イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

夜のクラゲは泳げない:第5話『コメント欄 』感想

 きっと何者でもない私たちが、いつかいっしょに輝くために。
 本気でやるのかやらんのか、界隈震撼の”黙示”を叩きつける衝撃の夜クラ第5話である。

 望んだのとは違う方向とはいえしっかりバズり、世間に見つけられたJELEEが健全に浮かれる中で、承認欲求とそれ故の苦しみの間で作り笑い一つ、歯を食いしばりながら量産型自分と取っ組み合いするまひるのあり方が、色濃く描かれることとなった。
 最後の最後でぶっこまれた”爆弾”がどうなっていくのか、その衝撃があんまりに大きかったため脳髄白紙になりかけているが、ここまで小気味よく少女たちが出会い運命が好転していく様子を書いてきた、陽性の物語が配信業の影にしっかり踏み込む、第二章開始となった。
 ここまで来ちまえば視聴者の首根っこはがっぷり掴んでいるわけで、少々人間の暗い部分に踏み込んでも逃げられる恐れはなく、ぷわぷわ可愛いクラゲちゃんの生々しくドス黒い部分を描いた上で、それでも涙噛みちぎりながら必死にシコシコアートに勤しむ、青年表現者の意地と輝きが眩しかった。

 数字が欲しい、認められたい、神絵師全員死ね。
 弱小ながら、ネットに感想を流して数字を吸い込んでいる自分にもヒリヒリ身につまされる毒が、バズったからこそまひるの全身から溢れ出していて、しかしそれを超えて皆で進んでいくための助けと奮闘を、しっかり見届けることが出来た。
 このお話がどんな物語であるか、鮮烈に己を語った第1話へと原点回帰しつつ、もはや運命と出会い動き出してしまったからこそゼロ地点に安住はしていられない、揺れつつ流れされる青春の現在地を、ちゃんと刻んでくれたと思う。
 真っ白な量産型であった時も、何者かになれそうな予感に焦がされている時も、それを超えて進みだした後も、心を縛り付ける鎖、黒く染める闇が乗り越え難く確かにあって、それでも仲間と一緒なら、大好きと言ってくれる人がいるなら、なりたい自分へと近づいていける。
 生々しい陰りへ切り込んだことで、作品が己を見据える視線も新たな立体感を得て、此処から先の新章がとても楽しみになるエピソードでした。
 最後に叩きつけられたモノに関しては、別項を設け詳述させていただきます。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第5話より引用

 というわけで、特に前半に数字の多い回である。
 お目々三角にしてる花音ちゃん可愛いねぇ……。
 量産型であることを鎧にまとい、柔らかな自我を保護してきたましろにとって、他人に認められる何かであることは、圧倒的に特別な意味を持つ。
 電子の海に自我を漂わせることが、青春放浪のスタンダードとなった今、JELEEの活動は自動的にその評価を可視化され、他の数字と比べられ、怪物的な速度と強度で相対化されていく。
 『他人が何であろうと関係がない、揺るがない無敵の私』とは全く縁遠い、承認欲求と創作意欲と妬みの入り混じった、SNS原液の中をフラフラ彷徨う自意識のメタファーとして、このお話が”クラゲ”を選んでいるのは全く正しい詩学であろう。
 形も手応えもない、だからこそ恐ろしい”数”で前半を溢れさせることで、具体的に会って言葉を伝え、抱きしめキスもしてくれる山ノ内花音個人の実在性が、まひるをJELEEに繋ぎ止める確かな手応えが、より確かになる回でもある。

 百の称賛/勝算があっても、一つの毒で何もかも塗り替えられてしまうのがSNSの恐ろしさであり、コメント欄に埋め込まれた爆弾を無視できないまま、まひるはドス黒い影に呪われていく。
 何者でもない……だからこそ何者かになるべく作品をネットに投げつけ勝負してる自分より、遥かに数字を持っていて”強い”誰かと、全自動で横並びにされ比べられる、デジタル化された自意識のジャングル。
 本来形もなく比べるべきでもない何かに、数字を付与して可視化し、焦燥を煽る海(プラットフォーム)にふわふわ、踊らされる姿は哀れというよりは生々しく、とてもつらそうで……他人事ではなかった。
 今の時代、ほぼ無自覚に皆が抱いている電子の狂気を改めて突きつけられ、グロテスクな異化作用で眼の前の光る板見つめ直す回であり、どっか遠くの夢物語が、ひどく身近な現実の反射板という顔も新たに備えてくる、”成る”面白さのある回である。
 いや最後の最後で、もう一個”成る”んだけどさ……マージでさー……。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第5話より引用

 新章開幕となる今回(特にAパート)は、物語全体の開始を告げた第1話をなぞり、だからこそ鮮明に変化したポイントを可視化するエピソードとなっている。
 ヘラヘラ笑って上手く付き合っていた、自分を特別にはしてくれない学校の友達をぼんやりあしらいつつ、今のまひるはJELEEにに夢中だ。
 机の下で確認する、私達と私を承認してくれるパラメーターの増加に目を奪われながら、特別な誰かになった自分に浮かれ、フワフワ夢を見るクラゲ。
 それは花音に見出され、仲間と出会い、JELEEになって自分たちの芸術を世に問い、まったく望んでない角度から数字を稼いだからこそ、生まれたまひるの現在地である。
 始まる前は動き出しただけで満足だったのに、実際に己の血肉を電子の海に漂流させててみたら、その行先がありえないほどに気になる。
 そういう中毒性をSNSは設計段階から埋め込まれていて、次第に特別であることに飽きてしまったり、あるいはより強烈な承認の快楽を求めてのめり込んでいくことになる。

 そんなジャンキー代表として、己をつくづく普通だと蔑みつつ、だからこそ特別になる夢を見続けているまひるは、自分のアート領域がより”強い”存在に踏み荒らされる痛みに、友達には暴けない憎悪と嫉妬の泥に、魂を置く。
 絵を描かない花音やめいちゃんには解らない……だから手すりの向こう側ノンキに喜んでいられる、JELEE最初のファンアート。
 JELEEが楽しい創作集団でいるためには、素直に喜ばなきゃいけない幸せな毒薬が目の前に置かれて、まひる一人が立ちすくむ。
 それが突きつけられる現場が、天井も壁もないオープンエアな環境で、公平で正しい外界へと強制的に開かれていながら、フェンスと椅子によって境界を区切られた狭苦しい領域でもあるのが、なかなかに面白い。
 めいちゃんと花音はフェンスの向こう側に拡がる、妬みも憎しみもない自由闊達な空間へと心を伸ばせるが、そこにどうしても踏み込めないまひるは広いはずなのに狭い場所に縛り付けられ、自由に泳ぎ出せはしない。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第5話より引用

 この孤独と不自由を、愛したヨルが『花音がリーダー!』と言ってくれたからこそJELEEのリーダーを自認する少女は、良く見てすぐさま踏み込む。
 ここで鈍感に受け流して傷が膿むまでほったらかしにしたり、見えてるのに踏み込めなくて最悪になるまで放置したりと、ありきたりなストレス抱え込むよりズバンと踏み出して、なお突破しきれない影と踊る所が、なかなか新しい足さばきである。
 第1話ラストでとても印象的だったむぎゅー顔を再演したり、花音があの時から持ってた……だからこそ”海月ヨル”再生の物語が動き出した、物怖じしない強さと見落とさない優しさをもう一度描いたり。
 ここまで積み上げたキャラクターとドラマに嘘なく、花音は闇の中一人うずくまろうとしていたまひるの影に強く踏み込み、光に近い方へと引き寄せていく。
 この構図は、第1話ドンキでコスプレ衣装買うのを見上げていた時から変わらぬ、二人の距離感である。

 しかし確かに間合いは詰まっていて、だらしないパジャマ姿をまひるは無防備に友達に晒すし、花音はポイポイ服を脱ぎ捨てて友達の制服を着込む。
 肌に触れ、己の輪郭を縁取るものを盗まれても、気にしないどころか親愛のサインになってしまうような関係を、二人は既に作り上げているのだ。
 これは第1話、出会ったばかりの時にはなかったものであり、花音が見つけ直してくれた”海月ヨル”の名の愛を、抱えて創作活動に挑み直したからこそ作り上げられた絆だろう。

 

 だからって……やりすぎだろ! お腹ボフンはッ!!
 そう思わなくもないが、まーそういうフィジカルな近さ、思いの熱量をダイレクトに伝えることでしか、解ってもらえない愛が確かにあって、それを包み隠さずぶつける人格が山ノ内花音にはあり、望ましく受け取る気持ちが光月まひるにはあるというのが、JELEEな二人の真実である。
 本音を吐き出し愛を伝え、花音は皆を輝かせる眩しい笑顔を浮かべるが、第1話では運命を動かす決定打になったそれはまひるの地獄を照らしきらず、ドス黒い感情を妄想の中に抱え込んだまま、少女はもう一度影の中に自分を置く。

 かつてあった救いの強さでは、欲張りになってしまった自分は満たされない。
 積み上げた絆でも受け止めきれないむき出しの自分を、曝け出して嫌われるのは怖い。
 量産型に漂うことで、自分自身から遠ざけていた人間の一番ヤバい部分が、SNS上での創作活動によって掘り出され、溢れ出していく。
 自称・なんでもなくてつまんない女の子はその実、JELEEで一番強い毒を秘めたクラゲなのだ。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第5話より引用

 この毒は吐き出されないまままひるの内側に滞留し、あっという間に配信に順応する天性の陽キャが上手く乗りこなせる波に、JELEEの絵師を乗らせない。
 まひる以外は結構上手く、素直で無邪気に乗りこなせているバズの波こそが、空疎な承認に揉まれればこそ微かな棘に身を引き裂かされ、賢く楽しくバランス良くなんて生きていられ無い、ナイーブな少女の孤独を深めていく。
 愛されたい、認められたいと願う貪欲な怪物に、最初から何も与えられないと諦めて飼いならしていた時代が終わり、望んでいたものはそこに在るのに全然足らない、終わりのない飢餓に苛まれる季節が……そんな醜い怪物である自分を大好きな人に見せたくない苦しみが、まひるを襲っている。
 この顔の見えなさ(見せなさ)は、フラフラヘラヘラ量産型やってた時には殺せていた”ヨル”の本性が、アーティスト活動再開して墓場から蘇ってきた形でもあり、良いことばっかりじゃない創作活動の複雑さを、まひるに仮託してスケッチしている感じがある。

 そんな重たく強い欲望の描線は、今までの爽やか青春絵巻とはかなり違ったテイストを持ち、無防備に愛を振りまき光を放つ彼女の悪魔に思わず、本音が漏れる場面のトーンは極めてリアリスティック……ともすればグロテスクだ。
 戯画化された萌えッ面ではなく、唇に湿り気、吐息に体温を感じる生々しい異物感をここでねじ込むことで、まひるが抱え、抱えきれず友達に吐き出してしまった本音がどれだけの危険物であり、嘘がないかが可視化されていく。
 不可逆なバズの境界線を超え、JELEEのあり方が決定的に変化していく第二章の始まりに、この異物性をヴィジュアル的説得力伴って投げつけてくるの、メチャクチャ良い気持ち悪さで良かった。
 開始っちまう……何かが……(黙示に怯えるアニオタ)

 

 友愛を確かめる儀式のように、私的領域を許し光と闇の間で揺蕩い、服を交換し身体の感触を確かめた、自室での触れ合いでは花音からまひるへと近づいていた。
 しかしどうしても作り笑いの肯定しか作れず、そんな嘘が軋んで自分を苦しめていた初配信を経て、まひるはずっと覆い隠していた毒を花音に溢れさせてしまう。
 それは誰にも見せられなかった生々しい傷跡を、そこから溢れる精神の膿を、花音なら受け止め救ってくれると(おそらく無意識に)甘え信じたからこそ、踏み込められた境界線なのだろう。

 そして山ノ内花音は、そんなSOSを絶対に見落とさない女であり、どこまでもドス黒い己への自己嫌悪と、それを見せたら大事な人が去っていくのではないかという恐怖に一人顔を沈めてなく女に、太もものベルトで『私はここにいる』と伝える。
 うずくまるまひるが、眩しい場所に真っ直ぐ立つまひるを見上げる構図は第1話でも頻出しており、幾度でも出会い救われてしまう、そこから新たに進み出す二人のあり方が新たな形で、描かれるシーンであろう。
 ここで車内に戻ってダチと向き合わなければ、光月まひる(と彼女を主役とするこの物語)は結構ヤバいところに突っ込んでいた可能性が高く、こういう土壇場をけして見逃さず、青春満塁ホームランかっ飛ばせる花音の頼もしさに、改めて惚れ直させてもらえる。
 マジこういう、人生の奈落に引きずり込まれそうなありふれた一瞬、手が伸びるか伸びないかってのは一大事だからよ……そこでキッチリ”ライ麦畑のキャッチャー”やれるのが山ノ内花音であり、このお話のムード(あるいはリアリティ/ファンタジー)なのだろう。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第5話より引用

 狭く親密なプライベートな空間では、抱きしめられても繋がれなかった思いは、ドス黒い毒を思わず吐き出し、受け止め戻ってきてもらえたからこそ、色んな人がいる水族館で繋がり直す。
 明かりを抑えた展示を描くことで、水族館が夜/ヨルの領域であることを改めて思い直し、ここでの約束が花音とまひるの永遠になっていく必然性が、ヴィジュアルで補足されていくのは大変いい。
 ずーっと曖昧とした数字の膿を漂い、本音を隠して顔の見えない場所に一人閉じこもっていたまひるが、あまりにも青く美しい眩しさの前で指切りげんまんする場面の、強烈な神秘性。
 それが『渋谷にアクアリウム!』という頑是ない夢が、少女たちの永遠、祝福、あるいは呪いになっていく瞬間を鮮烈に刻みつける。
 あんだけ自分を預けちまった後に、こんなキレイな場所に連れてきちゃったら、そらー人生ぐにゃっと歪みますわ……幸せなこったなッ!(祝福)

 胸に突き刺さって消えない顔のない呪いを、バチンと消した後にモニターに反射する、何者でもない私の顔。
 一番の友だちと世界で一番美しい場所へ至ることで、まひるはそんな残酷な現在地をようやく、しっかり己の眼で見れるようになる。
 ここに至るまで、バズと数字の煙幕が覆い隠していた、絵を描く自分。
 心無い言葉を投げかけられ、それでも描くしかない自分。
 ”あの”山ノ内花音が、JELEEの絵師であり誰より大好きだと言ってくれた自分。
 汚くて醜くて正しくなくて、それでも今ここにいる自分。
 それが、死んだ液晶画面に容赦なく照らし出されて、まひるはようやく光の方へと突っ走りだす。

 

 泣きながらでも描いて、描いて、描く。
 外野の寝言に煩わされ、猛反発を心の奥底から引っ張り出して、自意識に押しつぶされバズの波に押し流されながら、それでもなお描く。
 それはJELEEという集団人格のかけがえない一つとして、小さくかけがいない社会に存在証明を刻み込むための資格を、自分で納得するためだ。
 今のままの自分でも、優しく愛しい人達はまひるを必ず愛してくれるだろう。
 でもそれに流されるままの自分では、まひる自身がまひるを愛せない。
 そんなこんがらがった鎖を引きちぎって、未来へと己を進み出していくためには……一度かき消した己の魂の名前を、もう一度力強く刻み込んで前に進むためには、闇の中の光に己を投げ出して、描いて、描いて、描きまくるしかもうないのだ。

 ぼんやり曖昧な幸せと、だからこそ浅い傷と痛みにまどろんでいられる量産型でいようと己を縛っていた少女は、そんなスタイルが通用しないほど強烈な体験を手渡され、己の奥底に在る怪物を引っ張り出されて、強く当惑した。
 新しくて旧い己の本性と向き合う気概が足らなくて、大好きになれた人だからこそ嫌われるのが怖くて、必死に見せないようにしていたグロテスクであリアルな己の顔は、制御を外れてついに表へ出ていく。
 それでもなお、自分のために戻ってきてくれる人がいること……そういう人に愛されている己であることを確認したことで、まひるは第1話で動き出した物語のその先へと、ただ与えられ受け取る浮遊生物で満足できない自分へと、大きく踏み出していく。
 それは暗い闇と眩しい光が共にある、人生と芸術の真っ只中だ。

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第5話より引用

 顔の見えない連中の毒に、苦しめられながらも必死に己を己として保つために、そうさせてくれる仲間のために、昨日よりもっといい自分であるために、シコシコ描いて描いて描いて生まれた、海月ヨルのアート。
 それを一番最初に受け止めて、まどろみを吹き飛ばすけたたましい鶏鳴のように携帯電話がなる。
 顔があって、一緒に苦しんで、同じモノを作る特別な誰かが、真っ直ぐに届けてくれる最高の特別。

 これを受け取った時、まひるが泣きかけて最後に笑うのが僕は好きだ。
 絵を描くことで、描いたものが認められないことで、あるいは認めてられてしまうことで生まれる苦しみよりも、喜びの方を選んで笑うことに、まひるはしたのだ。
 そうさせてくれる特別な誰かがいたからこそ生まれた、特別なヨルの絵であり、JELEEの絵でもあるもの。
 空を漂うクラゲの中で、優しく微笑む少女の顔。
 それはまひるでありヨルでありJELEEでもある、何者でもないのではなくその全部でもありうる若き芸術家の、眩い肖像画だ。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第5話より引用

 海月ヨル渾身のマスターピースが仕上がって、万事順調アタシら最強!
 すっかり仲良くなったJELEEの年明けが、賑やかで朗らかで楽しそうなのは大変いい。
 今回もメイン二人を太めにピックアップしつつ、色んな人が隣りにいてくれるからこそ面白い、眩く輝く風通しの良い世界が気持ちよく踊ってくれた。
 ここら辺の湿り気のなさ、特別なんだけど執着が少ない関係性はこのアニメ独特の良さであり、爽やかに湿度少なく、少女たちが自分が自分でいられる光の中へと戻りつ進みつ、泳ぎだしていく。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第5話より引用

 ……って思ってたんですよラスト二分前まではッ!
 どーーーーいうことだよJELEEちゃん、開始っちまってるじゃねぇかよ雪の中の黙示録がッ!!!
 果たしてこの口づけが少女と少女の触れ合いを好むサブカル動物への餌供給なのか、ガッツリ腰を落とし女性同性愛の萌芽と開花を描くつもりなのか、全く読めないからこそ界隈激震!
 狙いどおりの強い引きで、もう最後まで見届けるしかない所まで持っていかれてしまった……。
 四話までの第一章は、性愛含めた特別な執着の匂い薄く物わかり良く、清く正しい透明感でもって進めてきたし、その善さを咲くひん独自の武器と受け取っても来たわけで、ここでKissが飛び出すのは不意打ちである。
 気持ちいい不意打ち足りうるかは、こっからこのお話が『女が女を好きになること』にどんだけの強さで向き合うのか、その”本気”を見届けなければなんとも言えないことなので、判断保留とさせていただきます。

 好きにも色々あるわけですが、『勢いでこういう事しちゃダメ!』と笑いで誤魔化し関係を維持したまひるの”受け(バンプ)”と、一瞬戸惑いつつも雪の中告げられた感謝と愛に燃え上がる心を止められず、口づけの距離まで一気に踏み込んだ花音の視線の細やかさを見るだに……いや、まだ預けるな体重をッ!
 何度も何度も、『やるんだなっ本気でッ!』と勝手に入れ込み期待して、幾度もキツい足払いをかけられてきたじゃあないか……。
 しかしだからこそ、思わず友達と想い人の境界線を越えて決定的な爆心地へと、踏み出さざるを得なかった山ノ内花音の柔らかな心の揺れをしっかり描いてくれたこのアニメが、自分の名前を取り戻してくれた特別な恩人が、特別な恋人へと成っていく歩みをここから描いてくれるのではないかという期待を、どうしても抱いてしまう。

 マージでオタク大喝采の軽妙なパフォーマンスだったら……少女が己のアイデンティ日を選び取りそれに口づけする勇気と決意を、人生の一大事として扱う本気がこのキスになかったら、”怨み”抱いてしまうかもしれない。
 そんぐらいデカい爆弾が投げつけられたわけだが、相当に目がいい作りをしてるアニメなので、自分たちがぶっ込んだ描写がどんだけのもんか、理解と覚悟してやってきたのだと、僕は思う。
 思いたい。
 思わせて欲しいんだよ本当にッ!!!!!!

 

 どっちにしろ雪色のルビコンは渡ってしまったし、前二作を超える気合と仕上がりで投げつけられた”渋谷アクアリウム”はバズの火種をさらに燃やし、JELEEを世界に見つけさせていく。
 それは不可逆の歩みであり、流れは止まらず加速していくしかないのだ。
 この展開、この終わりからの”渋谷アクアリウム”はあんまりにも特定個人へのラブソングであり、しかしたった一人への歌が世界全部を震わせる力を持ちうると”劇場版アイカツ!”でも言っていたし、『そういうヨルが私は好きだ』だし……くあぁああああ! 頭がどうにかなっちまうよぉお!!

 ”成”っちまいました。
 もう”夜のクラゲは泳げない”第5話を見ていない世界へ、JELEEも僕らも戻ることは出来ません。
 激流へと加熱していく感情と反響を泳ぎきって、燃え盛る愛しさとドス黒い感情すらも作品に塗り込めて、光が溢れる場所へと猛烈に、流れていくしかないのです。
 次回も楽しみです。