イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

死を処方する

ジャック・キヴォーキアン、青土社安楽死や死刑囚の自発的な生態臓器移植・生体実験に深く関わり、当局と対立している病理学者の持論。原題は「Prescription medicide」であり原典発行が1991年、翻訳発行が1999年。
評価の難しい本である。ジャンル分けをするのであれば、医療倫理の棚に収まる書物だろう。扱っている事柄は安楽死、「平和な」死刑制度、医師による積極的自殺幇助など、医療倫理の入門書を紐解けば必ず出くわす問題である。筆者はこれらの問題の一方の極点、つまりは徹底的な理論家と積極的な関与の立場から、持論を語っていく。
その語り口は啓蒙書や研究書といったものからは程遠い、自己弁護と敵対者への罵倒に満ちている。自説に支持をくれる個人・団体は褒め称え、敵対するものはこき下ろす。どちらかといえば政治的パンフレットに近い書き方であり、そこに自己と異なる立場・思考への理解はない。あるのはただ、現状の医療倫理を積極的に越境しようとする、筆者自身の説明と正当化である。
が、同時に。おそらく、筆者は有能な学者のだろう。捉え方や表現はプロパガンダ特有の歪みを備えているとはいえ、個別の事象への反例を取り上げ、紹介する、という科学の手順自体は踏んでいるのである。それが、特定の方向性を備えていなければ切り捨てられる、というだけで。切り捨ている時点で公平ではない、とも言えるが、紹介の方法は事実を踏まえ丁寧ではある。
その冷静な態度が逆に、筆者の、というか医療倫理の一方の極の特色を露にしてくる。徹底的に論理的で、冷静で、理詰めなのである。もう一方の極に位置する立場(例えばキリスト教原理主義者の医療倫理)とは正反対の「冷たさ」のようなものが、この本には常に漂っている。筆者は実際に死刑囚の同意を得て生体実験を行い、自殺希望者の懇願をかなえるために薬殺(彼の言葉では医殺)を行う。この本は言い換えれば、全てがそれらを正当する言葉の塊である。
個人的な見解を述べれば、筆者の行動と言論には一理ある。が、一理しかない。医療倫理という繊細な問題が抱え込む、複数の価値観を調整せず、自己の立場と見解だけを(実際の行動を伴った形で)押し通すのは、明らかに危険な行為だ。実際、筆者は第一級謀殺や自殺幇助の罪で禁固八年の実刑を受け、刑務所に入った。その八年という判決が、彼の行動の妥当性と非妥当性を、同時に表しているように思える。司法(とその背後にある世論)は、彼を極刑に処するほどには拒絶せず、無罪放免するほどには許容しなかったのだ。
医療倫理とは、科学と技術が驚異的に発展し、既存の「生き死に」の概念を超越しつつある、「今の僕たち」の問題である。たとえ大量の正当化と自己弁護が混じるにせよ、その極北に位置する筆者の言論には、耳を傾ける意義があると、僕は思う。