イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ダンジョン飯:第12話『炎竜2』感想

 旅の目的だった火竜は倒され、しかしファリンは戻らない。
 禁忌を侵してでも取り戻したい願いを目の前に、冒険者たちが選んだ道は。
 ファリンの帰還とひとときの安らぎを描く、ダンジョン飯アニメ第12話である。

 前回のハードバトルが落ち着いて、しかし緊迫感としては勝るとも劣らない、黒魔術を使ってでもファリンを蘇らせる決断を果たしたライオス一行。
 色々不穏さが匂う中で、生きてるからこそ腹が減り共に笑える幸せが描かれ、ひとまずは幸せな結末……とならんのだよこの2クールアニメはねッ!
 一体こっからどういう急転直下で”ダンジョン飯”が続いていくのか、アニメで始めて体験できる人たちが嬉しくもあるが、俺は俺で漫画でたっぷり楽しんだもんねー!
 誰と闘ってるのか解んない牽制合戦は横に置いて、物語開始時からの目的であるファリン復活になんとかたどり着き、皆で食卓を囲めた満足感はやはり大きい。
 妙に気合が入った作画で描かれる、ファリマルキャフフシーンの切れ味も鋭かったしな……生きてるってことはエッチだッ!(唐突に叫ぶ人)

 

 元々マルシルが情に篤いエルフであることは示されてきたが、尋常なやり方では復活できないファリンを目の当たりにして今回、涙を拭いて覚悟を決めることになる。
 生命の定めを捻じ曲げる古代の禁呪は、付け焼き刃で効果を発揮するものではないわけで、どんくさエルフが心の奥底に抱えた闇の奥、地道な研究を積み重ねた結果として悍ましき蘇生はなされることになる。
 『魔法に善悪なし』と彼女は言うが、果たしてそれが本当なのかは、今後迷宮の深奥に更に潜っていく中で問われ、試されることにもなる。
 道理や条理を捻じ曲げてでも、親しい人を奪っていく時の定めを捻じ曲げたかった彼女の影が、これから立ちふさがる敵のかんばせと良く似ていることを、一度物語を読み通している立場からは感じ取る。

 『命懸けの迷宮に一緒に潜っているのに、思いの外お互いを知らない』というのはライオスパーティの特徴で、どんな過去が自分を形作り、何を譲れず諦められないのか、旅の目的が果たされたように思えるここに至ってなお、まだまだ見えきらない。
 マルシルが禁忌に手を染めても、死を否定する術式に踏み入った裏にあるものを探る意味でも、旅はここでは終わらない。
 つまりはファリン復活は揺るがされ奪い取られること前提の、幻の幸福……なのだが、ここまでたどり着くまでの奮闘とか、無垢で優しい生きてるファリンの姿とか、色んなモノがそれを嘘ではないと、思わせてくる魅力に満ちている。

 幻ではなく、生きていればこそ腹も減るし、呼吸するために気道から血を追い出さなければいけない。
 ファリンが血に溺れた状態から自律呼吸能力を手に入れて、赤い血に塗れていたのを産湯に清められて人の形になっていくのは、この復活がある種の再誕であることを示してもいる。
 死のアギトに飲み込まれ、一度忘却の無明に降りたファリンは、無邪気で幼い。
 そんな彼女が手に入れた新しい力は、人の範疇をはみ出す禁呪の反動なのか、奇跡を掴んだ祝福なのか。
 お風呂に入ってたっぷり食べて、幸せと抱き合ってぐっすり眠る。
 そんな人間らしい幸せを描いた後に、物語はそんな問いかけへ雪崩込んでもいくだろう。

 

 そんな激変は先の話として、今は生きている喜びを堪能するタイミングである。
 先週”食材”として既に美味そうオーラを放っていたドラゴンステーキが、センシの腕前によって見事なごちそうに変わり、祝宴を豊かに飾っているのは大変良かった。
 爆発事故がつきものなドラゴン炭鉱においては、未熟な炭鉱夫でしかないセンシが、危機をファリンの助けで乗り切った後は見事なシェフに立場を変えているのが、なかなか面白い描写だった。
 呪われし蘇生を切り出す時、今までの親しみやすかったドジっ子の顔を投げ捨て、魔女の如き闇を見せてるマルシルの背後で、”歯のある女陰(ヴァギナ・デンタタ)”のようにガッポリ大穴を開けていたドラゴンの遺骸は、爆裂する鉱山となりパン焼き釜となり、食材それ自体になっていく。
 一つの具象を様々に解釈し、あるいは活用できるのは魔術の基本であり、道具と言葉と想像力を使う生物たる人間の強みでもあるのだろう。

 命を奪ってくる敵が食材となり、命を繋ぐ糧にもなる不思議は”ダンジョン飯”の真ん中にも据えられていて、ファリン復活前の”下ごしらえ”として、解剖学の知識を動員した骨並べが描かれるのもなかなか面白かった。
 マルシルの医学とライオスの動物生態学、それぞれ対象にするものは違えどまさしく知は力であり、ヤバイ禁呪に挑む前段階のはずなのに、楽しいパズルゲームの様相も混じってくる。
 『どんだけシリアスで重たいものに挑んでも、人間が生きている以上腹は減ってしまうものだし、笑いも生まれてしまう』という、英明なコメディへの理解はこの作品の根本だろう。

 復活を成し遂げ新たにパーティに加わったファリンも、そんな”ダンジョン飯”らしさに大きく拓けたキャラクターであり、兄が語る大冒険に目を輝かせ、物怖じせずに魔物食にもかぶりつく。
 色々ぶっ壊れてるライオスが、ヤバさ気にせず禁呪にもOK出すし、バリバリここまでの旅路を語っちゃうブレーキのなさ、彼らしくて面白かった。
 そういう非人間的な部分と同じくらい、ファリンを追いかけているときには秘められていた兄としての顔が、蘇った温もりに抑えきれず元気だったのも、また良い。
 色々ぶっ壊れた魔物マニアではあるんだが、間違いなく妹を深く愛する人情家でもあって、そうじゃなきゃ命懸けで迷宮の奥深くまで分け入って、自分の足を竜に食わせたりはしないんだよなぁ……。
 背丈が伸びても変わらない、トンチキ兄ちゃんとぽわぽわ妹の情景が暖かに感じられて、『色々ヤバそうではあるけど、それにしたって良いもんだ……』と思えたのは、大変良かった。
 この暖かな手応えが、今後ライオス達の旅を追いかける時迷わずにすむ、大事な大事な灯りになっていくからなぁ……。

 

 

 というわけで、激闘を終えた後の一苦労と幸せな時間を描く、第1クールクライマックスその2でした。
 『蘇ったファリンは最高キュートなぽわぽわ女子なんですぅぅう! 生き返ったことは間違いでもなんでもないんですぅうう~~!!!』と、気合の入った演出が全力で語りかけてくれて、大変良かった。
 そう、この安心も幸福も嘘じゃない。

 嘘じゃないんだが、それだけを正しいと出来るほどシンプルなルールで迷宮の中も外も動いてはいなくて、では一体どんなふうなレシピで世界が出来ているのかを、冒険者たちはこの後にこそ探っていかなければいけない。
 過酷なる新たな旅立ちをアニメがどう描くのか、来週も大変楽しみです!

 


・補記 見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。
わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。”(エゼキエル書第37章7-8節)
 ファリン復活の前に、マルシルが骨をつなぐ描写があるのはエゼキエル書第37章に重なるものを感じている。
 分断されたイスラエルの復活が死者の復活に重ねて描かれているあの記述と、最終的にこのお話が行き着いた結末を思うと、あながち妄想でもない気がする。