イマワノキワ

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うる星やつら:第45話『ボーイ ミーツ ガール ねじれたハートで』感想ツイートまとめ

 うる星やつら 第45話を見る。

 終わらない祝祭を終わらせるためのファイナルエピソードも、遂に第3幕。
 作中最大の暴力装置であるカルラが極めてややこしく状況をかき回し、盛大な爆発と大騒ぎの果てに心はすれ違い、ウッカリ地球が後10日で滅ぶ激ヤバ状況が到来し、まさにクライマックス!
 …なんだが、あんま『最後まとめるために急にシリアス』という感じはなく、ここまで”うる星”を貫いてきたトボケたしょーもなさが滅びゆく地球(ほし)に元気な、のんびり日常絵巻である。
 素直になれない男と女、合わせて四人がギャーギャーワーワー意地の張り合い、その果てに地球が巻き添えにされて、しかし誰も真顔にならない。

 

 ド派手な爆発や凶器の炸裂はあっても、取り返しのつかない致命傷をけして追うことがない、あらゆるモノが巻き戻り…つまりは先に進んでいかない世界。
 ヒネた見方では”元気な冥府”みたいな場所が、実はもともと死んでいた自分たちと直面して、それでもなおあるがままノンキに永遠を泳いでいても良いのだと再確認するための、最後の物語…とも言えるかもしれない。
 思えば誰か一人が真顔になって、この優しい永遠から抜け出せばそこから何かが壊れていってしまう状況の中で、物語は濃い目に味付けされたキャラ性の範疇からキャラクターを出さず、しかし小さく、それを投棄する可能性を許しても来た。

 冒頭、ごくごく普通に自分を特別と選んでくれた青年と喫茶店でデートしてるしのぶは、ラムとあたるを取り合う三角関係のライバルではそもそもなかったその在り方に、ふさわしい場所へと自分を押し出している。
 しのぶがやるべき仕事をカルラが担当した結果、こんだけドタバタ大騒ぎとなり、子ども達の意地と惑星の命運が天秤にかけられる、”15年早いセカイ系”みたいな状況も生まれてくる。
 (と気軽に使ったが、このバズワードに”ボーイ・ミーツ・ガール”が含まれるかは結構微細な問題で、思いつき以上の重さを言説に持たせたいなら、もうちょいしっかり腰を据えて色々調べなきゃいかんなぁ…とは思う。使うが)

 

 

 

 

画像は”うる星やつら”第45話より引用

 いつもの意地の張り合いが致命的なすれ違いを生み、解ってくれよの試し行動が冷戦レベルまでエスカレートした結果、あたるの甘っちょろい目算もラムの狂った意地も落とし所を見失い、地球の長い午後が始まる。
 そのヤバさを真顔で訴えるアナウンサーは、一人だけマジな道化扱いで戯画化され、セカイは今日も平和だ。
 全てを覆い尽くす巨大キノコに覆われた友引町の景色は、その深刻さを誰も飲み干さないまま終わっていくセカイの長閑な滅びを見事に描き出して、とても美しい。
 やっぱこういう”絵”を要所要所で挟んでくれたから、俺は43話楽しく見れた部分があるなー、令和うる星。

 あたるにしてもラムにしてもルパにしてもカルラにしても、関わった連中全員こんなエスカレーションは望んで…どころか考えてもいなくて、しかし素直になれない意地の張り合いは地球全土を巻き込んで、洒落にならないはずのシャレを胞子といっしょにバラ撒いていく。
 そういう状況にならなきゃ、思いと地球と日常が同列に天秤が乗っからなきゃ、あたるもラムも自分たちの気持ちと関係に真っ直ぐ、向き合うことが出来ない。
 それくらい”うる星”という稀代の傑作が生み出した作中結界は縛りがキツくて、らしくないマジを主役たちから引っ張り出す起爆剤として、鏡写しの暴力カップルも舞台に上がることになる。

 

 あたる達は『ツッパった結果世界が終わりそうです。ごめんなさい』などという、殊勝な態度は当然取らない。
 そういう当たり前で面白くもない賢さを、全部ふっとばしても成立していたのが”うる星”であるし、ふっとばすために宇宙人でも幽霊でも妖怪でも出して、常識のタガをぶっ壊しまくってきたからこそ、成立する最終章でもある。
 そこにおいて大事なのはブレーキ一切なしで暴れるガキっぽさであり、世界全部を人質に取られようが、強要されたなら『好きだ』とは言えない、ねじれた純粋さなのだろう。
 ドカバキ超暴力でツッコミ入れつつ、しかし作品世界はあたるとラムのその意地っ張りを、優しく見守り許す。

 こうしろああしろとうるさく押し付けてくる、世界のルールを全部ぶっ飛ばして、何でもあり楽しさ最優先、野放図で自由で純情に暴れまくれる世界を、誰が牽引してきたのか。
 それを作品自体が解っているからこそ、”うる星”はあたるとラムの”本当”が一体どこにあるのか、徹底して”うる星”らしくやりきれる最後のチャンスを、彼らに手渡す。
 世界が滅ぶの、運命がどうの、なんぼのもんじゃい。
 ウチらは己の思うままにわがまま、最後の最後まで終わらない祝祭を駆け抜ける。
 今見ると結構ヤバい、ガキどもの意地の張り合いはしかし、そういう熱量と爽やかさを宿して、妙に楽しい。
 思う存分、やりきってくれ。

 

 その気持が本当であるならば、言葉なんて飾りを取っ払って必ず通じる虚仮の一念幻想に、あたるもラムも甘えている。
 自分の思いを言葉に…あるいは行動に移して相手に届けなければ、何も分り合えないまますれ違っていく大人の当たり前を、見ないまま生まれていたヌルく幸せな共同生活は、惑星規模の危機に押し流されていく。
 異星人から退魔師まで、全員集合でワーワー鍋をかっ食らう(そして世界が滅び始める)食卓に、ラムはいないのだ。
 そうして当たり前が剥奪されて初めて、本当に大事なものが見えてくる…というには、あたるの意地も分厚い。
 そういう複雑で純情で厄介な少年が、たしかにこのお話の主人公だったのだ。

 真実自分がどんな人間なのか、ずーっと分からないまま上っ面のプレイボーイを演じている(とある並行世界では、それが人生全てになってしまってすらいる)諸星あたる
 そんな彼がずっと許されなかった、最後だからこそのシリアスな自分探しは、しかし責任の重たさや決断の辛さ、何かを選び何かを捨てる大人の当たり前を置き去りに、”うる星”らしい速度で自由にかっ飛んでいく。
 そういう、最後の最後まで”うる星”らしくいることで、最後の最後に”うる星”らしくない本音を描き切ろうとするあがきが、僕はやっぱり好きだ。
 そういうことなので、地球にはガキの意地に付き合ってもらう。

 あたるが真心の証としてずっと持っていた、ラムを空を飛び電撃を放つ…迫りくる危機から自分を守れる強い存在へと”戻す”角は、手渡すより早くニョッキリ怒りのあまり新たに生えて、電撃小町のピンチを救う。
 ラムをダーリンに救われるだけの悲劇のお姫様にしない、密かな愛情が見えて好き場面なんだが、激闘の末花嫁を取り戻し、彼女を元に戻して”あげる”決着を、”うる星”は拒んだ…ってことなんだと思う。
 (逆に言うとルパに押し付けられた”角隠し”を、ラムはあたるへの憤怒を力に変えて跳ね除けたわけで、カルラとの関係と思いが描かれる前から、たどり着くべき決着は既に定まってる……とも言える。)

 

 奪われた強さを分け与えて”あげる”、少年から少女への権力の勾配を元気に跳ね除けて、状況はさらにこじれにこじれ、意地の張り合いは世界を巻き込む。
 果たして狂って楽しい世界の真ん中に立つ主人公たちは、たった一つ全てを解決する魔法の言葉を言えるのか言えないのか、言わないままに思いを伝えるのか。
 もう行くところまで行くしかないクライマックス、次回も楽しみ!