イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ミギとダリ:第12話『ぼくらの復讐』感想

 全てを美しく焼きつくすはずの青い炎から、蘇る僕らの無様な生。
 鏡写しの兄弟のために、傷を背負って自分だけの復讐に少年たちが飛び込む、ミギダリアニメ第11話である。
 不死鳥秋山の推参、憎い仇こそがもう一人の自分だったとの悟り、安らかな終わりを打ち破るコミカルな生、子ども達の窮地を打ち払う守護天使、三人目の少年が選んだ決着と、クライマックスに相応しい見どころ満載で、大変良かった。
 完璧な母が望む完璧な子供であるために、母を殺す結末に至るしかなかった瑛二が綺麗にサイコサスペンスの幕を閉じようとするところを、ケツに火がついたクソガキがイカれた鳥人間に助けられて飛び込んでくる。
 どんなときでも真顔でボケてきたお話が、どんな結末に引っ張られるかの土壇場でもって、自分たちが描いてきたトンチキには意味があったのだと、堂々告げる展開である。

 何しろ人が死んでるので、双子が誓った母の復讐も、一条家の狂った母子も重たいシリアスさを持っているのだが、ではそれはバカみたいに笑ってチェリーパイを食う、トボけた日常に勝るものなのか。
 複数ジャンルを縦横無尽に駆け抜け、独自の面白さと味わいを生んできた物語が、最後の最後に殺すことより活かすことを、消し去るべき仇ではなくもう一人の自分を、黒髪の兄弟に見た少年の決意を通して、描ききるもの。
 それはトンチキもサスペンスも本気でやり切ってきたこのお話が、起きたこと全部を否定せず受け止めた上で、終わりの先に続いていく物語へ飛び出す活力にしている手応えとプライドがあって、凄く良かった。
 母の無残な死も、誓った思いも、奇妙で愉快な日常も、間抜けで無様な失敗も……全部ひっくるめた人生に意味はあるのだと、長い復讐譚の果てにダリが心の底から思えるようになって、それを美しく終わろうとしている瑛二に伝えるべく、焼け焦げた聖痕を頬に刻み、二人で一人の園山秘鳥ではいられなくなってしまうこの終わりは、三人の子どもを母性の檻から解き放ち、彼ら自身として生きれる明日へ送り出す、とてもいいクライマックスだった。
 ミギがひと足早く夢見たチェリーパイ・パーティーを、ダリもまた借り物じゃない自分の夢として、瑛二に手渡すのが良いんだよな……。
 全ての罪を背負った瑛二の未来が、果たしてそんな甘い夢にたどり着けるのか。
 エピローグは残っているが、絶対に笑えて心動く……このお話らしい決着で終えてくれると確信できる、力のある最終決戦でした。

 

 というわけで救済の天使は二人いる、焼け死ぬ土壇場で颯爽登場、バードマン秋山の株急上昇から物語はスタートである。
 ミギダリちゃんが差し出したものに対して、明らかに動かされる感情の総量が多すぎるボリュームバランスぶっ壊れ人間であるけど、秋山くんは間違いなく本物の友情に殉じる義人ではあり、それがトンチキな鳥のハリボテと”シャイニング”パロディで来訪するのが、まぁこのお話である。
 もう一人の守護天使、死してなおお世話バッチリなみっちゃんが、あくまで家政婦として煙をお掃除して子供らの命を救う場面もそうだけど、大筋ガッツリ熱い感じにまとめつつも、真顔でボケる自分らしさを忘れず走り切るのは偉い。
 このコミカルを忘れない姿勢が、不完全で無様でだからこそ笑える人生を、笑えない重たさに自分を沈めようとする瑛二に手渡す展開と重なって、なんともいえない感慨があった。
 こういう形で自分が取り扱ってきた物語の形、交わることがないと思われがちなジャンルを、扱ってきた意味が回収されてお話が終わるの、やっぱ良いなと思う。

 一度は瑛二を突き放したダリは、燃え盛る炎の中に自分の姿を見て、それを置き去りにしないためにわざわざ炎に飛び込んでいく。
 母の死を死で贖わさせる今までのスタイルではなく、その先にある無様で滑稽な生を瑛二と一緒に進むために、より善い物語の決着を自分の手でつかみ取りに行く。
 それは瑛二と触れ合った日々がただ冷たいものではなく、ある意味母に呪われて復讐を誓った自分と同じように、愛の鎖で不自由に縛られている犠牲者として……そしてなにより同年代の友達として、血の通った手応えを差し出してくれた結果だ。
 あるいは自分の計画を何度も台無しにする、おバカで足りてない弟が嘘っぱちの家族と友達に触れ合って、掴みたいと吠えた未来をダリ自身、心底欲しいと願ったからだ。

 仇を殺して決着とする、死に呪われたサイコサスペンスの因果応報を、ダリ(を主役とするこの物語)は選ばない。
 その生への祈りは、突き飛ばされることになっても我が子を完璧な檻から出そうとした、母本当の願いに立ち返る歩みでもある。
 どんだけ狂っていても確かに我が子を愛していた、怜子の歪んだ想いが産んだ悲劇の連鎖を乗り越えて、灰の中から不死鳥のごとくしぶとく、バカバカしい笑いに満ちた世界へ飛び出す。
 そういう道に瑛二を引っ張っていくことは、復讐以外、母と弟以外見えていなかったダリがもっと広い場所へ目を向け、傷つきながら進み出す戦いでもある。
 それは代償を伴い、彼は頬に消えない傷を焼き付けられるけど、そうして”二人で一人”を装えなくなった少年をまるごと、愛してくれる人は必ずいる。
 チェリーパイを作って、家で待っていてくれる。
 そう信じられるようになったから、ダリは炎の中に再び、自分の意志で飛び込むのだ。

 

 双子にとってお母さんとの大事な思い出であった”月の光”は、瑛二にとっても母・怜子との絆の歌であり、彼の目から見た母は双子にとってのメトリーに劣らず、不完全でだからこそ愛おしい”お母さん”だった。
 何もかもが狂い果てて、炎の中に消え去っていくとしても、瑛二が共に死んでもいいと思えるほどの愛を母にもっていたのは、切なくも美しい。
 しかしその美しいタナトスを超えて、ヒューマンコメディの暖かな感触へと進み出す未来を彼の兄弟は炎の臥所に差し出して、命がけで彼を家から、檻から、出口のない子宮から出そうとする。
 真意を告げぬまま双子を残して死んでしまったメトリーの、仇を取るために双子は殺人すら覚悟し、冷酷に目的を達成するべく辛い生活を耐えてきた。
 母の望む自分でいるために、狂った檻の中で完璧を演じてきた瑛二を縛ってきた愛の鎖は、ある意味で双子を復習に縛り付けてきた、メトリーとの思い出と重なるものだ。

 ダリは瑛二がもう一人の自分だと気づいた時、殺すのではなく生かすことを自分だけの復讐なのだと書き換えた時、母を超えたのだと思う。
 それはもうひとりの兄弟を救いたかった母の思いを、今生きてる自分が引き受け、うまく行かなかった過去を乗り越えて最高の結末へ押し出す、最後の挑戦でもある。
 あるいはその決意は、誰が死んでも構わないと、母への愛を共有する弟だけがいれば良いのだと、狭く閉じかけていたダリの世界が、もっと欲張りで多彩な未来へと、開かれた瞬間でもあろう。
 ずっと続いてきた物語の中でキャラクターを縛り、支えてきた大事なモノを乗り越えることで、物語全体が懐かしい匂いのする新たな地平に踏み出していく瞬間は、まさにクライマックスといえる感動に満ちている。
 ここまでの馬鹿騒ぎとトンチキ大笑いと、洒落にならない血みどろと狂いきった暗黒が全部あったからこそ、少年は愛の鎖を解いてもう一人の自分の手を取り、炎の中から己の人生を、死んだはずの人たちの想いを、蘇らせて飛び立たせる。
 ひどく狭い檻に閉じ込められてきた子どもたちが、愛を鎖ではなく翼に変えて高く飛び立つのだ。
 ……この構図を、あのトンチキ鳥人間が見事に言語化してんの、納得するけど腹立つな。(秋山くん大好き人間)

 

 完璧だと思われていた一条家が狂気と殺戮の檻であり、解き放たれるためには愛を刺殺し燃やし尽くす、狂った手段に出るしかなかったと、この決着は暴く。
 双子が人生を費やした復讐は、かつての事件がそう終わったように血みどろの悲劇ではなく、愉快な仲間たちが総出で手伝ってくれたおかげで、苦味と痛みを秘めた新たな旅立ちへと続いていく。
 封じられ、秘められてきたものが外へと飛び出す時の、産声にも似た破壊的カタルシスもしっかり書ききってくれて、一つの復讐譚が終わった。
 我が子を救おうとした願いをその当人にへし折られたメトリーの祈りを、引き継ぐ形で道を選んだ双子に対し、完璧であらんと願い誰よりも不完全だった母の鏡のように、瑛二は罪を背負って獄へと進む。

 鏡合わせでありながら、2つに分かれていく兄弟の人生が再び、今度はとびきり笑える形で交わる日は来るのか。
 描かれるエピローグはとびっきり笑いと、愉快な無様さと、胸を熱くさせる感動と、少しの涙が混じった……とても”ミギとダリ”らしいものになると信じています。
 そう思える決着を、この話数がやり切ってくれたので。
 次回最終回、とても楽しみです。