イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ミギとダリ:第2話『ウェルカムパーティー 』感想

 歪なる二重影が対峙する、甘やかな日常と燃え盛る復讐!
 謎めいた双子が偽装生活を送る目的が判明する、ミギダリアニメ第2話である。
 真顔でボケっぱな作風に混ざったサスペンステイストが、ガチで死人出ているシリアスなものだと最後に明かされたことで、作品全体のバランスがまた変わってきた感じがある。
 幼き日に殺された実母への愛ゆえに、復讐に身を投じる双子の重たさも、そんな真実を知らぬままアメリカン神戸風味でトンチキ日常を送る養親との楽しい日々も、両方がこのお話の真実だ。
 主人公たちが真顔でボケ続けるど天然っぷり、超露骨な養親の溺愛を跳ね除ける不信も、ただただ理由なくバカなわけではなく、過酷なテント生活に追いやられ母を奪われた過去に通じる、思いの外シリアスなものだ。
 死と復讐という、固く重たく冷たい鎖に縛られてはいるものの、ミギダリちゃんが世間知らずの天然おバカちゃんであり、失われた家族の愛情を闇の中求めている子どもであることも、背景が見えると解ってくる。
 事情を知らぬ間はガハハと笑えたものが、全然笑えねぇ悲劇から生じていて、でも事情を知ってなお真顔でボケられ続ける火力型過ぎて不謹慎にも笑ってしまった後、もしかしたらこの笑いこそが世界の真実かも……と思わされる。
 サスペンスとコメディが奇妙で独特な距離感の元同居する、作品特有の魅力がいい具合に駆動しだす回だった。

 

 つーわけで過酷な過去を背負ったミギダリちゃんが、引き取られた家を探検し犬と仲良くなり、秘密のホームパーティーで村の人と顔合わせして、自分たちがここにいる意味を再確認する回だった。
 親の愛もウィッグの存在も知らないクソバカが、硬い表情保って復讐者ツラしているのは一見お笑いであるが、お母さんの死体と幼い心に燃える黒い炎は本物中の本物であり、『やってる本人は真面目』というギャグの要諦が、180度裏返って視聴者を刺してくる構図といえる。
 ミギダリちゃんの世間知らずはテントぐらしの過酷な日々の中、母の愛だけを縁に生きてきたのにそれを奪われ、村を追い出されEDにあるようなサバイバルを経て孤児院に流れ着いた結果であり、のんきに生きててアホになったわけではない。
 本質的には愛に飢えたただのガキであって、そんな二人に今必要なものはちょっとの欠点と山盛りの博愛を抱えた養親たちが、無邪気なまんま全力で叩きつけてくれている。
 復讐に囚われた二人は慈雨の如きその恵みを素直には受け取れず、なんとか跳ね除けて実母の復讐……愛の報いを完遂しようとしているが、おバカな村のアメリカンなノリは徹底的にノンキであり、人間が本来得るべき≒二人がずっと心の底で求めていた幸せは目の前にある。
 それに溺れて、復讐を忘れ幸福に暮らしていくのか。
 それとも秘密と殺意を仮面の下に隠したまま、果たされなかった正義を母の墓前に捧げるのか。
 双子の真実が見えたことで、『日常と復讐の綱引き』という軸が作品に生まれてきた。

 復讐の意思を甘い日常に溶かされないよう踏ん張る双子の戦いは、幸福な仮面の奥で黒い炎に焼かれている息子たちに、どうにか愛を届ける親の戦いでもある。
 母を殺した村の暗い秘密も、それに囚われた息子たちの嘘も知らないまま、ノンキに優しい養親たちは、しかし愚鈍ではない。
 きしむ体に鞭打って、はたから見ればちょっとおバカでも嘘偽りなく、己の子どもとした少年たちを全霊で愛し、抱きとめている。
 そのちっぽけな善行が息子たちに届き、復讐を諦めるにしろ完遂するにしろ、たった二人世界に孤独にではなく、愛し愛され繋がって生きているのだという実感を、可哀想なガキどもに教えられるのか。
 年老いた新米パパママのオモシロ愉快コメディの奥には、そういう結構シリアスな戦いが潜んでいる。
 いやマージでパパママは魂がキレイな人たちなので、その想いがミギダリちゃんに届いて欲しいよ……。

 双子の”顔”として、村の平和な日常に身をおいているミギはその暖かさにすでに絆されている感じがあり、影に潜むダリがあくまで冷静に、復讐という真の目的を半身に思い出させる。
 二人で一つ、過酷な世界に漆黒の正義を為す覚悟を固めていても、双子は別の体を持った別の存在であり、そんな二人がお互いを思いやってこれまで生き延びてきたこと、これからも兄弟として生き続けることには、大きな意味がある。
 コメディのぬくもりに惹かれているミギと、サスペンスの重力に捕われているダリが別々の人間であることは、二人で一人にならなければ生き残れなかった過去を振り切り、お互いを尊重できる魂を持って独立した個人として、二人が進み出す物語の起点だ。
 そもそも双子が幼さに似合わぬ復讐を決意したのも、母への愛ゆえであり、その心は暗く冷たい仮面に覆い隠されているように見えて、暖かなものを常に求めている。
 それをトボけた味わいで差し出してくれる養親の優しさに身を預けてしまえば、乾きは癒やされ安らぎが得られるだろう。
 しかしそうして新たな日常に溺れてしまったら、不当に殺された母の魂に誰が報い、平和を装って殺戮を隠している村の嘘を暴くのか。
 世間知らずのおバカちゃんとして、トンデモおボケしとるミギダリちゃんは、安らかな夢と過酷な真実の間でも、不確かに揺れている存在だ。

 

 ミギダリちゃんの復讐は彼ら個人の秘密であると同時に、平穏に思える村が抱えた病巣でもある。
 神戸オレゴン村……『何が特別区じゃい!』という画面外からのツッコミを無視して、ホームパーティーとサプライズプレゼントとボーイスカウトに満ちた、愉快で穏やかな日常の根城。
 そこには双子の母を殺すだけの歪みが隠されていて、これを暴き立て是正しなければ、村に漂う幸せ(≒双子が身を預けたいと願い跳ね除けている、養親との日々)は嘘っぱちになってしまう。
 双子は極めて個人的な動機で村の謎を追っているが、結果としてそれは暴かれるべき邪悪な秘密を追いかけ、社会正義を成し遂げて秩序を回復するという、公的に開かれた戦いへの道でもある。
 村が何を隠していて、どこに歪みがあるかは今後、ミギダリちゃんの世界が広がっていく中で……今回ホームパーティーに顔見世していたオモシロ愉快人間と触れ合う中で、掘り下げられていくだろう。
 そこで紡がれる真顔のトンチキは、人殺しの事実を覆い隠して成り立つ大嘘であると同時に、無垢で善良な人たちが紡ぎ出す日常の真実、そのものでもある。
 ここまで二話、家の中に限定して描かれた平和と不穏、幸せと復讐、日常と嘘の構造が、家を出て村へと視線を広げる中でも維持されていくのか、なかなか楽しみにもなる。

 自分たちがな~んも世間を知らないベビちゃんだと、ホームパーティで思い知らされたミギダリちゃん達は、家の外に出て色んな人を知り、コソコソ隠れながら村の秘密を探っていくことになる。
 それは母の復讐を成し遂げ社会の嘘を暴くシリアスな戦いであり、抱腹絶倒の真顔ボケコメディであり、幸せに飢えた子どもたちが素直に笑えるような関係を築き上げていく、成長の物語でもある。
 複数ジャンルにまたがり展開する作品の強みが、主役二人が置かれた複雑な矛盾としっかりシンクロして、それぞれの面白さを活かしながら連動していく。
 そういうお話の基本的構造が、双子の動機が見えてくることで鮮明になっても来るエピソードでした。

 

 サスペンスの重たい手応えも、コメディの愉快な笑いも、全部ウソではなくて、でもそれ一色で世界を塗りつぶせるほど真実ではない。
 では何も知らない双子が、愛と殺意に突き動かされながら世界と他人を知っていく中で見えてくる真実は、どんな手応えなのか。
 そうして学び取ったものが、めちゃくちゃバカで善良なくせに必死に賢い復讐者の顔をしているガキどもを、どう癒やし変えていくのか。
 さんざん笑わされつつ、そういう物語のスタンダードな面白さをしっかり芯に据えて、お話は進んでいきます。

 ほーんとミギダリちゃんは、自分たちがキレたアベンジャーだと思いこんでいるだけのクソバカベビちゃんなんで、パパママの愛に素直に体重を預けて、仮面を外してヘラヘラ笑って生きてて欲しいよ……。
 でもそうするためには、村の秘密を暴き母の復讐を果たして、奪われてしまったものを取り戻さなきゃいけないんだもんなぁ……。
 相当重たいモノを抱えながらもどうしてもボケちゃう物語が、どういうバランス感覚で数多の矛盾を魅力的に描いていくのか。
 次回も大変楽しみです。