映像研には手を出すな! を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
”ロボVS怪獣(仮)”、放映の日は近づく。
音響、美術、アフレコ。新しい可能性を取り入れつつも、根っこになるのはアニメーション。
万物の動き、その個別の輝きに魅せられたアニメーター、水崎ツバメ。
彼女は何故、”動き”に取りつかれたのか。
そんな感じで、水崎氏のオリジンを彫り込み、彼女が(そして彼女の思いをアニメートするアニメ制作陣が)”動き”をどう捉えているか、バリバリ進行するプロジェクトの中で見せるエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
陽気で充実してて、ちょっと空気読めない。そんな彼女の表面から、更に奥へと理解が深まるいい話だった
水崎氏が熱量と誠実を込め、家庭環境や個人史込で”動き”について語ることで、視聴者のアニメーション・リテラシーも上がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
最高の仕上がりで”動き”の教材…目の前のアニメーションも付いてくる。『アニメってこういうモノなんだ!』という、学習の喜びまで付いてくるのは、貪欲な作品である。
お話は水崎氏の現在と過去から始まる。デカすぎる家で1人、隠れるように積み重ねる作画。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
その視線の向こうにあるのは、祖母と強く接触した幼年期であり、瞳に焼き付いた”水”の動きだった。
自在に形を変え、美しく流動する持続性。
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それはただ不思議で美しいものではなく、自分を育み愛してくれる人との繋がりをも意味している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
おばあちゃんが生み出した”動き”だからこそ、水崎氏は”それ”と出会えた部分は、かなりあると思うのだ。
母の夢…を叶えたい父のエゴに押される形で、滑り込んだ児童モデル教室。
そこでは骨格と筋肉と重力が生み出す、”人”の動きを教えていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
どのような構造が動きのブレ、駆動するパワーを生み出し、美しさを規定していくか。水崎氏のアニメーター・アイは、表面的な振る舞いだけではなく、その奥にあるものへと眼差しを向けていく。
人、世界、構造。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
パット見の印象が何処から生まれでてくるか、徹底的にマニアックに掘り下げ、スケッチし、脳と指に刻んでいく。
この歩みは、第1話冒頭で描かれた浅草氏のオリジンと、全く同じである。彼女たちはアニメの絵空事ではなく、それを生み出す現実にまず、惹かれていく。
アニメの語源たる”Anima”は躍動する命だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
そういうモノで満ち満ちた現実世界と、それを取り込んで暴れまわる想像力が面白く、好きだからこそ、彼女たちはアニメーションに向き合う。
割と古い意味合いでのヒューマニスト(人文主義者)なんだな…。
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水崎氏が書き溜めたスケッチは、ただ紙の中で大人しくしているだけではなく、老いに弱った祖母を立たせ、共に歩かせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
人がどう動くのか。水がどう踊るのか。
祖母が教えてくれた興味は、水崎氏の集中力によって研ぎ澄まされ、愛する人の最後の日々をしっかり支える。
正直このシーン、ありえないほど号泣してしまって困ったわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
車椅子に自分も乗っかって、おばあちゃんが見ている世界、可能な動き、襲いかかる不自由を体験、理解しようとする少女。
彼女の中で、動きと人生は強く連動している。動きを学んだから、おばあちゃんは立てたのだ。
ゆらゆらと、ペアダンスのように進む二人の歩み。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
それは想像界へと驀進する、オタクチックな”動き”への拘りが生み出した、非常に幸福な現実だ。
彼女はそういうふうに、内側に進みがちなものを外側に広げて、誰かに繋げうる資質を持っている。
細やかな作画技術以前に、その世界認識こそが才能だろう
放任主義の両親は、老いたる母にも遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
そんな冷たい環境で、水崎氏がおばあちゃんに寄り添うことが、彼女が見つけた”動き”が再動させた『自分の足で進む』という実感が、どれだけ祖母の魂を救ったか。
”動き”へのコダワリは、その助けとなりうる。その実感が、おそらく彼女の原点だ。
自分が”動き”オタクであることで、おばあちゃんは幸せだった。私の”好き”は間違ってない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
そう確信できる客観性が水崎氏を突き動かしているわけだが、それは浅草氏の未熟な自我に比べるとかなり固い。
ここは二人のアニメーションオタクを分ける、結構大事な分水嶺だと思う。雑な言い方すると”大人”だ
孤独にならざるを得なかった彼女は、一人でやることになれている。モデルとして、世間の目に触れ合う経験値が多いのも、自我の確立を助けたのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
そうした自分の強さは、空気の読めなさとかコダワリの強さとか、何でも自分でやりたがる抱え込みグセとか、マイナスにも繋がっている。
人の魂の根っこにあるものは、容易に変え難く、長所にも短所にもなりうる。それがなければ、情熱も動き出さない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
そんな厄介な資質を、時に他者とぶつかり合いながら、どうより善く発露させていくのか。群像劇たるこのお話は、そういう集団成長も見据えてて進んでいく。
さて、オタク集団に飛び込んだ”四人目”、音響の鬼・百目鬼くんを取り込むことで、映像研はさらなる可能性を手に入れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
音源でキャッキャ出来るオタク三人と、扉の外で冷静に構えるプロデューサーの距離感が良い。遊んでんじゃねぇんだぞ!!
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百目鬼くんは仕事バリバリやる映像研イズムにスッと馴染み、音響方面から『いいアニメ』に必要な要素を、率直に語っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
自分の専門分野と、そこから生み出される要求を適切に言語し、ミスもロスもなく箕内に伝える能力は、四人全員共通だよな…端的にいうと、コイツら仕事ができる。
しかし外部と繋がる時は色々難しく、舞い上がったロボ研アフレコに四苦八苦し、色んな手管で現状をすり合わせようと頑張る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
”監督”として、どういう音を集めてどういうスケジュールで組み立てるか、自分なり考えて百目鬼くんと共有している浅草氏が、頑張ってて良いね。
かくして確立された制作体制のなかで、プロジェクトは進行し、女達はラーメン食って噛み付いてバキバキに仕事しまくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
やっぱモンタージュで『はい! やってます無茶苦茶!』と教える演出、俺好きだ。
そしてイチャイチャしおって…金浅は”ある”ッ!
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そんな”仕事”の一貫として、美術スタジオとの打ち合わせ、すり合わせもあるわけで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
身勝手なクリエイティビティとプライドを抱えた、厄介な眼鏡を相手に、浅草氏は汗ダラダラで要求を伝える。”監督”の仕事が苦手でも、ちゃんとやろうとする。
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このとき彼女が、胸の前に何も抱えていないのが”動き”を伴う内面の表現だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
水崎氏が求めるものは、彼女が画面の外に出ていたとしても、このアニメ全体(あるいは敷衍して、アニメーション表現全体)に及んでいるのだ。
自分を守る鎧を外し、相手のキッツい当たりを受け止める。必要な指示を出す
そういう”大人”な領分に、浅草氏は頑張って踏み出そうとしている。苦手だから汗も吹き出る。しどろもどろで、指示も穴だらけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
でも、笑う気はない。あまりに眩しくて、少し涙は出る。
ホント…浅草氏は自分の柔らかな幼年期を活かしつつ、ゆっくり大きくなって…それを縦長女が静かに後押ししてて…
見てくださいよ、この後方腕組み監督者っ面! ”面”っていうか監督者で保護者で親友なんだがな!!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
設定と動きと音響。自分の興味分野に取り憑かれたスペシャリストは、外部から客観でプロジェクトを見る人がいないと、無限に時間を使う。
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頭の中にあるものを形にする。世に問う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
その時、ディレクターやマネージャーやプロデューサーと呼ばれる職能が何を果たし、どうオタクのケツを蹴っ飛ばすべきか。
金森氏の状況把握、マネジメント、人心掌握は色んなことを教えてくれる。新社会人必携、”映像研”で仕事が判るッ!!!!
まー実際、個人でスケッチブックに夢溜め込んできた本物のオタク共は、誰かに預けて共同作業ってのは慣れていないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
金森氏は自分ひとりの力が及ばず、集団でなければ戦えない”何か”を経験したから、俯瞰で仕事を見る眼が育ってるんだろうか? 気になるよなぁ~。
水崎氏のコダワリが作業をせき止め、プロジェクトのボトルネックとなる中。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
不意の雨が、世界を満たしていく。水に包まれた女達は導かれるように、暖かな水の集まる場所…銭湯へと進んでいく。
制服という鎧を外した、更に踏み込んだ付き合い。
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これが第一話で運命が集結した秘密基地、その先で行われるのは、全く正しい劇作である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
雨、そして湯船。”水”との出会いからアニメーションに取りつかれた水崎氏の話をするのに、絶好のシチュエーションでもある。
こういう舞台づくりの端正さが、作品の土台を支えてる印象だ。
お母さん相手にも”ワシ”な浅草氏の報連相とか、『今日はお友達?』と聞かれた後、三秒の沈黙に込められたあまりにも強すぎる金森氏の感情とか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
色々味わえるいいシーンである。
”友情”という、生っちょろいアマチュアワードで自分たちを規定したくない気持ちが、ある気がするなぁ…。
放任と言われつつ、水崎氏の経験は結構幅が狭い。ハイソでリッチな文化以外触れていないので、下町情緒に毎回目を輝かせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
新奇なものを遠ざけるのではなく、好奇心でキラキラしながら観察、分析、理解していくのは、浅草氏と共通した強み。
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紅白市松のロッカーがシャレオツで良いが、女体は細っこく、油っ気がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
それが良い。
オスに見せるためではなく、風呂入るために脱いでいる”生活”としての裸体は、非常にこの作品らしい。
同時に心を素っ裸にして、お互いの過去や思いを晒し、共有するための裸体でもあろう。
変化する”水”に包まれながら、水崎氏は自分の原点、作画のコダワリについて語り、共有していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
動きで救われるもの。自分が救い得たもの。そのコダワリと歴史が、確かに繋げたもの。
親睦はビームバリアの妄想と、ザリガニ食い放題で深める!
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マージでマッカチンをバリバリ噛み砕いている女三人のタフさ、ツルンとしていない独特の表情が素晴らしく良い。ケーキとかじゃねぇワケよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
アニメ作りまくりの青春なんだが、合間合間の休息や交流が濃度濃く楽しそうで、『良いじゃん…』ってしみじみ思えるの、青年期の物語としてスゲー強いよな。
ジャージ姿とマッカチンでブーストされた想像は、来たるべきアニメーションへと繋がり、必要な”動き”への想像を無限に広げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
もはやそれは、ただの夢ではない。動き、音が付き、色が塗られ、背景がある。”アニメーション”になりうる夢だ。
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お風呂で温まってお腹いっぱいになると、すーぐ眠っちゃうベビーちゃん。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
それを水崎氏がウケながら背負い、三人分の荷物は金森氏が持つ。
『今、アタシ達青春のど真ん中』
声高には語らないが、全ての演出がそう吠えていて、素晴らしい仕上がりだ。葉先に垂れる雫の、叙情性が凄い。
かくして親交を深めた映像研は、細部に拘る水崎氏の苦悩を、別の角度から爆破していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
『目を養ったら?』という浅草市の提案を金森氏が受けたり、SEで作画を補うメソッドを水崎氏が飲み込んだり。
自分の領分を強く持つ少女たちも、変化を重ねる
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ロケットを教材に語られる、芝居としての”動き”、キャラクターとしての静物、そこに込められた祈りと救済。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
『”オネアミスの翼”クライマックス5億回見たー! 庵野のセル九枚重ね!!』と思わず早口になってしまったが、まぁロケット打ち上げはアガるよ
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”動き”に意思を込め、しっかり見る。しっかり描き、しっかり演じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
祖母が投げた水の”動き”に取りつかれた少女は、アニメーション・マニアになることで、祖母の最後をしっかり支えられた。
動きで救われた私は、動きで救う。自分も、その先にいる誰かも。そのために、ペンを取る。
そういう水崎ツバメの、アニメーターとしてのぶっとい根っこがよく見えるエピソードでした。はー…隙きになっちまな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
正直浅草氏、金森氏に比べると人間としての”顔”がちと遠い印象でしたが、この一話でグググッと、毛穴まで見えるほど接近してくれた
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世界と連動する自分、創造力に繋がった現実を常に見据え、それをより善く発揮できるよう考えをひねる浅草/水島の思考法は、アニメオタクというより工業デザイナーに近いかなー、と思ったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
想像の世界にしかないものに、ふたりとも興味がないんだよね。麻酔薬としてのアニメを必要としてない。
興奮させてくれる現実を、より良い形で表現できる想像。それを現実にするためのアニメーション。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
そういう相互作用を、どう形にしていくか。彼女たちが選び取ったのが”設定”であり”動き”で、それが混ざり合って映像研のアニメになっていく。
キャラの魂が話運びに入ってんだから、そら面白いわな。
バリッバリにオタクを題材にしつつ、いわゆる”オタク”の属性にされがちな内省性、逃避性を思いっきり蹴り飛ばし、震えながら己を世に問う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
存外陽気で前向きな話で、同時に薄暗い部分へも暖かな視線を向けていて、そのバランスと力強さが、面白さの根っこにある感じです。
とにかく言いたいこと、描きたいもの、形にしたいものが山ほどある、エネルギッシュな変人達。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年2月18日
その奮戦が報われるか、花と散るか。勝負の文化祭が迫っています。大きな波乱も待ってそうですが、さて映像研、どう乗り越え何を作るのか。
非常に楽しみです。いいアニメだなぁオイ!!