イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/03/06

・四月は君の嘘:第20話『手と手』
今週の四月は君と嘘は『椿ちゃんの甘酸っぱい春』『忍び寄る死』の二本でお送りします! という感じのお話。
AパートとBパートでキッチリテーマを分け、一話を15分アニメ二本のように使うのはこのアニメの得意技なのですが、今週はとにかくAからBへの落差が凄くて、全盛期の佐々木のフォークより落ちてた。
健全に恋愛負け戦に進んでいける椿ちゃん、その好意を受取つつも自分の恋を裏切れない公生、そして生き死にを思い通りに出来ないかをりちゃん。
それぞれがそれぞれの地平で、ままならない生き方をしているお話でした。

四月は君の嘘といえば定期的に澤部椿を溝に沈めて棒で殴るアニメなわけですが、今週も見事な負けっぷりを発揮していました。
負けることを怖がらなくなったというか、クッソ不器用ながらも自分の恋心を伝え、スタートラインを強引に引いたという意味では、今までの試合とは違う展開なのですけどもね。
モノローグを多用してしっかりと椿ちゃんの柔らかな内面と、不格好な決意を視聴者に伝えた上で、どう考えても勝ち目のない公生のかをキチっぷりを見せてるのが、相変わらず最悪に性格悪くて素晴らしい演出です。

甘酸っぱく微笑ましい中学3年生の恋絵巻にも、常に死の匂いは忍び寄る。
アバンでチェルシーという『公正が初めて出会った死』を強調しつつ、彼(彼女?)に似た黒猫を隙あらば画面に写す構成。
渡というライバル、死にゆくかをりちゃんと対面する覚悟を決めた(つもりになった)瞬間突きつけられる、圧倒的な死。
サブタイトル通り、今まで触れ合っていた手と手が別の表情、死人の顔色を見せて遮断された後、ダメ押しとして目の前で死ぬ猫。
雨の中でホットレモネードの暖かさが際立っていた椿ちゃんパートの平和さも、後半怒涛のように押し寄せた死を際立たせる素材だったような錯覚すら覚えます。


そう、錯覚です。
どんなにかをりちゃんの発作が突き刺さる真摯さを持っていても、公生の慟哭が胸を切り裂いてきても、それはそれとして、Aパートで素直に感じ取れたように、椿ちゃんの不器用で不格好な恋は存在している。
澤部椿がのんきに甘受している、そしてかをりちゃんは最早取り戻すことは出来ないかもしれない青春は、身近で大切な人が死にかけているという重すぎる事実を前にしても、何ら損なわれることはない。
一見対比のように見える今回の構成は、そう言うよくよく考えれば当然の事実であり、しかし死が持っているドラマツルギーの強大さに忘れてしまいがちな現実を忘れさせないように、丁寧に計量して描写されていました。

このアニメには、軸が3つあります。
音楽が持つ残酷さと生の躍動という天上、かをりちゃんが孕み公生に常に忍び寄る死の地獄。
そしてその中間点として存在する、思春期の少年たちが駆け抜けていく、ありふれていてだからこそ貴重な日常です。
それらはお互いに排他な間柄ではなく、例えば公生の母へのトラウマがそうであるように、死から生へ、生から死へと絶えず変化している。

少年たちを取り巻く日常は、その運動の経路というわけでは勿論なく、死に囚われつつも何とか生き延びようとする糧として、十分以上に魅力的になるよう、丁寧に描写されている。
それはもしかしたら死んで物語を終えてしまうかをりちゃんが、ただ死ぬべくして活きている存在ではないことを保証する、重要な足場だと思います。
音楽と死の劇的さに劣らず、尺を使い気を使って描写されている何でもない日々の貴重さが、今回のAパートには詰まっていました。

音楽と詩と日常の三角形が、かをりちゃんの発作を切っ掛けにどう動くのか、僕には全く分かりません。
判るのは、音楽の頂点であるコンクール、死の頂点であるかをりちゃんの土壇場が同時にやってくるということ。
このアニメがクライマックスに向けて、最後の疾走を始めたということだけです。
見守りたいと思います。

 

アイカツ!:第123話『春のブーケ』
劇場版を除けば、第107話『2人のドリーマー』第114話『ハッピーツリークリスマス☆』以来の瀬名翼くんメイン回。
非常に巧妙な組み立ててにより、視聴者はすれ違いのドキドキを感じ取り、当事者はただ真っ直ぐに青春を疾走しているという、とても面白い作りになってました。
前回のカトキさんに引き続き、プリリズシリーズの井内さんが演出というのも、普段と違う感覚で楽しめた理由でしょうか?

今回の甘酸っぱいドキドキは、あかり→瀬名→いちごという一方通行が視聴者には見えているから生まれるものです。
しかしこれ、当事者間では一切共有されないうちに蒸発してしまう、蜃気楼のような三角形です。
Aパート終わりに『プレミアムドレスをいちごちゃんに着て欲しい』という淡いあこがれを瀬名くんが表明するわけですが、これは最終的にあかりちゃんにも、いちごちゃんにも知られないまま消えてしまう感情です。
瀬名くんの淡い憧れは、誰かに知られる前に、『あかりちゃんに着てもらいたいドレスを作る』という意識に変化してしまいます。
問題がこじれる前に叩き潰すべく、的確過ぎるアドバイスを出してるいちごちゃんは流石の一言でした。
あかりちゃんにドレスモチーフのトス上げもしてるし、メンターとしての星宮いちごも、主人公時代と同じく完成度高いわやっぱ。

一方あかりちゃんも、他人のために作られたドレスを無理くり請い願うわけではなく、ただ目の前にあることに三昧しやり遂げることで、ドレスにふさわしい自分になるという答えを最初から見つけ、ずっと貫いています。
今回「大空お天気」が重点的に描写されているのは、それが今の大空あかりにとって『目の前にあること』だからです。
これをしっかりとやり遂げることが、『大空あかりというキャラクターにとって、重要な成長と達成である』というのは、第116話『大空JUMP!』から積み上げてきた描写を見ていれば納得の行くことです。
あかりちゃんは今回も用意された成長への道筋を外れず、まっすぐに走り続けています。
これは非常にアイカツ!的な健全さだし、それを牽引するべく生まれた主人公大空あかりが、ブラしてはいけない軸でもあります。

しかし、まっすぐに走り続けている二人の道は、視聴者にとってはドキドキする危うい歩みに見える。
デザイナーとしてより良いドレスを完成させるべく、必要なだけ悩む瀬名くん。
自分に出来る事に一生懸命に、ただただまっすぐに走り続けるあかりちゃん。
彼らの関係の軌跡は、一人称視点だと真っ直ぐに交わるのに、視聴者(≒三人称≒神)視点だと曲がりくねって結果的に繋がったように見えるよう、丁寧に構築されています。
この楽しい錯覚を作るべく、駅のホームという物理的遮断を有効活用したり、お互い忙しくて真意を伝えられないシチュエーションを何度も用意したり、その癖瀬名くんがあかりちゃんを、あかりちゃんが瀬名くんをお互い強く意識してるシーンを背中合わせに演出したり、丁寧に視聴者のドキドキを煽るセッティングが使われていました。


今回の錯覚を作るもう一つの要素は、大空あかりは星宮いちごに現状勝てない、という視聴者の認識です。
二年間主役を担当し、劇場版で完璧な課題の達成を成し遂げた大人物・星宮いちごと、未だ成長の途上にある大空あかりでは、作品内部での人間力・説得力がやはり違います。
仮にこの二人が瀬名くんの両天秤に掛けられた場合、視聴者は『いちごちゃんが選ばれるだろうな』と、無意識的にも意識的にも考えるのが、現状自然です。
つまり、瀬名くんが『プレミアムドレスをいちごちゃんに着て欲しい』と口にした瞬間、『あかりちゃんは選ばれないだろうな』と推測してしまう状況に、視聴者は置かれたわけです。
これは殺人鬼が徘徊する山荘で「誰も信じられない! 私は一人で行動する!!」とヒロインが宣言した時の『あ、死ぬな』という感じに似ています。

それはけして明言されないし、何度も繰り返されるものではないのですが、非常に強烈なためにエピソード全体を貫いてしまう予感です。
『起こってほしくないことが起こる』というのがサスペンスを成り立たせる骨子だとすれば、Aパート終わりに『起こってほしくないこと』を強制的に視聴者に想像させるシーンをねじ込み、アイカツ!ではめったに起きないであろう破綻を否応なく想起させたのは、視聴者をドキドキさせるのに絶対に必要なことです。
『起こってほしくないこと』が実現しないように、しかし実現するかもしれないという絶妙なラインをくすぐりながら、最終的に『着て欲しいドレスを、着たかった相手に手渡す』という安定したオチに持っていくまとめ方は、非常に巧みだったと思います。

巧みな演出的錯視を駆使してサスペンスを煽り視聴者をドキドキさせつつ、青春をひた走る二人には一切ブレのない成長を経験させ、ジェットコースターのように安全に視聴者を振り回して、お話をゴールに導く。
アイカツ!で恋愛の匂いを出すなら、こうやるしか無いだろうな、という技ありの一手。
匂いはあくまで匂いであり、最終的に『戦友』という関係性に落ち着くあたりも、エピソードを悪目立ちさせない作りだと思いました。
妙に強調される大空っこの不穏な動きとか、更に指先の表現力を上げフィルタの繊細さに磨きがかかったステージとか、本筋以外の部分も切れ味の良い、名エピソードだったと思います。

 

・少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR 50-:第21話『神は自らの言葉で語るのか』
鉄は熱いうちに叩く! という訳で、前回のセンター交代を引き継いで、カケルの内面を掘り下げていく回。
いかにもな等身大の主人公カケルに、『先行する勝手なイメージに、どうにかして追いついていくのがセンターであり人間』という落とし所を用意するのがホント少ハリ節全開で素晴らしい。
直球な助言をピンポイントに与えてくるシャチョウといい、高すぎるハードルを下げて飛ばしてくれる仲間といい、ワキの配役も素晴らしい爽やかな回でした。
イヤね、少ハリに爽やかじゃない回ないんだけどさ……。

自分に自信がなく、内面から湧き上がるような欲求も、強烈なキャラクターもないカケルくん。
少ハリで一番地味であるが故に、地道で等身大な悩みを抱え続け、ひたすらクラくアイドル続けてきた彼は、前回尊敬するマッキーを押しのけて立ち位置ゼロに付きました。
『立場が人を作る』という言葉もありますが、今までのカケルくんは、アイドルという立場に葛藤を抱えつつも飛び込み、何とか自分のものにしてきた。
それは、色々と考えつつもファンの前では笑顔を作り、サプライズにも慌てた様子を見せずにステージを維持している様子からも見て取れる。

しかしセンターという立場は非常に特別で、『控えめで、思弁的で、影に隠れたクラいやつ』という等身大なカケルでは、求められるイメージを満たすことが出来ない。
アイドルが他者から求められるイメージと、当人が抱えているセルフイメージが大きく食い違っているというのは、それこそ一期一話『僕たちの自意識』というタイトルにも現れている少ハリのビッグテーマです。
そして、アイドルが他者に求められることで存在できている以上、重要なのは等身大の自分ではなく、ひとり歩きしていく求められるイメージの方になるというのも、今まで繰り返し強調されてきたポイントです。

今回はそれに加え、アイドルに世界が求めるイメージは絶望的に多様で、矛盾すらしていること、それでもアイドルを見つめる人たちの欲望を叶える奇跡がアイドルには達成可能であることが、シャチョウによって示されていました。
『アイドルは神であると同時に生贄でもある』というシャチョウの言葉は、ゴッドとしてアイドルを続けたシャチョウ自身の体験を反映し、同時に欲望のうねりの中で傷ついている三次元アイドル
にも伸びている。
単純にエピソードを引っ張ってくるのではなく、コアな部分に洞察を投げているアイドル全体への鋭い視線は、少ハリの数ある武器の中でも切れ味鋭いと思います。

望むと望まざると、ファンやメディアの身勝手な欲望に振り回されながらアイドルは存在してるし、そう言う風を一番引き受ける場所が真ん中。
否応なくアイドルの本質を体現してしまうセンターという立場にカケルを追い込み、高まる外圧を利用して風見颯ではなく、アイドル・カケルを再構築すること。
マッキーの我を引っ張りだすと同時に、カケルに等身大の自分を捨てさせることが、前回シャチョウが言っていた『賭け』の中身だったのかな、などと思います。
そして、シャチョウは『賭け』に勝ったわけです。

カケルくんはフツーの高校生担当であり、他のメンバーに比べて家族の描写が多いキャラでありますが、今回も家族の出番は多かったです。
自分の理解の中では『優しく受け入れ応援してくれる父母=身内』『辺りの厳しいドルヲタの妹=世間』という仕事を割り当てられている彼らですが、今回も妹ちゃんはキツい当たり方をしつつ、必要なことを言っていた。
予告でイライラの理由を笑いとともに納得させる所も引っ括めて、今回の妹ちゃんの使い方は良かったなぁ……もともと好きなキャラだけど、今回は特にいい。
マッキー推しかい妹ちゃん……いや判るけどね、アイツ可愛いし。


無論真ん中という立場は周囲があって成り立つわけで、センターを追われたことでリーダーとしての存在感を増したマッキーを筆頭に、相変わらずの気持ちのよい若者たちが、カケルくんの飛翔を助けていました。
楽屋の空気が悪くなりそうになったのを察して、笑い話に落とそうとするキラと、それに乗っかって話を作っていくトミーとの間合いとか、すっげー好き。
カケルが悩んでいることを見て取って、一旦掃けた後でマジな話を持ってくるシュンとかも良い。
部室っぽい空気が毎回面白く、清涼感のあるこのアニメですが、今回の楽屋は特に爽やかだった。

ラストのサプライズは、良く出来たメタファーであるが故に飲み込んじゃうけど、良く考えるとハチャメチャという少ハリイズム。
イヤだって、どう見ても茶番じゃんあの上がり下がりするハードル。
『高すぎて飛べないハードルも、仲間が手助けすれば飛べるし、真ん中が飛ばなければグループ全体が低空飛行する』というあのシーンの演出意図はエピソードの心臓を正確に射抜いているし、ただメタファーだけに成っていない奇妙な落ち着きの良さがあるので、飲み込んでしまう。
ここまでステージで一緒にやってきた経験を踏まえて、『アイツならやるだろう』という信頼を四人が持ってるのが、凄く嬉しいんだよなぁあのシーン。

仲間やシャチョウの助力を得て、『フツーの高校生』から『少年ハリウッドセンター』への意識改革を果たしたカケルくんが、今後少ハリをどこに連れて行くのか、スゲー楽しみになるお話でした。
物語の中で起きる出来事に、キャラクターが悩み、苦心して変化し、初期状態を解消していく『変わっていく快楽』みたいのが今回すごくあって、アイドル抜きにした成長物語としても大きなカタルシスを感じました。
やっぱ少ハリ、面白いわ本当に。