イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム3:第13話『つながるメロディ』感想

画像は”響け! ユーフォニアム3”第13話より引用

 というわけで、終わりである。
 黄前久美子の全国大会金への歩みが終わり、吹奏部活動が終わり、高校生活が終わり、最終話にてようやく演奏された楽曲のように季節はめぐり、また新しい音楽が始まる。
 三年間の、あるいは九年間の物語の総集編という趣もある、この異形にして王道の最終回で久美子が最後の演奏に感じるように、悔いなく全てをやりきったと思えたからこそ、繋がるメロディがある。
 未熟は成長へ、迷いは特別へ、不和は親愛へ、背中合わせに繋がっていくのが歌の定めだとするのなら、前回描くべき全てを描ききって、穏やかなエピローグのように必然の勝利を描く今回の”終”もまた、新しい始まりへと繋がっていくのだろう。
 五年前の惨事に中核スタッフ含めた沢山の方々を奪われ、それでも八田社長を筆頭にこのアニメを弾ききるのだと、この決着まで走りきってくれた、もう一つのバンドに敬意と感謝を示しつつ、最後のユーフォ感想を書く。
 とても良いアニメだった。
 ありがとう。

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第13話より引用

 とはいえこの最終話、正直な所流れる映像とその外に積み上がる物語があまりにも雄弁にすぎて、今更視聴者が言うべきこともあまりないとは思う。
 前々回、解決の予感を与えつつ至近距離まで踏み込めなかった、三人のユーフォ奏者は椅子を並べて遂に”響け! ユーフォニアム”を共に演奏し、ぶつかったり不安定に揺れたり心からの涙に暮れた二人は、いつもの親しさげで特別な距離を取り戻し、未来へ飛んでいく飛行機雲にいつも通りのやり取りを、柔らかく笑い合う。
 一年の頃から変わらない、麗奈の滝先生の思いがどうやっても死人に勝てそうもない手触りを、イタリアンホワイトが捧げられた墓地は宿しているが、未来がどうなるかは誰にもわからないわけだから、麗奈の純情がいつか、また別の音楽を奏でることもあるかもしれない。
 前々回、永遠でないのならここで終わらせて、最高の一瞬を永遠にしたいなどと青臭いことを言っていた麗奈は、そういう気持ちを表に出して久美子に抱きしめてもらったからこそ、その揺らぎの先へと自分を飛び立たせていく。
 第7話で不穏な断絶の暗喩だった飛行機雲は、素直なフェティシズムを取り戻して、無限に続いていく未来への矢印として、また画面に顔を出すことになる。

 今回は三期だけでなく、過去作全部を大量に引用した、大総集編でもある。
 あらゆる瞬間に思い出が蘇り、過去と未来に繋がっている今を笑顔で走っていく久美子の足取りは、これまで紡いできた全ての物語に支えられている。
 迷ったり、ぶつかったり、泣いたり。
 腸が引きちぎれるほどに悔しかったり、涙がこぼれるほどに愛しかったり、背中合わせに矛盾する全ての感情が結びあって、生まれた一つの結晶。
 その一環として、ここまで久美子と真由と奏の複雑な距離を描くキャンバスとなってきた、校舎裏の暗い空間がもう一度顔を出して、三人があの余所余所しいすれ違いの中に、ようやく吐き出せた本心の先に、何を得たのかが答えとして描かれる。
 それはあすかから継いだ”響け! ユーフォニアム”を、自分の居場所を探し続けてようやく久美子の隣に……本気で正しく音楽に向き合う北宇治に見つけた真由へ拓き、久美子のいない北宇治で彼女の音楽を作っていく奏へ継ぎなおすことだ。
 三年間、自分を主役として積み上がってきた物語を、自分のすべてを奪うライバルに思えた、自分と同じ傷を抱えたあわせ鏡の双子に、隣り合って一緒に吹くことだ。
 沢山の楽器と、沢山の奏者がいて初めて成り立つブラスバンドを、作品のテーマと選んだアニメなのだから、当然この緑色の劇場の閉幕は、そういうことになる。
 そういう”当然”へ、描くべきを描ききってたどり着ける幸福を、山盛り噛みしめる最終回でもある。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第13話より引用

 総決算勝負の場となる全国大会に挑む様子も、関西大会前の破綻寸前の危うさはもはやなく、第4話と第9話に描かれたコントラバス師弟のエピローグを柔らかく切り取って、彼らがとても好きだった僕の心を、とても嬉しくしてくれる余裕がある。
 ”誓いのフィナーレ”で個別の物語を背負えなかった求くんが、黄前久美子最後の一年にフォーカスしたこの三期で、しっかりと自分の過去と現在と未来を描けたことも、その隣に真っ直ぐ立つ川島緑輝の姿を描いてくれたのも、とてもありがたかった。
 あれだけの技量を持ちつつ音楽に残念無し、これまでの全てを多くの観客に披露する高揚に武者震いする緑輝の姿は、一年の時から揺るがぬ強者の落ち着きと優しさを見せていて、凄く良かった。
 この子が音楽をやることの善い側面を体現してくれていたから、このアニメはここまで走れてきたのだと僕は思っているので、最後にもう一度、彼女の綺麗で強い横顔が見れて良かったと思う。

 鬼のドラムメジャー、無敵のソリストが本番前、どれだけ心細く震えるかも彼女の特別はよくよく知っていて、運命に試されて揺れた絆を手繰りなおすように、久美子はその背中を抱きしめる。
 そういう個人的な抱擁と、100人からの部員全員が一丸となって一つの曲になる、大きく広い力強さは確かに繋がっていて、黄前久美子個人を支える個別の繋がりを取り戻せたからこそ、『頼れる黄前部長』は最後まで、そういう存在として北宇治の真ん中に立っている。
 100人の部員全員で北宇治と、ともすれば綺麗なお題目で終わってしまいそうな久美子の理想がただの現実なのだと、示すように100人全員顔と名前を叩きつけてきた本番前の演出は、あまりに飛び道具であり、あまりに京都アニメーション的であり、あまりにこのアニメらしかった。
 最後の『北宇治ファイトー!』を力強く皆で突き上げ、黄金色の輝きが待つ場所へと、物語が終わる場所へと、久美子たちは進んでいく。
 もはや言葉はなく、音と思い出と未来がある。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第13話より引用

 ボロッボロになった楽譜に、ド素人から三年かけてこの晴れ舞台に立っている葉月ちゃんに、あのオーディションを経て最強のソリにたどり着いた三人のかんばせに、言うことはあまりない。
 それは今目の前に広がっている映像以上に、ここまで2クールと映画3本、三期13話の長い長い物語を見届けてきた、僕の心のなかに投射されて、豊かな意味を芽生えさせる最後の演奏だ。
 眼の前の演奏に極限の集中をもって臨みつつ、久美子の脳裏を駆け巡る数多の思い出は、僕が視聴者としてこのアニメを見続け、何かを感じた体験と、確かに響き合う。
 久美子の思い出は、ここに立つ北宇治55人が見ているものは、確かに僕もまた見届けたのだ。

 思えばある種の飢餓感を煽るべく、”ユーフォ”のお家芸ともいえる長尺の演奏シーンを封印する形で進んできた気すらする、振り返ってみるとかなりヘンテコだった三期。
 既に描いたもの、乗り越えたものをあえて大胆に切り捨てて、部長となり三年生となった黄前久美子と、彼女の鏡たる黒江真由の間に走る緊張と共鳴に、焦点を合わせて描写を積み上げてきた、この13話。
 待ってましたのフィナーレとして鳴り響く演奏が、テーマとしているのは巡りくる四季であり、炸裂する思い出の欠片たちが背負う季節の色と、実際の演奏に瞬くモチーフが重なり合うのは、最後の最後一回こっきり許された、極めて贅沢な共鳴だろう。

 衝突も融和も、涙も笑顔も、本気も弱気も、迷いも答えも。
 本当に色んなことが、たかだか人が集まって音を鳴らす行為には宿ってしまう事を、吹奏楽に三年間の全部を捧げた久美子は、その終わりに改めて思い知る。
 あれだけ切望したソリを弾けない今すら、自分がたどり着いた一つの必然なのだと、死にたいほどのく優しさを愛しく飲み干した後に、微笑んで聞ける程に。
 自分の卓越した才能が切り捨てた未来が、今目の前にたしかに花開いているのだと手渡してもらって、嘘のない自分自身を響かせながら描くソリを、一心不乱の眼差しでやり切るほどに。
 相矛盾する人間の全部を、載せてなお豊かに響く正しく強い美しさの真ん中に、久美子たちは今、立っている。
 立てる所まで、物語は走ったのだ。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第13話より引用

 かつて冬の別れの日に託されたものと、今光を見上げて祈る舞台裏から託されているものに、背中を支えられながら曲はクライマックスへと駆けていく。
 それは終わりであり、そこからまた始まるために全力でやりきらなければいけない、三度目のフィナーレだ。
 ここにたどり着かなければ物語は終われないし、しかし約束された結末にたどり着くためには、どれだけ本当のことを血を絞り出すように、物語の中に刻み込み、積み上げていかなければいけなかったのか。
 黒江真由の秘密を青春探偵が暴き、黄前久美子をその原点に帰還させ、取り繕った優しさとしがみつくばかりの思い出を投げ捨てて、作品が追いかけてきた正しさと厳しさに、改めて向き合う。
 そういう事を12話までにやりきったからこそ、この最後の演奏は、最後の話数は、新たに何かを語らず、全てが終わればこそ始まっていく、巡りくる四季のような色を宿すのだろう。
 そのドラマティックな必然が、曲想を完全に捉え音にする最高の演奏を北宇治が成し遂げているのだと、勝利に相応しい説得力を呼び込みもする。

 ”勝つ”ことを演奏行為に求める、コンクールの矛盾。
 それは物語が始まった時から作品の真ん中にあり、自分たちなりの答えを生み出すためには”勝つ”しかなく、その過程でいくつかの勝利と敗北を、久美子は体験してきた。
 勝つことも負けることも、全て意味があるのだと心から思えるような、全霊を賭したオーディションに全ての奏者が真摯に向き合った、前回のクライマックス。
 そこを越えたからこそ、誰よりも”勝ち”を求めつつ心の底から音を楽しむ、矛盾が融和する境涯へと物語はたどり着けた。
 ”リズと青い鳥”で為されたみぞれの覚醒が、その卓越故にバンドとしてのまとまりを得られず関西大会敗北に終わった日から一年。
 真由の迷いを完全に飲み干し、トランペットに寄り添うソリを得て……それこそが最強なのだと選べる複数オーディション制に助けられて、久美子たちの音楽はここまで来た。

 やりきった。
 皆がそう思えるなら、それより喜ばしいことはなにもない。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第13話より引用

 三年間のすべてを載せた演奏は、必然の勝利へとたどり着いて、祈りは報われ歓喜が炸裂する。
 みんながどれだけ勝ちたかったか、画面の向こう側で見させてもらった観客としては全ての場面が愛しいけども、やはりデカリボン幾度目かの慟哭、呆然とする麗奈が『嬉しすぎて死にそう』とかつての痛みを反転させる所、最後にしてようやく自分をずっと聞いてくれていた親友と至近距離触れ合う真由あたりが、特に刺さる。
 後はずっと私情を表に出さず、生徒の可能性を信じながらここまで進んできた滝昇が、妻の悲願を成し遂げてようやく涙する姿には、大の大人がようやく呪いを解いたもう一つの物語が、やはり高校生たちのアンサンブルに隠れてあったのだと、思える強さを感じた。
 この金色の眩しさが、久美子と北宇治三年間の成果。
 それが全てではなく、そこに至るまでの全てをこめれたからこそ、たどり着けた終着点が、新たな曲が始まる始発点なのだということを、ここからのエピローグは改めて描く。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第13話より引用

 離れても終わっても、確かに繋がれる自分たちを信じて進みだした未来の景色は、その色を変えつつも響く音に満ちて、春色に豊かだ。
 三期第1話に仕込まれた叙述トリックを回収などしつつ、卒業時に植樹された桜があの時の予言通り花をつけた北宇治に、煙突は二本ではなく一本。
 未来への五線譜を空に刻む飛行機雲は青空に眩しく、どこかかつての自分に似たユーフォ奏者を前に、黄前久美子はその両手を広げる。
 真由が取った写真の中で永遠に微笑む、物語を始めた四人の中で、ずっと響き続けている音を、いま自分たちだけの……でも確かに、かつてあった歌と共鳴する青春の真ん中にいる若人と重ねる道を、久美子は進路と選んだ。
 そして、次の曲が始まる。
 もはや、終わることはない。

 

 

 というわけで、”響け! ユーフォニアム”のアニメーションが完結した。
 大変素晴らしいアニメであり、様々な困難が道を阻む中、見事に終わらせてくれたことを心からありがたく思う。
 ”誓いのフィナーレ”を終えて果たして、ユーフォは続き、終わりうるのか。
 絶望的に思えた状況から、繋げ響き終わらせ始めるために、このアニメを作り上げ届けてくれた方たちがどれだけ頑張ってくれたのか、僕は想像することしか出来ない。
 でもそれが確かに、自分の胸の中に響く本物の音なのだと、心から思えるフィナーレを見届けて、本当に嬉しい気持ちだ。

 三期は前作までの”ユーフォらしさ”をかなり書き換えて、独特の画角と焦点で作り上げられたアニメだと思う。
 まばゆき青春の光と影を美しく切り取る表現力、細やかな仕草の中に描かれる感情の震え、情景と身体を繊細に積み上げることで生まれてくる瑞々しい息吹。
 そんな京都アニメーションの表現は更なる冴えを見せていたが、久美子と真由に大きくカメラを寄せ、その息苦しいすれ違いにかなりの時間を使った語り口は、例えば演奏シーンをアニメーションに落とし込むゴージャスな快楽を、作品から遠ざけてもいる。
 それは放送形態やスタッフワーク、様々に移り変わった制作の裏側を反映しつつ、選び取られた変化なのだと思う。

 しかし最後に、『立派な部長』として既に完成を果たしたように見え、ここまでの物語で得た喜びと痛みにしがみついて動かない黄前久美子を、その頼もしさも危うさも、改めて激しく揺さぶり試す筆は、間違いではなかった。
 そう思えるのは稀代の大傑作回である第12話の、圧倒的な仕上がりが”解答”として提出されればこそだが、そこに至るまでの謎めいて息苦しい描線も、トラブルを頼もしく乗り越えていく黄前部長の勇姿も、ただ結論を引っ張り出すためのアリバイではない。
 後悔も喜びも、青春に埋め込まれた何もかも嘘などではなく、衝突を経て融和に至るその過程も、生み出される痛みも、全部歌に変えていけるほどの強さを、この物語を活きた子どもたちも、彼らが挑んだ音楽も、しっかりと宿している。
 勝敗の厳しさと音楽の楽しさを、両立させる奇跡は確かにそこにあって、三年間をコンクールに賭けた久美子の選択は、間違いなどではなかった。

 最終話を見届けてそう思えるのは、そんな久美子の、彼女の北宇治の最後の一年を、徹底して美しく、執拗にドラマチックに描くために、アニメの全領域をフル稼働させた頑張りがあってこそだろう。
 過剰なほどに張り詰めたクオリティの追求が、生み出す独特の詩学とリアリティを、13話……あるいは9年間、ずっと味わい続けれるアニメで、とても良かったです。
 『ユーフォには、こう終わってほしいな』という願いを全力で蹴り飛ばして、期待や想像をはるかに超える、公式にユーフォのアニメを造りうる唯一の創作集団だからこその全力の答えを、見事に鳴り響かせてくれました。

 

 ありがとう。
 とても楽しかったです。
 さようなら、またいつか。