イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ダンジョン飯:第23話『グリフィンのスープ/ダンプリング1 』感想

 固く閉ざされた思い出の扉が開かれ、心という迷宮に仲間たちが踏み込む。
 センシおじさんを苦しめる暗いダンジョンを、この話らしいやり方で攻略……料理する、ダンジョン飯アニメ第23話である。
 僕は原作でいっとうこの話が好きなので、アニメで見れて良かったな……。

 というわけで極めてシリアスなセンシの回想から、魔物探偵ライオスの真相解体、思い出の味を腹に収めて流れる涙……からの、チェンジリングによる人種交換コメディで最終話まで駆け抜ける回である。
 非常にいい感じにライオス一行の到達点を描くエピソードで終わらず、ずいぶんギャフンなドタバタコメディ、その先にあるまったり料理まで進んで次回に繋ぐのは、僕らが見てきた23話を一緒に笑って見届けてくれてる感じがあって、何か良かった。
 心の奥底に潜むくらい記憶や、それを開放し受け止めてもらって流れる涙も”ダンジョン飯”の大事な献立なんだが、おんなじ位不思議でおかしな出来事がたくさん起きて、ドタバタ騒がしく楽しいのも、欠かせぬメインディッシュである。
 騒々しくも楽しい旅こそが今回、センシがずっと隠してきた思い出を皆の前に曝け出し、タブーを気にしないからこそ真実に切り込んで答えを導くライオスと出会わせ、絆を深めてきた。
 泣くも笑うも騒ぐも、生きるも死ぬもみんな同じ皿に乗ってる”ダンジョン飯”のおもろさを、幕引きを前に堪能できるエピソードだったと思う。

 

 センシが語るドワーフ採掘団の顛末は、地上と迷宮が繋がり蘇生術が一般化する前の、いわば”原・迷宮”的な怖さ、洒落にならなさを持っている。
 死ぬことすらコメディの一つになりかけている、ダンジョン経済/文化の壊れ方がこの話の中核にはあると思っているが、同時に生きることと死ぬことの意味を軽く見ていないからこそ、迷宮を踏破する目的は『ファリンの蘇生』に定められている。
 食べなきゃ死に、生きるために戦う冒険者たちの旅は、今も昔もシリアスな重たさを秘めて瞬いているわけで、センシが告げる彼の最初のパーティーの壊滅は、見た目より深くライオスたちの現在と響き合っている気がする。

 頼れるセンシおじさんにも力なき青年だった時代があり、仲間が一人また一人と斃れていく中、ただ守られる側だった痛みがそこにはあった。
 今のセンシのように賢く強く優しくなって、仲間たちに恩返しできる関係が続けばよかったのだが、欲望と危険が渦巻くダンジョンはドワーフたちの命を対価に求め、飢餓は大人たちから正気を奪っていく。
 そこでもなお、若い世代を未来へと旅立たせていくために命を賭けた存在がいるから、センシは今も生き延びライオスたちの腹を満たした。

 今回戦士の過去が明らかになったことで、料理が上手く戦いも強いセンシの”今”が、悲惨すぎる過去に飲み込まれないための必死の抵抗であることも見えてくる。
 あんだけ腹を満たすことに固執するのは、頼れる兄貴分たちが飢えの中ドンドンヤバくなっていた記憶と、それでも一番使えない自分に一番メシを食わせてくれた恩義が、両方センシの中にあるからだ。
 危機を前にも臆さない自分を保ってきて、恐怖の根源たるグリフィンに対峙してそれを乱れさせてしまっても、センシの頼れる優しさに幾度も助けられてきた”パーティー”は、彼を情けない存在だとは思わない。
 暗い記憶と辛い惨めさを振りちぎるための戦いだったとしても、それはセンシを確かに頼もしい戦士へと鍛え上げ、かつて自分がそうしてもらったように、年若い連中の腹を満たし命を守る責務を、しっかり支えられる足腰を鍛えたのだ。

 

 パーティー壊滅の悲惨、タブーを犯したかもしれないという恐怖を、チルチャックの自己開示を呼び水に表に出せた戦士の居場所は、彼自身がその温もりを育てた”パーティー”にこそある。
 地上にある故郷には戻れず、オークたちとは種族を超えた友誼を結びつつ離れ、偶然と運命が結びつけた奇妙な縁が繋いだ、同じ釜の飯を食う仲間たち。
 心の奥底に溜まっていた膿を吐き出し、スッキリ未来を見据えてレッツゴー! ……てなるのが普通の解決かと思うが、ライオスはそんな半端なことは許してくれない。
 問題児枠かと思われていたイヅツミも思わず『アイツなんなの?』とツッコむ、他人の危険領域にガンガンを身を乗り出して魔物知識でバッサリ過去を切り捨てる、名探偵ライオスの魔物推理が今始まる!

 ライオスはグリフィンの習性とセンシが語る証言を組み合わせて、生まれた違和感を検証することで、意図せぬ共犯者たるチェンジリングを見つけ出す。
 ドワーフ壊滅事件の真犯人を探り当て、謎めいた”グリフィンのスープ”の真実にたどり着くことで、センシは自分が何で命をつないでいたのか答えを得て、”パーティ”に抱きしめられる。
 ライオスがグリフィン調理するの放棄して真相究明に走っていった時、センシがやりかけの肉を掴んで丁寧に処理し”料理”した描写は、失われかけていた彼らしさが再生している描写としてとても良かった。
 センシ自身の手で、おぞましい禁忌を秘めていた肉で掴んで調理することで、彼はそれを『腹に収める』覚悟を決めるし、そう進み出せる決意の半分は、自分のために走り回ってくれるパーティーへの信頼が支えている。
 もう半分はセンシ自身の勇気と高潔で、周囲ドン引きのライオス式解決策は、ことセンシに関しては生半可な優しさや常識よりも、適切で有効だったのだろう。

 

 そこら辺のクリティカルを狙って出したのか、やりたい放題やった結果偶然出たのか、判別しきれない所がライオスの面白さでもある。
 魔物知識を駆使しての名推理は見事に真実を射抜き、『いい感じの丁度いいところ』で止めようとしたチルチャックやマルシルに任せたより、結果として良い結末を引き寄せることが出来た。
 しかしその果敢は、周りの連中が(当事者であるセンシ含め)必死に言葉を濁している偉人肉食タブーへ、ノータイムで踏み込むヤバさと隣合わせだ。
 『似たようなことが結構あって、シュローに苦手意識持たれてたんだろうなぁ……』と、後出しで納得する大暴走ではあるのだが、ではライオス以外に任せてこの文句なしの大団円にたどり着けたかは、結構怪しい。

 マルシルやイヅツミが露骨に顕にしていた魔物食への忌避は、『食のタブー』の究極系たる人肉食と接近することで、今回その曖昧な輪郭をより鮮明にしていく。
 人類と解り合うことのないモンスター(そういう存在に”アンヌ”と名付けていたセンシの旧懐も、今回改めて意味がわかり直したりするのだが)に付きまとう、穢れと死の気配。
 マルシルがヒューマノイド調理を頑として拒んだ、不定形だからこそ強靭な社会の共通認識に、ライオスは上手く接合できない。

 事実は事実、食事は食事、曖昧な部分は切り捨てて食うべきは食う。
 そういう極めて合理的な判断でもって、顕になったセンシの患部に大鉈を振るい、大胆にえぐり取って料理する道に踏み込めるのは、彼が『空気を読めないやつ』だからこそだ。
 そういう人間にも情があり心があるということを、前回センシが攫われた時の動揺はちゃんと示してくれているのだが、『アイツはそういう奴だから』で収まらず社会からはじき出されてしまうヤバさを、今回の名探偵っぷりはよく描く。

 『あれ』とか『それ』とか『(無音)』とか、表現をぼかすことでなんとか社会に存在を許されているタブーを、ライオスは問題視しない(出来ない)で『人肉』と言い切ってしまう。
 オークを始め様々な人種に偏見がないのも、こういう不可視の、しかし重要なプロトコルを処理する機能が上手く育っていない、彼の特質の現れだ。
 この怜悧な観察眼が思いの外、命がけの冒険者稼業では役に立っていることもこのアニメでは幾度可描かれたが、迷宮に潜ったとは言え人間社会、その見えなさが問題を発生させたことも、一度や二度ではない。
 最も強く人間に興味を持たなければ成立しない『君主』という職業が、迷宮踏破のは手には黄金郷の住人から手渡される未来も見えてきた今、パーティーのリーダーとして、あるいは一人間として、彼は自分の善さを残したまま他人と通じ会える形に、ライオス・トーデンを料理する必要があるのだろう。

 その一歩目として、極めて今まで通りの魔物マニアっぷりを残したまま、大事な仲間の心の傷をしっかり料理し、どこか相乗りだった迷宮踏破・ファリン復活という目的に己の魂を乗せる決着を掴めたのは、やっぱ良いなぁと思う。
 センシは魔物食という趣味であり、人生をかけて自分が生かされている意味を探る旅でもあった行為に、同じ熱量で向き合ってくれる青年が自分にしてくれたことを、けして忘れないだろう。
 他人の気持ちも世間の常識もさっぱりわからない、迷宮に流れ着くしかなかったライオスが地上の『まとも』に己をはめ込む以外の未来は、確かに危険と財宝が眠るこのダンジョンに、確かに眠っているのだ。
 そこにたどり着けるか……つうかたどり着くまでをアニメで描けるかは、次回最終回を迎えた先のお話であり、いや絶対二期やってくださいよ! って感じ。

 

 

 かくしてスカッと問題解決、ダンジョン飯完っ! ってなるとばっか思ってたら、EDぶっ飛ばして尺を作り、まだまだお話は続いた。
 ファリンとの再会あたりから、姿を変えたり心に潜ったり、人間が人間であることの根源に触れてくるようなモンスターが増えてきたけども、今回は種族を入れ替えることでお互いの立場が真に迫って理解できる、チェンジリングのいたずらである。
 馴染のメンバーがガラリと姿を変え、肉体変容に伴う能力や精神、パーティー内部での立場の変化を実体験する今回は、なんとなくで種族の差を飲み込んできた僕ら視聴者も、そこら辺の認識を新たにするドタバタ迷宮講座といえる。
 トールマンになったチルチャックが青ひげ顎割れ激渋おじさんだったり、ハーフフットになったマルシルが一発魔力切れしてたり、エルフになったセンシが途端に耽美な手弱女オーラを放ったり、なかなかに愉快なドッタンバッタンで楽しかった。
 呪いを解いて人間に戻ることを願ってるイヅツミが、人間種ではなく獣ベースのコボルトになったのは……まぁそういう所、シビアな作品ではあるからな。

 異種族の身になってみると、奇妙で理由のないものだと思っていた色んな習俗が、種族的特徴に起因した必然だとも解ってくる。
 体格に劣るのに魔法も使わないハーフフットが『使えない』こととか、ドワーフのスタミナの無さ(トールマンの卓越したスタミナ)とか、図体だけでヘイト値を稼ぐトールマンの厄介さとか、屈強な戦士を耽美なお嬢様に変えるエルフのどんくささとか。
 皆種族に刻まれtやりにくさをなんとか乗り越えて、力を合わせて迷宮に潜っているわけで、伝わりにくいその難しさを実地で、身体入れ替える形で理解らせる迷宮の不思議は、なかなかに面白い教育装置だ。
 授業料は時に、冒険者の命だがなっ!

 

 ライオスの社会に馴染めないヤバさを見届けた後だと、地上では起こり得ない迷宮の不可思議を借りることで、彼が他人や社会を学ぶアシストがなされている……と考えることも出来る。
 分断や衝突や我欲を煽りつつ成立している『まともな社会』は、その目が届かぬ地下迷宮においてはルールを捻じ曲げられ、時に生き死にすら絶対の切断面ではなくなる。
 そういう転倒した場所だからこそ、罪の意識に苛まれたドワーフとか『まとも』に馴染めない青年とか、色んな連中を受け入れ混ぜ合わせて、パーティーという小社会が成立し、命がけの戦いの中で絆を深めもするのだろう。

 その一旦として、ガーゴイルから逃げ延びてのダンプリング作りがあり、腹を満たすだけでなく心も整えてくれる、料理づくりの善さが染みた。
 最悪の衝突から冒険を経て、黄金郷でのゴロゴロニャンニャンを経験し、センシの涙を抱きしめるまでは行かないまでも、ちゃんと間近に見届けるところまで近づいてきたイヅツミ。
 彼女がライオス一行の”料理”に加わったのは、その行為をとても大事にしているこのお話においては結構大事な描写だなぁ、と思った。
 造った水餃子に毛が混じってるのは……まぁ御愛嬌だ。
 そこら辺文句言わずバクバク食べれる連中だからこそ、ワーワー騒ぎつつも一丸となって迷宮を進み、心の奥底から溢れたものを受け止め合ったり出来るのだろう。

 

 

 という感じの、感動とドタバタの温度差が激しい回でした。
 やっぱ俺はセンシおじさんが大好きなので、彼の弱さと強さがどこから来ているのか、しっかり暴いて料理してくれるこの回は凄く良い。
 その感動で綺麗にまとめず、なんもかんもがドッタンバッタン大騒ぎなチェンジリング騒動の顛末まで描いて、アニメは一旦の幕となりそうだ。
 原作の良さをアニメ独自の表現とテンポで描いてくれて、大変いいアニメ化だったと、一話残したこのタイミングで言い切っておく。
 次回も、とても楽しみだ。