イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ミリオンドール:第5話『イトリオ、初ワンマン!』感想

地べたからはじめるアイドル栽培アニメ、第5回目はライブ回。
これまで超速でかっ飛んできたので、区切り回に必要な『ああ、色々あったなぁ……』という感慨は薄い。
3Dライブのモデリング・モーション付けはOPよりも格段に良くなっていたが、同等の気合をヲタの暑苦しいリアクションに突っ込んでいるのは、いかにもミリオンドールって感じだ。


今回このアニメは短い尺の大半を「Dreamin'×Dreamin'!!」という曲と、それを受け取ったファンの反応を見せることに使った。
イトリオのステージ自体は可もなく不可もなく……というか、確実に不可だった初期のモデルからブラッシュアップした努力がかいま見える。(色々ありつつもこのアニメ見続けてるファンの贔屓目なんだろうけど)
女児アニを軸にして、3Dモデルによるステージ表現は日進月歩の領域であり、最先端に追いつけというのは酷な願いだろう。

むしろ気になるのは、バチッバチに気合を入れた音響(作画の方は緩めだ)で演出されるヲタ芸だ。
激しくMixを打ち、コールを入れ、イトリオのために自分のために盛り上がる彼らはしかし、奇妙に浮かび上がって見える。
手拍子はそぞろだし、笑顔は多幸症みたいだし、コールは虚しく聞こえる。
このライブは物語上イトリオが頑張って達成した『成果』であり、物語が要求する一定以上の温度があると思うのだが、それを裏切ってヲタ芸は上滑りしていく。
それでもイトリオにとっては特別なライブ、特別なオーディエンスらしく、彼女たちは感動し盛り上がる。
彼女たちがド底辺ロコドルとして土と戯れていた時代を見ていない僕には、イトリオがこの寂しいライブに感じた東京と糸島の落差は、共有できないものだった。

無論、状況から色々推測はできる。
でも、推測と映像が無条件に叩きつけてくる実感とは別のもので、作品にのめり込むためには絶対に実感が必要だと思う。
正直な話、これまでと今回の描写を合わせても、僕はすう子のようにイトリオにのめり込めない。

農協資本のロコドルとして底辺を這いずりまわっていたイトリオにとっては、この奇妙な乖離の中の熱気こそリアルな声援、ということなのかもしれない。
収容人数約300人のAKIBAカルチャーズ劇場では、あのコンパクトな熱狂こそが生々しいリアクションなのかもしれない。
最前列の数名とそれ以外で大きくテンションが別れ、一種の住み分けが成立しているのがこの規模のアイドルであり、満場一致の熱いムードなど臨むべくもないということなのかもしれない。
しかしそこらへんはドルヲタという狭い業界の特殊な前提であり、それを実感するための情報の説明は、このアニメの短い尺の中では望むべくもない。
『物語的成果には相応しい盛り上げがあるだろうな』と思っていた自分には、『リアルなヲタ芸』はとても寂しいものだった。
そのズレこそがこのアニメの中心軸である『現場と在宅の乖離』なのだ、と言われれば返す言葉はないが、解釈と推測は無限に膨らむことが可能だから、このくらいにしておこう。


この短いアニメは短いなりに話が進む。
今回だって、イトリオは初の東京ワンマンライブを成功させ、メジャーデビューという路線に乗り、ライバルたるマリ子に強く意識された。
むしろ問題なのは『話が進み過ぎる』ことであり、話の展開にキャラクターの感情と視聴者の共感が追いついていないことだと思う。

今回のライブを一つの『成果』として見せ納得させることは、それを羨むマリ子の視点に説得力を持たせることでもあったはずだ。
しかしイトリオの描写は不足し、会場はそれなりの熱狂と空疎さで埋まり、彼女たちが涙ぐむほどの『成果』はどこかに上滑りしていく。
その勢いのまままた事態は先に進んで、マリ子の焦燥や不安は実感ではなく推測として、僕の中に蓄積する。
わざわざ推測させる『何か』があるだけ、自分にとっては光るアニメなんだろうけども、

だからこそ、僕は推測ではなく実感したい。
高望みだというのは判っている。
それでも僕は、このアニメの中で起こっている感情の起伏に、物語的な上がり下がりに浸ってみたい。