菜なれ花なれ 第4話を見る。
三話どっしり使い切って自分たちがどんなアニメであるのか、しっかりと語ってからの杏那個別エピ。
ここでもしっかり時間を使って、高崎のローカルな匂い商店街に漂わせつつ、深く深く太陽少女の影と暴に切り込んできた。
冒頭、異様な気合でレコードから音楽が流れ出すまでを描写してきた時には、正直何が起こったのか分かんなかったが、終わってみると杏那のオリジンを描くエピソードには、あの丁寧に時間を使った筆致が大事なんだと感じた。
チアという題材を選んだ以上、音楽はすごく大事な要素になるわけで、そこに深く踏み込んできたのもグッドでした。
というわけでただただ元気なアクセル全開娘に思えた杏那が、思いの外暗くて賢く暴力的な側面を持つことを掘り下げていく今回。
外国にルーツをもっていたり、身につけたカポエイラが鋭い牙となったり、第3話までの印象がガラッと変わる…というより、知らなかった一面にかなた達と一緒に潜っていくような展開となった。
作品を牽引するエンジンとして強烈に仕事してくれてたのもあって、正直杏那のキャラ性を”陽”一色で捉えていた部分があったのだが、そこを気持ちよく裏切られたというか、考えてみりゃ当然そういう影もあるよね…みたいな。
そうして生まれる陰影が、やや寂れた商店街のオフビートと巧く絡む。
杏那の無遠慮にも思えた踏み込みあってこそ、主役であるかなたが自分をチアして物語が高く翔べた。
それがナチュラルな明るさではなく、むしろ暗い影を知ればこそ自発的に放ってる光なのだと解って、グッとキャラの魅力が増してきた。
この陰りに、ただただ自由なだけかと思われた小父内さんが前回までの物語を背負い、そういう自分の在り方を変えて寄り添っていく展開も、メチャクチャ気持ちいい意外性だった。
『あー…小父内さんは自由だね、ネコチャンだからしょうがないね…』とか、一人自由行動した時に解ったようたこと言ってた自分を、夕陽に染められながらダチに自分の気持ち真っ直ぐ伝える彼女の勇姿が、全力で殴った。
俺はアニメ見てる時は、そういうぶん殴りをブチかまされたいクソマゾヒストなんで、素晴らしい一発でした。
『こういう話、こういうキャラ』という思い込みを、デザインや描写で上手く造形した上で、ドラマの中で切り崩していく。
視聴者の予断を物語が上回っていく気持ちよさが、このアニメの大きな魅力であると、今回のエピソードは良く教えてくれた。
内側に踏み込み、じっくり時間を使えばこそ滲み出してくる意外な本性を、望んでないアクと拒絶するのではなく、新しい面白さとしてゴクゴク飲ませる、可愛げと深み。
いかにも萌えキャラ然としたキャラクターが背負う、複雑なオリジンと陰影の濃いサウダージ。
あるいは出会いが生み出してくれる、特別な変化の相互作用。
鉄面皮の奥にある小心を、SDキャラでダイレクトに伝える剛腕をブン回した後で、相変わらず表情変わらず勝手に振舞ってる…ように見えて、ポンポンズも杏那も大事に思えるようになった、小父内さんの変化を描く。
緩急硬軟取り混ぜ、『アンタ、こういう話なのか?』という視聴者の感覚と対話しながら、作品とキャラクターが持つ多彩な魅力が染み出してくるためには、流行りの早いBPMは馴染まない。
ここら辺のグルーヴ感が、スタウトレコードに満ちた激渋音楽…それが生まれるまでの一個一個を異様に丁寧に、気合い入れて描き切る筆に、しっかり支えられていた。
世間の風がどうであれ、このアニメはそんな音楽に乗って流れていく
教室が拾いきれなかった杏那の寂しさと情熱を、YJおじさんがターンテーブルに乗せて奏で、ガンガン自分から前に出る人格を作ったと解ったのも、凄く良かった。
勝手に悪いイメージ膨らませて、大谷さんが踏み込んだことなかった場所こそが、友達の一番柔らかで大事な心を育むゆりかごだった。
勝って知ったる他人の家、Myおわんまで置いてる親しい間柄でも、見えていないものは沢山ある。
そういう領域に踏み込めばこそ成立するチアという営為は、とても繊細で難しいものを扱っていて、萌え萌えなチアリーダーたちは結構複雑に、その色合いに思い悩み、思い切って踏み出している。
杏那の自宅、大谷さんの私室、あるいは薄暗いスタウトレコードの奥に”踏み込む”描写が多いからこそ、『チアってこんなもんでしょ?』と、視聴者が勝手に抱いているイメージの奥にある繊細さが、新たに提示されていくエピソードだとも感じた。
ここら辺の、”陽”だと思いこんでいるものの奥にある”陰”を知っていく足取りって、杏那を彫り込んでいく描写と完全に重なっていて、メインテーマとキャラ両方を、同じ手つきで描けばこそ生まれてくる独自のシンクロが、大変気持ちいい回でもある。
俺は杏那のこともチアのことも、全然知らないのだ。
だからこそ遠ざけることなく、踏み込んでいかなければいけない。
そう思わさせるだけの魅力的なレールを、このお話はどっしりした話運びの中、丁寧に積み上げてくれている。
前回までで小父内さんの内側に、ポンポンズが踏み込めばこそ今回、彼女は彼女らしさを失わないまま、杏那の困惑に隣あえた。
他人に一切興味なし、二足歩行のネコチャンに思えた彼女がそういう歩み寄りを選んだのは、杏那自身そのメンバーであるポンポンズのチアが、小父内さんの心を確かに揺らし、変えたからこそだ。
それはただ明るいだけじゃ生まれ得ない、人間の暗い影にもちゃんと踏み込めばこそ生まれる、特別な強さなのだろう。
こういう納得と発見が、作中にゴリゴリ埋められているのはすごく好き。
チア経験者として話を引っ張る主役にこそ、チアが必要だと前回描いたお話は、そんな足取りを牽引してきた太陽少女が、自分でいられない迷いを今回切り取る。
魂の故郷が終わる辛さに、震えながら耐えている杏那にこそ”チア”が必要な状況で、ポンポンズは一体どんな声援を、大事な仲間に贈るのか。
スタウトレコードを自分たちのチャンネル名に定めて、自分を形作ってくれたものへの敬意を刻み込んだ杏那の思いを、仲間たち(特に小父内さん)が解っているのが、スゲー好きだ。
その名前を一緒に背負う以上、お前の歴史はお前一人のものじゃ、もう無い。
友情の描き方が、妙に渋くて熱いんだよなこのアニメ…。
大谷さんが幼馴染ゆえのややウザ感漂わせている、杏那の迷いのない強い踏み込み。
それこそが自分たちを前に進めてくれたのだと、ポンポンズがみんな解ってて、だからこそ悩める彼女になにかしてぇと足掻いてる所が、人情あって好きです。
このちょっと泥臭い”情”の手触りが、大谷仏具店にバリバリ漂う生活感、大崎ローカルの土の匂いとバッチリ噛み合って、独自の魅力を醸し出している所が最高。
このやや寂れて心地よい空気あってこそ、ド趣味に走って尖ったスタウトレコードに閑古鳥鳴いてる現状も、『そらそーよね…』と納得できるのも良い感じだ。
代官山か恵比寿でやれッ!
スタウトレコードに漂う濃厚なカルチャー臭が、大崎の土に馴染めきれていない手応えは、アバン前のシーケンスで強く示されている。
応援される相手の心に深く踏み入り、影を見つめればこそ強い光で照らせるチアという文化が、果たしてここに根付くのか。
杏那の悩みがポンポンズにとって他人事ではないのは、こういう疑問が見てると自然に湧き上がってくる事からも、しっかり納得できる。
薄暗いレコード屋とチア動画活動、
陰陽真逆に見えて、心の柔らかな部分に踏み込んでいく文化としての手触りは、確かに共通するものがある。
そう思えるよう、しっかり時間を作って使った話数だと思う。
小父内さんに付きまとうヤバ配信者の顔面に、一切躊躇いのない一撃ぶち込んだ時点で、杏那には”暴”の匂いがつきまとっていた。
それが外国にルーツを持つ難しさ、父を失った空虚から生まれていると解ったのも、意外な不意打ちで良かった。
杏那のカポエイラに宿る血生臭さが、萌え萌えオーラ全開の作風にいいスパイスとなって、奇妙な面白さだしてんの好きなんだよな…。
フリーダム過ぎる小父内さんと合わせて、ポンポンズの切り込み隊長として今後も、バリバリ暴れて欲しい。
そのためには太陽を曇らす影を、どうにか晴らさなきゃならんわけだが…さて次回の”祭り”一体どうなることか。
どっしり構えた独自のペースで積み上がっていく物語が、抜け目なくその内側に描いてきた”らしさ”。
新たに照らされる少女の陰りを見つめることで、そういう『答え合わせ』をするのがとても楽しい回でした。
ストレス少なく一話にまとめ上げて、今風の歯ざわりでサクッと終わるわけじゃないけども、だからこそ分厚い納得と期待が物語に宿る。
そういう作品の手つきを、改めて感じられる杏那個別エピ前編でした。
やっぱ元気な道化を演ってくれてるキャラの奥に、複雑な陰りがあると解る瞬間ほど、気持ちいいこと無いわ。
なるほどなー…こういうグルーヴか。
オレすごく好きだよ、このアニメ。
次回も、凄く楽しみです。
・追記 チアはダンスでも競技でもねぇ。若い女がポンポン持って陽気に媚びうることでもねぇ。生き方だ。
なれなれ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2024年7月29日
YJおじさんが博識なDJとして、客にあったヴァイナルを選んで曲で気分を上げている描写が、”チア”ってのはポンポン持って踊るだけじゃないと告げる横幅を作ってて、かなり好きだ。
応援を求める誰かの顔をしっかり見て、自分の胸の中にある音を差し出すなら、踊り手が誰かは問題じゃない
そんなYJおじさんのチア精神に善導されて、杏那は他人を遠ざける遠慮より、ズカズカ胸の中に上がり込む粗雑なチアを選んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2024年7月29日
その無遠慮に救われた連中が、彼女自身をチアするために彼女の原点に潜って、自分たちに何が出来るか・するべきか探る様子を丁寧に積んだの、このアニメらしくて好きだ。