イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

葬送のフリーレン:第8話『葬送のフリーレン』感想

 見せかけだけの外交が破綻し、力と知恵を競う実戦が幕を開ける。
 数千年の長きにわたり、魔族を殺す術を磨き上げ使いこなしてきた魔術師……二つ名を”葬送”
 八話目のタイトル回収、このアニメ実はバチバチのバトルアニメだったんです!
 そんな感じの葬送のフリーレンアニメ、第8話である。

 ドラートの勇み足により外交努力が破綻し、猛獣の本性がむき出しになる中で、戦士たちは戦いに身を投じていく。
 勇者が愛し守った世界はこれまで描いたように嘘ではないが、それを食い殺す怪物共が未だはびこるのであれば、そればかりが世界の真実でもない。
 それを胸に刻んで、世界で一番魔族を殺してきたエルフとその弟子たちが、どういう戦い方をするのか。
 闇夜に輝く月光の冷えた閃きが、よく似合う落ち着きでもって血みどろの殺し合いが展開していくの、非常に独特の手応えで面白い。
 力量を探り隠しあう知略戦が勝負の根っこにあるのも合わせて、”葬送のフリーレン”がどういう戦いを描いていくのか、一話ごと明らかになってくのが良いよね。

 

 つーわけで実戦経験が少ない若造を返り討ちにして、”人類で一番魔族を殺した魔術師”フリーレンの実戦が動き出す。
 人間の内面を理解してないとはいえ、外交という実利と感情がせめぎ合う高度なコミュニケーションを演じようとした魔族側の努力は、『殺せる』と思い上がったドラートの勇み足で破綻していく。
 死を恐れ敵を恐れ、味方に少しでも利がある結果をもぎ取ろうとするから人間は交渉事に挑むわけだが、生物としての在り方が根本的に異なる魔族は、行動を引き起こすものを結局理解できない。
 フリーレン一行が訪れなくてもいつかは破綻していた外交路線だが、街の外からのイレギュラーによって謀が形になる前に内破したのは、実力を秘匿し、相手に自分をナメさせる能力がフリーレン、異常に高いからでもある。

 真の目的を悟られず的確な不意打ちでもって相手を打ち倒すのが、師弟共に得意であるのは今回描かれるけども、これはドラートやリーニエが対手の実力把握が出来ていないこと、リュグナーが過去の戦訓を忘れていることのさかしまだ。
 自身を猛獣と任じる魔族は奢り、嘲り、肝心なことを忘れていく。
 食われる側の人間は憎悪も愛も世代を超えて引き継ぎ、あるいは永遠の命の中で何も忘れずに、宿敵を討ち果たす術を積み上げていく。
 人類鏖殺の手段だったゾルトラークを、共通の知識として解析し改良し”一般攻撃魔法”にしてしまった、世代を重ねる群れとしての強み。
 その先頭に立ったフリーレンの強さは、人間の強さそのものだ。

 魔族は尊大で感情を波立たせないが、共感能力に欠け他者への想像力がないので、それをベースに社会を組み上げている人間に混じろうとしても、どっかで破綻する。
 領主が牢獄での殺戮がどのように行われたか……外交路線がいかに破綻したかを的確に読めるのに対し、魔族側はここで殺せば何が終わるか想像せず動き、その破綻を本領発揮の好機と喜ぶ。
 長い寿命と莫大な魔力に恵まれ、生まれついて強者である存在は群れる必要も、それを維持するために色々考え慮る必要もない。
 本能の赴くままに生きれず、己を偽って何かを成し遂げようとする弱者の戦略は、魔族にとっては真似したくても出来ない、手本にしようにも愚かしい、愚者の生存戦略なのだろう。
 そうやって自分たちの敵をナメてるから実力を見誤り、不意打ちを許してぶっ殺されることにもなるのだが、対手への敬意と研究で猛獣が隙なく武装されても人類に勝ち目がなくなるだけなので、そういう宿痾が魔族に残るのは良いことかもしれない。

 

 フリーレンは戦士としても、教師としても目が良く、自信にかける弟子たちにどこまでやれるのか、しっかり見抜いている。
 だから弟子たちでは太刀打ちできない、10キロ先の魔族の親分を直接狩るべく、厄介ごとから逃げたと装って、より危険な戦いに挑む。
 首切り役人共をどんだけぶっ潰しても脅威が消えないのなら、根本から断ち切る。
 それがヒンメルの愛したものを守り切る、一番の近道だと信じるからだ。
 ここから北の果てまでの長い旅路、同行者に成長してもらわなきゃ苦境も乗り越えられないわけで、ある意味手頃な強敵をぶっ倒す経験を積んで、自分の実力がどの程度なのか、正しい目利きをしてもらう……ていう狙いもあるんだろうね。

 ここら辺の期待を背負った若人二人は、主にシュタルクが震え泣き言ほざきながら、フリーレンが託した任務を的確に遂行していく。
 糸が斬れないなら、土台を潰す。
 フリーレンがドラートを処理した対処法が、領主の座った椅子を壊し傷ついた彼を助けるシュタルクと、似通っているのは面白い。
 ここで『斬れない糸を斬ろうとする』以外の攻略法に想像をめぐらし、意外な手立てで困難を突破できるのが人間の強さであり、アイゼンの鍛えもあって、シュタルクはこういう目端が結構効く。
 決着よりも人命を優先する判断も師匠譲りで、継がれるものは確かにあるなぁ……って感じ。

 自身を囮に認識の隙間を作って、フェルンに不意を打たせるチームワーク。
 魔族側も二人いるのに、ここら辺の連携は全く取れていなくて、人と魔の戦い方、強みがどこにあるのかを、上手く浮き彫りにしていく。
 殺しきれないのは若輩の未熟……ってわけでもなく、リュグナーはシュタルクがビビるだけはある実力者だ。
 衛兵を一瞬で薙ぎ払い、領主には受け止められながらも嗜虐を楽しむ余裕があり、シュタルクとフェルンのコンビネーションには不意を打たれる。
 リュグナーの強さを段階踏んで見せる演出が上手くて、ここらへんの序列格付けがハッキリしないとぶっ倒した時の爽快感もないし、土台丁寧に作ってるなぁって感じよね。
 大事なものが欠落……元々存在しないまま強いのもキモいし、良い勝ち方でフェルンたちに”葬送”して欲しいキャラだ。

 

 これまで永生者の落ち着きに確かな可愛げをのぞかせていたフリーレンだが、今回は一歳の遊びなく最短距離で魔族を屠り、”葬送”の由来を明らかにした。
 ドラート戦の描写にためらいのなさ、戦巧者の経験値が良く見えていて、首魁たるアウラに挑むのも無謀とはならない格が、ビシッとキマったタイトル回収に良く映えていた。
 ここまでは小学館でもビッグコミックスピリッツ的な、落ち着いて平和な滋味が良く出てたんだけども、このあたりから異能バトルモノ特有のハッタリというか、”ジーザス”的ケレンがバリッと表に出てきて、週刊少年サンデー連載の意味を思い知らされる感じ。
 この期に及んで言葉による籠絡が通じると思ってるドラートの甘さとか、どうでもいい魔法一つ手に入れるのにフリーレンがしてきた苦労(僕らが見てきた旅)を”天才”で括っちゃうリュグナーの雑さとか、魔族がなぜフリーレンに”葬送”されてきたか理解る描写が多いのも、殺し合い方面に舵を切ったお話を上手く裏打ちする。

 これまでの旅を静かに、しかし暖かく彩ってきた淡々とした味わいは、鏖殺すべき宿敵を前に油断のない殺意へと、色を変えた。
 しかしこの冷たさだけが世界の……フリーレンの真実というわけではなく、ヒンメルの遺志を継ぎ彼が守りたかったもののために戦うからこそ、フリーレンの戦いは狡猾で冷たい。
 戦いを通じて相手を理解する、人間的なコミュニケーションも成長もけして望み得ない相手だと、心底理解しているからこそまるで機械のように、闘争を処理する冷えた手応えは、だからこそ戦い守り打ち勝てたものの温もりを、逆説的に物語る。
 明らかになった”葬送”の真実は、別にここまでの物語を否定せず、むしろ長く冷たい闘争の影を伸ばすことで、穏やかで暖かな日常に深い陰影が乗る妙手だと思った。

 

 敵には殺戮の修羅、味方にはトボケた守護者。
 真逆に見えるフリーレンの顔は、弟子に引き継がれつつ両方彼女の真実として、確かにそこにある。
 そんな事実を、新鮮な切断面を血に濡らしながら確認するような回でした。
 大変良かったです。

 不気味な首なし騎士を従えるアウラに、一人対峙するフリーレン。
 その信頼を背負い、街を脅かす魔族に向き合う彼女の弟子。
 戦いの行方はあくまで静かに、だからこそ真に迫った迫力をもって決着へと迫っていく。
 次回も、とても楽しみです。