イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アンデッドガール・マーダーファルス:第13話『犯人の名前』感想

 首だけ探偵と殺戮道化の欧州紀行も、遂に一旦の幕引き。
 超人バトルに推理開示、闇の奥にある真相とその先を描く、アンデッドガール・マーダーファルス最終話である。
 キッチキチに色んなモン詰め込んだ構成が見どころタップリの満足感に繋がって、このアニメのいいところ全部味わえる最終回になったと思う。
 全体的なテンポが早く、提示するべき情報量が多いことが、凄いスピードで強い画作りが押し寄せてくる手応えを生んでいて、大変見ごたえがあった。
 過剰で猥雑で残酷で……少しだけセンチメンタル。
 このアニメがどんなものだったか、凝集された後味で飲み干せるラストとなった。

 

 

 

画像は”アンデッドガール・マーダーファルス”第13話より引用

 というわけで、まずは超人大決戦の決着。
 ロンドンでは敵となった《夜宴》を利する形で、津軽がカイルにとどめを刺す展開はたいへんこのアニメらしい。
 話がスッキリ収まるのを優先するなら、《夜宴》と徹底的に敵対してロイスと手を組んだほうが分かりやすいけども、《鳥籠使い》は別に人間中心主義で動いているわけではないし、正義の味方でもないし、自分たちに必要な情報を得れる方に肩入れするのは納得だ。
 津軽にとって殺しは息をするように軽い行為であり、ヴィクターからダイヤを取り戻し信頼関係を作るために、気軽に差し出せるという手応えも良かった。
 ダークヒーローというには軽薄で、英雄というには捻じくれすぎ、悪役というには背筋が伸びている。
 真打津軽という男の生き方、彼にとっての殺しの手応えは作品独自の魅力として分厚かったし、作品最後の攻防からそれを確かめられるのは、とても良かった。
 『まぁ、津軽なら殺すよね……』という納得ね。

 一方静句さんはカーミラとの再戦を、華やかな綾錦を切り刻みながら展開する。
 女二人の殺意が踊る決戦は、津軽とヴィクターの奇妙に爽やかな間柄とは真逆の重たさ、華やかさがあり、こちらも良かった。
 色とりどりの布で撹乱した奥からカーミラが迫ってくるカットとか、すごく鮮烈な表現が元気な最終回で、アニメーションとしてシンプルな面白さが多数あったのは、なかなか贅沢なことだと思う。
 僕は静句さんが好きなので、クソ吸血鬼相手に一切怯むことなく我を通し、しかしかすかに艶やかな情が滲んでいる塩梅でバトルを彩ってくれたのは、好みの味付けだった。
 人狼事件を通じてその人間味が前に出てきたので、津軽の淡々とした殺しと対比する形で、カーミラや犠牲になった女たちへの情が浮き彫りになるのは、今の彼女らしい戦いだったと思う。
 とにかくやることが多い最終回なので、バトル自体は結構短い尺で収まっているのだが、その分高度に圧縮されたテンポの良さ、情報量とアイデアで脳を殴られる気持ちよさがあって、大満足の仕上がりだった。
 華麗鮮烈というだけでなく、そのキャラらしさがアバンギャルドな表現によって加速して、話を閉じるのにふさわしい立ち回りになってるのが良かったね。

 

 

 

画像は”アンデッドガール・マーダーファルス”第13話より引用

 さて大立ち回りも一息ついて、今度は探偵の見せ場。
 過去映像に埋め込んできたヒントをモリモリ回収しながら、超スピードで真相開陳とあいなる。
 やっぱ探偵の物語が一番盛り上がるのはココなので、ケレンの効いた映像で情報開示の気持ちよさ、首だけ探偵の真骨頂を見せてくれたのは嬉しい。
 憎悪も偏見も鏡合わせと描かれ続けてきた、人狼の村と人間の村。
 そこを舞台にした殺人もまた、入れ替わりトリックを活用した鏡合わせの構造であり、死者が生者を、人間が狼を装うことで成立していた。
 この鏡合わせの入れ替わり、多重隠蔽を暴く気持ちよさの奥に、”真の動機”を隠して最終章に持っていく作りは、自分がキレイにハマったのもあって気持ちが良かった。
 村の構造とか死体の状況とか、ぶっちゃけメタ読みで大体の形は見て取れるのだが、そのスタンダードなわかりやすさを煙幕に、ユッテの真意で驚かせてくる構図は良い。
 映像媒体で説得力持った謎解きするのはなかなか難しいと思うけど、化け物が闊歩する背景世界のハッタリの強さとシンクロする形で、小気味よく場面を繋げて成立させていたのも、素晴らしかったです。

 津軽を舞台裏に引っ込めての真相開示で、犯人と探偵に焦点を絞った舞台が作られたこの最終回。
 なかなか心の柔らかなところを見せない鴉夜が、ろくでもない事件に時折にじませていた情が、ユッテとの冷徹な対話にかすかな潤みを与えているのも良かった。
 鴉夜は理性の権化みたいな雰囲気で鳥籠に鎮座しつつ、血の通った人間と怪物の情を(極めて人でなしである津軽とは真逆に)よく理解していて、それが事件の決着にも繋がっている。
 真相開示を早めれば、人間と人狼の衝突も避け得ただろうに、延々繰り返す悲劇をあえてせき止めず、犯人の本懐をかすかに遂げさせた上で事態を制圧師にかかるのも、彼女なりの理性と感情のバランス取りなのだろう。

 非情の怪物であり、自分らしく生きることを望む人間でもある。
 探偵と犯人として対峙する二人の魂のあり方はよく似ていて、被害者との共犯関係……それを生み出した2つの村のろくでもなさを暴き立てるとき、鴉夜とユッテの視線は作中誰よりも強く絡み合っている。
 人殺しは悪いことで、それを解決する探偵はいい人。
 そういう秩序志向、人間中心の名探偵論から少し外れたところに立ってるのが、人でなし探偵を主役とするこの話のオリジナリティであり、長所でもあると思っている。
 だから犯人を糾弾しつつ理解し、理性で真相を暴きつつもその奥にある情に手を伸ばす描き方が、最後に元気だったのは良かった。

 

 

 

画像は”アンデッドガール・マーダーファルス”第13話より引用

 そういう人でなしの共鳴は、檻に入れられた女/怪物としての共感を生み出し、名探偵は犯人を見逃していく。
 おどけた仕草で鎖と戯れる津軽の視界が、ユッテが逃げ出したかった生殖の檻と重なり、囚われ人となった静句、鳥籠で不自由に暮らす鴉夜と重なっていく見せ方は、最後の最後に作品の一番ナイーブな部分を触った感じがあって、大変良かった。
 名探偵が見逃した真の動機は、怪物を駆り立てる人間社会からも、怪物をさらに怪物にしていく怪物社会からも、誰かを殺すことで自由になろうとした少女の赤心に繋がっている。
 遺伝子改良を使命とし、望まぬ交配と生殖を疑いもしない人狼村の因習を、当たり前におぞましく思うユッテの気持ちが、人間を殺して人狼を逃がす残酷な生存戦略を選ばせた。
 そのかすかな反抗を寿ぐように、鴉夜は広い世界へと同士を逃していく。
 作品全体に漂っていたロクでもない空気が、一番いい形で炸裂した人狼村事件のシメに、そこへの反抗をかすがいにして犯人と探偵が共犯になっていくのは、なかなか小気味いい反・探偵物語っぷりだ。

 最後のアクションとなる津軽 VS ユッテは、輪郭線だけを鮮明に取り出したアニメーションの冴え、視界を封じてなお強い最強の人狼、それを上回る嘲弄の悪鬼と、大変いい見せ方だった。
 何もかも嘲笑うことでしかもはや生き延びられない津軽にとって、鴉夜の弟子であり下僕であることがなんとか、自分を人間らしい淵に繋ぎ止める唯一の手段であり、探偵が感じ入った真の動機に、その弟子は特に思うことはない。
 軽やかに危機を脱し、圧倒的な暴力をブン回して、それが何を生み出すかは他人任せという主体性の無さ、存在の軽さが、いかにも”真打津軽”でいい感じだ。
 国家権力に体重預けて怪物狩りしてた男が、半分怪物の死にかけに堕ちてなお生き延びるすべとして、誰にすがって誰を支えて生きていくかだけは自分で選んだってのが、ろくでなしのロマンティシズムで好きだな、やっぱ。

 彼が脱ぎ捨てたコートが、存在しない鴉夜の身体であるかのようにハマるレイアウトの中で、鴉夜は金狼と視線を合わせる。
 時代に追い立てられる怪物であり、自身の性すらも自由にはできない奴隷。
 殺人を以てそこに反逆しようとした少女の名前が”ノラ”だったのが、イプセン”人形の家”の本歌取りだったのかと自分の中でハマる感覚が、罪なき犠牲者が無惨な死体を晒す現場で加熱していく。
 ここでアルマの遺骸を映すのは、なんかエモい感じで犯人見逃している探偵が踏みにじっているモノが何なのか、糾弾するでなく描写する手付きであり、そういう事実を承知の上で、鴉夜はユッテが選び取った彼女なりのフェミニズム(あるいはヒューマニズム)を祝福する。
 情はあろうとも首から下はなく、人間に見えて怪物でしかない。
 だからこそ魅力的なこのお話が決着する回に、描くべきものをちゃんと描いた感じがあった。

 人間の村も人狼の村も、因習に閉ざされ人が人として生きるとはどういうことか、さっぱり見えなくなっている。
 『私たちは、私たちであるがゆえに私たちである』というトートロジーは醜悪であり、それを確立するための犠牲者は社会の外側にうず高く積み上がっていく。
 ユッテも津軽も鴉夜もその犠牲となった人でなしであり、人間様が高く掲げる近代的倫理にしたがって生きていけるほど、牙も頭もナマクラではない。
 そういう自分たちのろくでもなさ、どうしようもなさを寿ぐ祝祭が、一応の決着が付いた後の薄暗い闇の中、ひっそり転がっていくのはやっぱり良い。
 ここで人殺しを見逃した人でなしと、人間様でござい……あるいは誇り高き狼でございと、松明掲げて殺し合っていたクズのどちらが”人間”なのか。
 怪物と殺しを血生臭く描いてきた物語最後の問いは、思いの外真っ直ぐに近代のヒューマニズムを問うていて、大変良かった。

 

 

 

 

画像は”アンデッドガール・マーダーファルス”第13話より引用

 事件は終わり、《鳥籠使い》は日の当たる場所へと再び顔を出す。
 この頃は全く新しいムーブメントだったワンダーフォーゲルの掛け声を、狼のように谷間に響かせて、あくまで愉快に物語は終わっていく。
 散々ろくでもなく血生臭くどうしようもない事ばかりだったお話が、それぞれの居場所で生き延びている怪人を写し、奇妙に爽やかに幕を閉じていく。
 それは形ばかりを整えた”良いエンディング”ってわけでもなく、醜さの奥にある輝き、駆り立てられる者たちの意地、血みどろの尊厳を軽妙に描いてきたこのお話に、嘘がなかった証拠な気がする。
 落ちたはずのハンカチが戻ってきて、驚きに目を開く鴉夜のチャーミングで話が終わるのも、『結局……師匠はマジ可愛かったな……』と、物語の一番強いところ確認した感じで良かった。
 実際探偵物語において主役の造形は何より大事なわけで、声と芝居含めて鴉夜のキャラがバリバリに立っていたのは、このお話の勝因だよね。

 

 

 というわけで、《鳥籠使い》の奇妙な旅はひとまずの膜。
 アンデッドガール・マーダーファルス、無事完結であります。
 とても面白かったです。

 怪物を駆り立てて成立した近代、首だけの探偵と嘲笑う半鬼を主役に進んでいく物語がポップでシニカルで、おどろおどろしくも美麗でした。
 背景世界が孕んでるろくでもなさから逃げることなく、むしろそのど真ん中に奇人探偵を投げ込んで、それぞれの捻じくれた生き様、社会が抱えている歪みと暴力性、そこにかすかに滲む輝きを、それぞれしっかり書けていたのが良かったです。
 その卓越した知性故に社会からはみ出したアウトサイダーになるしかない”探偵”を、推理担当と暴力担当にうまく二分割し、それぞれの魅力を大きく引き出しながら事件と取っ組み合いしていたの、凄く面白かった。
 世紀末の淀んだ空気を、ゴシック小説の聖典から無節操に引用しまくることで撹拌し、独自の勢いを宿していたのも力強い。

 そんな魅力的な乱痴気騒ぎを、アニメにするために色々工夫をして、楽しく見せてくれたのも良かったです。
 画面が止まりがちな推理物語を、”動く絵”に落とし込むべく仕掛けられた、アヴァンギャルドな演出はどれも刺激的だったし、効果的でもありました。
 長いダイアログに飽きることなく、画面に何を映すのか考え続けてくれた結果、作品の魅力である舌鋒の冴えを、より鮮明に味わうことができた感じ。
 超人バトルモノとしての見せ場も随所に用意してくれて、そういう側面から楽しむことも出来ました。
 主役サイドの暴力担当である津軽が、”殺し”に対して徹頭徹尾軽いところが好きだなー。

 奇妙にねじれた探偵たちの推理旅、たっぷりと楽しませてもらいました。
 面白かったです、ありがとう!!