イマワノキワ

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デリコズ・ナーサリー:第2話『渦巻く陰謀と育児』感想ツイートまとめ

 デリコズ・ナーサリー 第2話を見る。

 特秘任務と育児の両立に挑むべく、捜査本部”ナーサリー”を立ち上げたヴラド機関捜査員たち。
 新米パパの子育て悪戦苦闘奮戦記…で笑い飛ばすには、重たく暗い影がどっしり伸びてる第2話である。
 犯罪集団の狙いがダリの頭脳で暴かれ、ヴラド機関が戦うべき謎の輪郭が見えてくる…って構図をフェイクに、親父共が抱える個人的な歪み、そこに接続する”貴族”の危うさを、明に暗に示すような回となった。
 大体の座組とセッティングを教えてくれたスタートから、世界設定やキャラの内面、関係性、社会との繋がり方なんかを深堀りしていくターンに入ったが…ヤベーなTRUMPッ!(初見の率直な感想)
 吸血貴族の重責か、それぞれの抱えたエゴか…未だ定かならざる枷が、顔だきゃ良い親父共を固く縛ってガキを傷つけ、超ロクでもない育成環境が早くもフル回転だったね。

 

 何しろ吸血鬼という人外が主役の話、人間様の倫理や常識を押し付けて良いものか、未だ探り探りではあるのだけども。
 凶悪殺人のグロい資料を一桁年齢の子供らの前で平気でおっぴろげ、大人の意地の張り合い、利益の探り合いにガキ巻き込んで余裕な四人の有り様を見てると、陽光に照らされたパッと見よりもっと陰湿で影の濃い…いかにもヴァンパイア的な世界観なのかなぁ、と思ったりもする。
 子供部屋でネットポルノの編集やってるより、なおたちが悪いだろ”ナーサリー”の育成環境。
 それともお貴族様は、そういう人権侵害を当然の伝統として、代を継いでいらっしゃるのかしら?
 …まぁ吸血貴族だし、マジそうかもしんない。

 この作品世界において”貴族であること”の意味がどういうモノなのか、まだ明言されていないので推測でしかないのだけども、四者四様の壊れ方で、その重責と向き合い、向き合いきれてない手応えが今回はあった。

 全員第一印象と結構違った人非人っぷりを抱えていて、その壊れ方が子どもたちとの向き合い方にモロに結実してる感じがあって、ゼロ歳から七歳までのベビちゃん達が、マジで可愛そうでならない。
 そらー泣くしおしっこも漏らすだろッガキなんだからッ!
 それを大人の”かくあるべし”押し付けて、苛立ちと向き合う器もなく、平気で弱い存在に剥き出しの感情をぶつけて…テメーら全員正座だよッ!(白木の杭を構えつつ)

 

 泣かすわ漏らすわ引っ張るわ、地獄めいた大惨事をわざわざ呼び込んだダリくんは、仕事を横に置いてでも我が子を大事にしたい人情でこういう状況を生み出したのかと思ってたんだが…結構ヤバいなコイツ!(この後三回言う)
 微かな痕跡から事件の全体像を一気に推理し切る、卓越した頭脳はそらーゲルハルト卿も執着するわって感じなんだが、どうも推理機械の冷たさというか、赤ん坊と三歳児の微細な感情に向き合う人間味が、欠けてる印象を受けた。
 内心何考えてるか読みきれない所が彼の魅力でもあるが、どうも悲惨な死にかたした奥さんの遺言に、呪われ引きずられて”育児”に執着してる感じがあんだよなぁ…。

 伝統と責務を背負い、絹の衣の奥に莫大なストレスと歪みを抱えているさまが、だんだん見えてきた吸血貴族社会。
 「育児はその当主の仕事などではない」つう、ゲルハルトやディーノの意見は全くもっともだと思う。
 統治の機構として私情を廃し、常に正しい選択をしなければいけない高貴な重責に特化していれば、”人間”でいることは難しく、そういう能力が一番問われるだろう、子どもと向き合うなんて機能の外側、要らない能力と切り捨てなきゃ、やるべきことを果たせない。
 そういうドライな機能主義が、多分吸血貴族のスタンダードなんだと思う。
 けどダリくんは、そこに背を向けメチャクチャやるんだよなぁ…なんで?

 

 必要ないし向いてもいないし鍛錬もされていない、育児ド素人が子どもに向き合った時、犠牲になるのは当然子どもだ。
 お風呂に入れられモノのように髪を洗われているアンジェリコくんの「痛い、痛いよ」があんまりにも辛くて、不得手ってのにも程があんだろーがよー! と、モニタの前でキレちゃった。

 マージで子どもを一人間(”一吸血鬼”か)、一生命として大事にする能力と心意気に全員欠け過ぎてて、不死でもねぇ柔らかな命が取り返しのつかない傷を、体や心に負わねぇものかスゲーヒヤヒヤしながら見てる。
 ツラが良いから、シチュが萌えるから。
 それで許される範疇、既に半歩越えてる匂いがすっぞ!

 

 これは貴族特化のダメおやじの至らなさ、子どもたち年相応の儚さをしっかり書けているから生まれる反応でもあり、今後”ナーサリー”していく中での変化を、強く刻み込むためのキャンバスでもある。
 マジでダメダメ過ぎるボケ共が、この最悪からちったぁガキどもに向き合い、ままならない幼さをそのまま愛する”人間らしさ”を育んでいけるのかは、この後の物語でとても重要になるだろう。
 親父として、人間(あるいは吸血鬼)として、マイナスからプラスへ変化する成長を印象付ける意味でも、いい子ばっかなのに正統に報いてもらえてない、子どもたちの哀れさは大事な画材。
 頭じゃ分かりつつ、許せねぇよ…ガキが泣くのはッ!

 というかガキが泣くのは、それしか感情の表現、他人との繋がり方を知らねぇ年代なんだから当たり前で、ガンガン泣きゃいいのよ。
 そこを「貴族かくあるべし」を押し付け、自分が押し込められてる枠に収まんないカオスに苛立って、バチバチキレまくって権力勾配押し付ける態度が、人間修行がなってねぇんじゃねぇの! って話ッ!!
 あ、吸血鬼様でしたから人非人なのはスタンダード、お貴族様はストレスも多いですししょうがないですよね。
 しょうがなくねーだろ! 禽獣にすら親子の情はあるんやぞッ!!
 あるいはそういうナチュラルな人間味を、剥奪する機構が貴族界を回しているのかもしれねぇけど。

 

 ここら辺、一見上手く回せている印象があるエンリケくんが、任務のためなら家族も犠牲にできる食わせ物であり、全てを損得と計算で切り分けている冷血匂わせていたのが、最悪で良かった。
 奥さんは至極マトモなこと言ってるのに、ダリくんが仕事と育児(これは”児を育む”と書くんやで。解っとるか? ”育む”ぞ?)を連結させた結果、ヴラド機関の特秘主義に覆い隠される形で育成現場から追い出されて、そういうマトモさが通じなくなってるのスゲーヤバかったな。
 権力機構に最適化された人非人の、血なまぐさい仕事場で人格形成される虐待が、「国のため」つう美名のもと正統化されてくのグロテスクすぎんだろ…。

 この歪さをエンリケくんは、朗らかな人当たりの奥で当たり前に咀嚼してて、ともすれば四人の中で一番”貴族”なんじゃないかなという怖さがあった。
 ゲルハルト卿の執着も、ダリくんの奇人っぷりと有能さも、あるいは奥さんや娘との情や絆も、どっか俯瞰で見下ろして冷たく使い潰せる、機能主義者の顔が早くも出てきたの、大変キモくて良かった。
 ツラの良いオヤジたち、みんなそれぞれのキモさ歪さガッツリ持ってて、バロックな味わいがキャラ造形に濃いの、「お、吸血鬼の味する」って感じでグッドです。
 …そういうクソみてーな場所に投げ込むには、ベビー達はみんな天使すぎて、喜んで良いのかもう分かんねぇよ…。

 

 ゲルハルト卿も家名の重みを我が子に押し付け、ダリくんへの捻れた感情に引っ張られたまま、任務と育児の両立を成し遂げて、自分を証明しようとしてる感じだしなぁ…。
 「子どもである前に貴族だ」って言い回し、つまり「人間である前に貴族だ」っていう自己言及…社会規範の内面化って感じがして、スゲーヤベェと思った。

 年相応の自然な発達、起きたことへの当然の反応を、”貴族だから”で押し殺して飲み干す経験が多かったから、アンジェリコにも同じように接すんだろうなー、って感じ。
 例えばクズに操られた可哀想な人妻を、貴族、あるいは親友の責務としてその手で殺す…とかねぇ。
 …かなり洒落になってない、虐待の連鎖じゃん!

 

 目の下にクマありすぎなディーノくんも、本ばっか読んで手がかからないから”いい子”と、我が子の顔をちゃんと見ず断じる。
 そして貴族調査員の責務を果たす代価として、育児を乗りこなしている形ばっかり整えている。

 嫁さん軒並み逃げた過去が明かされたりもしてたけど、何度逃げられてもパートナーを求めるってことは、特別な誰かに解って貰いたい希望がどっかにあるし、それが全く満たされないフラストレーションで、相当ズタボロなんだろうなとも感じる。
 そういうパパの苦しさを、間近に感じているからテオドールくんはご本ばっか読んで、同じ境遇の可哀想なラファエロくんをイジメて、負の連鎖が暗い場所で起こってんじゃないんですかッ!!

 

 総じてクソ親父共、”貴族”であることに呪われて眼の前の子ども、あるいは子どもと向き合う自分自身を全然見れていない感じが、強くした。
 そういう人非人にならざるを得ない軋みが、吸血鬼という種族、貴族という階級にあるのかどうかは、今後世界の設定や描写が深まる中で、改めて描かれるだろう。
 ボケカス個人の欠落や至らなさと、種族由来の宿業とか、社会が生み出す歪さがどんだけ強く結びついているのか、それとも切り離せないのか…判断するには、ちょっと材料が少ないからなぁ。
 抑えがたき衝動とか、身体を引き裂く異能の代償とか、そういうもんがこの世界のヴァンパイアにもあって、しかたがなく仕様もなくクズなのかもしんないじゃん!
 でもまぁ、正直もうちょっと頑張ってほしいよ…目の前に居るの子どもぞ!?

 あるいはこの最悪託児所の地獄絵図が、吸血鬼という種族や社会の縮図だからこそ、その根本を揺るがす連続殺人を”ナーサリー”で扱ってんのかも知んないけど。
 貴族であること、吸血鬼であることが子どもと自分に適切に向き合いきれない、バロックな歪さに深く繋がるのなら、プロパガンダ殺人という宿痾に操作を通じて向き合うコトで、もっと個人的で根源的なミステリを、解体しうる契機にはなるのかもしれない。
 事件に結晶化してる「俺達吸血貴族、マジ最悪だな」って実感が、知らぬ間に最悪になってた自分を客観視し、子との関係を改善する起爆剤になっていくのなら、まぁ希望はある。
 ホンマ頼みます、子ども等大事で一つ。

 

 超絶いい気になった殺人鬼集団が、何考えてプロパガンダ殺人やってるのかは、まだまだ全容がつかめない段階だ。
 そもそも反社会的プロパガンダを、血のインクで送りつけるべきこの世界の規範ってのが、どんなもんだかまだ見えきれてないからな…。
 カウンターってのはスタンダードがあってこそ成立するわけで、TRUMPに贄を捧げる狂信者たちがどうヤバくて、どんだけ許されざる存在なのかは、もうちょい深い描写を待たなきゃいけない疑問な感じ。
 まぁ人間犯行声明に変えて自殺させたり、犯行手段に嗜癖と自己顕示が見えたり、イヤーなロクでもなさはこの段階で見せれているので、今後もたっぷりロクデナシしてください。

 今回お貴族様たちの歪な仮面が、可哀想な子どもたちを鏡に描かれたことで、彼らが背負う秩序に反抗する、犯罪者たちの主張を聞いてみたくもなった。
 その担い手があんなゴリゴリダメ人間集団なんだから、ヴラドが守るべき秩序ってのにも当然ほころびはあるはずで、殺人集団が現行社会の何に不満をもって、最悪の政治的主張ぶっこいてるのかは、一回見ないとバランス取れないと思う。
 ルックの良さで覆っちゃいるが、吸血鬼題材にふさわしく相当腐ってる感じがプンプン漂うわけで、”ペンディラム”にはそのハラワタ、引き裂いて暴き立ててもらう仕事をしてもらわにゃ困るね。

 殺人鬼共が切開したい秩序の膿袋こそが、クズ親父共が子どもにも自分にも向き合いきれない、壁の正体かもしれないしねぇ…。
 極めて破滅的な手段で、戦うべき”敵”が暴き立てようとしているものが、自分が真実自分であることを阻み、大事にするべき存在を傷つける根幹に繋がっているのなら、ヴラドの戦いは”敵”と同時に自分自身にも矛先が向いている。
 自分を縛り付ける鎖の正体を、調査と育児を通じて見定め、生まれ変わったり変わりきれずダメなままだったり、色んな有り様が見えてくると、群像劇としての面白さも際立ってくんじゃねぇかと感じた。
 そういう事やってくれそうな気配は、ビンビンに薫ってるしね。

 

 

 

 

 

 

画像は”デリコズ・ナーサリー”第2話より引用

 ここらへんの”予感”を成立させているのが、語らずとも感じさせる豊かさに満ちた画作りであり、ビシッと冴えた演出である。
 緊張感ある幾何学的な構図、多彩な色合いの夜の表現、あるいは何気ない仕草に隠されたキャラクター性の発露。
 絵で伝え解らせていく、アニメーションの地力が精妙かつ美麗に踊っていて、見ていて楽しいアニメである。
 やっぱ絵面がリッチでハイソなの、貴族主役の物語としてめっちゃ大事な所で、ビッシリやりきってくれてて最高なんだよなぁ…。
 美監の泉健太郎さん、”薔薇王の葬列”もやっててそらー俺好きだわな、と思った。

 子煩悩故に同僚を育児に巻き込んだように思えたダリくんが、ウルくんを椅子で押しつぶしかねないおんぶで面倒見てたり、ロルカ夫妻の異様な遠さだったり、上手く”親”やれてないなりに微かな繋がりを描くフラ親子の書斎だったり、我が子より執事のほうが距離が近い…けど、書架の境界線より内側には踏み込ませないディーノの立ち位置だったり。
 それぞれの不自由な危うさを、美麗な画面にしっかり宿して感じ取らせる表現力が、元気で良かった。
 結構見た目が与える印象と食い違い、響き合う表現が多い難し目の話なので、こういう情報圧縮と伝達が精妙なのは、良いことだと思う。

 

 ずーっと我が子の顔が見えないポジションで、赤子抱いてるダリくんのズレ方にはめっちゃイライラして、「聞かせてやれよ心音ッ!」と思わず唸ったけども、吸血鬼だし聞かせる心音も伝える体温も、そもそもねーかもしんねぇなガハハッ!!

 やっぱこー、頭で考えて亡き妻との約束(だけ)を果たそうと、生身の子どもを見てない、あるいは見れない冷たい明晰が、名探偵ダリには付きまとってんだよなー。
 ここら辺の致命的な鈍さ、既にラファエロくんを相当歪ませているので、取り返しがつかないことになる前にもうちょい、こー、な?

 …莫大な”文脈”があるコンテンツ、あるいは取り返しがつかなくなった後の物語が、既に確定した未来として描かれてる可能性もある、か。
 そこら辺をアニメの進行に先回り(あるいは後退り)して接種するつもりは、せっかく白紙のミリしら人間としてTRUMPに出会えた自分としてはあんまなくて、ゼロから作品に出会っていって、自分なり咀嚼し考え勝手に物言う特権と快楽を、1クールたっぷり味わおうかなとは思っている。
 このエンタメ過多の時代、心躍らせる何かと真っ白なまんま出会えるチャンスは極めて貴重なので、ノイズ少なくかぶりつきたいんだよなー…。

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”デリコズ・ナーサリー”第2話より引用

 さておき事件にも育児にも、危うさと歪さをしっかり響かせながら、騒々しい日々は進む。
 優しいエンリケおじちゃんに子どもの世話を任せて、調査員の本分に三人が勤しんでいると見える構図の背後に、何もかも上手く立ち回れてしまえる怪物の偽装を、勝手に感じ取ったりしつつ。

 こういう、何もかんも見た目通りじゃないけども一見綺麗で幸せそうなヴィジュアルを、活用して話の奥行き出してくる作り、かなり好きだな…。
 連続殺人事件の謎を追いつつ、華やかな託児所の奥にある地獄にだんだん分け入っていく、二層構造のミステリなんかなー、と思ったりしてる。

 つーか死別/生存/離縁と、他のオヤジたちは配偶者との関係がちゃんと示される中、なーんでゲルハルト卿だけ”母”の現在地が見えなかったのかとか、まぁ気になるよ。
 ロルカ家の歪な繋がりとか、真の愛を求めつつ満たされないディーノの歪みとか、結構ヤバゲなもの沢山描いたのに、ゲルハルトのそれを”空白”にしている意図とか、やっぱ読みたくなるじゃないの。
 そういう誘惑が適切に編まれている、読み甲斐があるアニメと僕の波長は良いはずなので、今後の展開にも大きく期待してしまうね。

 

 そこからどんだけの腐敗と倒錯が飛び出してきても、納得するだけの腐敗臭を、託児所の甘い香りに感じ取れる、とても良い第2話でした。
 作品全体をどういうトーンで描いていくか、その指針も見て取れて、次回も大変楽しみです!