イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

蓬草春風に揺れる -2024年1月期アニメ 総評&ベストエピソード-

・はじめに

 この記事は、2024年1~3月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
 各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
 作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。





・異修羅

 ベストエピソード:第11話『落日の時』

lastbreath.hatenablog.com

 かなりヘンテコなアニメであり、それが懐かしく心地良くもあった。
 出だしから血みどろの悪趣味とゴア全開、前半六話はキャラ紹介にあてる思い切りは、口当たりが良く親切でなければスタートラインにすら立てない、コンテンツ飽和時代にはあまりにソリッドな作りであり……しかし”深夜アニメ”なるものは、そもそもそういう味だった気もしている。
 まぁまぁ近めの作品だと”ゲキドル”や”BLUE REFLECTION ”に感じた、『ついてこれるやつだけついてこい!』と胸を張って走り抜けていく、バズや商業的成功からは遠い場所に自分たちを追い立てるスタイルは、僕にとっては馴染みの味だ。
 垂れ流しにされる専門用語、補助線がない世界設定。
 超高速度で展開される、多すぎ登場人物たちの人間模様。
 多くの人にとって切り捨てる要因になるだろう、そのゴリッとした質感が僕のオタク顎にはちょうどよく、三ヶ月齧りついて楽しませてもらった。

 この異様な形態で展開する物語が何を言いたくて、クセの強いキャラとエピソードが乱舞するモザイクを通して、何が見えるのか。
 なかなか明瞭には告げてくれないからこそ、自分の目で読み並べ直す面白さがあって、今どきブログに長文直打ちでアニメ感想書いている人間としては、付き合い甲斐があるお話だったと思う。
 自分としては弱者と強者の話であり、個と社会、中世と近世に関わる物語なのだろうと当たりをつけていたわけだが、新公国を巡る戦争が決着に近づくにつれ、そうして合わせたピントにお話のほうが近づいていってくれて、我が意を得た手応えがあった。
 先を読めれば偉いというわけでも、初見で見抜ければ凄いというわけでもないけど『こうじゃないかな』と読むのはつまり『こうだと良いな』という期待の反射であり、欲しかった方向にお話が転がっていったのは、シンプルに嬉しい。
 ハチャメチャにチートを暴れさせているようでいて、非常に理性的かつ論理的に話を編んでいる(というか、チート比べはそういう視点がないと成立しない)作品なので、自分の噛みつき方と相性が良かったんだろうな、とは思う。

 そこら辺の見立てが叶ったと、ユノが辿り着いた弱者としての戦い方が教えているからこの話数……というわけではない。
 ロクデナシばかりのお話の中で、一番体重預けて見れたレグネジィくんが考えてた通りの末路で終わってくれた心地よさもあるし、なによりソウジロウとダカイの戦いに、刹那に全てを賭ける剣豪小説の心地よさが溢れていて、良いアクションだったのが大きい。
 長い序章たるこの第一期、チート野郎同志が死力を尽くしてぶつかり合う場面は思いの外少なく、決着はあっさりだったが盗人と剣士、生き様の違う客人二人がそれぞれ手を尽くして勝ちに近づこうとするこの戦いは、未だ炸裂せざる作品の醍醐味を味わえたような、待ってましたの気持ちよさがあった。
 後にトーナメントにたどり着き、十六匹選りすぐりの修羅共がぶつかり合う時に何が見れるかを、僕はじっくり楽しみに待っている。
 それを輝かせるために、長い序章に1クール使ったんだろうしね。

 

 



・葬送のフリーレン


 ベストエピソード:第11話『北側諸国の冬』

lastbreath.hatenablog.com

 世評としてはアウラ戦なのだろうし、このアニメのバトル作画は魔法という超常の力が暴れまわった時何が生まれるのか、想像力の限りを尽くして描いてくれていて大変好きだ。
 ……なのだがベストと選ぶのはこの話数で、それはやっぱり僕が、背景のアニメとしてこの作品を見てきたからだ。
 絵空事だからこそ豊かに描ける、様々な絶景、四季の移ろい、山河の表情。
 アニメ見る時に何よりそれを食べたい人間なので、フリーレンのアニメが徹底してハイクオリティであり続けてくれたこと、その質へのこだわりが作品世界全部をしっかり支えていたことは、とにかくありがたい。
 魔法が存在し、永生者が確かにそこにいる異世界に、しみじみと地道な人生の物語を綴っていく独特の画風をなじませるためには、こんくらい異様な気合が必要であり、それを乗りこなす手腕が問われる。
 なかなか難しい勝負だったと思うが、しっかりやりきって最後まで走り、アニメ独自の空気感を宿して追われたのは、大変凄いことだと思う。

 高品質な画面がただそこに在るのではなく、ドラマと呼応しキャラの感情を照らしながら描かれる語り口も、緩むことなく的確に描かれ続けた。
 流れ行く時、人と人の心の距離をレイアウトに反射しながら、静かに雄弁に活写し続ける演出方針も自分にはあっていて、絵を読み解く楽しさの在るアニメだったと思う。
 この話数は雪山の静けさが一つの補助線になってか、あまり自分を語らないフリーレンが世界や他者をどう受け取り、どう向き合っているのか、とても彼女らしい語り方で描かれている回だと思う。
 作品に応じてどういう筆致を選び、そこに生きるキャラクターに相応しい描き方を作り上げていくか。
 アニメの基本なんだろうけど、やり切るのはとても難しいことを常時さらりとやり遂げているお話で、この話数はその手際がどういうものであるか、かなり鮮明に教えてくれている。
 やっぱそういう、創作者の静かな魔法が感じ取れるアニメが好きだから、このアニメが一つの豊かな魔導書として幕を閉じてくれたことに、大きな感謝を覚えている。
 しみじみいいアニメであり、素晴らしいアニメ化だった。

 

 

 

 

・ゆびさきと恋々

 ベストエピソード:第2話『恋々へ』

lastbreath.hatenablog.com

 オタクを長めにやっていると、作品と向き合うコストを下げるべくある程度以上お話がたどるだろうコースを予測して、知ってる範疇に収めて衝撃を減らすようになってくる……と思う。
 少なくとも自分はそうで、スタッフや制作会社の座組からキービジュアルの方向性、Webサイトのデザインから作品ジャンル、掲載雑誌、キャラデザの印象などなど、拾える情報を可能な限り集めて、できる限りの”読み”を組んだ後で視聴に挑むことになる。
 それは思い込みで作品をナメる行為であり、予断でもって実像を歪める危うい視聴なのだが、人間はつくづくイメージする動物であり、見知らぬものに出会うときは見知った形を当てはめた上で、類推と想像を駆使して自分に受け止めやすいよう、形を整えてから見始めることになる。

 このお話もまた、『少女漫画のド真ん中、トキメキ満載直球勝負』という予断(あるいは期待)を抱えて見始め……はやくもこの第2話で想定していたものが、全部上回られた感じになった。
 第1話の段階で圧倒的な画面構成のセンス、まっすぐに主題を突き出してくる表現の強さ、繊細かつ美麗な色彩とライティングと、強い部分はたくさんあった。
 主役である雪ちゃんのキャラクターは可愛らしく好感が持て、新しい出会いへの期待感はしっかり高められ、運命の出会いは極めてロマンティックに、”雪”というフェティッシュを鮮烈に活かす形で描かれている。

 

 そういう”良い”を超えた衝撃を受けたのは、雪ちゃんが既にろう学校を出て自分を世に問う決意をしていて、ただ状況に流されるだけのお姫様ではないのだと、非常に鮮烈な表現で教えてくれたときだった。
 僕の中にあった『まぁなんか、座ってても気持ちよくしてくれる都合の良い恋愛劇なんでしょ?』みたいなナメを、雪ちゃんは自分の言葉と表現でしっかりぶん殴ってきて、彼女なりに何かを高望みして飛び出さざるを得なかった、強い衝動があるのだと教えてくれた。
 そういう強さをしっかり出すとは正直思っておらず、しかし描かれてみればなるほど雪ちゃんはそういう人であり、だからこそ逸臣さんと響き合い恋になっていく話なわけで、主人公が空を求めてガラスの天国から抜け出したと教えてくれるこの話数が、膝を整えて作品と向き直させて貰う、とても大事な契機になった。
 こういう事前のナメをぶん殴り、『私はこういう話だ!』と叫び教えてくれる話数に出会えると、一段階作品との向き合い方が筋金入った感じになり、体重預けて見れるのでとてもありがたい。

 物語としての強さや表現の鮮烈さでは、どの話数も大変に素晴らしい。
 もっとスローペースで進むかと思いきや、話の半分で一気にゴールライン(それはスタートでしかないわけだが)を走り切る第6話とか、脇役とされる連中もまたこの作品世界の中で確かに生きているのだと、敬意を持って叙情的に描き切る第8話、第10話も良い。
 第9話、恋人となった二人の距離が近づき触れ合い、セックスを視野に入れつつも極めて慎重に距離を取っていく場面での身体性の描き方なども、この真摯な物語特有の熱と質感に満ちていて素晴らしかった。
 自分たちが辿り着いた物語を誇り、豊かに未来へ広げていく最終話も最高であるし、どれもこれも村野監督の圧倒的技量とセンスに満ち満ちて、極めて素晴らしいアニメだった。
 その上でこの話数がベストなのは、ナメたり殴りつけられたり、極めて個人的な一対一の取っ組み合いとしてアニメを見る行為を、僕が大事にしたいと常々思っていて、このブログはそういう個人的感想を刻みつけていく場所として、僕が選び作り上げた場だからだ。
 僕にとって特別なものになってくれたこのアニメ、この話数を、僕はとても愛しく思っている。
 ありがとう、本当に素晴らしかった。

 

 




・外科医エリーゼ

 ベストエピソード:第9話『嵐の後』感想

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 1クールに渡る物語とどう出会い、どう向き合ったかを軸に置くならもちろん別の話数なのだが、めちゃくちゃビックリしたのでこの回を選ぶ。
 転生モノとしての”外科医エリーゼ”は、わがまま放題な悪役令嬢の人生が最悪な結果に終わった”一周目”と、それを悔いて人間修行を終えた後の”三周目”の間に、現代世界で医術に邁進した”二周目”が挟まるのが特徴だと思う。
 死というコストを支払うことで、転生先でのチート無双を可能にするお話のヤダ味が、己を悔いて人道に勤しむ”二周目”を挟むことで薄まって、キャラとしても清廉潔白な聖人属性が、自然と身につく良い背景だった。
 奇策に思える三度目の転生も実際に蓋を開けてみると、なろうを足場に勃興した新しいエンタメの形というよりも、オールドスクールな仏教転生譚に近い味がでていて、個人的に親しみやすかったのはここが理由かなあ……などと思う。
 エゴ赴くままに好き勝手に過ごし、他人を蔑ろに生きた結果何が起こるか、文字通り身にしみて学んだ後、医師として修業を重ね再び死んで、今度こそより善い結末を望んで”三度目”に挑む。
 ひたすら医に邁進する透明度高い主役が、聖人めいた無私の清らかさを背負うにあたり、非常に軽く扱われることもある転生者の”死”が長い影を伸ばしていることが、エリーゼが”生”にしがみつく手がかりになっているのも、また面白い。

 そういう清らかさと同時に、どんな障害にも真正面からぶち当たって意を曲げない強さがエリーゼさんを支えており、この熱量がお話を信頼する、大きな足場にもなってくれた。
 唯々諾々と周りに従うのではなく、転生の中で既に見つけてある答えを一切疑わず、世界の方を捻じ曲げ制圧していくパワーは、主役が持ち上げられ愛されまくる転生文法に、あんま親しんでいない自分が納得する決定打になってくれた。
 エリーゼさんが仁義と侠気にあふれていて、ある種の侠客物語として読めたことで、彼女がどんだけ凄いのか、全部口で説明するダイレクトな語り口をむしろ楽しみながら、最後まで見れた。
 転生モノへの苦手意識がなかなか消えてくれない自分としては、とてもありがたいことだった。

 そういう視線で見ているので、第8話からエリーゼさん軸のお話を少しズラして、サブキャラ掘り下げ始めたのは少し意外……かつ、横幅広がり味も変わって、大変良かった。
 そんなエピソード群でも、やっぱこのユリエン様のお話が意外性においても、しみじみ良い感じの味わいとしても、一番良かったかなぁと思う。
 医術無双ぶっこいてた主役が患者の立場になるという、逆転の心地よさもあったし、ライバル立ち位置なのに極めて人格に優れ、『そらーお友達にもなりたいわ……』という納得があるユリエン様と、濃い口のキャフフを見せてくれたのも良かった。
 ぶっちゃけこのアニメで食えるとは思っていなかった好物が、ズドンと力強く差し出された嬉しいサプライズ感も手伝って、『あー、俺このアニメ見ててよかったな……』と思える回だった。
 そういうお話があるアニメ、やっぱ良いもんですよ。



 

・僕の心のヤバイやつ

 ベストエピソード:第9話『僕は山田が嫌い』

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 アニメとしての仕上がりを横にのけて、個人的にこのアニメと付き合った中で一番印象に残った話数を上げるのはどうかなぁ……と少し思うが、そういう主観を刻みつけていくための個人ブログであろうし、この話数がベストだ。
 一期の感想がここで滞り、二期始まるまで延々グダグダのたくっていたのは、”アニメ化”というものの難しさを自分の中で、なかなか消化できなかった結果である。
 僕は僕ヤバの原作がとても好きで、それは京ちゃんと山田のロマンスにしっかり焦点を当てて話の主軸を打ち立てつつ、それ以外のキャラやドラマを愛しく見つめながら、思春期という季節全体を鮮烈に描こうと、のりお先生が頑張ってくれているからだ。
 恋を成就させる主役にならずとも、色んな連中が京ちゃんの世界にはいて、山田との恋に出逢えばこそそういう世界の横幅に、視線が拓けてより多くのものが見えてくる。
 それあ他人が他人なりに、例えば気に食わないチャラい先輩でも尊厳を持って生きていて、そういう当たり前の尊さを当たり前に踏まない生き方の意味と、中学二年生の京ちゃんが等身大に身悶えし、必死に闘っている記録だ。

 

 ナンパイは嫌いだけど、傷つけたいわけでも軽んじたいわけでもない。
 恋の物語としてだけ”僕ヤバ”を描くなら、山田のチャーミングな駆け引きは肯定的に描かれるべきだろうが、ここで京ちゃんは山田が持っている残酷さに衝撃を受け、彼女には無縁だと思いたかった現世の汚れを見て取る。
 世界とそこにいる自分が薄汚れた存在だと思いたくなかったからこそ、挫折の先にヤバい存在に汚れて自分を守ろうとする切実な潔癖がそこにはあって、その思い詰め方が俺はとても好きなのだが。
 『このアニメはそこら辺の複雑さを、切り飛ばして描くつもりなのではないか?』という疑念が、初見時湧き上がって離れなかったから、僕はここで一回視聴を止めた。

 恋だけに焦点を合わせて、一般ウケの良いシンプルなアオハル恋愛ストーリーとして消費されるのなら、複雑で優しい”僕ヤバ”が好きな自分はこのアニメの客じゃないかもと、作品を疑った。
 諦めるには好きすぎて、二期始まるタイミングで幾度か見返し、なんとか省略と再編の意図を掴もうとあがいた結果、飛ばされたからといってなくなったわけではなく、むしろ作品のコアを掴んでいるからこそ、アニメという限られた尺でそれを伝えきるべく、必死の創作が行われているのだという納得を、得ることが出来た。
 書き上げるのに結構苦労したし、だからこそ自分が見つけたもの、見たいと思ったものが嘘ではないと思えて、後の物語を楽しく見通す足場になってくれる体験だった。


 アニメ感想ブログを書くようになって長い。
 徒手空拳で作品とぶつかり合って、疲弊しながらなんとか感想を書き上げるような一心不乱では身が持たないと、ルーチーンで受け流して書くようになっている部分も、年々増えているように思う。
 その上でまだ、このな~んのリターンもない趣味を続けているのは、アニメを見る自分、アニメだけが反射してくれる自分の形を、汗塗れで追い求める行為に意味があると思っているから……あるいは、思いたいからだ。
 僕が見つけて、僕だけの思いとしてここに書き連ねているものが果たして、今この文章を読んでいるあなたに届くかなんて保証はどこにもないわけだし、ある程度以上自分に向けて書いているから続いてるわけだが。
 それでも、アニメを見つめアニメに投射される自分と、そこに乱反射する世界のあり方を見つけた自分がどこかに届きうる、意味がある存在だと感じる(感じていたい)から、僕はこのブログを続けている。

 そのためには結構、石にかじりつくようなしぶとさで作品を噛み砕き、飲み干さなきゃダメな時があるのだと、この話数は教えてくれた。
 プロが根性入れて仕上げているアニメは、そうするだけの価値も意味も十分以上にあるし、そうやって始めて見えてくるものも確かにあるとも。
 そういう、手癖になりかけていたものの奥に元々何があって、ヒネた諦めで楽になろうとした根っこに何が埋まっているか見つけ直す体験が、このアニメで京ちゃんが走った歩みとどっか似ていたのも、彼が好きな僕としては嬉しい。

 

 何かを好きで、だから自分を好きでいられる、不思議で幸せな乱反射。
 それこそがお話の中核にあると信じたから、このアニメは光に満ちた作品になったと思う。
 誰かがいてくれるから、そんな誰かが何かを願って生み出した作品と出会えるから、確かに縁取れる己の輪郭というものがある。
 それがあって人間はようやく、自分を嫌いにならずに眩しい光へと進み出し、見たかったものを見て、辿り着きたかった場所へと進み出していけるのだということも、この後に続く物語の中で色濃く描かれている。

 『ないがしろにされた!』とキレて、一回視聴止めるほどに僕は南条ハルヤが好きなわけだが、そんな彼の物語の最後がこの話数のサブタイトルと豊かに呼応して『山田は僕が好き』なところとか、やっぱり良い。
 9話分、色々グダグダ青春した結果京ちゃんは嫌いだと思い込もうとしたものに、好きだと思われていることを決定的に自覚するわけだが、そんな幸せな認識はやはり、好きになれなかったナンパな先輩がかけがえない鏡になって、京ちゃんとその世界を照らしてくれたから見えたものだ。
 そういう鏡としての他者を、あんま大事にしてくれねぇのかなと疑った話数と取っ組み合ったからこそ、僕は嫌いになりかけた”僕ヤバ”のアニメを、とても好きな作品として見終えることが出来た。
 とても得難い、幸せな視聴体験で、ありがたい限りだ。