イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

猶予の月

神林長平早川書房。日本語圏と英語圏をあわせて、神林長平は相当に好きな作家だ。僕はSFというジャンルがとても好きなのだが、神林作品に触れたのは結構年を数えてからだった。そして、そこまで積み上げてきた小説体験の階梯を、神林長平は駆け足で上って行ったのだ。
それはさておき、この作品を読んだ。上下巻900ページ、一気にだ。面白かった。SFだった。思弁に満ち、乾いた文章の中に本当のことがあった。本当のことが書いてある小説にはなかなか出会えないから、とても面白かった。神林作品はたいていそうなので、神林長平という作家が僕は好きなのだ。
この作品は対比の話である。姉と恋人、月と地球、静止と運動、超越と普遍、理論と現実、擬似と本質……。無数の対比を内側に取り込みつつ、それは対立ではなく、複雑に融合し、神林長平の瑞々しい感性と視線によって小説へと変わる。この小説は神々のカードゲームであり、六人の超越者と一人のジョーカーの話であり、愛に関する話であり、SFだ。それだけのものを内側に秘めて、この小説はとにかく読ませる。その巧さ、その柔らかさ、しなやかさ。
神林長平といえば言葉と機械、というのが「戦闘妖精雪風」を代表作にするこの作家の評価だろう。確かにこの作品にもそのテーマは含まれているし、それを記述する、乾いていてそれでいて輝く文体やキャラクターは健在だ。だが、作中作である「まばゆい空へ落ちていく」は「ぼく」による一人称で語られ、一人称という形質でしか捉えることの出来ない深い内照をなし得ている。それが妙に、作家神林長平のもつ言語地平の広さを見せ付けているように感じられて、僕にはとても嬉しかった。それが「人間らしいから」ではなくて、ただ、よく書けていた面白かったのだ。周囲を取り巻く三人称の広大なSF世界の中に埋め込まれた、深く柔らかい観想の一人語り。それはこの作品に多数埋め込まれた対比を象徴するように文体もテーマも異なり、それでいて「猶予(いざよい)の月」というこの作品の中で交じり合っている。
このことがこの小説のすべてではないけれど、この小説をよく象徴する部分ではあると思う。内側に潜る心と外側に拡大していく、SFジャンルでしか捉えられない無限。それは矛盾することも衝突することもなく、ただ優れた小説として豊かな対比をなし、一つの物語として完結し、読み、読み進み、読み終わらせる。そのことは、やはり神林長平という作家のすまじき力量をもって可能な、小説という貴重な現象なのだと思う。貸していただいたシェンツさんに感謝。