核爆弾級の原作を、キッチリ起爆させきってオタク村の外側まで爆風を響かせた一期から一年三ヶ月……。
推しの子アニメが帰ってきたぞ! という、ファン待望の第2期である。
漫画原作ドラマ、恋愛リアリティーショー、アイドルと、闇深き芸能界に瞬く青春の光を、色んな角度から照らしてきた本作。
二期が挑むのは漫画原作の2.5次元舞台という、色んなレイヤーが錯綜し複雑怪奇なネタである。
舞台に上がるキャラも、関わる人達それぞれの立場も、群像劇たる作中フィクションに劣らず様々に絡み合って、色んな難しさが行き交う……だからこそ面白そうな現場。
『原作とメディア展開の間に生まれる齟齬』という、火傷しかねない程にホットなネタも否応なく顔を出して、舞台の上に最高の夢を作り上げていく創作者立ちのぶつかり合いと、それを幸せな商売にまとめ上げるための泥まみれの奮戦が、同時進行で転がっていく。
ここにアイの死を巡るサスペンス、世界一復讐者に向いてない主人公の葛藤、嘘と誠が入り交じる恋愛模様と、作品全体を貫通する要素まで混ざり込んできて、上手く料理し切るのはなかなか難しそうな素材である。
しかし劇場先行公開が約束された夏の勝負作、第1話は放送枠をやや拡大し、頭から尻尾までハイクオリティが押し寄せる、力こぶパンパンのいい仕上がりとなった。
複層的な物語構造を分かりやすく見せ、アニメならではの表現力を磨き上げることで、複雑に衝突しそうな諸要素がお互い連動して、2次元と3次元が入り交じる『2.5次元』な面白さと難しさを、スッキリ見せてくれそうな巧さがあった。
時折コミカルでチャーミングな描写で空気を抜きつつ、あかねちゃんを視点人物に据えて芸能界社会見学的な面白さもあり、受けるネタを全部同じ鍋に入れて【推しの子】味にまとめ上げる手腕は、二期になって更に冴えていた。
アイの死を巡るサスペンスを書く時、あるいはあかねちゃんを地獄に追い込む時武器になっていた、不穏でぎくしゃく重たい空気感が、舞台立ち上げの高揚感の裏側にしっかり漂っていて、面倒くさい原作者様が現場に爆弾落とすヒキの準備も万全。
放送以来コラボが絶えることなく、スーパーとコンビニの商品棚を制圧し続けた一大コンテンツに寄せられる、大きな期待を全く裏切らない、良いスタートだったと思う。
同時にそういうデカいネタを下支えし、むしろ物語の心臓に近い場所にあるキャラたちの人生の描かれ方も相変わらず冴えてて、こっちも大変良かった。
一期の物語を踏まえて、舞台に上がるキャラとの絆も太くなったアクアたちが挑む、2.5次元という新しい舞台。
『演技は、アイの死に迫るための材料にすぎない』とうそぶく主役の低体温の奥に、知らず燃えている役者根性のきな臭さ。
普段はさえない天才役者が、モノトーンの稽古場に火を入れる瞬間の鮮烈。
グジャグジャ厄介なものを山盛り抱えつつ、稽古を通じてなにか一つの輝きをともに作り上げていく役者たちの、汗の眩しさ。
色々外野のノイズが多い状況で”芸能界”書いてきたこのお話が、『モノを作り上げる』という営みに思い切り集中し、サスペンスの登場人物ではなく若き演技者として今を生きている、キャラの顔を鮮烈に出来るチャンス。
そこに必要なものを、既にしっかり準備してくれていて良かった。
アバンの話は後でするとして、まずは番組の顔となるOP。
天才・竹下良平がディレクターを務めた映像の仕上がりは、楽曲の強さを小気味よく後押しし後押しされ、皮膚感覚的な快楽を優れた表現で加速させる、パワーのあるものだった。
サスペンスだったり青春群像劇だったりラブコメだったり芸能界陰謀絵巻だったり、色んな顔のある作品の多彩な魅力を、早いテンポのカット割りでガンガンに叩きつけられ、溢れかえるような情報量に溺れる気持ちよさが素晴らしい。
特に出だし、群像が青白いベイエリアに集結してさぁ物語が始まる! ……というワクワク感を、鵜の目鷹の目で主役たちを見つめる観客の不気味さがぶっ壊し、青年たちが命がけで駆け抜ける人生を物語として消費する悪趣味さを、作品自体が突きつけてくる感覚がキモくて良かった。
物語の始原となるアイを筆頭に、どこか人造的な気持ち悪さがキャラに宿っているところがこのお話の良いところだと思っているのだが、双子が現世の仮面を外して転生前の素顔を顕にするところとか、一応キャラ萌えで駆動してる作品に許されるギリギリのグロテスクで、めちゃくちゃ興奮した。
アクアたちが当事者として身を投げている、人を殺しかねない毒と救いうる光が同居した、芸能界という見知らぬ水槽。
その有り様をパカッと分割して、奥にある更にドロドロした人生の影をエンタメとして消費してしまう、顔のない怪物たちの視線。
それに乗っかることで、アイドルなり若手イケメン俳優なりの商売も成り立っているわけで、共犯者でありながら加害者でもあるお互いの、危ういバランスがフラフラ揺れることで、このお話のダイナミズムは成り立っている。
そういう危うさを自覚しつつ、自分たちが泥まみれに物語の形を作り上げ、観察され消費される愛玩動物でありながら、必死に人生という物語を走る当事者でもあるキャラクターをどう描いていくか。
冷たく遠いメタ視点と、原作を受け取って自分たちだけのアニメを作り上げる創作者の、体温と決意のある表現がしっかり同居していて、極めて【推しの子】らしかった。
このメタ視点を交えた次元越境は、2次元と3次元の狭間にある2.5次元をメインテーマとする今回、本編でも元気だ。
紙の上の漫画。
漫画を原作とし、3次元の人間によって演じられる舞台。
それを成立させるために、灰色の稽古場に集う練習着の人間たち。
彼らが触れ合って生まれる、カラフルな一瞬の幻想。
それに当てられて、役者としてより善い芝居を目指す若人たちの人生。
複数のレイヤーが”東京ブレイド”という素材を切り分け、あるいは重ね合わせ、一筋縄ではいかない連動とズレを生み出しながら、舞台は止まることなく加速していく。
ガッチリカメラを引いて据え、実際に”東京ブレイド”舞台版発表の現場に居合わせたような臨場感を生み出すアバンからして、見ている僕らの視点を混乱させ、混濁させるように造られている。
否応なく期待を煽られるバキバキの演出で、観客の興味を惹きつける大掛かりな花火の後に待っているのは、極めて地味で誠実な、当たり前の舞台づくりの風景だ。
あらゆる仕事がそうであるように、表舞台に立つ役者含めて華やかな舞台の準備は地道で、真剣で、何かが確かに始まっていく高揚感に満ちている。
芝居それ自体ではなく、それを通じてアイの死を解明する目的に縛られたアクアが、そういう現場の空気に混ざりきれていない遠さ……それでも演技の鬼であるあかねと同じ仕草で、目の前に生まれている熱を見つめている仕草も、しっかり切り取られる。
ぬぼーっとした普段の姿からは、想像できない特別な才能を初手からぶっぱなし、他の役者に色を付けていく姫川大輝の熱に、かなちゃんが切られた様子を描く演出は大変冴えていた。
この後明かされるように、舞台を支え生み出す構造は極めて複雑怪奇で、色々厄介そうな爆弾がそこかしこに埋まっているわけだが、その難しさを横に置いて、若き才能がぶつかり合い、それぞれの色が混ざりあって生まれる”なにか”には、確かな期待と高揚感がある。
それはより善い何かを作りたいと、汗水たらして必死に挑む人たちの思いであり、今後いろんな理不尽に試されるとしても、確かにそこにある炎だ。
どんだけクソみたいな現実が襲いかかっても、否定されてはいけない”答え”であるはずのこの衝動を、とても優れた演出で簡勁にたたきつけてきたのは、パワーのある演出だと思った。
姫川はそういう事ができる役者であるし、アクアもあかねちゃんもかなちゃんも、その熱を無視できない本気を、確かに舞台に向けているのだ。
波乱の予感をはらみつつ、確かな熱量で動き出した舞台に、役者はどういう思いで切り込んでいくのか。
2.5次元舞台というお仕事が、どういうシステムで回っているのかを細やかに伝える社会見学的面白さを交えつつ、あかねちゃんが自分なり役を飲み込み、良い舞台を作るために悪戦苦闘する様子が、この第1話では元気だ。
思っているより地味で殺風景な稽古場のリアリティだったり、売れっ子役者の背中でマネージャーさんが頭下げてたり、そういう細やかな描写が、複数の人間が関わる厄介で面白い”仕事”の中身を、僕らにしっかり伝えてくる。
あと底の見えない恋人にヤキモキする、等身大の乙女としての顔もなッ!
プクーッ作画、ありえんほど気合入ってて大変良かったです。
『久しぶりの挨拶になるこのカットで、見てるやつ全員殺すぞッ!』という”骨”が感じられた。
徹底した分析で役を自分の中に降ろし、嘘っぱちに血肉を与えるあかねちゃんにとって、原作からして不遇な鞘姫はなかなか厄介な相手だ。
咀嚼するための材料が足りず、欠けたピースを自分なりの想像で埋め合わせ、苦労に見合った愛着を抱いて脚本に向き合ってみれば、『二時間の2.5次元舞台』という尺に収めるために、魅力的な複雑さを削り取られる。
モノクロームの複雑な陰影を省略され、わかりやすいベタ色に塗り直されたキャラクターを、人格なき舞台装置として演じる芝居に、あかねちゃんは心を乗せきれない。
ここら辺の、芝居に本気だからこそ色々悩みもする誠実さを描いてくれたのは、アカネちゃんをもっと好きになれるし、これから造っていく舞台の本気度を彼女を通じて感じる、良いアダプターになった。
こっからまー”東京ブレイド”舞台版はありえんほどのドッタンバッタンを繰り返し、七転八倒五里霧中迷いに迷うわけだが、現場に立つ人の本気は嘘じゃない。
物語を見届けるために必要な羅針盤として、あかねちゃんが真摯に役に向き合い、良い舞台を作ろうと頑張る姿勢を最初に手渡してくれるのは、親切でありがたい。
それ以上に熱く厄介な闇の情熱を、”東京ブレイド”原作者・鮫島アビ子先生は抱え込んでいる。
じっくりゆったり表現力豊かに、読者が興奮と余韻に身悶えしながら自分のペースで頁をめくれる二次元のマンガと、固定された尺の中群像を描き切り、枝葉を切り落としてでも一つの物語体験を手渡す必要がある三次元の舞台。
マンガと脚本、原作者と脚本家。
握りしめる手つきは同じでも、立場が違えば果たすべきミッションも異なり、譲れぬ思いが予期せぬ衝突を生む。
本来結び合わない別メディア、どう橋渡しをし新たに生み出し……あるいは殺し合いの果て、死産に終わるか。
大波乱の予感を力強いヒキに活かしつつ、【推しの子】アニメ二期第一話は幕を閉じる。
アビ子先生がかーなり人格に難あり、色々ヤバい創作者一本槍人間だってことは、挙動不審な態度からも透ける。
そういうヤバ野郎が、大人の事情も理解せず難癖つけてきたのか、はたまたより良い作品を生み出すためのメチャクチャなのか。
ここらへんは次回以降、舞台に立つ人たちの外側に視点を広げつつ、深く掘り下げられていくポイントになる。
劇団主催、イベント運営会社社長、脚本家、原作者。
あと自分もクソいメディアミックスに振り回された経験を持つ、原作者の師匠。
色んな人たちがそれぞれの真摯さを抱えて、違う立場と理想を叩きつけあって生まれる、”2.5次元”というキマイラ。
何もかも食い尽くして荒野だけを残すか、本気でぶつかり食い合ったからこその輝きを形にできるか。
まだまだ、嵐は始まったばかりだ。
モノクロのマンガ表現、あるいはそれが作中のリアリティに起こし直されたベタ塗りのアニメ絵、それを実際に形にしていくあかねちゃん達の”生身”と、同じキャラが違う表現法で描かれる立体感が、この第1話は元気だ。
紙の上にある鞘姫と、それを原作と脚本の間に立ちつつ噛み砕いて表現するあかねちゃんと、いろんな都合に苦しみつつ仕上げた脚本の中の鞘姫は、重なり合いつつも別の存在として、別の表現で削り出されている。
今後物語は二次元が三次元に作り直される難しさ、原作を受け取って別のメディアで表現する厄介さと、がっぷり組み合って進んでいく。
そのメディアのすれ違いは、それぞれのキャラが譲れぬ理想と執着する、社会的立場の差異とも重なり合って、皆が全力絞り出して作り上げる絵空事と、舞台の上に形になっていく”東京ブレイド”という現実の、境界線を混ざり合わせていく。
その時、生身を用いて物語を舞台に作り上げていく、役者の身体性をこの第1話でしっかり示せていたことが、次元を超越して優れた作品を作っていかなければいけない、”東京ブレイド”の難しさと面白さを下支えするだろう。
アビ子先生が暗闇の中シコシコ、心血注いで生み出した原作をより良く、三次元に形にしていくために、役者も制作陣も誠実な本気をこめて、自分たちのやるべきことをやっている。
そういう熱量がちゃんと感じられる第1話が、なのにガンガンにすれ違ってぶつかってしまう難しさ、今後暴れまわる準備をしっかり果たしていて、大変良かったです。
メディアの違いを乗り越えて、作品の核にある熱を新しい場所から、新しい観客手と届けていく難しさってのは、【推しの子】をアニメにするこの作品自体が背負う、現実的な悩みと繋がってる。
作中描かれる魅力的な厄介事と、それをアニメに作り上げていく獅子奮迅が重なるこの感覚は、物語とのシンクロ率を上げる火種として、なかなか面白い仕事をしそうだなーと、このいい仕上がりの第一話を見て思いました。
誰よりも”東京ブレイド”を愛し、身を削って世に問うたからこそ、原作者様からぶっ放される特大の爆弾。
初手から適切に大波乱、いったいどうなることやら【推しの子】二期!
膨れ上がった期待を余裕で飛び越える、力の入った第一話、大変素晴らしかったです。
次回も楽しみ!