イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

話数単位で選ぶ 2017TVアニメ10選

今年も10選企画、参加させていただきます。
元締めは新米小僧の見習日記さんであります。

 

・ルール
・2017年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

なお、放送日順です。

昭和元禄落語心中 -助六再び編- 第11話

生き残ってしまった苦しさも、人間への愛憎も、色々なものがあったけれども、それが磨き上げた八代目八雲という老いたる芸術品こそが、菊比古が死出の旅路に際して一番胸を張れる、立派な道具だと、あの"寿限無"は語っています。

昭和元禄落語心中 -助六再び編-:第11話感想 - イマワノキワ

 落語という話芸、それに引き寄せられた男女の業を独特の色彩で描ききったアニメからは、最終話直前のこのエピソードを。
落語が持っている身体性を、のっぺりとしたアニメ表現の中に如何に取り込んでいくか。カメラアングルやレイアウト、テンポや間合いなど、映像の武器を磨き上げた結果、この作品には独特の『艶』みたいなものが生まれた。
それがドラマの中心にある色恋の地獄、表現の修羅道をスッとえぐり出し、キャラクターに独特の魅力を宿すことに成功していた。人間がオギャーと生まれて、何かに惚れ込んで、それで天国に昇るような心持ちになったり、地獄に突き落とされたり。いろんな色彩のある人生を追いかけながら、昭和という時代に押し流されながら八雲が成熟し、老いていく様を描く。
アニメーションというメディアがあまり描かない、積み重なる年月の明暗もまた、丁寧に切り取られていた。稀代の落語家・八雲と落語が老いさらばえ死の恐怖に怯える姿を、どうしようもない人間をカルマを茶化さず、美化もせず追うことで、そういうあまりに人間的な光景から人間を開放して(あるいはそこに人間を閉じ込めて)しまえる『落語』の魔力もまた、しっかり描かれたと思う。
1話まるまる、爺がおっ死んで極楽に行くまでを費やしたこの話数は、そういうカルマの話芸がキャラクターと作品をどこに連れてきたのかを、冷たく冴え暖かくまとまった映像表現の中で、これ以上ないほどに展開する。
それはここまでの八雲師匠の人生、それに巻き込まれた様々な人のドラマだけが生み出せるものだし、同時に一話の中に苦味甘み、きらびやかな『華』とモノトーンの『死』を全てねじり込んでくる表現の瞬発力が可能にしているものでもある。
アニメーションであるもう一つの楽しみ、『声がつく』もまた石田彰関智一山寺宏一小林ゆう(ご結婚おめでとうございます)と、芸達者一世一代の芝居で堪能させてくれる。2クールの長さを重たく感じさせない、色気と業のタップリ詰まったアニメである。

 

プリパラ 第135話『スマイル0%』

それは今回の物語、神GPを目指して走ってきた三期だけではなく、ひびきが軸になって回った二期の物語、それを含めたプリパラという作品全体に対して、誠実に答えたのではないか。

プリパラ:第135話『スマイル0%』感想 - イマワノキワ

 プリパラが終わった。
三年(正確には二年と九ヶ月)の物語の間には本当にいろんなことがあって、様々なことが語られた。狂っていること、笑えること、ダイナシなことに大事なこと。それらをとにかく可愛く、キラキラと描き続けてきた偉業は、どれだけ褒めても褒めたりないと思う。
その物語の中でこの話数を選んだのは、色んな理由がある。圧倒的なカリスマを兼ね備えてしまったトリコロールに、主役ユニットであるソラミスマイルがどういう闘いを挑むのか。勝負論としてのプリパラの完成形を、『貴族主義VS原宿ポピュリズム』という政治の構図で見事に完成させていることも、大きな理由の一つだ。
『子供向けだから』『皆で仲良しだから』という甘えた理由を抜いて、この一試合を勝ち切るための必然に主役たち(というか南みれい)をたどり着かせ、地の利を極限まで活かして才能第一主義を打破し得たこと。それは商業アイドルでもアイドル部でもなく、ディジタル化されたアイドルテーマパークを舞台にするプリパラらしい、『主役が勝つ理由』だった。
自分たちがそういうものを積み上げていたことに、プリパラは常に自覚的であったし、それをちゃんと届く形にシェイプすることにも意欲的だった。理念の勝負であると同時に、観客でもあり仲間でもある顔のない存在をけして忘れない、ステージングの物語でもあった。
そして何より、『夢見る女の子』の物語でもあったと思う。プリパラの参加条件である『夢見る女の子』には、年齢も性別も組み込まれていない。ただ楽しみたい、輝きたいと願うあらゆる存在が『夢見る女の子』なのであり、アイドル足り得る資格を持つ。男性性を持つレオナも、年食った大神田校長も、プリパラは拒まない。
そんな『みんな』の部分を幾重にも優しく折り重ねつつ、この試合で才覚を比べ勝敗を付ける『アイドル』を極限的に語り切ることで、プリパラの掲げた『みんなアイドル』というテーゼは見事に完成した。
そういう意味でこの話数を選んだが、プリパラが語った物語はその長さに相応しく、非常に豊かだ。友情の結晶過程、努力の意味と無意味、自己実現と現実の残酷さ。様々なベストが、そこにはある。素晴らしいアニメだったなぁ。

 

リトルウィッチアカデミア:第6話『ポラリスの泉』

今回の話はあくまでスタートであり、ポラリスの水鏡で姿勢を改めたアッコの物語も、一瞬過去を取り戻したアーシュラ先生の物語も、元気な魔女との出会いで少し変わったアンドリューの物語も、これから一歩ずつ、本道を歩んでいきます

リトルウィッチアカデミア:第6話『ポラリスの泉』感想 - イマワノキワ

 シリーズ全体の見取り図が見える瞬間、というものが好きだ。”THE IDOLM@STER”でいえば第5話の海合宿回、”アイドルマスターシンデレラガールズ”でいえば予兆と詩情に満ち満ちた第1話。物語の基本形が形になり、ある程度の球筋予測みたいのが立つ瞬間が、たまらなく好きだ。
リトルウィッチアカデミアは児童文学、魔術、魔女術、神話、占星術などの引用を大量に含みつつ、基本的にはアッコというごくごく普通のダメ生徒が、自分を見つけていく教養小説だ。少女の青春は当然一人では終わらないから、学友との関係を深めていく話数の仕上がりがすごく良い。ロッテとの第4話、スーシィとの第8話、アマンダとの第17話、あるいはダイアナとの第19.20話。
それらをあえて避けてこの話数を選ぶのは、無論僕個人の物語的フェティシズムが『総体のアウトラインを描く瞬間』にあるからだけど、同時にそれら綺羅星のような物語がちゃんと繋がって、アッコの人格的完成、教師陣の人生の再生、あるいは魔法界の復活という大きな物語を盛り立てるためには、しっかりとしたアウトラインが必要不可欠だ、と僕が考えるからでもある。鋭いスパイクは良いレシーブ、良いトス上げからだし、ホームランで4点入れるためには塁を埋める必要があるのだ。
シングルヒットで入る点数は、たかが知れている。『この物語は、このような構造を持ち、このような形で展開していくのだ』という基本的な哲学に導かれ、統一された楽譜の中に配置されることで、シリーズは『単話の総体』を遥かに超えた強烈な音楽となって響き渡る。
ここでポラリスの水鏡が示した憧れの形、それを見定めたアッコの変化、あるいはそこにいかにして魔術/神話/ペイガン・フェミニズム的な要素が関係し、また『男性』という対比存在が変化を後押ししていくかの予兆があればこそ、後半生まれる実際的な変化、その中で輝く個別のドラマは、『リトルウィッチアカデミア』としてより大きな意味を持つ。
それが可能なのはやはり、非常に冷静に自分たちが何を作ってるかを見据え、六話という話数で素敵に、ファンタジックに、楽しく示してくれたこういう話があればこそではないか。この作品はカウントをしっかり整えて投球できるピッチャー、試合を組み立てられるプレイヤーなのだと見せたことで生まれた信頼感が、最後まで持続したからこその面白さなのではないか。
オタクチックな勢いと、その反動としての照れが目立ったトリガーが、非常にベタ足の成長物語、ポップカルチャーとはまた別の文脈から大量の引用を持ち込む物語が生成可能であると示した意味でも、とても大事なシリーズだったと思う。

 

アイドルタイムプリパラ:第20話『ハッピー米(まい)バースデイ』

色々ダメダメで、小さな手では救いきれないものもあって、でも『夢』に導かれて一歩ずつ前に進んで。 そういう歩みをコンパクトに積み重ね、神ならぬ人間の話をしっかり見据えながら進んできたアイドルタイムの、一つの記念碑になるエピソード。 それが主人公の誕生日に送られたのは、本当に豊かだなぁと思います。アイドルタイムプリパラ:第20話『ハッピー米(まい)バースデイ』感想 - イマワノキワ

プリパラが終わって、 アイドルタイムプリパラが始まった。
元々シリーズのへ視力は異常に良いアニメで、らぁらを基軸にした大きな物語が終わった後、主人公と舞台を取り替えてよりコンパクトな、しかしだからこそ可能な『アイドル開拓物語』をジワジワと積み重ねてきた。
その中心にあるのはやっぱ、主人公たる夢河ゆいというキャラクターの、トンチキで優しい魅力だ。彼女が不思議でちょっとバカで、でも元気で前向きで可愛い女の子だからこそ、その人間的魅力で必死に夢にぶつかり、自分の『大好き』を引き寄せてくるパワフルさを受け止めることも出来る。ぶっ飛んだトンチキさにビックリしている間に好きになれる、良いキャラ、良い主人公である。
この物語はそんな彼女の戦いが一段落ついて、『パパラ宿のアイドル』として全国に旅立つ夏休みの番外編である。見逃してもあんま支障がない、コンパクトな物語。しかしだからこそ、『小学六年生』の女の子が目の前三センチの自分の世界を改め、少し広がった認識を手に入れる物語としてのハンディな手触りに満ちている。
物語の最初からいがみ合っていた兄・アサヒと二人で、北海道のど田舎に迷い込む。普段一緒に騒いでいる女友達とはちょっと違う、でも慣れ親しんだ空気が自然の中でリバイバルされる中で、彼女は『前に突き進む主人公』であると同時に『兄に引っ張られる妹』である自分を思い出し、何故自分がアイドルになりたかったのかの原点に帰還する。
その運動は女子アイドルを認めなかったアサヒにも反映され、彼もまた『妹に意地悪ばかりする兄』であると同時に『ダンプリのヘッドライナー』『妹思いのお兄ちゃん』である自分を思い出す。
当たり前に反目していた兄妹が、それを劇的にひっくり返すでもなく、ちょっとだけ関係が変わる自然さ。そしてそこが、アイドル・夢河ゆいにとって決定的な分岐点であることを、少女自身が気づいていない事実。アイドルサクセスストーリーから少し離れた、夏の特別編だからこそ可能な切り口で、とても良い。
思えば『だからこその切り口』というのはアイドルタイム全体にとってとても大事で、主人公を退いたらぁらがゆいのルームメイトにして憧れのアイドルとして『ただの小学六年生』の部分を強く描かれているのも、新しい部隊で別角度から『みんな』や『アイドル』を掘り下げられているのも、アイドルタイムが別の場所、別のキャラを選び取ったからこそだ。
そういう語り口を幾重にも積み重ねて、ついにチームが結成され、世界を無情に分断するシステムと、主人公たちがどう対峙するか。それがこれから三ヶ月語られることとなる。楽しみである。
物語を牽引する『正しさ』を常に直感できたらぁらに比べ、ゆめは虹色の夢目で認識を曇らせてしまう『間違える主人公』だ。大失敗を産むほどでもないが、身の丈はけして超えられない視野の狭さもまた、アイドルタイム独自の『だからこその切り口』だろう。どう活かし、何を語るか。2018のアイドルタイムプリパラも、当然見逃せない。

プリンセス・プリンシパル:第7話『case16 Loudly Laundry

これまで人の命を奪うために発揮されてきたプリンシパルの個性が、どん底洗濯工場を明るい希望で満たす『きれいな嘘』として機能するのは、ここまで重たいお話をたっぷり食ってきた分、爽快でしたね。

プリンセス・プリンシパル:第7話『case16 Loudly Laundry』感想 - イマワノキワ

 ”プリンセス・プリンシパル”をどう評価するかは、実は結構難しいと思う。作り込まれたスチームパンク世界、ソリッドなスパイ世界と少女たちの柔らかな感情の対比、バリエーション豊かな語り口、間諜の仮面の奥に隠された感情の濃厚さ。
美点は山ほどあり、それを際立たせるエピソードはこの第7話以外にも山ほどある。スリリングな情報と感情の交錯が、鮮烈な火花を散らす第2話。冒頭の対話シーンで、物語の形を見事に突き立ててみせる第3話。最もスパイに向かない人情家・ドロシーに絡みつく情と因縁を切り取った第8話、あるいは第10話。ふたりのプリンセスの激情が絡み合う最終2話。
綺羅星の如きそれらのエピソードをさておいて、このエピソードを選出するのは、僕がこのアニメに見ていたモノに関係している。それはヴィクトリア朝ロンドンの腸、差別と搾取の構造体である。政治と労働運動、権利闘争と経済の物語として面白かったから、僕はこのアニメを見ていた。そしてそれが最も際立つのは、女たちが押し付けられた労働規範に反抗し、自活の道を手に入れ(あるいはスパイたちは搾取構造に帰還す)るこのエピソードだからだ。
結局このアニメは、革命を成し遂げずに終わる。幾度も語られた『父』との対峙、あるいは女性(あるいは外国人、障害者、下層階級、社会構造の被害者としての犯罪者などなど)差別の克服を置き去りにして、少女たちはカサブランカへと飛ぶ。現世の泥がはね飛ばない、美しく白きモロッコへと。
露骨に『To be Continued』で終わってしまったこの物語が、触るだけ触って彫り込まなかったモノ。かつて重たく横たわり、今もまたのしかかる大きなものへのアプローチを開いたことを評価するべきか、はたまた徹底して掘り下げるだけの蛮勇を貫けなかったことを非難するべきか。シリアスなリアルの窃盗犯なのか、バランスよくエンターテイメントに仕上げた職人芸か。そこは未だ、判断保留のまま僕の心のなかで揺れている。
しかし黒星紅白のキャッチーなデザインと、青春期の瑞々しい感情、女と女が触れ合う瞬間のスパークをしっかり切り取り、視聴者を引き込むフックを多数持ったエンタテインメントでありつつも、同時に『スチームパンク・ロンドン』が背負う社会的な軋みを排除せず、時に『労働』を真ん中に据えてきた挑戦を、僕はやっぱり褒めたいと思う。
願うならば、彼女たちが革命を果たし、スチームパンク・ロンドンが抱え込む問題をせき止める壁が破断される瞬間を見たい。それは少女たちが幸運にして特権的に回避し、沢山の犠牲者が巻き込まれた泥まみれの道へ、物語を引き込むだろう。可愛い女の子たちも、バタバタ死ぬかもしれない。本編が華麗に回避した、在り得たかもしれない作品のリアリティの帰結が、足腰の弱い僕達オタクにのしかかってくるかもしれない。
でも、それでいいじゃないか。
このエピソードで切り取られたロンドンの矛盾に、本気で風穴を開けたいのなら、それは必然として起きるし、実際僕らの歴史の中で起きてきたことなのだから。そういうリアリティに接近しつつ、一緒に沈みはしなかった見切りの良さ、フットワークの軽さもまた、一つの評価に値するのかもしれない。けどまぁ、自分としてはここで垣間見た、階級と労働が入り交じる赤い地獄が見たいのだ。

 

・アクションヒロイン チアフルーツ:第12話『情熱☆フルーツ』

最初に言えるのは、素晴らしい最終回、素晴らしいアニメだった、ということだ。

アクションヒロイン チアフルーツ:第12話『情熱☆フルーツ』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 チャーミングなアニメが好きだ。圧倒的な美麗な背景があるわけでも、グッと目を引く強い設定があるわけでもなく、むしろヘンテコなセンスが表に出て、オタクカルチャーのど真ん中からは外れてしまっているような、そんな変化球。
それが僕のキャッチャーミットに収まるためには、リッチさから離れた部分の魅力が大事になる。題材への愛情、キャラクターの生活臭と可愛げ、独特のユーモアと毒。そういう部分で自分を立ててくるアニメには、僕の歪んだ完成にガッチリフックする爪が備わっている。
今年もチャーミングなアニメは沢山あった。
アニメオタクアニメにありがちなルサンチマンを独自のセンスでぶっ飛ばした”アニメガタリズ”。12分の短い物語を丁寧に積み重ね機械生命体の自我の目覚め、共同体の暖かな形成を切り取ってきた”フレームアームズ・ガール”。『地域活性化』という泥臭いネタに無理くりでアニメ的な答えをあえて出さず向き合った”サクラクエスト”。そして海外向けの”KAWAII”の異質なパワーとその裏にある危うさにしっかり向き合い、クリエイティビティと青春の地平を不思議に走りきった”URAHARA”など、一見のとっつきにくさの奥に志を秘めた作品が、僕を楽しませてくれた。
地方創生と特撮ヒロイン、部活動モノとコンパクトなサクセスストーリーを組み合わせ、そのどれもに愛情を注いだこのアニメも、そういうチャーミングさのあるアニメだった。草川監督のペーソス、荒川シリーズ構成の特撮キャリアが見事に噛み合い、ちょっと懐かしくて温かい、おバカで優しい物語が展開されていた。
ド素人が寄り集まって何かを生み出す。努力があり、挫折があり、友情があり、成功がある。その手触りはどれも荒削りで、土の匂いがして、とても好きだった。濃口に見えてどっかズレた仲間たちの描写が、どれも可愛らしかった。
そんな彼女たちは『ステージを作る』行為を積み重ね、観客の前で最高の舞台を見せるため努力する。最終話となるこのエピソードでは、舞台裏で進行する危機を一切観客に悟らせないまま、誇りを持って堂々とメッセージをアド・リブし、偶然を必然に書き換える祈りを込めて走りきる。
声高には叫ばれない、創作者たちのありふれた祈りと奇跡。それはあの作中のステージだけではなく、それを僕らのもとに連れてきてくれたこのアニメ自体が包まれている、創作の母体だろう。
そこをくぐり抜けて、アニメーションは消費される。とんでもなく危うく美しいものを貪り食いながら、僕らはアニメで笑い、泣き、愉しんでいる。どうしても見落としてしまいがちだけど、アニメが僕らに届く以上必ずそこにある柔らかなものを、凄くシャイに見せてくるこのアニメが、僕はとても好きだった。ありがたかった。
デカい看板立てて『これがテーマです!』と叫ぶアニメも、当然僕は好きだ。そうやって目立たせて語り切ることは、強い足腰を必要とする奇跡だ。それと同じくらい、消費の構造に誠実に潜りつつ、ひっそりと勁い想いを込めて届けてくるアニメも、また好きだ。それが多分、チャーミングである、ということなのだろう。

 

アイドルマスター SideM:『THE IDOLM@STER Prolog SideM -Episode of Jupiter』

一つ問題があるとすれば、この仕上がりで天井まで登った期待に本編が応えられるかという話だが……一切問題ないだろう!!(無責任な断言)

アイドルマスター SideM:『THE IDOLM@STER Prolog SideM -Episode of Jupiter』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 

今年最も『巧かった』アニメは、多分SideMだと思う。ストレスコントロールの巧さ、物分りの良さ、適度な象徴性、キャラクターの記号と感情への向き合い方。全てが適切に制御され、必要なものが必要な場所に、必要なだけ配置されている巧妙さ。それが最初から最後まで続く、軽やかなる奇跡。
そして『巧い』だけで終わらない、その枠から溢れてしまう熱量を込めたエピソードを、しっかり冒頭に配置して予言とする構成の妙味も。前前作において、『魅力的な敵役』として物語の一部を背負ったJupiter。765プロの物語が運動を終え、315プロの物語が鼓動を始める前の谷間の時間で、孤独な彼らが何を背負い、何に苦しんだか。そして『プロデューサー』と『事務所』には何が出来るか。
まさにSideMのプロローグ(であり、”THE IDOLM@STER”から見ればエピローグ)としてこのエピソードを配置することで、過去のシリーズとの歴史性が浮かび上がり、『プロデューサーとアイドル』の距離感が活写される。これから展開される物語で視聴者が足場を置くものがどれだけ貴重で、大切なものなのかがクッキリと判る。
そして、一人の悩める青年、自分の夢を追いかけるアイドルとしての天ヶ瀬冬馬が、どういう歩みで踊っているかを、これ以上ないほど緊密に、丁寧に描いてくれたこと。大きな計画の中で仕事を果たしつつ、非常に小さな個人の熱量を見逃さないこと。体温のあるキャラクター個別の生き様をより集めることでしか、巨大なストーリーが生成できない真実を常に意識し続けること。
その誠実な熱意は、ここから続いていく物語全てに波及し、貫通し、走りきった。1クールという短い時間で何を語りうるのか、語るべきなのかをしっかりと把握し、そのために必要な道具立てを完璧に揃えて使い切った技前には、感謝と感服と感動しか許されない。見事なアニメだったし、良いアニメでもあった。
そう確信できるだけの質量が、このちょっと長めの前日譚にはある。315事務所の稼ぎ頭、忙しくてあまり顔を出せない『あこがれの先輩』として細かく各話で使っていく広げ方も、『その先』を貴重な一話を使って描いた第9話も含めて、恐ろしいほどに素晴らしい。
何より凄いのは、そうやって積み立てたJupiterの強さ、尊さをユニット内部で完結させず、彼らに続く315のアイドル達にしっかり伝播させ、背中に乗せてそれぞれの物語に送り出し、完走させたことだ。驚異的なバランス感覚と、強みを最後まで振り回し切るタフネス。良いアニメだった、掛け値なしに。

 

ドリフェス!R:第11話『ALL FOR TOMORROW!!!!!!!』

いいアニメだった。真っ直ぐで、分厚くて、真面目で、ど真ん中だった。アイドルって存在、男の子という存在をちゃんと考え抜いて、楽しく心揺さぶられる個別の物語を、しっかり組み上げていた。

ドリフェス!R:第11話『ALL FOR TOMORROW!!!!!!!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 シリーズ構成を同じくする『アイカツ!』と、ドリフェスは同じ血で出来ている。両方を摂取した視聴者には、頷いてもらえると思っている。それと同時に、ドリフェスドリフェスでしかありえない武器をたくさん持っていて、それを有効に振り回してきた。
夕方から深夜へ、女の子から男の子へ。フレームが変わった部分をちゃんと活かし、時に暴力すらコミュニケーション・ツールにして分かり合う『男の関係』を、ちゃんと描いていた。エロティックな雰囲気をしっかり活かし、そういう空気を生み出してしまう男たちの色香、関係性の深さを真正面から捉え、活かしてきた。
そして『アイドルとは』『人間が生きるとは』『ステージに立つとは』というど真ん中のクエスチョンをしっかり投げかけ、応えることを恥じない足腰は、常に健在だった。そういうストレートな問いかけは、難しいし恥ずかしい。でもやっぱり、堂々と答えてくれると凄くいい気分になる。アツくて、清々しい。
第7話で問われた『センターであることの意味』にしろ、第1話で発せられR全体を貫いていた『デビューしただけじゃ、アイドルにはなれない』という矛盾にしろ、ドリフェスはオーソドックスな青春群像劇、あるいはお仕事アニメのフレームを大事にしつつ、非常にコアな『アイドル』への問を恐れない。
常々『アニメが好きな層』と『アイドルが好きな層』は実はあんまり被っていないと思っているのだが、そこを貫通して心に届く問、答え、それを届ける表現手段をドリフェスは常に考え、笑いと感動の鏃で胸を貫いてきた。アイカツ!がそうしてきたように。
主人公たちが一端のアイドルになる話、主人公が主人公として立ち上がる物語は、実は第8話でピークを迎えている。それを超えて、『アイドルでいられなくなった世代のアイドル』にカメラを向け、その不在をみんなで背負い、新しい景色を描く。その野心が結実するのが、この最終話だ。
輝きだけがアイドルの全てではなく、必ず終わりは来る。だからこそ輝く日々と、移り変わっていく輝きの諸相を、終わりも含めて全部肯定し、受け止めたい。その野心的なポジティブさこそが、アイドルフィクションとして、青春物語としてのドリフェスの強さであり、物語製作者としての加藤陽一の鋭さなのだと、僕は思っている。
憧れを追いかけた少年たちは気づけば、仕事を背負う男になり、くすぶった魂にもう一度火をつけれるほどの熱量を、魂から発し始める。それは、燃え尽きるほどアツかった先輩たちの働きがあって、初めて生まれる光だ。その循環と因果をちゃんと捉える眼の良さは、やっぱ誠実だな、と思う。ドリフェスは信頼できる。マジで。

 

ラブライブ! サンシャイン!!(第2期):第7話『残された時間』

かくして、Aqoursは勝った。その先にある未来を掴むため、地べたを這いずる少女たち。泥まみれの現実の先に、奇跡はなかった。女神になれなかった少女の間を、白い羽がすり抜けていく。それでも、飛びたいと願うのなら。 最も価値ある敗北へ。Aqours自身の物語。

ラブライブ! サンシャイン!!(第2期):第7話『残された時間』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ラブライブサンシャイン二期は、難しいアニメだった。前半の能天気……というにはあまりにもIQの低い展開の中で、このアニメの『芯』をどこに据えれば良いのか、さっぱりわからなかった。
一部でそう望まれているように、記号がありふれた衝突を繰り返すショーケースになりたいのか。キャラクターが内に秘めた欲求を表出し、挫折し、叶えるありきたりの物語を捨てて、只々永遠に快楽が生産され続ける萌えファクトリーになりたいのか。言葉を選びつつ、そういう言葉が喉の奥で消えてきた。
この前の第6話、凄く感想を書くことが難しかった。型通りのキャラ記号いじり(と、型通りの青春物語)から脱皮しそうな気配、Aqours(というか高海千歌)独自の物語が駆け出しそうな予感をはらみつつ、どこか窮屈に『ラブライブ』している軋みを、どう言語化すればいいか、わからなかったからだ。
結局その感想は長めのラブ・レターとなり、ひどく個人的な方向性でしか自分はラブライブサンシャインと向き合えないのだとうっすら確信して、このエピソードが来た。物語を貫く縦軸、追い求める結末としての『廃校阻止』がならないこと、この後何をどうあがいても主人公たちは『負ける』と示される、決定的なターニングポイント。
ああ、と思った。Aqoursは、ラブライブサンシャインは『それ』を選んだのだ、と。負けて死ぬ宿命にある、幾度も立ち上がらなければ死んだままでしかない当たり前の人間の、当たり前の敗戦を描くことにしたのだ、と。
それをアニメとして描く価値のある題材として受け取るか、見たくはないと拒絶するか、はたまたよく分からないと立ち竦むかは、かなり人によると思う。サンシャインの文法はなまじっか『ラブライブ』であることを意識し縛られているから、ところどころ非常に難しい。何を言いたいか分からない瞬間が、頻繁に訪れる。
そういうミスコミニケーションを繰り返しつつ、二期をずっと見てきたのは、それが『ラブライブ』であるから、μ'sの神話の続きにあるからだ。同時に、Aqoursの愛おしい衆生達がどういう結末に至るのか、ちゃんと見守りたいと思っていたからだ。
このあたりで、僕は一つのことに気づいたんだと思う。Aqoursが好きで、サンシャインが好きなんだな、と。例え不格好でも、μ'sという巨大な影と真っ向から向き合い、その上で自分たちだけに出来る物語を追い求めたキャラクターとドラマと作者が、俺は好きなんだな、と。
その光は、廃校という『死の影』が色濃く出たことで、ようやく自覚できた。ここで叩きつけられた予感を常に背負いながら、残りの話数サンシャインは走り通す。それは『ラブライブ』的とはとても言えない、敗死を前提とした死狂いの青春だ。どうやっても勝てない、神話にはなれない女の子たちが、どう納得できる死を自分と世界に刻むか。
そのあまりにバロックな歩みが、僕はとても好きだ。どれだけ青春を聞いても自分が特別であることを確信できない高海千歌と、彼女を愛しつつ立ち竦む少女たちの姿が、好きなんだ。道化の仮面を被りながら、その奥でありえないほど生真面目な『公』への対面を続け、それが果たしきれなかった申し訳無さに泣き続けた小原鞠莉のことが、凄く好きだ。多分、僕はこの敗北の物語を、ずっと好きでい続ける。いたいと思う。
来るべき映画で何を描くか、描いてくれるのか。非常に楽しみだ。

 

ボールルームへようこそ:第24話『ボールルームへようこそ』感想

結果として原作を追い越すことになったが、正にここで終わるしか無いという必然と余韻を込め、しっかり終わることが出来た。 それはアニメスタッフの原作把握、そして愛が本物だった証明だと思う。別作者による答えだが、圧倒的に正解な終わり、そして途中の語りだった

ボールルームへようこそ:第24話『ボールルームへようこそ』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 漫画原作の傑作が相次ぐ一年だった。
難渋なSFたる原作を、その重厚さと鮮明な感情を殺すことなく、持ち前のポップなセンスで『アニメーション』に仕上げた”宝石の国”。美麗なる残酷が子供を誘い食い殺し、それでもなお歯ぎしりして生き延びる人間の証明メイドインアビス”。遠い終末の身近な生活感をモノクロで立体視し、見事な作品世界を音響と動画で作り上げた”少女終末旅行”。シャフトのアヴァンギャルドな表現力を多彩な人間賛歌に絡め、見事に花開かせた”3月のライオン
そして、原作で刊行されている部分を追い越しつつ、『これ以外ない』という終わりにしっかりたどり着いた、この作品。アニメーションが持っている『動きがあり、色があり、音がある』優位性を最大限活かしつつ、原作の持ってるテイスト、魂の部分を損なうどころか更に燃え上がらせ、見事に走りきった。
競技ダンスという身体表現をモチーフに、身体のエロティシズムをしっかり吸い上げて、肉の感触、骨の重たさが絵から伝わってくるような、パワーの有るアニメに仕上げてくれた。弾む身体が作り上げるダンスの感情を、ちゃんと視聴者に届けてくれた。
そういうベースの強さだけではなく、お互いが『見て/見られる』視線の引力、惹かれあう魂が衝突し生み出す感情のスパークを、ちゃんと個別に切り取ってもくれた。群像劇としての魅力がドラマを、表現を加速させ、高いボルテージで物語を引き締めてくれた。
事程左様に『強い』部分がたくさんあるアニメなのだが、スケジュール管理、並びにスタッフワークの堅牢さをこそ、今讃えたい。あまりにもたくさんのアニメが生産され、その疲弊がクオリティを下げたり、間に合わなかったりする中で、この『よく動くアニメ』は通常のアニメーションより少ない枚数で、基本構成されている。
カロリーコントロールの意識と、原恵一を各話コンテで引っ張り込める人脈。それはこのスタッフだけの魔法みたいなものかもしれないが、ただただマンパワーで押し切り、美麗な作画と美術で突っ走るのとはまた別の方向性を見せてくれたのは、個人的に救いですらあった。
セルルック3Dの新時代が”宝石の国”によって告げられたのと同じくらい、それは一つの変化の予兆であり、『週間でアニメーションが見られる』という見慣れてしまった奇跡の持続を可能にする、何がしかの答えなのかもな、と思っている。

こんな感じで10選、やらさせていただきました。結果として、アイドルアニメが多いですねぇ。多いのもあるけども、やっぱ好きなんですね、結局。
来年もまた、いいアニメに巡り会えますように。皆様も良いお年を。