イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

オーバーテイク!:第1話『走る男 I don't need to be cheered on』感想

 仮面(ヘルメット)の奥から流れた熱い涙が、俺たちのアクセル。
 TROYCA10周年記念作としてあおきえい監督が選んだのは、自動車レースの登竜門。
 その輝きに魅せられた男たちの群像劇、堂々の開幕と相成った。
 あおき監督らしいナイーブさと実在感、落ち着きと熱量が同居していて、大変良かったです。

 

 初めて出会う物語に分け入っていくためには、見ている側の主観や感情を乗せて前に進んでくれるキャラクターが必要になる。
 F4という馴染みのない題材、その情景と魅力を切り出してこちらに届ける役割として眞賀孝哉は大変優れた”眼”だった。
 海にまつわる何かが原因で、シャッターを押せなくなったカメラマンである彼は取材対象もよく知らない(知ろうとする情熱がない)オッサンとして、F4の現場へと入り込む。
 ミシュランTOYOTA……実在企業の広告がバリバリ自己主張を繰り広げ、活気に満ちたサーキットを生き生きと切り取る視線は、コンテも担当したあおき監督が作品を見据える”眼”の確かさを証明すると同時に、主人公たる孝哉が取材対象の魅力を発掘可能な、優秀なフォトグラファーとしての”眼”を持っていること……そしてそれを活用できていないことを示す。

 冒頭、屈折した感情を乗せて描かれる構図には繊細で鮮明な情感が宿っているのに、日々の仕事として引き受けたF4の現場はすごく現実的でありきたりな、気持ちがあまり入っていない(でもその奥にあるワクワクを、ちゃんと引き出す)絵面が続いていく。
 このどこか抑圧したリアリズムは、『応援はいらない』とクールに振る舞い、走る機械のように思えた青年が不運な敗北のあとに流した涙で、一気に爆発することになる。
 悠の涙を見てしまったこと、それをカメラに切り取れてしまったことで、現実の荒波にもまれ錆びついていた孝哉の感性と情熱に火が入り、物語が動き出す。
 そうさせる魅力が浅雛悠という人間、彼が魂を賭けて走るF4という舞台にはあり、つまらない仕事でしかなかったはずのソレに孝哉は魅了されていく。
 その足取りはそのまま、F4を描くこのアニメに僕らが分け入っていく導線となって、スムーズにスマートに、出会いの予感と燃え盛る熱量を宿して、僕らを導いて行ってもくれる。
 作品と出会うことになる第一話、どのように扱うジャンルの魅力、そこで息づくキャラクターの人生を叩きつけてくるかは、とても大事だ。
 おじさん写真家の鬱屈した視線が、サーキットに宿る熱と若人の涙に曇りを取り払われ、新たに見開かれていく過程を丁寧に追いかけることで、このアニメは僕にしっかりと挨拶をしてくれたように感じた。

 この手応えは徹底した取材力に裏打ちされていて、数多の広告に許可を取った制作体制の確かさ、現場の猥雑な活気を伝えてくる描写力が、疾走するエモーションを支えている。
 何も知らない孝哉と同じくアイレベルで、何も知らない僕らが作品の舞台に入っていけるよう、圧倒される情報量と実在感を叩きつけつつ、不要な混乱が生まれないよう制御された筋立ても、良いガイダンスになってくれた。
 競技であり産業でもあるF4のディティール、それに関わる人達それぞれの姿勢をうまく盛り込み、『あー、だいたいこういう感じか……』という見取り図を自然と掴める、程よい描写のスケール。
 描きすぎず語りすぎず、食い足りもしないいいバランスで、『F4ってどういう空気で、何が面白いのか』をまず語りかけてくれる。
 それはお話の核であり、物語が始まるときに真っ先に描くべきものだ。

 やはり作品の主題を代表するものとして、孝哉が魅了される悠の魅せ方が良い。
 頑張り方がわからなくなってしまったおじさんが、処世術のように投げかけた応援をはねのける、10代の魂に宿った鋭いエッジ。
 パリパリに尖ったそのあり方が、若きレーサーの全部なのかと思い込んだところで、思わぬアクシデントがレースの厳しさを教え、それをクールに飲み込んでいるはずの少年は熱い涙を流す。
 走る理由もその苦労も、まだまださっぱり分からないけども、あれほど澄んだ雫が心からあふれる程には、おんぼろプライベーター唯一のドライバーも、F4という競技もアツいのだろう。
 そう視聴者に思わせるのには十分なギャップが、悠を追いかける孝哉の視線にしっかり活きていて、つかみはバッチリって感じだった。
 志村貴子キャラデザの、清潔感と柔らかさを両立させた魅力がそんな語り口にガッチリ噛み合っていて、ボーイズみんな可愛かったのありがたいよなぁ……タレ目もツリ目も食べ放題だ!

 

 主役チームとなる”小牧モータース”の泥臭い魅力だけでなく、ライバルとなるだろう”ベルソリーゾ”もヤダみなく、素直に飲める感じだったのも良い。
 作中語られているように、勝敗への向き合い方もビジネスとしての姿勢も各チーム、各ドライバー大きく異なるF4において、華やかに常勝を続ける赤いトップチームと、たった一勝に賭ける弱小プライベーターは、両極端な存在だ。
 札束燃料にして走るしかないモータースポーツ、そのシビアな現実に身を浸している感じはしっかり描かれつつ、それに毒されて夢やロマンがかき消えたわけでも、俗気に魅力がかき消されているわけでもない、”ベルソリーゾ”の立ち位置は大変いい。
 なにしろその名前からしてBel Sorriso……笑顔だからなぁ。
 目ん玉三角にして勝ちだけを追いかける我利我利亡者ではなく、勝って存分に笑い栄光の道をひた走るために、そのチームはあるのだ。

 どん底チームの逆転劇を際立たせるべく、ともすれば嫌味な過ちとして描かれがちなポジションだと思うけど、初心者である孝哉(と、彼の視点を借りて作品に入っていく僕ら)に親切にしてくれたし、彼らなりの矜持と意思を持って走っている感じはしっかり伝わった。
 色んな事情や思惑を抱えつつ、敬意と本気を込めて競い合う場所としてお話のメインステージはあって欲しいし、主役とライバルチームの描き方はそういう期待に、ちゃんと答えてくれる手応えがあった。

 サーキットを埋め尽くす広告の物量は、モータースポーツが何を燃料に駆動しているかをよく教えてくれた。
 世知辛い現実に飲み込まれている孝哉の、『夢を忘れた(からこそ、それを悠とF4で取り戻せる)大人』という立場を考えると、この生っぽさは大変いい。
 世の中を何が動かしているかを分かっていて、でもそれだけが全部だとは思いたくなくて、しかし夢のエンジンに情熱を注いで自分が進み出すには、車体が錆びついてしまっている。
 そういう存在がもう一度動き出す場所として、金と夢、ワークスチームとプライベーター、勝者と敗者が入り乱れるF4の魅力的なカオスは、よい揺りかごになるだろう。
 それぞれの立場、それぞれの思いが相反しながらぶつかり合って、大事な何かがむき出しになる特別な場所。
 そこに必要な多様性と面白さを、サーキットは備えているのだと第一話で語れているのも、すごく良かったと思う。

 作品を牽引する『それでも』を告げるためには、魅力的な矛盾が必要だ。
 それはクールな鉄面皮から流れ落ちる涙であり、それに突き動かされ再動していくおじさんの想いであったり、勝てないけど勝とうとする小牧モータースのあり方だったりする。
 走る障害物と蔑まれ、資金が潤沢なら避けれたかもしれないバーストで負け、それでもなお、たしかに悠の走りには引き込まれる何かがある。
 徳丸くんの視線を借りて『金が全て、勝ちが全て』と、シビアなF4の一般則をしっかり見せた上で、主役たちを突き動かすロマンを際立たせていくのもまた、魅力的な矛盾だった。
 『金が無いと勝てない』という厳しい真理をちゃんと描けているから、孝哉が”スポンサー”として小牧モータースに食い込んでいく展開にも納得があるし、『色々厳しそうだけど大丈夫?』と先を覗き込みたくなる牽引力も、しっかり生まれる。
 お話の続きを見たくなるこういう力を、過剰な説明を省き力の入った作画と音響で描写すること、そのポテンシャルを最大限に活かす演出とレイアウトを活かすことで、とてもスムーズに生み出していた。
 やっぱあおき監督の、絵に喋らせる力は当代随一であり、荒々しいスピード感で展開するレースの中、どこか落ち着いたメッセージ性がこちらに迫っても来た。
 そういうの食べたくてこのアニメ見たから、大変良かったです。

 

 徳丸くんや小牧のおじさんを解説役に、うまーくお話の舞台がどんな感じか伝えてくるダイアログの組み立ても良かったし、レースシーンは迫力満点、大変に引き込まれた。
 生々しいエンジン音を作中に轟かせる音響の良さが、登場人物の心中を語る時にも生きていて、セリフの聞こえ方が相当いい感じだったのも、このお話の武器だと思う。
 自分たちが何を描き、その舞台にどんな風が吹き、そこでどんな連中が生きているのか。
 クレバーに熱量高く、しっかりと教えてくれる第一話でした。

 大変良かったです。
 こうしてF4と浅雛悠に出会ってしまった主人公が、どんなふうに深みにハマり共に戦っていくのか。
 『応援なんかいらない』とうそぶいた青年は、硬い鎧の奥に何を隠しているのか。
 『このツンケンした態度の奥に、極上の青春エキスがあるんやぞ!』とバッチリ教える場面が、しっかり第一話にあるのは良かったなぁ、やっぱ。
 次回も大変楽しみです!!