イマワノキワ

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花野井くんと恋の病:第10話『初めての2年生』感想ツイートまとめ

 花野井くんと恋の病 第10話を見る。

 桜の季節を迎え、花野井くんたちも二年生。
 恋人に手を引かれて広がっていく世界に、一体何を見つけるのか…という、ややフワッとした食感のエピソードだった。
 外野から山盛りの試練が襲いかかってくる作風でもないので、はれて彼氏彼女になった二人をどういう方向性で煮込んでいくのかってのは、かなり難しい課題だと思う。
 アニメだと残り話数も少ないし、三ヶ月の物語がしっかり収まった感じを造ってまとめていく難儀を、どう乗りこなしていくのか。
 八尾くんの不定形な気持ちも顔出して、最終コーナーを回ったこのアニメの行く末が、なかなか楽しみになる回でもあった。

 

 というわけでほたるちゃんとクラスが離れ、新しい社会を構築する契機ともなる二年生進級。
 ”こう”と強く思い込むことでブレず揺れず、自分の根っこにある不安定な渇望を見ないようにしていた花野井くんが、ほたるちゃんの助けを借りてちょっとずつ寂しく辛い己と向き合えるようになってきている様子は、前回も描かれた。
 そうして欠けている部分、壊れている部分をちゃんと認識することで、そこから生み出される様々な不適合を客観視し、最初から”こう”と跳ね除けるのではなく、生き方を選択する余力も出てくる。
 つくづく自分はこのお話、花野井くんの人生リハビリ物語として読んでるなぁ…。

 『恋人以外はいらない。そこに裂く余力はない』と決め込んでいた”こう”の外側に、自分の知らない自分がいるんじゃないか…という疑問と期待を、春の花野井くんはとっぽい態度の奥に抱えている気がする。。
 それは未知故に不安で、どんなモノか顔が見えず、しかしだからこそより善い己に変わっていける可能性を秘めたものだ。
 これまではそういう、良くも悪くもなり得る未来に飛び込んでいく精神的体力が花野井くんにはなかったわけだが、極めて健全で正しいほたるちゃんの精神性をゼロ距離注入されることで、欲張りにもなってきた。
 それは自分の外側から押し付けられるのではなく、抑圧されていたものが内側から弾ける、自発的な力に満ちている。

 『ほたるちゃんだけいればいい』と閉じる気持ちも、その外側に何かを感じている思いも、矛盾するようでいて全部花野井くんの本当なので、その混沌にどう向き合ってどういう名前をつけるにしろ、大事にして欲しいなと思う。
 非常にじっくりだけども人に恵まれ、なかなか自分をうまく社会や世界と繋げれない人格赤ちゃんを見守ってもらえる環境にいるので、これまでと同じように一個一個、自分の中に新たに…そして懐かしく湧き上がるものと付き合っていって欲しい。
 彼女の友達とメシ食って話ししたり、バイトの懇親会に顔出したり。
 二人の緊密な関係構築に”恋人”って目鼻がついて、カメラが外に向いてきた感じだ。

 

 花野井くん一人だったら、これまで通り積極的な孤独に閉じこもって、交流も変化もないままなのだろう。
 しかしほたるちゃんが手を引いて世界の広さを、そこで自分の足で立てる花野井颯生を見つけたことで、今の花野井くんは遠ざけていた可能性を、引き寄せ受け入れる力を掴んできている。
 本来なら親が側についてじっくり育ててあげるべき力だったんだろうけど、両親は他人の子ども見すぎて我が子の自我形成には無頓着だったので、他人に手を引いてもらいながら、遅れ馳せの学童期をやり直している感じだ。
 いやー…本当にほたるちゃんに出会えてよかったねぇ…。
 死なないための魔法だった『運命の人』を、本当に見つけたんだね。

 なにしろ経験値がないので、花野井くんの他人との触れ合い方は極めて無骨で危ういものだ。
 しかしその出来てなさも花野井くんの一部と、全肯定してくれる…だけでなくより善く変わっていこうと、手を引っ張ってくれる恋人がハブになって、バイトや教室に新しい社会が広がりかけている。
 そこではただツラがイケてて、持ってるとワーキャー言われる男型アクセサリ以外の価値と仕事が、花野井くんには求められる。
 なかなか大変だけども、本来ダセー眼鏡かけてそういう地道な”人間”をシコシコ頑張りたかった(が、サポートが致命的に足りず出来なかった)少年が、本来の場所に戻ってこれた感じがある。

 

 花野井くんが気の進まない懇親会の顔を出すのは、『いつまでも彼女に気を使わせていて良いのか?』という八尾くんの挑発に乗った形だ。
 恋人以外と繋がる社会性は、未だほたるちゃんをハブにすることでしか成立していない。
 しかしそうして補助輪付きで、愛する以外にも価値がある自分を探していけたら、そのうち自分ひとりで、ほたるちゃんと関係ない喜びを、見つけることが出来るだろう。
 それは運命の恋人を蔑ろにする行為ではなく、むしろほたるちゃんがいてくれたからこそ拓けた、新たな地平への到達だ。
 そこへの一歩一歩を、花野井くんは改めて歩いている最中なのだろう。
 そらーフラフラもする。

 親子関係が破綻した結果、良く知らねージジイから手渡された『運命の人』を柱になんとか人格を構築し、一方的に愛を与えることでなんとか、人と交わっていた花野井くん。
 そんな彼は、与えずとも愛してくれるほたるちゃんと向き合う中で『運命の人を求め、応える花野井颯生』という”これ”を切り崩しても、思いの外生きていける自分と出会う。
 ”これ”と確立したアイデンティティにしがみつき、閉じた自己像に腐っていくより、ほたるちゃんという圧倒的な安心の源に支えられることで、自分の中の色んな可能性が、思ってたより悪くないと学んでいく。
 その発見が、彼の依存先を分散させ、社会と繋げていく。

 

 恋を描く話なのに、恋という感情と関係が持つ狭い独占を解体しつつ、恋あらばこそ豊かに広がっていける可能性に強く視線を向けているのは、なかなかに面白い。
 無論嫉妬や渇望、不安や独占は人間の根っこにあるもので、愛されなかった時間が長い花野井くんには特にそうだ。
 そういう暗く危ういモノは、人間の中に確かにある。
 ではそれを否定せず、むしろ個性や善さとして開花させながらもっと幸せになっていくには、どんな歩き方をしていけば良いのか。
 そういうモノを二人寄り添いながら学ぶ時間として、恋に満ちた花色の青春を描いているのは、自分としてはとても風通し良く見れてありがたい。

 花野井くんがヨチヨチ歩きで人生歩き直し始めたんで、物語の揺れるエンジンが八尾くんに横渡しされた感じもあった。
 恋愛エースとしては対抗馬がいない間に、あっという間に運命領域まで駆け抜けてしまっていて、ほたるちゃんの恋人は花野井くんでガッチリ決まっている。
 そこに横入りする邪悪さはもちろん八尾くんにはないのだけども、ではほたるちゃんの事を思うと暖かくなる彼の気持ちは、どこに行くべきなのか?
 ここら辺の揺れ方が、終盤戦を引っ張る一つの鍵になる…感じかなぁ?
 ほたるちゃんとの間合いが改めて縮まったのが、花野井くんという異物を介してなのが、人間関係の妙でなかなか面白い。

 

 なにしろほたるちゃんは素敵な人なので、『獲られちゃうかも…』つう花野井くんの危惧も、完全に過剰警戒ってわけじゃなかろう。
 愛された記憶が薄すぎるので、花野井くん自己評価メッチャ低いし自信もないからな…。
 しかしそうやってトゲトゲ荒い態度で世間に接して、恋人を守る…素振りでその実、自分の中にある泣いてる子どもを守ろうとするのは、間違っちゃいないが正しくもない。
 今の花野井くんが心地よく、自分らしくいられる適正距離を、八尾くんと一緒にフラフラ揺れながら見つけて行けると良いなぁと、見ながら思った。
 ここら辺、世間一般の”正しさ”を徹底的に内面化出来ているほたるちゃんは、マジ強いな…。

 世間で求められるものを自分の内側に取り込めると、ブレが少なくなって安定し、悩むことも少なくなる。
 しかしほたるちゃんは常に『自分はコレでいいのかな? みんなが正しいって言ってることは、本当に正しいのかな?』と考え続け、改め続ける賢さも、しっかり持っている。
 健やかな精神的代謝を繰り返して、花野井くんの愛と情熱も自分の中に取り込んだほたるちゃんが、手渡してくれる変化への耐性。
 それは既に花野井くんの中にあるわけで、信じて思う存分、青春によろめいて欲しいもんだ。
 八尾くんの中にある名前のつかない感情と関係の行方も含めて、次回もとても楽しみです。