イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

星屑テレパス:第7話『大胆リーダーシップ 』感想

 瞬く星を追いかけて、なりたい自分を追いかける旅路は、時に明るく時に暗く、それ自体が瞬く。
 ロケット同好会に集った星星が、星座になるまでの軌跡を追う、星屑テレパス第7話である。

 前回彗という憧れに出会って、同好会のリーダーという立場にふさわしい自分になろうと色々もがく海果。
 その懸命な眩さを間近に浴びて、色々変わりつつある……からこそ不器用に衝突もする瞬と、何よりも大きな星と見上げられつつ海果こそが星なのだと、優しく見つめるユウ。
 群像それぞれの人間関係が彫りを深めてきて、なかなかに見応えがあった。
 人と人が触れ合う時に生まれる微細な波動を、丁寧かつ繊細に追いかけ焼き付ける作風が良く効いて、お互いを思いやる気持ち、それがなかなか届かない難しさがポップな軽やかさに、心地よい重力を生んでいる。
 対人コミュニケーションに課題を抱える主人公を、理解し受け止めてくれる二人だけだと手が回らなかった部分を、海果とはまた違った方向で人との付き合い方が難しい瞬が担当することで、部活モノに必要なリアリティと陰影が出てきた感じもある。
 ユウは宇宙由来の異能でもって海果の全部を理解できるが、一方通行のテレパスじゃあ欲しがっている自信、それを支える成功体験を一足飛びに与えることは出来ない。
 意思疎通に根本的な難しさを抱え、それでも誰かに憧れ好きになって、それを自分なりに伝えようとする人間だからこそ生まれてくる、不安とか焦りとか間違いとか、それらの暗い色を全部飲み込んでなお輝く星とか。
 部活モノとしての芯が立っていくに従って、そこらへんの色合いがより鮮明に見えてきた。

 灰色の孤星だった海果がユウに抱きとめられ、瞬とぶつかりながら前に進んでいくここまでの基本形が、瞬が海果との日々に目を向け、そこで生まれるものを自分に引き寄せて受け取るようになってくると、今まで描けなかったものも明瞭になってくる。
 具体的にはユウにとって海果がどれだけ特別な存在で、ともすれば海果が支えられ頼りにしているよりも重たく暗い感情を、底抜け明るいアーパー宇宙人が隠し持っている可能性が、しっとりと照らされてもいた。
 僕はユウと海果の関係が、『弱い海果という子どもを、強いユウという母親が抱きとめる』ていう一方通行に固定してしまうのをもったいなく思い、あるいは恐れているのだけども。
 同好会長という立場を得、憧れうる誰かに出会って具体的な目標が定まることで、海果の背筋は弱々しくも真っすぐ伸びてきた。
 そうするとユウが見せることがなかった暗さや弱さを表に出しても、話が潰れなくなってくるわけで、ようやっと超越的母性という立ち位置に縛られていたユウ自身が、己の思いや物語を積むげる下地が整ってきたかな、って感じ。

 一方通行で頼りない関係が嫌だという話は、第2話ラストで既にしているわけで、海果という迷い船を導くユウという灯台(あるいは示極星)が、大好きだからこそ必死に隠している影を表に引っ張り出して、荷物半分持ってやるのは願ったり叶ったりでもあろう。
 ロケット大会という具体的な目標が定まり、フワッとした質感に確かな手応えを得てきた物語だが、その核心は始まったときから変わらず、コミュニケーションにあると思う。
 海果というここではない何処かを求めて自分を前に進めた少女がどこにたどり着いたか、明瞭なランドマークとしてもユウとの関係性を逆転させ、おぶわれる側から背負う側へと、公平な繋がり方にたどり着く場面がアニメで見れると、僕は嬉しい。
 そんなずっと憧れてきて遠かった場所にたどり着くために、ふわふわきららな友情がどんな助けをしているか、そこにはどんな眩しさがあるかを、瞬やユウの視点からも掘り下げていく回だった。

 

 

 

 

画像は”星屑テレパス”第7話より引用

 OP省略でみっしり描く今回、監督テロップの置き位置にこのアニメらしいセンスを感じつつ、物語は夏服も眩しく晴れ渡って始まる。
 この眩さはAパート全体を前向きに照らし、海果の中に生まれつつある変化、それが同好会を学校内共同体として成立させていく歩み、そこに身を置くことで瞬の中に生まれる温もりを、ポジティブに描いていく。
 (未だ超越的母性の立ち位置を完全には崩せない、ユウには許せない特権を駆使する形で)ツンデレ瞬が山盛りの内面吐露を盛り込む今回、まず描かれるのは海果の変化である。
 彗とのあこがれが、彼女の内面的小宇宙のなかでかなり大きな存在になっている様子を、イメージの中で光り輝く大きな星としてポップに、適切に描いている演出が好きだ。
 彗というロールモデルを追いかける形で、苦手な社会的活動にも代表として積極的に挑み、仲間がノートに書いてくれた応援を支えに為すべきことをしっかり果たす様子は、出会いによって生まれた内的な変化が、自分の外側にどういう波紋をもたらしていくかを、焦りのない筆致で丁寧に刻む。

 この内的な変化、表出されず他のメンバーが認識できないイメージを、宇宙人であるユウはおでこの接触を通じてダイレクトに感じ取り、フワフワ飛び交う彗妖精を目で追う。
 ここには感情受信に特別な力を持つ、ユウが見ている/見えてしまうものがサラッと書かれていて、かなり好きな表現だった。
 口下手な海果は誰に憧れ、どんな刺激を受けて会長職を頑張っているのか、言葉にして伝えることはしない。
 だから普通の人間である瞬や遥乃に細やかな内的イメージまでは伝わらないが、その頑張りが生み出した変化は、海果が成し遂げたこと、海果らしい行動として周囲に受け止められる。
 個人の内面とその外側の繋がりは、このように独立しながら連動しているのが一般的だが、宇宙人であるユウはそんな地球式を一足飛びに踏み越えて、ユウの駆動原理を(ともすれば当人以上に)解ってしまえる。
 その圧倒的な理解に支えられる形で、学校内の会合という小さな形ながら社会に参画出来る所まで、海果は自分を引っ張ってこれた。
 それは喜ばしい変化であり、これを生み出したユウの異能は善良で有徳だ。
 だからこそ、理解ってあげられるユウを誰が理解るのかという問題は、不鮮明な闇の中で確かに、存在感を増し続けていく。

 

 

 

 

画像は”星屑テレパス”第7話より引用

 そこを削り出すのは現実の暗さを超え、雨上がりの茜色を迎えるBパートの仕事であり、Aパートは瞬が何を気にかけ、何を思っているかに慎重に踏み入っていく。
 宇宙人の異能で何でも理解してしまえるユウも、ほわっと鷹揚に事態を受け入れる人間力をもった遥乃も、海果が抱えた『分かり、分かりってもらおうとする難しさ』を物語開始段階から超えている(ように見える)。
 内にこもる海果の方向性とは逆しまだが、瞬は攻撃的で他罰主義に突っ走ることで、他人を理解すること、自分を理解してもらうこと、それらが混じり合って自分と他人で構成されている宇宙を知ることから、遠い立場にある。
 しかし本当は誰かに自分を解ってもらいたいからこそ、中学時代学校共同体に背中を向けていた瞬の内面は大変チョロく、自己防衛的にくだらね~の意味ね~のほざくキラキラ高校生活に、ゼロ距離スキンシップにズブズブにされていく。

 それは海果が自分から全く縁遠いように思えた、『責任を持って社会と対応する、立派な部長さん』へ、震えながらも楽しんで向き合っているのと同じで、本当は求めていたものが目の前にあればこその反応だ。
 強がり毒づきながらも、ユウの過剰に近い親愛を遠くに押しのけながらも、瞬は”それ”をずっと望んできて、同好会に身を置き仲間と触れ合うことで、魂の乾きを癒している。
 ワイワイにぎやかな日常を経て、ユウのうざったいアプローチを表面上は変わらず拒絶しながら、だんだん身体的許容範囲が近くなっている様子や、意を決して振り返った足(ここの間にカメラを置くレイアウト、マジ冴えてる)がケーキ食ってプリクラ撮る当たり前の充実した青春に向き合い、混ざる様子も、足が喋る形で見事に活写されている。

 くだらねぇと遠ざけつつ、ずっと求めていたスタンダードな女子高生の幸福。
 同好会メンバーはその当たり前だけが自分たちの幸福なのだとは考えず、各々ヘンテコな自分たちの顔をしっかり見据えて、その歪さにハマる個別の幸せを、頑張って手渡そうとする。
 『女の子らしくない、普通じゃない』とかつて拒絶された自分らしさを、ボツリと呟いて顧みられないはずだった魂の形を、プラモデルとして手渡してくれる向き合い方は、寂しがり屋なくせに一人でいたがる瞬に、あんまり良く刺さる。
 そこにはずっと求めて届かなかったものがあって、だからこそもっと幸せになりたいと、前のめりに体重がかかって、在り方が滑っていく。
 きらら色の青空だけが、この物語の色ではないのだ。

 

 

 

画像は”星屑テレパス”第7話より引用

 瞬はロケット競技のリアリティや、人間がコミュニケーションに挑み間違える時の生々しさを作品に呼び入れる、痛みに満ちた窓のような存在だ。
 だから彼女は仲間のために勝ちたいと願い、海果の願いを踏みつけるように設計も組み立ても自分で独占して、勝てるロケットを作ろうとする立場になる。
 そんな彼女がなぜ勇み足はみ出したか、行動の前に動機をちゃんと掘り下げる形で話を進めたのは、なかなかうまい角の取り方だなと思う。
 後から『実はこういう気持ちがあってぇ……』と描写されるより、幸せで前向きな関係構築、そこから生まれた得難い喜びを描いた上で、だからこそ間違えちゃったと描かれたほうが、納得は強い。
 それが間違いであると伝えて解決するまでに、ユウとの眩い触れ合いを通じて脱出口を開けていくのも、場面が暗くなりすぎない上手い運びだなと思う。

 Aパートを照らしていた夏空はBパート冒頭で露骨に曇り、過剰に暗い灰色が世界を占拠しだす。
 それは天候をリアルに反映したものではなく、少女たちの揺れる心理、それを内包する関係性の反射だ。
 なので瞬に高圧的に指付きつけられたときはドン曇りだし、うにょうにょ悩んで答えが出せない時は暗さが続いて、一緒にいる楽しさこそが導きであり応えなのだと理解る場面では、一気に明るくもなる。
 ここら辺の心理主義的演出を単発で終わらせず、ぬいぐるみの象徴性というまた別の抽象にドラマや心理を反射させて、重層的な味が出ているのが今回良かった。
 結構高度にコード化された演出を複数やっているのだが、過剰に力んだ感じがなく、パッと見気楽に食えるライトさを維持したまま、大変可愛く話が進んでいる。
 とても良いなぁと思う。

 

 

 

 

画像は”星屑テレパス”第7話より引用

 嘘か真か、地上の食べ物を必要としないユウ(ここら辺の設定、人間に否応なくまとわりつくノイズを超越した天使性を、ポップに調味してて好きだ。きらら版天女譚なんだなこの話)は銭金を、人間社会の楽しいこと探しに費やす。
 雨宿りに迷い込んだ場所で、気晴らしに散財するだけだったはずのUFOキャッチャーは、海果が観測手となることで見事に今二人に必要なものをつかみ取り、届ける。
 ユウ一人がハンドルを握っていても成功しなかったことが、海果が観測し伝達する……コミュニケーションすることで成功するのは、同好会が遥か彼方の目標とするロケット打ち上げとも重なってて、なかなか良かった。

 海果はユウの手助けでようやく手を伸ばせた、ずっと遠かった星……”みんな”が瞬の専横で壊れつつある現状を、とつとつと語る。
 これを受けて自分がどう感じたか、自分にとって小ノ星海果という存在がどれだけ眩しい星なのか、ユウが言葉で伝えようとしているところが好きだ。
 ユウの言葉を裏打ちするように、海果にとっては常に明るく眩しい、悩みや陰りとは無縁に思える天使は影に入り、暗くて何も出来ないと自虐している海果にこそ光があたる。
 海果には宇宙人、ユウには星が友情の証として手渡され、共に輝くのは、お互いがお互いにとってどれだけ必要であるかを、明内ユウから小ノ星海果がどう見えているのかを、見事に象徴する。
 灰色の宇宙で一人きりではないのだと、海果に教えてくれた愛しい宇宙人もまた、満点の光に住んでいるわけではなく、暗い影に襲われながら孤独だ。
 だからこそ星が必要で、それはどうにも自分に自身が持てない、伏し目がちな欲張りさんの顔をしている。

 

 海果を照らす眩さは、はなかなかモノローグの機会が与えられず、明るい態度の奥で何考えているのか……何に傷つき悩んでいるのか見えにくい、ユウの心理を反射した色彩だ。
 記憶なく異星に一人きり、エトランジェとして迷っているユウが思いの外重たい荷物を背負っている暗示は、既にアニメのそこかしこに刻まれているが、ユウは楽しく過ごしたいという自分の望みのために、大好きになった海果を未来に送り出すために、その暗さを表にはしない。
 そんな彼女と触れ合う海果も、未だ灰色な自分の内面と向き合うのに忙しくて、笑顔の天使がどんだけ(自分を襲っているのと同じ)影にいるのか、見る余裕はない。

 しかし他でもないユウに抱きとめられ分かってもらい、背中を押してもらうことで海果は自分が本当に欲しかったものへ、貪欲に手を伸ばす少女になってきている。
 手を伸ばせば思いの外夢は近くに引き寄せられて、求めるからこそ生まれる摩擦にも潰されない、タフで貪欲な自分とも出会える。
 そういうことを、同好会の活動を通じて学び進んでいく、自己実現の物語。
 これが海果単独に閉じておらず、それに影響されて変化している瞬や、見守り支え導くように思えるユウとも、軌跡を重ねて同時進行している様子が、今回深く削り出された。
 青春を前に、願いと痛みに震えながら瞬く星々が星座になるための器として、同好会の具体的活動に一個ずつ挑む行為は、大きな意味がある。
 このお話がなんでロケット飛ばすのか、納得ある形で描けたのは凄く良かったように思う。
 灰色の悩みや痛みも、それを照らしてくれる楽しさも、茜色の景色で抱き合う温もりも、全部”みんな”だからこそ生まれてくるもので、それを焼き付けるキャンバスとして、”部活”は結構良いもんだな、と思える回だった。

 

 プルプル震え、怯えを勇気と友情で噛み殺しながら頑張っている海果と同じ、複雑な内面を多分、当たり前にユウも持っている。
 それは海果が向き合っている課題とはまた別の難しさに満ちて、しかし確かに同じ内的宇宙だ。
 そこに(ユウがしてくれたように、あるいはかつて自分が為したように)、海果は自分だけのロケットを飛ばせるのか。
 おでこパシーがなくても、友達のことを分かって上げて、抱きしめてあげれる自分になれるのか。
 そこら辺が、今後大事になるのだと告げてくる回でした。

 ユウは天真爛漫なアホっぷりで作品の空気を軽くしつつ、海果が抱え込んだ生きづらさに向き合うときはめっちゃ”正解”差し出してくれる、ありがたい存在だ。
 人間と人間が繋がる時生まれる、眩しい光でお互いを照らし合っていて、自分たちは強さも弱さも対等なんだと、卑屈な主人公が背筋伸ばして思える瞬間が、いつ来るのか。
 ユウの誠実な優しさに物語が報いる瞬間を楽しみに待ちながら、紫色の世界に宇宙人が響かせたSOSを、少し切なく聞いた。
 これさぁ……海果の悩みを聞いて受け止める姿勢は取りつつ、『タスケテ』言うとるよなぁおそらく……。

 どんだけ自分を誇れなくても、弱さや情けなさに泣きじゃくっても、そういう微弱な信号を受け止められる人間こそが立派だし、そういう人間に海果は、ずっとなりたいのだと思う。
 優しさと強さという遠い星に、少女たちがたどり着くまでの旅路は長い。
 そしてそこには間違いや辛さばかりでなく、ケーキ食べてプレゼント贈りあう幸せが、満点の楽しさと笑顔が、確かにあるのだ。
 次回も楽しみです。

 

 

 

・追記 萌え胃もたれと、パステルカラーのかわいいおかゆ(最高級の素材を一級職人が調理)

画像は”星屑テレパス”第7話より引用

 Cパートの色彩とデザイン、全てがぶっちぎりに可愛くて、脳髄はね飛ぶほど幸せだった。
 女の子が可愛かったりエッチだったりするのも嬉しいけど、ここ最近はこういう可愛さを全身の毛穴で受け止める体験がなんか無茶苦茶幸せで、嗜好の変化……っていうより年経た結果なんだろうなと思ったりする。
 セックスという脂分が入っていない分、消化コストが低いというか、可愛さの原液を栄養価下げることなくダイレクトに飲めてる感じがあって、こんぐらい崩した可愛さが今はありがたい。
 いやまー、脂っこいの取りたくなる時ももちろんあるんだけどね。