烏は主を選ばない 第6話を見る。
七夕に湧く桜花宮に背を向けて、若宮は己を狙う蛇たちの巣…南家本領へと足を踏み入れる、という回。
兄貴の側近を取り込みつつ、ガッチンガッチンに政治してる若宮を描くことで、桜花宮に縛られ置き去りにされている姫君たちの哀れさと、あくまで大局の付随物でしかない悲しさが際立った。
原作二編を一つにまとめ、おそらくはかなりの変奏も加わっているこのアニメ化。
姫様サイドだけを一気に見ている時はかかっている枷が、若宮サイドを併記することで早めに崩れている感じがある。
皇はお后選びのみに生きるにあらず
厄介ごとのタネは山程、ハレムの外に転がっている。
家と家を結びつけ政治の趨勢を占う重大儀式である、桜花宮での后選び。
姫君たちはそのためのツールとして、それこそ生誕時からそれ専用に選りすぐられ、与えられた全てに疑念を抱かないよう製造されていく。
その狭い視界は、お成りがあったのなかったのでギャーギャー言い合う、男子禁制の華やかな牢獄に限定されているから成り立つ。
女たちの世界(ということにされている場所)の他を描かなければ、そこで煮凝る価値観以外は存在せず、否応なくそこでの狭い闘いに全霊を投じるしかない、ドレスを着た闘鶏たちの異常さは相対化されない。
しかしこのアニメは、桜花宮の外を既に描いている。
結果『なんか足運ばない若宮が悪いってことになってっけど、明らか異常だし忙しいし、そらー足も遠のくよな…』と、姫君サイドだけに体重を預けた見方が難しくもなる。
僕はアニメからの……(現状)アニメだけの視聴者だからこの相対化された視点が当たり前なんだけども、桜花宮限定の視点で一冊書ききった(らしい)原作の味わいがどんなもので、そうして閉じ込め熟成した毒がおそらくミステリの起爆剤として機能していくさまはどんなだったか、体験してみたい感じはある。
それを白紙の体験に書き入れていく贅沢は、アニメを既に見てしまっている僕には絶対にもう、獲れないものだ。
まぁ、俺アニメの語り口好きだから良いけど。
装束がどうの琴がどうの、ずいぶん雅でどーでもいい事にかずらって、挙句の果てにはSBB(Super Babaa Battle)開幕してる姫君たちの世界は、一見策謀渦巻くその外側に比べてお可愛く見える。
しかしその華やぎは、間違いなく宮廷と家系の毒を土壌に花開いているわけで、姫様個人の切ない純情が描かれるほどに、そんな思いを抱えた人間を婚礼儀式の道具にして回転している、山内政治の歪さ、残酷さが際立っていく。
この視座を持てるのは、どういうスケールと粘性で政治が回るか、雪哉の成り上がり物語を通じ相対化出来るからだろう。
絹の衣も囚人衣でしかないと思えるのは、男が纏う墨染の獄衣を見ているからだ。
誰も彼も歪な構造の奴隷でありながら、その事実を自覚せず、構造に奉仕しながら搾取されている、下向きの円環構造。
これをひっくり返す風雲児として、謎めいた部分が多い若宮が描かれるのかな…という読みを持っているが、しかし各家の思惑と権益が複雑に絡む大皿に、関わる人間それぞれ抱えた業と因縁を山盛り乗っけた地獄絵図を見るだに、快刀乱麻を断つが如き改革はなかなかに難しかろう。
難しいからこそ、そこで起こるよしなしに生臭く力強い説得力が生まれ、数多犠牲も歴史の必然と飲める…かは、まだ目立った死人も出ず朗らかな風を残している現状では、良くわからんけども。
でもまぁ、ぜってぇ死ぬだろ誰か。
とまれあせびがポワポワ何も知りません顔で一喜一憂している、姫君たちの権勢合戦は唯一絶対の真実などではなく、若宮と雪哉が飛び込み翻弄され、それでも動かそうとあがいている大きな構造の一部でしかない。
しかし『考えるな』と幼年期から刷り込まれ、寵愛を奪い血縁を強化する政治兵器として存在価値を認められている、貴族時代の女性にそれは見えない。
見せないこと、踏み出させないことで、あの華やかな嫁取り儀礼は成立しているし、破綻させないためにも七夕に足を運ばないのがいかさま一大事と、大騒ぎして価値を捏造する行為が大事になる。
どんだけ空疎な虚飾でも、派手に回っている間は中身が詰まるのだ。
こういう視点で姫君側の物語を見てしまっているので、イマイチ体重が乗り切らないというか、やや引いた視線で進展を見守ってしまってるのは……まぁ痛し痒しか。
素直に作品が用意した華やかな毒をグイッと煽って、真相が暴かれた時に『ど、毒かぁ~~』とジタバタ暴れるのもミステリの醍醐味かと思うけども、二軸が最初から可視化されているアニメが入口だと、やっぱどうしても山内という世界全体を俯瞰してしまうからな…。
おそらくそういう視点を与えたくて、アニメはそういう語り口を選んだんだろうし、何かと分析したがりな自分とその客観/離人的な視点は、相性がいいように感じる。
さておき桜花宮の中でも外でも、色々策謀渦巻く星祭の頃。
白珠が浜木綿殴りに行った”秘密”とやらは次回以降明かされるのだろうけど、殴り方が結構ストレートで逆に安心してしまった…。
実子にも毒を吐くのを忘れない、大紫の御上という御簾の向こうの大蛇を見てしまっていると、ダイレクトに信用できない取引持ちかけてくるの、可愛げのある稚拙さだと思ってしまったよ。
まだまだ姫君たちの腹の中も見えきらんのだが、パッと見より年相応の女の子な感じ。
そういう子達を政治ゲームの駒として、生まれた時から絹で包んで脳味噌洗ってきたの、今更ながらこえーな貴族社会…。
山盛り悲劇も埋まってんだろう、あせびの母とか。
若宮の方は、主上の真意も知らずに安易な方向に転んだバカの手引で、蛇の巣窟に堂々乗り込んでの晴れ舞台…さてはて一体どうなるか。
俺は路近のやったことは綱紀粛正として最善手だと思っているし、長束がそれを正統に評価したのは仮面ではないと感じてもいるので、勝手に忠臣ツラして利敵行為してるあのバカ、道化にしか思えねぇんだよな…。
若宮がそこら辺の因果も飲み干した上で、敵の嫌がらせをグイと引き寄せ腹を割り合う土壇場を作ったのかどうかで、彼の器量も見えてくるが…ここら辺の読み切れなさを楽しめるのは、若宮というキャラをいい感じにミステリアスに、魅力的に演出出来ている証拠だと思う。
こんだけ利害の糸と各家の思惑、歴史が絡み合い積み重なってしまっている以上、どっかで血は流れるしロクデモナイことは起きる。
それを前提とした上で、我欲と権勢に呪われた旧弊をどうにか断ち切って何事か成し遂げたい大望が、はたして”うつけ”にあるかどうか。
あって欲しいなぁ、あるんじゃないかなぁ…と思いながら、若宮の立ち回りを楽しく見守っている。
雪哉を便利な駒と使っているように見える残酷の奥に、どういう情と計算があるか見えるのは、クールの終わり際になりそうかなー…その二人がお互いの奥底を見ていく(あるいは、見切れないと解る)ドラマが、多分作中一番強いエンジンに思えるので。
作品全体を下支えする認識として、多分このお話『他人は解からない』てのがあると感じている。
解らないからこそ伝えなきゃいけないのに、儀礼や欲望や建前が邪魔してなかなか伝わらなくて、結果生まれる悲劇や醜悪が山程ある中で、どう思いは繋がっていけるのか。
それを男と女の恋、同性の友情を鏡に削り出していくお話なんじゃないかなぁと、アニメからのにわかとしては感じている。
そういう赤心は間違いなく人間の真実なのだが、そんな柔らかいもので構築できるほど政治や社会は軟弱ではなく、もっと堅牢なものを求めた結果、人間存在の本質からどんどん遠くなっていく貴族社会のヤバさみたいのも、描きたい感じか。
本来上手くいくべきものが、本質を見失って放浪している浅ましさも、ストレス強いけど嘘のない、人間社会の大事なスケッチだと思う。
恋という人と人が飾りなく繋がれる大事な営みを、家の趨勢だの粘ついた因縁だの絡めて汚してしまっている、桜花宮という花で飾られた牢獄の有り様をあくまで艶やかに描くのも、その一旦だろう。
僕はその華やかな毒に、幸か不幸か酔い切れず眇で見ているけども、この桜色の煙幕の向こう側からどんだけおぞましい怪物が飛び出し、あるいは泥の中微かに咲く真心が見れるのか、とても楽しみにしている。
この捻った構造から、雪哉サイドは出てるからちょい見やすいんだな…若宮というミステリはあるが。
しっかし身分制度と家の思惑が複雑に絡み合う場所では、純情であるほどに地獄見そうな感じもあるわけで、無垢そうだったり冷たそうだったり、姫君それぞれの仮面の奥にどんな柔らかさと泥を隠しているものか、それが暴かれた時どういう化学反応して致死性の毒ガス出てくるのか、ブルブルしつつも楽しみである。
ぜってー”仕掛けてくる”作品なので、白珠の怖さ気な印象とか全然素直に受け取れないんだよな…あせびの天真爛漫陰湿社会の被害者ッ面も。
ここら辺、用意されたものを素直に食わず安全な客観視を維持する、ズルい態度だなーと自分で思う。
でもまー、そういう繋がり方になっちゃったんだからしょうがねぇ。
自分が作品に見つけているものが果たして、どんだけ芯を捉えているのか確かめていくのも、個人的には楽しいアニメ視聴であるし、冷たい”答え合わせ”だけじゃない面白さも、しっかり感じているしね。
キャラが活き活きして魅力的で、群像がしっかり引力持ってうねっているのは、このお話の凄く良いところだと思う。
どんだけ酷いことになっても、最後まで見届けようって気持ちになるのは、やっぱ一人間としてキャラが好きになってきてるからなんだろう。
ありがたいことだ。
若宮不在の桜花宮に、次第に吹き溜まる瘴気。
思惑に風穴を開け、蛇たちの掌中に滑り込んだ若宮。
なかなか煮えた状況で、次回も楽しみだ!!