イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ミギとダリ:第13話『ミギとダリ』感想

 暗く哀しい復讐譚を無様な人生讃歌へと書き換え、比翼の鳥はそれぞれの翼で未来へ飛び立つ。
 最高のタイトル回収をキメる最高の最終回、ミギダリアニメ無事完結ッ! である。
 大変良かった。
 マジで良かった。

 サイコサスペンスとしては前回しっかり決着を付け、しかし未だ決着付ききっていないヒューマンドラマにどういう終止符を打つのか。
 画竜点睛を求められる最終話だが、見たかったもののその先までしっかりと描ききり、暖かで爽やかな余韻を残すフィナーレとなった。
 お母さんをぶっ殺され、雨露啜って復讐のために生き延びてきた、二人で一人の運命共同体
 もう一人の兄弟を助けるために頬に痕を刻まれ、もはや入れ替わることができなくなった双子が、母娘愛と友情に満ちた世界でどう生きていけばいいのか。
 『これでいいんだ』と飲み込んだ影の暮らしは、どれだけ寂しく辛く……そこに手を差し伸べてくれる誰かが、ずっと側にいてくれた事実を二人は受け入れていく。
 よそよそしく”老夫婦”としか呼ばなかった養父母の姓を、復讐を超えてなお生きるために見た夢を叶えながら”園山ミギ””園山ダリ”と戯けながら呼び合う時、血みどろのサスペンスにぜーんぜん関係しなかったお人好しが、哀しい定めに打ち勝ったことを思い知った。
 それは前回、ダリが豁然と炎の中に飛び込み、瑛二に無様な人生を生き続ける未来を手渡した続きであり、クールで繊細な双子の片割れが、人間として当たり前の幸せに飛び込んで良いのだと、光の中に進み出す物語でもある。

 二人で一人だからこそここまで生きて、復讐を越えた結末へとたどり着けた双子が、新たな家族と友人とともに青春を過ごして、たどり着いた答え。
 それは『一人でいても二人なんだ』という、これまでの関係性を逆立ちにさせたものだ。
 ピッタリと張り付き、お互いの影になって幼い復讐を補ってきた……補わなければ生きてこれなかった少年たちは、ようやく宿り木を得て自分たちの望みを確かめ、どんな風に生きていきたいかを確かめる。
 人間二人いれば当然色んなものが食い違い、しかし自分たちを繋げてきた愛は離れてもなお消えないと、揺るがぬものを手に入れたからこそ、兄弟は離れ離れに自分の人生を進んでいく。
 本物の守護天使へと昇華したみっちゃんが、死を超えてなお生き続けるように、顔が同じだとか身近に居続けるとか、そんな形を必要としない真の繋がりが、二人を繋ぎまた自由にしていく。
 スタイリッシュ入れ替わりコメディとして始まった物語が、双子の歪な宿命を巡るサスペンスへと姿を変え、血みどろの結末を越えてなお笑える人生へと進みだした後に、『二人で一人』の真の意味合いを描ききって終わる。
 複数ジャンルに跨る自作が何を描いてきたのか、鋭い批評眼と愛情を持って語り終える、とても豊かな最終回だった。


 

 

画像は””ミギとダリ”第13話から引用

 作品のエモーショナルな部分にケリをつける最終話、流石に演出良すぎたのでキャプチャを引用しながら感想を書く。
 お馬鹿なミギが行動担当、クールなダリが作戦担当で棲み分けつつも、入れ替わって人間のぬくもりを間近に感じてきた人生は、ダリの顔に付いた傷跡で破綻していく。
 自分を見つけてもらえないほど暗い場所に身を置いて、ミギの幸せの影武者をやれれば幸せだと己に言い聞かせるダリは、ずーっと暗い場所に身を置き続ける。
 それはすべてが終わってもなお長く影を残す、母の復讐のために生きてきた過去と繋がっており、頑なに閉じこもるクローゼットはもはや還ることのない子宮でもあるのだろう。
 やりたいことを見つけて、一人間として社会に溶け込み幸せになる。
 そんな当たり前の未来を諦めることで、無力な子どもは復讐鬼たり得たのだし、暗い色に塗りつぶされた生き様はそうそう手放せるものでもない。
 そこには決意や覚悟というカッコいい気持ちだけでなく、慣れ親しんだ暗黒から新たに生まれ落ちることに怯える、赤子のような精神があると僕は思う。

 しかしダリちゃんだって赤ん坊じゃないんだから、自分の願いというものがある。
 伴侶を見つけ家庭を築き、光溢れる場所に漕ぎ出していく弟に置いてけぼり、顔のない存在としてテーブルの下に隠れ続ける未来は、涙混じりの悪夢でしかない。
 その人間らしい心を当たり前と思えないほど、過酷で異常な状況に双子は置かれてきたわけだが、ミギが一足先に絆されたように、園山夫妻と過ごす当たり前の日常、当たり前の愛は、凍りついた心を既に溶かしていた。
 復讐のために自分も他人も投げ捨てられる、冷たい心のままでいられなくなっていたからこそ、一度は死んでしまえと突き放した三人目の兄弟を救うべく炎の中に飛び込み、もう”二人で一人”ではいられない傷を背負った。
 それは一度全てから逃げ出し、屋根もなく餌を貪る獣の暮らしに戻ろうとした時、涙ながらバカな弟が下らない夢を、本気で殴りつけたからこそ目覚めた光だ。
 2つのクリスマスプレゼントに集まる光は、この最終回急に生えてきたものではなく、生きるってことの可笑しみと殺したくなるほどの思いが入り交じる、不思議な物語の中で既に育まれたものだ。
 それが僕らの望み通り、ここまで必死にバカらしく、切実に母の復讐に突き動かされ生きてきた少年に手渡されて終わっていくのは、やはり良い。
 凄く良い。

 

 怜子は既に育った我が子におむつを付け、小さな揺り籠に押し込めて、グロテスクな”完璧”に戯れていた。
 子が己の庇護を必要とする不完全な存在から、成長し自立し暗い閨を出ていくことを暗黒の母は認めなかったし、そんな母性の引力は微かに、光を前にしてクローゼットに閉じこもるダリにも伸びているように思う。
 復讐に身を置いている間は、失われた母を身近に感じることが出来たから、異常な二人一役を続けてでもしがみついた。
 しかし真実は暴かれ事態は収束し、ダリ自身が殺すことではなく生きていくことを、自分たちだけの復讐として選んでしまった。
 母は、一体何を自分たちに望んでいたのか。
 死によって寸断された愛に答えが返ることはなく、『これが正しいんだ』と思い込んできた生き方に背を向ける勇気は、もはや少年の中で羽ばたきだしている。

 それでも、”二人で一人”でいることは母のいない寂しさを埋め、過酷すぎる世界を生き延びる力を与え、もう一人の自分への愛が自分の幸せなのだと、冷たい復讐行の中でも人間性を保つ灯火になってきた。
 クローゼットから出て、遠ざけつつ待ち望んでもいた光に手を伸ばしてしまったら、二つ用意されたプレゼントを受け取れる存在として自分を新たに進みだしたら、一体どうなってしまうのか。
 ダリは怖かったのだと思う。

 それでも、”二人で一人”なんだと彼の弟は言う。
 お前がそうであるように、お前の幸せが俺の幸せなのだと、幾度も至近距離で確かめた二人の真実をもう一度差し出す。
 それが閉ざされた暗黒から、誰かの影に飲み込まれる人生から少年を解き放って、眩い場所へと進めていく。
 愛ゆえに閉ざし閉じこもった場所ならば、愛で拓くのは道理であり、今は亡き母にのみ捧げられてきたダリの愛が、新たな父母へ、己の片割れたちへ、本物の親友たちへ、あるいはダリ自身へ、勇気を込めて投げかけられる。
 そうした時、ダリは初めて”二人”ではない自分を受け入れ、だからこそ”一人であっても二人”なのだと、自分自身を世に生み出していったのだろう。

 

 真実を珍妙入れ替わり芸で隠し、見つからないことを第一に進んできた物語は、この最終回で机の下の(あるいはクローゼットの中の)ダリを見つけて終わっていく。
 ”見つけて”は厳密には正しくなく、園山夫妻は既に秘鳥が二人である事実に気づき、その孤独を抱きしめる機会だけを探っていた。
 愛はいつでも、目の前にあったのだ。
 母を殺され、全てを奪われて復讐だけが残る哀しき復讐の出発点となったクリスマスに、もう既に見つけられ、光の中にいる己をダリが抱きしめ、未来へと進み出すプレゼントを掴むのは、彼らが真実死と狂気に満ちた過去を乗り越えたのだと、力強く語っている。

 どう考えても愛と真実は光に満ちた側にあるのだから、とっとと暗い場所から抜け出せば良いものを、ダリはこの最終回かなりの時間を使って、まごまご闇と親しむ。
 それは分かちがたく結びついた母と死、その復讐の暗い手触りに愛着する仕草であり、そんな暗がりに真摯に向き合った、サイコサスペンスとしての本作を大事にする姿勢だとも思う。
 おどろおどろしくもおぞましい、暗い狂気と赤い血しぶきの物語は、しかし頭ごなしに全否定されるものではなく、確かに本作を形作る大事な一部だった。
 乗り越えつつもかき消さない、否定しない姿勢は例えば、前回怜子と瑛二最後の同衾をじっくり見せたことからも見て取れるが、この最終回ダリが正しく明るい場所へと早々簡単に踏み出せないことが、自分が何を描いてきたのかを最後に慈しむと思う。
 それは確かに、そこにあったのだ。
 しかしその影の中にだけ生きていたら辛すぎるから、光と影は隣り合わせに描かれ続け、背を向けているはずのダリは悪夢の中、自分を照らしてくれる場所を求め手を伸ばす。
 どんなヤバい局面でも一笑い入れてくるやりたい放題、コミカルな場面の奥に冷たいサスペンスを匂わせる今作の語り口と同じように、矛盾した光と闇は分かちがたく世界に満ちていて、それでも笑える無様のほうが、洒落になってない完璧より良い。
 そういう答えを燃え盛る屋敷の中強く叫んだ物語の果て、慣れ親しんだ闇を振りちぎって光の中へ進み出していく少年を、最終話の明暗は見事に演出していた。

 

 

 

 

画像は”ミギとダリ”第13話より引用

 ”秘鳥”という主人公の名、あるいは最高マブダチと育った秋山くんの趣味からして、鳥はこのお話において重要なモチーフだ。
 人生を復讐に閉じ込める暗い檻から、幸せな宿り木へと少年が進み出すまでを描いた物語はそこでとどまらず、比翼の鳥が左右に分かれて巣立っていくまでを、しっかり描き切る。
 魂の片割れが闇の中で聞いていると、ミギのみならず秋山くんも理解っているだろう昨夜の語らいに、遠く見上げる自由な鳥たち。
 母の愛に報いるために選び取った生き方から、己を引き剥がして自由に飛び立つために、伝えなければいけないものは沢山あって、それは確かに手渡された。
 一人でいても一人ではない、愛と笑いに満ちた世界でチェリーパイをついばみながら、ミギとダリは自分だけの望みへと羽ばたくための翼を、しっかり育てていく。

 それは志半ばに我が子に殺された、メトリー真の望みでもあったろう。
 ミギとダリが母の死への報いを、自分を犠牲に他人を殺す冷たい復讐ではなく、一人の人間として力強く巣立っていくことなのだと解釈し直すことで、二人は母の死の真相へとたどり着き直す。
 『犯人が死ぬことが、母さんの幸せなんだ』という思い込みのまま瑛二を孤独な闇に置き去りにしていたら、この明るく眩しい景色をエンドカットに出来たのか。
 一人になっても二人なのだと、距離も時間も死も絶望も全部飛び超えて、魂で抱き合える結末を引き寄せられたのか。
 謎を追う物語という側面も強くあった物語、その最後の回答として『双子はお互いの違いを受け止め、それでもなお繋がる絆を翼に変えて、未来へと飛び立っていく』と描くことは、メトリーが真に望んでいた我が子の幸福が、物語の選んだ答えに重なる瞬間だ。

 暗い揺り籠に閉じ込められた少年たちは、母の死や狂気と命がけで向き合い、罪を背負って自分の人生へと、旅立っていく。
 瑛二が法に定められた贖罪を終え、実母であるメトリーに墓参してなお己の母はあの狂人であったと、兄弟とは重ならない世界を語る終わり方は、やっぱり良い。
 そこは重ならなくても、重ならないからこそ多分意味がある思いで、無様に幸せに生き続けて終わるまで、瑛二が大事に抱え続ける罪なのだ。

 幸せに進みだしたからといって、ミギとダリが母のことを忘れるわけではない。
 自分たちなりに復讐という謎に真実を突きつけて、選んだ人生をそれぞれの翼で進んでいく中で、二人は母に幾度も会うだろう。
 お母さんがこんな事をしてくれた、こんな事を願っていた。
 思い出す度に、悲惨な終わりは可能性に満ちた未来へと繋がり、形を変えていく。
 そう思える可能性が世界にはあって、トンチキな笑いをねじ込みつつも本気で描いた暗い闇も確かにあって、それでもなお、人は変わっていき、変わらないものがある。
 最終話一つ、じっくりと使い切ってそう描いたのは、とても幸せな結末だ。
 良いアニメ、良い最終回だった。
 大変素晴らしかったです。

 

 

 というわけで、ミギとダリのアニメ、全13話が終わりました。
 クドいようだが素晴らしかった。
 全7巻の物語をしっかり咀嚼し、13話のアニメとして何を描いて何を見せるのか、しっかり考えてアニメにしてくれました。
 トンチキコメディ、家族劇、復讐物語、サイコサスペンス。
 色んな要素をたっぷり積み込み、心地よいやり過ぎ感と独特のグルーヴが暴れまくる中で、あくまでその中核を二人の……三人の兄弟がどう生きていくか、人間の物語に寄せたこと。
 心底笑わせてくれたコメディを、シリアスな悲劇に負けさせるのではなく、とても大事なもので物語の行く末を決定できるほど強いものなのだと、力強く前を向いてくれたこと。
 そんなポジティブな結末が、心底愛しく見ているものの胸に届くように、笑いも恐怖も一切手抜きなく、立派に描ききってくれたこと。
 どれも素晴らしかったです。

 笑いでガードを下げた上で、笑えねぇ色んなモンを腹にブチ込んでくる二段構えが見事でしたが、コメディ要素が乗り越えられるべき前フリに終わらず、作品を構成する大事な一部として、敬意を持って扱われていたのがとても良かったです。
 僕は自分が物語の一部として選んだものは、どういう役割を果たすにしても大事にして欲しいと思いながら創作を見るので、ミステリにしてもサスペンスにしてもコメディにしてもヒューマンドラマにしても、己を構成する全てを蔑ろにしないまま、最後まで走りきった決着、凄く良かったです。
 こういう話を積げる人が若くして亡くなってしまった後、ある意味墓碑銘のようにこのアニメは放送を始めたわけですが、ミギとダリが死ではなく生を復讐の答えと選んだように、佐野先生はこの傑作の中に新たに生まれ、生き続けるのだと感じられます。
 そういう手応えがあるアニメ化って、やっぱ凄いことだなと思う。

 大変いいアニメ化であり、アニメでした。
 面白かったです、ありがとう!!