イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダムUC RE:0096:第17話『奪還! ネェル・アーガマ』感想

人間のカルマを心を操るマシーンが増幅するアニメ、今回は最終決戦を前に河岸を分かりやすくする回。
ネェル・アーガマ内部の不満分子が先走った結果、偽りの均衡状態に終止符が打たれ、オットー艦長は叫びエコーズの伯父さん達は本業に走り回り、アンジェロはうろたえたり格納庫で大立回りしたり忙しい。
隠し能力・仮面ワープを決めて船に戻ってきたフル=フロンタルはバナージをアームロックに決めつつ、寂しい心の中を告白し、憑き物が落ちた少女マリーダがジンネマンの憑き物を落として、ガランシェール隊はついにジオンの怨霊と縁を切った。
バナージにフラれたフルが叫んだ『こっから先は競争だ!』が、妙に楽しそうに聞こえる最終章直前でした。

フル=フロンタルの政治的空虚を指弾する展開は前回で終わったので、今回はマリーダさんとジンネマン周りの因縁を整理するお話でした。
過去のトラウマからも、クソみたいな財団の再洗脳からも自由になったマリーダさんは尖った部分が丸くなり、これまで秘めていた人間性を『実はアイスが好き』という形で表明してきた。
『病院食がマズい』と合わせて、人間性の回復と五感の回復を重ね合わせて表現しとるわけやね。
バナージを抱きとめる表情、覚悟を込めたユニコーン起動を見守る表情も、これまで見せなかったやわらかなもので、彼女の物語は落ち着くべきところに落ち着いたのだなぁ、と思えました。
アンジェロの圧力で叩きつけられるとき、自分の体でミネバを包み込む描写とかも、マリーダ=クルスがどんな人間であるか、セリフに頼らず見事に表現していたと思う。

しかしまぁ、『箱』を巡る戦い自体は終わってない以上、マリーダさんは戦場に立ち続けるわけで、死神は未だ彼女を狙っている状況。
マリーダさんは辛いことがたくさんあったので、このまま船を降りて戦士以外の生き方を探して欲しいもんですが、バナージとミネバが戦場に身をおく限りは彼女も引かないのでしょう……義理堅いし優しいなぁ。
バナージのアホタレが『いつか……いつか一緒にアイス食べに行きましょう!』とか希望に満ちた約束などしおったので、最悪の事態が降りかからないか戦々恐々です。
このアニメ、判りやすいフラグ建てした後は即座に回収にかかるからなぁ……マジ死なんで欲しい……。

相変わらずバナージへの精神的ケアが分厚いアニメでして、マリーダさんがまだまだティーンなミネバには任せられない母性的包容力を存分に発揮し、作品を貫くテーゼである『『それでも』と言い続けろ』を再確認していました。
マルリーダさんはミネバにも良いトスを上げていて、そこでも『心に従え』というダグザさん以来のテーゼが唱えられていたので、作品全体を貫く主役サイドのテーゼを復唱し直す意味でも、こんがらがった状況を整理するシーケンスでしたね。
この期に及んで面倒くさいジンネマンの怨霊払いを終えた後、ジンネマン側からのラストオーダーとして『心に従え』がやまびこのように返ってくるのは、言葉=信条が一箇所でとどまらず、相互的にやり取りされる中で勇気が強化されている感じが強くして、凄く好きです。

比較的主役と年が近いマリーダさんは、オヤジ世代であるジンネマンやダグザ、ガルマ声のオッサンとはまた別の角度から、主役サイドに切り込んでいけます。
似た年齢としてはリディやアンジェロがいるんですが、片や非モテの恨みを極限までこじらせた厄介ボーイ、片や大佐が好きすぎて頭がおかしい男で、壁や鏡としての仕事はしても、主役を支え正し寄りそう助言者としては、マリーダさんくらいしかいないのよね。
年上世代のジンネマンを妄執から解き放つ仕事もやっていて、人の魂をおかしくするマシーンから解き放たれたマリーダさんは、本当にいい仕事するなぁ。


ジンネマン親父に関しては、己や人類の業すべてを許す境地にようやく入って、面倒くさいものから開放されたなぁと思いました。
マリーダを救い、バナージと砂漠で殴りあい、再度マリーダを助けて父親に戻ったのに、まだまだ割り切れない憎悪の気持ち。
それは死人の感じた痛みと無念への共感であるのだけれども、同時に生き延びてしまったジンネマン個人の思い込みでもあって、自分から許さんかければ絶対に開放されない妄執の鎖なわけです。
死んでしまったマリーの代弁をするマリーダさんは傲慢であるのだけれども、二人が重ねてきた関係の太さを考えると、人を救いうる傲慢を背負えるのも、マリーダさんだけだったのかなという気はする。

ジンネマンは最後に『許す』といいましたが、一体何を許したというのか。
虐殺の怨念をテロ行為で晴らす終わりのないカルマか、亡霊の痛みを勝手に想像し縛られる愚かさと優しさか、他人を踏みにじって痛みを感じない人間の根本的な残酷さか。
それは連邦の罪であり、同時にジオンの継承者としての自分自身の罪でもあり、ジンネマンを縛り付ける全てを『許し』たんじゃないかなと、僕は思いました。
バナージがかつて指弾した『怨念返し』の連鎖を捨て去るためには、家族への愛ゆえに歪んでしまった憎悪を『許し』、過去ではなく未来に向かって歩き始めなければいけない。
強化人間として製造され、娼婦としてなぶられ、『光』を奪われたマリーダさんもまた、加害者たる過去と被害者たる己自身を『許し』てあの穏やかな表情にたどり着いたのなら、彼女の言葉がジンネマンを開放したのは、なかなか納得行くところです。

全てを『許し』たジンネマンが、菩薩めいた穏やかな表情ではなく、歳相応のひょうげたオッサンの顔を手に入れて話が終わったのも、結構好きですね。
あれだけ濃厚な感情を持った元軍人が、早々簡単に悟れるわけでもなし、執着を捨ててかつてそうであったような、明るく楽しいオッサンの顔に戻れたのは、彼の物語の終わりとしてなかなかいい演出だった。
……個人のクエストを完遂するとすぐさま死神が忍び寄るアニメなので、油断はできんがな!


ジンネマンがテロ屋の因縁から完璧に決別したのに対し、オットー艦長から名指しでテロ屋呼ばわりされた『袖付き』。
もはや対称型の戦争が発生し得ないUC0096において、連邦以外の軍人が存在しうるのか怪しかったりもしますが、怨念返しの地獄道から抜けられていないのは指摘のとおりです。
ミネバを人質にとって交渉ルートを作ろうとしたダグザさんと、今回のアンジェロは面白い対称だよな……結局撃てないところ含めて。
そういう意味では、今回のエコーズ人質解放作戦はダグザさんが望んで果たし得なかった『』人を助ける正義の軍隊としての晴れ舞台であり、エコーズという汚れ仕事部隊も己のカルマから脱却し、自分の物語を完遂しえた証明だったのかもしれん。

そんな『袖付き』の対象たるフル=フロンタルは、仮面ワープを駆使してバナージとアームロック対話していました。
仮面の下に隠していた空虚をもはやむき出しに、個人的絶望で宇宙圏を包み込もうとする危うさは、前回(形式上)論破された流れを組んでいます。
希望に満ちたヴィジョンを捨てることなく、矛盾だらけの現実的問題をどうにか解決し、不幸になる人間の数と質を減らしていかなければ職業的責務を果たせないのが、政治家の難しいところだと思います。
ミネバはヴィジョンに満ちて現実対応は未知数、フルはヴィジョンがあるふりをして虚無的で、短期的問題解決にはなっても長期的に目標を達成し得ないという感じかな。

普段は情も怨念も見えないフルですが、バナージに迫るところは奇っ怪な迫力を感じました
求めてもいない理想を背負わされ、たったひとつの身体を『強化人間』として弄くり回れるという共通点を探しだして、『お前も俺と同じ境遇なんだから、俺と同じく虚無の器に成り果てろ』という呪いは、身勝手ながら負の人間的共感を感じた。
孤独であることを寂しいと感じ、バナージに己の同胞を求めるのならば、フル=フロンタルもまた感情を持った人間であり、完璧な器ではありえないわけで、今回の必殺怨念固めには、これまで感じられなかった『熱』が見えた気がします。
……勝手な理念をつめ込まれた結果歪み、それでも魂の片割れを求める悲しい生き物という意味では、フル=フロンタルは『フランケンシュタインの怪物』に似ているな。

滅亡寸前まで追いつめられ、連邦のマッチポンプの道具としてしか生存を許されないジオンの諦めがフルにみっしりと詰まっていて、彼が語る表面的な理念に踊らされればこそ、『袖付き』は未来なきテロ集団として存在するしかない。
『器』を用意したのが誰かはわからないし、フル=フロンタルの個人史は徹底して語られないわけですが、フルの空虚さと唯一存在するネガティブな感情が表に出ることで、組織としての『袖付き』の限界も見えてきた気がします。
ここで株を落としておかないと、最終決戦で勝ってもあんまスッキリしないしな。

ジンネマンがマリーダの導きで業を『許し』、テロ屋人生とようやっと決別したのも、政治集団としての正当性がない、空疎な器の怨念返し装置である『袖付き』と距離を開けて、沈む船から脱出する意味合いがあったと思います。
すごく意地の悪い言い方をすると、主人公バナージに近い存在が負け側にいるとお話が終わった時の爽快感が薄れるから、ジオンのイデオロギーから自由にしてネェル・アーガマに乗せた、というか。
これはネェル・アーガマを実利しか考えない腐りきった連邦から切り離し、いわば『正義の罪人』として孤立させたのと、同じ流れだといえます。
ジオンと連邦、宇宙世紀の二大イデオロギー装置と主役たちとの距離を徹底的に開けて、悪しき『公』と良き『私』の対立構図を描いて最終決戦に入るのは、凄くユニコーンっぽいと思う。

というわけで、最終決戦に向けて足場を整える回でした。
『袖付き』から離れたガランシェール隊、連邦に追われるネェル・アーガマの共闘体制が今回整ったわけですが、組織のロジックから離れたアウトサイダーたちは、最後の戦場をあくまで独立愚連の『私』として戦うのか。
はたまた『公』にアプローチしうる私欲なき理念を、悪しき『公』組織に叩きつけるのかってのは、これから始まる『箱』争奪戦を見てみなければ判りません。
このお話し、根本的にバナージ青年の個人的自己実現の物語として語られているんで、『公』と『私』の歪んだダンスをどう収めるかって見方は、あまり製作者が望んだ見方じゃない気もするけどね。(今更な意見)

無論僕だって、作品のテーマ敵展開がどこに収まるかだけを楽しみに、物語を見ているわけではなりません。
バナージの『ゆきて帰りし物語』が、どう収まるのか。
ザビ家とジオンの宿命を背負ったミネバが、どういう結論を出すのか。
チラ見せされた『足のない』モビルアーマーは、どんなトンチキ兵器なのか。
マリーダさんは死亡フラグを跳ね返し生き残る事ができるのか。
すっかり暗い瞳になったリディに救いはあるのか。
様々なカルマが渦を巻き結末にたどり着く最終決戦は、来週から始まります。
いやはや、楽しみです。