義妹生活 第6話を見る。
前回栞先輩軸の変拍子を一つ挟んで、再び紗季ちゃんとしっとり向き合ういつものペースに戻ってきたお話。
内向的で落ち着いた義兄妹とは、ちょっと違った温度感で動く真綾ちゃんを間に挟みつつも、どっしり落ち着いたカメラで丁寧に”生活”を追う安定感が、このアニメらしくて気持ちいい。
一ヶ月と半分、この作品世界に浸っていた自分が、気づけばそれをかき乱しかねない真綾ちゃんの”乱入”に心乱されるものを感じ取っていた事実に、すっかり作品が根付いた手応えがあった。
陰気でストイックで焦るところのない、このアニメだけの語り口。
もうすっかり、好きになってしまっている。
大きく目立ったイベントが起こるわけではないが、”何も起きない”というにはそよ風とさざ波が起こり続けている、静かな水面のような物語。
前回はそこに、栞先輩を視点人物と選び取り語り口を大きく切り替えることで、やや大きめの波が起きた感じがあった。
その余波が紗季ちゃんをどう揺り動かしたのか、悠太くんからはなかなか見えきらない内心。
次回モノトーンの独白にそれを切り取っていく前の、現象のスケッチ。
内向的な少年にとっては当たり前の親切と誠実が、追試突破という一つの結果にたどり着いて、少女の中の愛しさはどんな結晶に形をなしていったのか。
推測することしか出来ず、無視することは出来ない、鏡越しの微かな振幅。
次週紗季ちゃんの口から”答え合わせ”があるにしても、悠太くんと視点を重ね、定かには見えない同居人の心にその仕草…あるいは他人が手渡してくれた補助線を借りて、ジワジワ近づいていく話数といえる。
他人の解らなさ、だからこその解りたさというのはこのお話の大きな核だと思っている。
高校二年の他人同士がひとつ屋根の下、適正距離を測りながら触れ合い、ちょっとだけ傷つき、それ以上に満たされて近づいていく足取りを、省略なく追いかけるアニメの筆致は、そういうテーマを扱うのに相応しい繊細さを、しっかり宿していると感じた。
アニメが選んだ語調と、作品に満ちるムードが重なっているのは、幸せなことだ。
前回栞先輩がググンとヒロイン街道を突っ走って、一気に存在感を上げてきたので、真綾ちゃんが二人の間に入るスタートには、すわ”三人目”かッ! と身構えた。
しかし蓋を開けてみると、空気読めていないように思える陽気は寡黙な二人に足りないものを補ってくれて、真綾ちゃんは人間関係の周辺視野が広い、賢く優しい子である。
頑張る義妹をサポートしようと、カッコつけたは良いが飯作れない悠太くんの当惑を見て取って、ごはん作りも手伝ってくれるしね…ええ子や。
冷たい暗がりを温めてくれるけど、自分から溢れる光で他人を染めようとはしない、優しい太陽。
そういう印象。
思い込みを乗り越え他人を知る意味は、急に家族になった人たちをロクでもない偏見で睨みかけて、それを乗り越え自分の目で見、手で触れ、正しい距離を測っていく悠太くんの歩みに、しっかり刻まれている。
友達とその義兄にきわめて親切に、構えた所なく相手をよく見て、その空気感を壊すことなく自分らしく手を差し伸べていた真綾ちゃんのことも、今回のふれあいを通じて見えてくる。
このじっくりした解り方が、作中描かれる悠太くんの陰気な一人称と、それを見守る僕らの視線で歩調をしっかり合わせていて、適切にじんわり染みていく感じなのが、やっぱり良いなと思う。
一見空気読めていない踏み込みに見える、アーパー陽キャの無遠慮な一歩は、しかし何かと内に籠りがちな友達の顔をよく見た上で、足りない風通しを付け足す、優しいアシストだ。
同居人が気づかない小さな変化の意味を、エプロン姿で謎解きして悠太くんに伝える語調は、興味本位で茶化すというより温かな真心が強くて、真綾ちゃんの賢さと優しさが良く伝わる。
こういう子が隣りにいてくれることで、静かに安定してしまいそうな気配もある”義妹生活”がより喜ばしい方向へと、コロコロ転がっていってくれる期待感が、最初感じた異物感を包みこんでいった。
こういう新キャラの見せ方、このアニメの強さだよなぁ…。
極めてストイックなスローペースで、降って湧いた義妹との生活構築を追いかけてきた第一章のインパクトが、作品全体への好感へと切り替わった今。
”家事”というのは自分の中で一種の聖域であり、そこに真綾ちゃんが踏み込んでくることに正直、忌避感があった。
しかし元気よくかき回されてみると、一人じゃ酢豚を作れない青年が頑張る妹を元気づけようとする、極めて純朴な優しさをしっかり補佐し、心に栄養だけを与えて何も奪わない、優しく掛け替えない隣人としての顔が、新たに見えてくた。
やっぱそういう、他人の新たな顔に出会う喜びこそが、ドラマの推進力であり、作品を支える柱になってるアニメだなと感じる。
義兄と友達がキッチンでキャッキャする中、紗季ちゃんは我関せずで勉強に集中し、やるべきことをやる。
それは自分のために頑張ってくれてる裕太くんの真心に、なんとか報いようとする誠実でもあって、これがこういうむっつりした沈黙になってしまうところに、紗季ちゃんの解りにくさと可愛げがある。
気になってる男の子が、別の子と触れ合ってなんでもないわけがないことは、後のエレベーター内の会話、あるいはバイト先への乱入からも解る。
でもそこで高鳴る心音を自分の外に出して、言葉や態度で解ってもらう…それで現実を動かしていく積極性(あるいは攻撃性)は、紗季ちゃんからとても遠いものだ。
出会ったときはそこに打ち解けなさを感じ、むしろそれこそが人間の適正距離なのだと、醒めたフリなどもしていた悠太くんだけども、数ヶ月ひとつ屋根の下ともに暮らす中で、素直な地金を見せても来ている。
突然の豪雨に、紗季ちゃんが大変な目にあっていないかと勝手に想像して、傘を片手に全力疾走してしまう、抑えきれない余計なお世話。
それを手渡されて心底嬉しかったからこそ、紗季ちゃんは悠太くんのことが好きになってきていて、でもその気持をどう自分の外側に出したらいいのか、なかなか分からない。
この難しさが紗季ちゃんらしさであり、人生の難問を増やす自衛のトゲでもあるのだろう。
トゲの奥にある素顔を、わざわざ回り込んでみてくれるレアな存在以外に、心を許せない気難しさ。
それが反転すると、真夜中義兄に”高額バイト”を持ちかけるような、距離感バグった危ういアプローチもしてくるわけだが、それを跳ね除けて適正距離を保とうと…あるいは一緒に見つけようとしてくれる正しさも、悠太くんは備えている。
それを分け与えることで、紗季ちゃんはよりトゲを外して飾りなく、素直な自分を誰かに預ける体験へと踏み出していける。
そんな思春期の足取りに、騒がしくも優しい親友の存在がどれだけありがたいかを、切り取って伝えるエピソードだ。
前回ラスト、栞先輩色に染め上がったように思えた作品に自分の存在感…あるいは所有権を無言で主張するように差し込まれた、鏡張りのエレベーターに反射する自意識の絵面。
それは今回、紗季ちゃんを気にかけて思わず駆け出した悠太くんと、二重影を向き合わせる構図に継承され、変奏されていく。
鏡合わせに自分が何を考えているのか、問いかけ謎をかけるかのような、複雑な乱反射。
それは思春期という季節、家族という密室を共有する二人の間で、確かに共有されている。
紗季ちゃんのむっつりとした考え過ぎは、けして淋しい孤立ではないのだ
作品全体を覆う抑圧的なトーンが物語るように、なかなか適切に自分を表に出せない難しさが、このお話の主役たちにはつきまとう。
「解ってくれなくてもいい」と開き直って、クールに孤独に生きていく道を選びかけていた子どもたちは、しかしその寂しさを受け止めきれるほど大人でもない自分を、急な他人との共同生活の中で思い知らされていく。
解ってほしいし、寄り添ってほしいし、抱きしめてほしい。
強がりの奥にある願いを、もしかしたら叶えてくれるかもしれない誰かとの出会いに、躊躇い鏡の前、自分の顔をじっと見つめてしまう思慮深さ…あるいは臆病。
肥大化した自意識を身勝手に、自分の外側に暴れさせられない、誠実で無力な子どもたちの現状を切り取るのに、”鏡”というのは極めて適切なフェティッシュだと思う。
そこに映る虚像には儚さがつきまとい、本当ではないと一目で解るのに、それ以外に自分の輪郭を確かめるものはない。
紗季ちゃんの気持ちはそういうあやふやなものの中に、反射させるしかない脆く淡い感情だったわけだが、手前勝手な心配を膨らませて思わず駆けつけた悠太くんが隣に立つことで、同じ儚さで現実に立っている存在が、確かにイてくれることを確認できる。
少女の青春は孤独なアレナではなく、誰かと触れ合える開かれたアゴラなのだ。
同時にお互いが何を求めているのか、ストレートにぶつけ合い通じ合う素直さは彼らには遠く、前回ヒロイン力をガン上げしてきた栞先輩に、分かりにくい牽制球を投げる時、その心身は鏡に包囲されている。
眼の前の実像を見れば一目瞭然…なんて、真っ直ぐな生き方がどうしても出来ないからこそ、この二人のファーストコンタクトはあんな感じになって、デコボコ危うい道を歩いて、今この地点である。
そこで釘を刺したくなるくらい、紗季ちゃんの気持ちは悠太くんに近づいていて、じゃあこれ以上近く、鏡の包囲を切り抜けてあるがままの実像を手渡せる間合いまで、近づいて良いのか。
近づけるほど、自分の姿は確かなのか。
そんな疑念を現実に叩きつけて、一個一個確かめるように、ミステリアスな義妹は突拍子もない行動に出て、悠太くんを動揺させる。
それが唐突に見えるのは、しょせん他人でしかない誰かの行動原理は鏡に映らず、伝えてくれなきゃ見えないものだからだ。
そして極めて分かりにくい心の内を、伝える手段は言葉だけではない。
何気ない生活の積み重ね、そこで往来する真心と優しさが、じわりじわりと生み出していくモノが確かにある。
そう描きたいからこそ、このアニメは繊細なアダージョを作品の根本に選んだのだろう。
確かに自分たちを適切に語りきる、良い画法だと思う。
他人からは覗き込めない心の内を、紗季ちゃんが語って”答え合わせ”してくれるフェイズが次回、また来る。
しかし今回、真綾ちゃんという新しい他人を間に挟むことで、”答え合わせ”なしで他人を探り、解る過程こそが楽しく愛しいことを、改めて教えてもらった感じがある。
それがいつか恋になっていくかもしれない特別な誰かだけでなく、愛以外の気持ちで繋がった他人との間にも、爽やかで心地よい風を吹かすのだと、物語は伝える。
家の外にも、確かに見えないものを受け止め広げてくれる風が吹いている。
そう描けたのは、作品世界の奥行きが広がり、湿った閉鎖性が心地よく拡張されていく、大事な一手だったと思うのだ。
前半戦、ギッチギッチに張り詰めた画角で悠太くんと紗季ちゃんの出会い、触れ合い、変化を切り取ってきたお話が、ここに来て栞先輩や真綾ちゃんという異物を描くことで、自分を広げている感じがある。
同時にその風通しが”正解”ではないのだと告げるように、自閉的な心地よさのある、今まで通りの画作りも継続していて、内に沈み込むベクトルと外に広がる力、両方を大事にしている手応えがあった。
数は多くないながら確かに、傷つきやすい魂を揺らす誰かとの触れ合いを積み重ねながら、描き出されていく微細な青春の横顔。
仕事場に義妹が身を乗り出してきて、次回なにが震え変わっていくのか。
とても楽しみです。