今回のプロセカワンダショイベント、TRPGプレイヤーとして凄く勉強になるシーンがあったのでメモっておく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
えむの抱えている重荷に寧々が勘付きつつ、なかなか助け舟が出せないシーンである。
ここで彼女は、暴走しがちなコミックリリーフ、ネネロボを活用して言いたいこと、言うべきことを伝える。
寧々は過去の挫折から引っ込み思案になり、他者と関わることが難しいキャラクターである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
この問題は未だ完全解決には至っておらず、『えむを助けたい、話を聞きたい』という思いは(ここまでの交流を経て)生まれているものの、それを素直に表現してしまっては(この段階での)キャラがブレる。
物語全体は寧々とえむが所属する演劇集団の若さと友情が、えむの問題を共に解決する場所まで進んでいくことを志向するため、えむへの歩み寄りは必須である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
キャラの心情としても、これまで寧々を助けてくれたえむに寄り添いたい気持ちはある。だが上手く踏み出せない。
えむもまた、誰かの笑顔を崩さないために自分を押し殺してしまうキャラなので、自分から寧々に切り出すことは出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
この笑顔の仮面を友情でぶち破り、えむ(と、彼女が所属する共同体)が一歩前進するのが今回のイベストの大きな軸となっている。それを描くためには、えむは簡単に変われない。
双方非常に動きにくい自縄自縛の状態であるが、ここで『何をしてもおかしくない、自由なキャラ』として描かれたネネロボが録音機能を暴走させることで、届けたくても届けられなかった寧々の本音は、えむに結果として届けられることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
気恥ずかしく不本意であるが、正しいことがなされる。
この言葉を受け取ったことでえむは自分の重荷を仲間に預けられるようになり、信頼と決意は深まっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
物語が志向する方向性にドラマを後押しするために、キャラを一気に変化させるのではなく、必要な行動を外部(ネネロボ)にアウトソースする形で、状況を作っていく。
これをTRPG的に見ると、参加者はキャラクターが物語内部で抱える状況と、その外側で進行/共有されている大きな物語を把握するメタ認知能力、物語の内部と外部をすり合わせる能力が、非常に高いといえる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
物語のためにキャラがするべきことと、そのキャラクターが現状できないこと。
これが衝突しているストレスを突破するために、GMの助け舟か、あるいは寧々PLの提案で『ネネロボの暴走』というサーフェスを貼り付けて、物語進行に必要な状況と、キャラクター性のぶれない表現を両立してみせたわけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
お話上やるべきことは解っていても、キャラがそこに噛み合わない。
そういう状況はTRPGによくあると思うが、必要な状況をよく見据えた上で、それが生まれてもおかしくない外部的要因を上手く活かし、話を転がしていくことで突破可能にもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
ネネロボの暴走は偶然の産物であるが、しかしそうなってもおかしくないキャラクター性は既に描写されている。
そこを活かして、寧々が自分の中の葛藤を乗り越え自分の口で話すよりも、摩擦が少ない展開を引っ張り寄せているのが、また巧いと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
ネネロボは寧々の形を借りた、彼女のアバター的(なりたい自分)な側面もあるので、さらに状況の妥当性は高まる。
えむが歩み寄って重荷を預ける解決もあるが、『頼りたいけど頼れない』という彼女の葛藤はこのイベントの大きな柱であり、解決するべきタイミングはクライマックスである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
ここら辺の大きな構造を認識して、寧々サイドから変化の兆しを、無理の少ない展開で投げていたのがクレバーだな、と思う。
物語上やるべきこと(やって欲しいこと)と、仮想世界の中の人格がやりたいこと(やれないこと)のギャップを埋め、完成度と満足度の高い物語を目指す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
そのためのテクニックも多数あるが、ネネロボの使い方に見える『外部と偶然を活かす』技法は、意識に入れておいて損ないのかな、と思った。
補記
補記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
なお寧々が意を決して、伝えるべき言葉をダイレクトに伝えても、それはそれで強いドラマであり問題はない。話も早いし。
ただ物語にはそれぞれ個別のムードのようなものがあり、プロセカの物語は課題解決の難度をかなり高く見定めている。”その時”ではまだないのだ。
”その時”がいつかを可視化するのが起承転結に分割されたフェイズプロセッション形式の大きな仕事であり、問題解決への筋道を整えるリサーチの序盤で、すべての謎が明らかにされるとお話の形が崩れるので、リサーチ項目は分割され、手数をかけて物語を掘ることにもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
ここら辺のムードを指標なしのガチ雰囲気だけで察しながら進めるのは(ヒリついた面白さが確かにあるものの)難度が高いので、フェイズプロセッション形式はそれをある程度分節化し共有している、ともいえる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
目盛りが付いていたほうが、決定的な変化を起こすタイミングは分かりやすい。
キャラクターの一貫性というのもまた難しいもので、課題と変化こそが物語の根本ではあるものの、それを簡単には受け付けない頑なさにこそ、人間らしさ、物語に真実味を増す強度みたいなものが宿ったりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
簡単には変われないないからこそ、変わった時のドラマが強くなる、というのもある。
しかし物語(それを共有する卓全体)の要請というのもまたあって、ここを摺合わせるのが難しく、また面白いとも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
自分の生み出したキャラクターの(真に迫った)作中からの要請と、その外側で進展/共有されているみんなのセッション。
その間に立って巧い解決法を発見/決断出来る権限はプレイヤーにしか無いと思うし、そこを勝手に弄られないことがTRPGの面白さだとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
ネネロボという外部アタッチメントを活用して、作品世界と卓上を上手く繋いだ所に、寧々PLの巧さがあるのだろう。
『コイツはこういうヤツ』と定めた一貫性を保持し続けることは、仮想でしか無い物語への没入度を高め、プレイの真摯さ、面白さを強めていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月3日
だがそこにこだわりすぎると、あくまで共有物として展開しているセッションと摩擦を生んだりする。
難しいバランスであるが、良い所を取れると大変楽しい。