想である。
 前回エルちゃんなりに戦士として強くなりたい理由、戦う意味、守りたい願いを作中生きた形で描いてくれたわけだが、ましろさんは”虹ヶ丘ましろ”なので自分たちのベビーが運命と自由と暴力のまっただなかに飛び込んでいくのは、当然飲み込めない。
 優しさと束縛は背中合わせの双子、物分り良く子どもの自由意志を尊重して、自分自身幾度も痛い思いをしてきた場所にエルちゃん飛び込ませるのは、そらー気後れもするだろう。
 今回はそういうましろさんの気持ちを描くことで、見ているこっちのわだかまりを解体していく回……であり、結構納得しつつ、やっぱ飲み込めないモノが少し残った。

 ごっこ遊びしている時に急に『エルちゃんじゃないよ』と真顔になったり、本が開かないからって癇癪起こしてプイッと顔を背けたり。
 マジェスティに変身するようになっても、エルちゃんは相変わらず生っぽく子どもであり、まだまだ未熟で弱々しく、守られるべき可能性に満ちている。
 いわば日常の中では赤ん坊であるエルちゃんが、非日常的な戦闘においてキュアマジェスティへと心と体を引き伸ばされ、その二つが上手く繋がっていない(繋がっているとしても、その連続性を僕やましろさんがなかなかうまく処理できない)状況なんだと思う。
 メシすら自分で食えない存在に身の養いを与え、排泄の世話までしてなお幸せなのだという体験を、心に焼き付けているましろさんにとって、エルちゃんとキュアマジェスティはなかなか、=で結べないわけだ。

 

 一方エルちゃん自身にとっては、赤ん坊である自分と自立可能年齢まで育ったキュアマジェスティには同一性があり、その力も行いも自分のものである。
 当然やりたいこと、やるべきだと感じたことへ真っ直ぐ突き進んでいって、あげはさんは子どもたちの夢を見守り後押しする責務に忠実に、上手く折り合いをつけて向き合う。
 ソラちゃんは自分自身ましろさんを守りたくて遠ざけた経験を潤滑油にして違和感を飲み込み、ツバサくんは持ち前の理性で状況を客観視して正解を選ぶ中で、ましろさんの情念と理屈は分割されたままだ。
 悩み迷う、弱々しい立場(子ども、あるいは人間の姿)をむき出しにすると、より弱い存在であるエルちゃんが影響を受けて悲しむので、ましろさんが分裂した自分と向き合う時間がなかなか作れないの、成熟度に差がある共同体の残酷なグラデーションが描かれてて、危うくも面白かった。
 自分の悩ましさに沈み込むことを許さず、ましろさんに抱き上げてもらう特権を持っている時点で、エルちゃんは弱者ゆえの強さを(正当にか、それとも不当にかはメチャクチャ判断難しい、あるいは出来ない所だが)保護者に押し付けている。

 世界がどれだけ複雑で、その中で自分に何が出来て何が出来ないのか。
 子供と大人を切り分ける分水嶺をワープして、自立した存在としての力と意思を手に入れてしまっているエルちゃんは、悩めるましろさんの頭を撫でるし、キュアマジェスティとして身を挺して暴力から守る。
 しかしその歩み寄りが……例えば自分のヒロイズムの危うさを知った上でましろさんの手紙を受け取り、その隣に立ち続けるために戦場に戻ったソラちゃんとか、両親の離婚という全く笑えない現実にもみくちゃにされつつ、自分なりの生き方を選んで笑顔で武装し続けているあげはさんのような、個人的体験に裏打ちされた靭やかさを持ちうるのかは、まぁまぁ難しい。
 同時に赤子や児童といえど意志と尊厳を持った一人間であり、小さくも確かな可能性を全力で支え見守る姿勢を、”プリキュア”は常に大事にし続けてきた。
 運命の子供として、特別なダンジョンを開けて究極の力にアクセス可能な特権を得てはいるものの、エルちゃんがごくごく普通の生命として一歩ずつ己の可能性を形にし、時折わがままに意固地に間違えかけ、その度優しい人達に支えられて進み直してきた様子を、このアニメはかなり丁寧に積み上げてきた。
 当たり前の日常を力強く進んでいく、一人の人間としてのエルちゃんがちゃんと息をしているからこそ、そこら辺超常パワーでぶっ飛ばして、話の都合をぶん回す摩擦熱が気にかかるってのは、ご両親との関係を(表向き)決着させた第24話の飲み込めなさに近い……か。

 

 結局プリキュアは戦士であり、戦いの只中で生まれる悩みは暴力の嵐の中で答えを出すしかない。
 ましろさんの優しい戸惑いはそのまんま、童話作家志望のフツーの中学生である虹ヶ丘ましろが、自分の意志と尊厳を輝かせてキュアプリズムやっている現状に跳ね返ってくる。
 ソラちゃんが『ましろさんに戦ってほしくない!』と叫んだ時、自分が何を感じたかを思い出すこと……そして自分たちだけでは乗り越えられない実際的な暴力に対峙した時、弱くも愛おしい”私たちのエルちゃん”が力強く戦場に並び立つキュアマジェスティと=なのだという、否定し難い納得が彼女に降り立つ。

 これが悩みを消し飛ばす力をもっているのか、虹ヶ丘ましろ自身が優しさと強さを併せ持つ……というか優しいからこそ強い戦士であり、自分なりの意思と誇りをもって激ヤバ暴力に立ち向かっているからだと思う。
 キュアプリズムである自分にましろさんは相当プライドがあって、だからこそキュアプリズムでもある虹ヶ丘ましろが結構好きなんだと思うけど、それがキュアマジェスティでもあるエルちゃんと同じ心持ちなのだと、迫りくる即死ビームを前に”解ってしまった”感じがある。
 ここら辺、プリキュアならざる僕にはダイレクトに共鳴できる心境では正直ないのだが、ここまで描かれ今回新たに削り出された虹ヶ丘ましろの在り方に思いを馳せると、『まぁ、ましろさんが選んだわけだし……』で尊重し、飲み込める感じだ。
 ここら辺は前回、エルちゃんがエルちゃんなりの切実さで大事な人を守り、闘う力を欲していた心持ちに、似た向き合い方かもなーと思う。
 考えれば考えるほどに深みにはまる、思弁の怪物たる悩みを止揚するための爆薬として、待ったなしな現実の究極系としての”戦い”が特別な意味を持ってくるってのも、間違いなくバトルモノでもある”プリキュア”としては、まぁ理解るロジックだし。

 

 こういう圧力の高い状況を作るために、暗黒ドーピングをガバガバ突っ込み、意思なき暴力装置と化したミノトンが大暴れしてくる。
 悪の幹部としての最後の見せ場、名前通り”迷宮の怪牛(ミノタウルス)”になって一花咲かすイカしたバトル作画であった。
 その暴力機構っぷりは、闘争を選ぶ意思と尊厳で揺れてたプリズムとマジェスティの鏡でもあろう。
 ぶっちゃけひろプリは敵の描写を相当持て余しており、ミノトンは特に具合悪い感じでこの退場までなだれ込んだ。
 武人キャラを活かして奥行き出すなら、特にソラちゃんとはもうちょい腰を落とした掛け合いをやっておくべきだったろうし、武人気取りつつただの暴力装置にしかなってない思考放棄、本質を見ない愚かしさを当人が自覚しないままここにたどり着いちゃったのは惜しい感じがある。
 自分のあり方に悩むだけの内面を与えられず、余計な尺取らないまま引っ掻き回しノルマをこなす仕事を考えると、そうなるしかない部分ではあるのだが。

 ただここ二話のミノトンが『我を見失っていた』かっていうと、そうでもないかなと思う。
 何の知恵もためらいもなく、他人を踏みつけにする暴力現象に成ったのは貶められたというより、本質がむき出しになった感じを強く受けた。
 そしてプリキュアには描くことが許されない、暴力が有する間違いだらけの本質を敵が体現することは、戦いを描く物語としては大事なことだろう。
 ここら辺人によって感じ方大きく変わるとは思うのだが、最後に思慮なき力の行き着く先をその身で示して退場していくのは、自分たちなりの思慮があるから目の前の力に飛びつけないプリキュアとの対比として、まぁまぁ悪くなかったかな、と思う。
 なにしろ対話らしい対話をやるタイミングがないし、あの筋トレマニア自分を譲って己を新たにする柔軟性というのが根本的に欠けてもいるので、プリキュアからのアプローチで何かが変わるってことが、あんまなかったのは残念である。

 再登場した時、今回プリキュアと”戦った”ことがミノトンにどんな変化を与えたのか、改めて描いてくれるといいけど……どうなるかねぇ。
 そろそろ最終カーブも見えてくるひろプリ、ずーっと話の端っこに追いやってきた敵さんの事情を彫り込むタイミングに差し掛かってる感じではあるけど、なにしろずっと触ってこなかったので、今あらためて向き合ってどう描けるかは、結構不安。
 次回バッタモンダーが再登場する感じだが、彼の活かし方で、ヒーローの歪んだ鏡となる悪役の存在意義、その歪みに主役が与え得た影響をどう描くのか見えてくるとは思う。
 バッタ野郎再登場と並走するのが、ましろさんの美しい夢なんで、もし奴の性根が変わっておらず、爽やかオーラが逆恨み相手を刺すための擬態だったら……それでましろさんの思いが踏みつけにされたら、かなり耐えられない。
 今回立ち止まって悩む弱さと優しさを背負ってくれて、改めて感じたけども。
 俺はキュアプリズムでもある虹ヶ丘ましろが好きなんだなぁ。
 大げさに窮地を演じてエルちゃんを楽しませようとしたり、突撃ムードになってる友達に荒々しく反論したくないから危うさを主張してみたり、色んなましろさんが描かれる回で、そこ大変良かったと思いますね。

 

 というわけで、キュアマジェスティが暴力のど真ん中にあえて立つ理由を描き、それを仲間たちが飲み込むためのエピソードでした。
 血肉宿して生っぽい成長を遂げていくエルちゃんが、過酷な運命(あとお話と販促の都合)に選ばれたファンタジー赤子でもある事実は、結構大きな歪みをひろプリという物語に与えてもいる気がします。
 ここら辺の違和感を可能な限り均すべく、色々作品は手を尽くしてくれているのですが、構造的な問題なので完全には飲み込みきれないなー、てのが正直な感想。
 その上で、作品の中で生きてる一人ひとりの願いと決断として、変身して戦うプリキュア・スタンダードが選び取られている手応えは、ここまでの物語から感じられています。
 それを表に出し、悩める一人間として話しの真ん中に立つのが、ましろさんで良かったなと思いました。
 俺は虹ヶ丘ましろが好きなので。
 次回も楽しみです。