イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕はビートルズ 9.10

かわぐちかいじ×藤井哲也、講談社ビートルズのコピーバンドがタイムスリップして、ビートルズが好きすぎるゆえにビートルズになろうとする漫画の最終巻。一気に二巻出て非常にビックリしました。ロンドン襲撃からエプスタンとの邂逅、マキさんへの真相バレ、そしてビートルズとの遭遇と、ファブフォー解散。怒涛の展開と言っていい、盛り沢山のクライマックスであります。
この疾走感は、今まで保留されていた(そしてタイトルを見た時点で読者が必ず違和感を覚えていた)、オリジナリティを巡る話が一気に展開した故であります。結局のところ、ファブフォーはビートルズではない。ビートルズが好きすぎて、ついカッとなって、彼らはビートルズを装った。今までのサクセスストーリーが行き着くところまで行って、ついに一番大事なところに、物語が帰ってきたわけです。
そこで彼らが出した結論は、誠実であろうとすればそうなるしかない、自分たちがコピーであることを公表しての解散というものでした。それ自体は、今まで暗示されていた様々なものを鑑みればそれしかない終わり方なので、可も不可もないと思います。が、タイムスリップSFの残酷さを滲ませる時間旅行者の孤独という罰を与え、なによりビートルズの214曲目はファブフォーに捧げられたという、剽窃者に投げかけるにはあまりにも優しい、ともすれば作者の自キャラ愛とも取られかねない甘いピリオドが、僕はとても好きです。
それは、この話が青春と夢の話だったからです。孤独なタイム・トリッパーというSF部分も、フォーピースバンドという音楽の形態も、この漫画に過剰なロマンスを埋め込んでいた。気づけば、僕はファブフォーに共感して、彼らのことが好きになっていた。最後の展開をレイの孤独な強さに頼りきりなのはまぁ、ご愛嬌。だからこの漫画には、彼らをしっかりと傷つけて、しっかりと優しくして終わって欲しかったわけです。
なによりも僕がファブフォーを好きなのは、彼らがバンドだったからです。音の鳴らない漫画というメディアで、はじめてビートルズに出会った時の衝撃や、どうしょうもないほどの本物に出会ってしまった偽物の哀しさ、清々しい敗北感を、この作品は描き込んでいた。その時、ちゃんとビートルズ(もしくはファブフォー)は彼らの音を、インクと紙で演奏していたのだと思います。音楽の漫画においては、それが最も大事だと思います。
急勾配で終わった(二巻使ってるのだから、実際の所そうでもないわけですが)後で、僕はとても寂しくなりました。彼らが結構好きだったんだな、といまさらながらに思いつつ、一気に読み終えてから、自分の感情を噛み締めるように読み返す。そういう別れ方、終わり方が出来る作品というのは、とても上質の作品だと思います。そして、僕はビートルズは、そういう漫画でした。