イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/12/11

・柩姫のチャイカ AVENGING BATTLE:第10話『機杖(ガンド)担う少女』
2014年9月期アニメ、最速最終回は太眉小娘ファンタジーアニメでした。
いや、早過ぎるでしょマジ……。
一期に比べても二話少ない尺で、凄まじい力技で形を付けた最終回でした。
絶対死んでると思った黒チャイカが、元気に中ボスしてたのは面白かった。
あと最後までシナリオ進行に従順に、死に芸披露するフレドリカな……哀れな立場だった。

僕がこのアニメ見てて面白かったのは主人公三人+ネコの凸凹珍道中でして、そこ重点し過ぎた結果設定回収が弱くなったのであれば、まぁしょうがねぇかな、位の印象。
とは言うものの、設定関係だけではなくモチベーション関係の改修もかなりかっ飛ばして終わったので、やっぱ後2話欲しかったなぁという印象は否めない。
そう思うのも、キャラが繋がっていくシーンの描写が良かったからかな?
良いところも悪いところもかなりハッキリしたアニメですが、強引にでも兄様とチャイカの話としてまとめたのは、彼らが好きだった身としては、いい終わり方だったと思います。

 

ヤマノススメ:第22話『ともだちになろ?』
谷川岳編中盤ということで、ひなたとキャフフすると思いきや新しい女の子にコナかける回だった。
既に『変わってしまった後』の保険を作っておく辺り、クソレズ力が際限なく高まっていますね。
いや、本命と山荘でキャフフするのも忘れないけどさ。

茶化してはいますが、ソロ登山なほのかさんに声をかける積極性は今までの登山行の賜物でありまして、つまりは僕らが今まで見てきたアニメが、あおいの中で積み上がっている証拠。
シリーズ総決算たる谷川岳でこういうことが起こるのは、ただ山登るだけではない、無論女の子とキャフフするだけでもない、このアニメの芯みたいな所をキッチリとらえた描写でした。
富士登山の経験が生きてるのも、とても良い演出でしたね。
いや、相変わらずあの子口悪いつーか、言葉にしない所で人バカにし過ぎだけどさ。

思いの外あおいが成長してしまったので、お話の受け皿になるキャラなのかなぁほのかさん。
彼女をしっかり転がす話数はないと思うので、こっからは思い出の山ネタの回収一本で進むとは思うのですが。
マリッジブルーみたいな感情に翻弄される彼女らは、谷川岳踏破後何を見るのか。
楽しみですね。

 

・神撃のバハムート:第9話『Decision in the Wailing Woods』
王都組と森組を分割して、同時並行的にお話が進む今回の神バハ。
毎回毎回内容の濃いアニメですが、運命に反逆宣言をぶちあげたファバロを軸に、王都でのジャンヌ追い詰めねっとりフェイズも動いていて、今週もギッシリ詰まっておりました。
要素をたくさん用意してはテキパキ料理してくので、ほんとにカロリーと満足度の高いアニメやわ。

森組は非常にファンシーな森の中で、飯塚昭三声のエルダードラゴンと設定語り&モチベーション整理。
光源の処理やらドラゴンの威厳のある動きやら、可愛いキノコやら、今回の森の美術はすっげーファンタジーしてて素晴らしかったです。
ああいう空気清浄力満載な絵面が作れると、異世界モノでは本当に強いやね。

場面の雰囲気だけではなく、主人公ファバロがしっかりとヒロインへのモチベーションを明言したのは、そろそろ〆が見えてくるこのタイミングでこそ、見ていて嬉しい動き。
世間のルールから外れたアウトローだからこそ、神と悪魔の定めた運命に逆らい、母を求める子供の味方になることを選べるつーのは、まさに任侠モノの基本かつ真髄でありまして、そういう所を外さないのがホント気持ちいい。
必要なタイミングでヒロイン力高いロールしてファバロのキメどころを作るアーミラといい、相方の勝負所ではしっかりダンマリ決めるカイザルといい、周りのロールも完璧だったなぁあの辺り。

同時に綺麗に決めるだけでは終わらせず、葛藤の種をしっかりと植え、キャラクターをぼっ立ちにさせないのもグッド。
『アーミラを殺す』というのはファバロが一番最初に抱いていたモチベーションであり、それを再提出させることで、心境の変化とそれを生み出した旅の素晴らしさを、解りやすく見せてくれる演出が冴えていました。
まぁアーミラちゃん可愛いからね、殺したくなくなるのもしゃーなしやね。


一方大方の予想通りトチ狂い、ジャンヌを史実通りの運命にねじ込もうとする王様さん。
ツダケンの怪演も相まって、誘惑者たるマルチネのモチベーション煽りロールが走る走る。
ジャンヌの心が揺れるさまをちゃんと見せることで、万能の聖女ではなく人間なんだと視聴者に思わせ、好感度を上げてるのがグッド。
そこをフォローアップするのが、唯一王都に残ったリタって構成も見事だ。

細かくカメラを振って、結界がもう限界であったり、ガブリエルとベルゼビュートという神魔二台巨頭のタカ派っぷりであったりとか、物語全体が今どういうテンションなのかをしっかり見せているのもいい。
こういう見取り図を食わせているからこそ、ファバロ個人のクライマックスが上滑りせず、しっかりと盛り上がるわけで。
今回の運命反逆宣言は、序盤のどチンピラ強調フェイズがあってこそなので、物語の全体的なテンション操作がやっぱ巧いんでしょうな。

その上、バハムートの刺というアイテムを渡し、世界とアーミラを天秤にかけれる立場に引っ張り上げることで、『世界の危機とチンピラ』という水と油を、綺麗に融合させてる。
壮大な世界の問題と、個人の狡っ辛い問題を非常に巧妙に覆い焼き出来ているのが、このアニメの宅さんある強みなんだな、と再確認できる回だったと思います。
次回以降の流れは今回明確に引いた王都組に決着を付けて、最終決戦に合流という感じかな?
いやー、楽しみっすね神バハ終盤戦。

 

アイカツ!:第112話『GOGO!いちご応援隊』
今週末に迫ったアイカツ映画をフォローアップする回。
と見せかけて、星宮いちご達がどこまで来ていて、大空あかり達がこれからどこまで行けるのか(行かなくてはいけないのか)というランドマークを置く回だった。
つまりまぁ、星宮いちごのお話がどう終わっているのかというのを見せる回であり、凄く寂しく、喜ばしい回でもあったということだ。

神崎美月に夢を見て100話、星宮いちごはようやく、かつて神崎美月が占めていた『アイカツ世界の天井』を担えるだけのスーパーアイドルになった。
今回後輩たちを現場に引っ張り込み、自分たちの仕事を、生きざまを見せて導いていくかつての少女たちの姿は、圧倒的に頼もしい。
それは100話かけて積み上げてきた成長であり、まがりなりともその時間を共有してきた視聴者にとっては、強い感慨を受ける背中だった。

成長を積み上げるということは未完成である部分を一歩ずつ埋めていくということでもあり、物語が暴れまわる隙間がどんどんなくなっていく、ということでもある。
未成熟な子供として、アイドルの卵という社会人一年生としてアニメに登場した彼女たちは、エピソードの中で積み上げてきた発見を忘れず着実に成長し、最早物語の真ん中に居続ける資質を失うほど、大人になってしまったのだ。
一つ間違えば大失態になりかねないゲリラライブの受け答えを、あえて手出しせずやらせる星宮いちごの姿は誰よりも成熟した指導者であり、メンターとして存在は出来ても、物語のセンターにいてはいけない。
その位置はつまり、アイカツ!という物語が始まった時に神崎美月が占めていた場所であり、100話かけてようやく負けることが出来た彼女が人間に戻ってしまった以上、星宮いちごが担うしかない位置でもある。

その位置は、主人公として追いかけ続けた時には気付かない寂しさを常に要求してきて、それは例えば霧谷あおいが強調したように、『もう別々に行動することが普通』という認識だったりする。
ソレイユの各員は今や各々スーパーアイドルであり、最早気楽な学生でも誰かに守られる子供でもなく、他人に夢を与え、身勝手なエゴを抑えこんで義務を果たし続ける大人になってしまっている。
物語が始まった時から圧倒的に大人だった神埼美月が、実はそういう寂しさに満ちているという事実は、物語が終わりそうなタイミングごとに触れられては物語の維持のために離れ、世代交代の形が完全に定まった二年目ラストでようやく明言された事実だ。
神崎美月の寂しさが見えてくるのは美月の首根っこを捕まえ、『アイカツ世界の天井』という役割を実力で強奪する瞬間だけだったと、言い換えてもいい。
大人になってみなければ、大人の寂しさは身に沁みないのだ。


一方、そんな『アイカツ世界の天井』に見守られつつ、ぎりぎり突破可能な試練を与えられる立場にいる三年目の主役たちは、かつて星宮いちごが占めていた『アイカツ世界の中心』を担当している。
間違え、怯え、震えつつ仕事の世界(大人の世界)に飛び込んで、三人で支えながら一歩ずつ経験を蓄積していく姿。
それは大人になってしまったソレイユに似ているが、やはり別のものであり、作中強調されたように未だ名前を持たない可能性そのものだ。
それはつまり、いつかソレイユのように、ソレイユとは別の名前を手に入れていくということでもあるのだが。

今は名前の無い三人は常に、ソレイユの背中だけを見続け、ソレイユ達が大人として彼女たちに持っている配慮には気付かない。
無論、アイドルであるソレイユはそれを気付かせず、子供たち観客たちに無邪気な夢を見続けさせるために、寂しさを抱え込んで完璧を演じ続けているのだから、気づいてはいけないのだが。
やがて(例えば10ヶ月後、アイカツ三年目が153話目最終回を迎えた時)子どもたちは大人になり、星宮いちごが神崎美月に追いついた時のように、大人が抱え込み必死に隠してきた寂しさを知るのだろうけど、それは今ではないし、今であってはいけないのだ。

それでも、やはり一歩一歩の成長は確かなもので、今回で言えば今まで自分の感覚を言語化する能力に欠けていたあかりちゃんが、自分の言葉で取材に答えることが出来たのは、大きな一歩だろう。
『得意な所を伸ばしていく』という今回の発見は、今後の三人を導いていく重大な指標になるだろうし、例えそれが巧妙に大人によって準備されたものだったとしても、成功体験を積み上げていくことで、彼女たちは前に進んでいくのだ。
後輩の歌を借りて臨んだ星宮いちごのステージは、そういう意味では餞別でありエールでもあるのだろう。

神崎美月に追いついて、神崎美月の完璧さと寂しさを手に入れた星宮いちごが、星宮いちごに憧れ、ずっと追いかけてくる大空あかり達に道を作る。
過去から現在を経由し、未来に伸びていく時間(もしくは青春、羨望、憧憬。言葉はなんでも良いだろう)の道。
今回の話はその両端に二人の主人公を配置し、アイドルカツドウの始まりと終わりがどういうものであるか、視聴者に再確認させる回だったように思う。


そして、今回のお話がサポートした映画版においては、今回の配置がくるりと入れ替わるはずだ。
始まりの位置に星宮いちごが、終わりの位置に神崎美月が、それぞれ配置される。
何者でもなくアイドルカツドウを開始した星宮いちごは見事トップアイドルになり、神崎美月はトップアイドルをやめることをようやく許された。
彼女たちの物語は、完膚なきまでに綺麗に終わっている。

しかし、かつて見た夢を叶えてしまったとしても、夢の背中に追いつかれてしまったとしても、彼女たちは生きているし、生きている以上夢を終える訳にはいかない。
彼女たちはアイドルであり、それは他人の夢であり続けることが存在の証明であるような、苛烈な生き方だからだ。
そのように己を定めてしまった以上、物語が終わった後の物語、夢が叶った後の夢について、彼女たちは語らなければいけないのだろう。
映画版も、三年目のアイカツ!TVシリーズも、非常に楽しみになるような、そんな回だったと思う。