イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

春待ちに微睡みつつ -2020年1月期アニメ総評&ベストエピソード-

・はじめに
この記事は、2020年1~3月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

id:INVADED
ベストエピソード:第4話『EXTENDED 燃えさかるビルの世界』

それがタフに生存し、分節化された真実を追うための、鳴瓢の衝動らしい。役目だけが、彼を追い立てるわけではない。

ID:INVADED:第4話『EXTENDED 燃えさかるビルの世界』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 正直、このアニメが始まったときに”期待”はあっても、”信頼”はなかった。
だってあおきえいだよ? ”Re:CREATORS”で”アドルノア・ゼロ”だよ?(まぁ”放蕩息子”で”喰霊・零”でもあんだけど)
『でもま、舞城だしなぁ……』で見始めた僕の予断を、心地よくかっ飛ばすドラマの迫力、ビジュアルの強さ、キャラクターの魅力……こういうう風に、余計なことをぶっ飛ばされる喜びってのがあるから、スタッフリストだけでアニメ見ないのはもったいないわけだ。
やっぱ”絵”の作り方に関しては図抜けた才能をもっているので、次のオリジナルがどういう仕上がりになるかが、自分の中でのジャッジに響きそう。偉そうだけども、どうやってもそういう目で見ちゃうよねぇ……名前出して作品を世に出すのって。

そこら辺はさておき、大量の死体を積み上げる悪趣味な話でありながら、おそらくはだからこそ、必死で誠実な話だったと思う。鳴瓢の殺意も愛も後悔も、しっかり伝わるように描かれ、謎の主人公が一枚一枚ベールを脱ぐ姿は、次回を楽しみに待たせてくれた。
殺人鬼であり名探偵である彼が、その実警察官であること。それが作品の背骨となり、ステッキクソ野郎と主役を分ける境界線にもなっている。そういう泥臭く必死な、鳴瓢の人格を初めて感じ、信じることが出来たのは、この何もかも終わりきったエピソードだった。
殺人犯の無意識が投影された、奇っ怪で美しい”世界”。そこに飛び込み、アクションを交えつつ攻略していくゲーム的な感覚と面白さが、この作品に引っかかる大事なフックである。どこか他人事に、危なくて面白いアトラクションを遠くから見る快楽が、確かに作品へと僕を惹きつけた。

酒井戸が幾重にも死に続けるこのお話は、そういうゲーム感覚を最大化しつつ、同時にその不屈の厳選を考えたくなる、良い導線だった。
ただの人殺しでも、ただの推理装置でもない血液が、彼の足取りには滲んでいる。
この話数を見てそう思ったことが、この作品を僕の側にグイッと手繰り寄せて、鳴瓢と彼の物語をもっと好きになる、大事な切っ掛けだったと思う。そしてその感覚は、話が進み彼の人となり、背負った過去とカルマが顕になるにつれて、確信へと変わっていった。
そう思えるように、しっかり物語を構築し、視聴者に届ける情報量を制御していた、ということでもあるのだが。
そういう巧さを越えたキャラクターの呻き、作品世界の手触りみたいなものが、どうしようもなく終わりきったこの事件に脱力しつつ、僕にしっかり届いたこと。
それこそが、ただ作品を眺めるのではなく、井戸の縁から身を乗り出して、”自分のアニメ”として前のめりに夢中になる、大事なきっかけになってくれた。やっぱり、そういう話数は大事だ。

 

・映像研には手を出すな!
ベストエピソード:第1話『最強の世界!』

自分が見つけた世界の美しさを無条件に信じられるなら、即座に世に問うて檻からでていけばいい。 しかし独力でそういう場所に飛び込めないからこそ、彼女は柵越しの世界に閉じ込められている。

映像研には手を出すな!:第1話『最強の世界!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ”映像研には手を出すな!”のアニメ化は、非常によく整っていたと思う。
作品のどこが強いのか、何を全面に押し出すのか冷静に見極め、着実に形にし、的確に届ける。そういう巧さに、ロジックを越えた情熱をしっかり噛み合わせて、12話トルク強く走り切るペースは、最初から最後まで緩むことはなかった。
パット見で何が面白いか判る、伝わる、掴む強さというのは、非言語的なセンスと同じくらい、それをどう整形して的確に並べるかという理性に支えられている。何を描くか、作品の味わいや核に眠っているものをどう伝えるかを、考えに考え抜き、明瞭に、そしてさりげなく届ける。
ワイワイドンチキの賑やかさ、イマジネーションが暴れまわるアクションの元気さが目立つけども、それをどう視聴者の心に差し込むか、この作品は非常に冷静に見極め、的確に描いてきた。

三作品を4話ずつ作成する、基本的な話のフレーム。そこに山盛りの課題と、悪戦苦闘の奮戦と、ぶつかり合いあふれる青春と、アニメを通じて描かれる人格形成と、アニメーションそれ自体の気持ちよさをたっぷりブチ込んで、テンポよく気持ちよく叩きつける。
肌で感じる気持ちよさを徹底的に追求するからこそ、描くものを研ぎ澄ます。台詞で伝えるべきは伝え、芝居で見せるべき部分は見せ、視聴者の想像力に訴えるべきは訴える。その表現的なメリハリが、しっかり効いていたアニメだと思う。
『アニメを描いた漫画』が『アニメを描いたアニメ』になるにあたり、気持ちのいい登場人物たちのドラマや雰囲気、青春の香味はしっかり活かし、アニメにしか出来ないものはハイクオリティに、どんどん強調する。
世界の広がり、色の楽しみ、動きの喜び。二次元がAnimateする力を、実際の描画でなによりパワフルに、説得力を込めて見せるキメどころ。それが刺さるのも、1カットごとの細やかな暗喩、レイアウトの言語が鮮明だったからだと僕は思う。

この第1話でいっとう好きなシーンは……まぁ沢山あるわけだけど。三人が出会っちまって、夢が動き出すラストの飛翔も最高だし、そこに至るまでのドタバタ、舞台となる学園の魅力的な混沌の見せ方も素晴らしい。
その上で、浅草氏が柵越し、充実した青春を睨んでいる姿と、その背中を金森氏ぶっ叩いて物語がスタートするシーンが好きだ。浅草氏と金森氏がどんな人間で、これから何が始まるのか。アバンで手際の良く見せられる、浅草氏のオリジンと合わせて、非常にするりと入ってくる。
柵越しの視点を強調したのが、アニメ独特の演出だと知って驚いたし、唸った。この後も頻発する、何かの後ろに隠れて自分を守る浅草氏のスタイルが彼女の初登場で殴りつけてくることで、彼女のことがよく判る。そうやってキャラクター性を的確に、簡勁に届けてくる作品自体の腕前、視力の良さへの信頼も生まれる。見事なアレンジだ。

僕はここで掴んだ予感といっしょに、視聴を続けた。『浅草氏は人恋しさと他者への恐怖を同時に抱えたまま、金森氏に背中を押され柵を超えていくアニメなのだろう』と思いながら見続けた。
12話(あるいはそれ以上)のアニメを見るには、そういう”柱”みたいなものがないとなかなか厳しい。完全に新しいものに目を開き続ける素直さは、年経てしまった今の僕には、なかなかないのだ。作品のエネルギーを受け止めたり、それを繋ぎ止めてしっかり見るためには、何らか手がかりが欲しくなる。
それを伝えるのが第一話の仕事だとも思うし、鮮明なヴィジョンを的確に伝えることで、見続けるための信頼関係も作れる。キャラクターへの、作品世界への、作品を作り上げる姿勢への”柱”がないまま、ビクビク怯えながら作品を見るのはなかなか大変なのだ。
そんな事を考えなくても言い、どっしりお話に体重を預ける刺青を作ってくれる第一話であった。そこで生まれたものは、一度も裏切られなかった。クオリティも意志も淀まず緩まないまま、12話走り切るスタミナも流石であるけども、『俺たちはそういう、強いアニメ製作者だぜ。この作品も、強く作っていくぜ』という宣言を高らかに響かせたこの出だしが、強く胸に刺さっている。多分、ずっと抜けないのだろう。

 

・推しが武道館いってくれたら死ぬ

ベストエピソード:第2話『いちばん好きでいたい』感想ツイートまとめ

マージでまきゆめ周辺だけ空気が新海誠で、『原作よりも湿度高いぞコラァ!!』ってなった。素晴らしい。

推しが武道館いってくれたら死ぬ:第2話『いちばん好きでいたい』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 アニメーションで好きなところは沢山あるけども、美術は特に好きな部分だ。
キャラクターが生きている世界が、どういうものなのか。そこにどんな感情が乗っかり、どんなドラマが動くのか。台詞や芝居がない”背景”だからこそ、時に雄弁に語りうるもの、生み出しうるものがある。
今期は”ドロヘドロ”の猥雑かつ圧倒的な美しさがよく心に刺さってけども、このアニメで切り取られたOKAYAMAの風景もまた、素晴らしいものだった。正直そこはあんま期待していなくかったけども、いい意味で裏切られ、衝撃を受けた。
(ここら辺の情景の見事さは、山本監督の過去作である”ヤマノススメ”でも最高に生きている部分で、もう一人の主役として作品を支え、時に全面に出る”背景”の強さが共通している。現実にあるものを、現実よりもアニメートさせるメディアの強み。それを感じられる視聴体験は、とても贅沢だ)

このお話の風景は、常にキャラクターの主観を通した”情景”として描かれている。
アイドルと出会えたことで、世界がどれだけ輝くのか。ファンがいてくれることで、アイドルはどれだけ救われているのか。話の主題に深く関わる部分を、美しく輝くOKAYAMAはしっかり支え、僕らに教えてくれた。
ただ美しいだけでなく、キャラクターの感情をどう捉え、どう描くのか。そういう作品のスタイルがしっかり籠もっている美しい世界を、毎週受け取るのはとても楽しかった。
『この制作陣なら、良い原作をいいアニメにしてくれる』
そういう信頼感をしっかり支えてくれる、意志のある美術だったと思う。

第1話では確信が持てなかった、感情と背景の連動。これを確信したのが第2話、ゆめ莉と眞后が身を置くホームだ。ガールズフェスの晴れ舞台、そこに立てなかったゆめの思いを、眞后は華麗に掬い上げ、美しい世界の中で共有する。
その輝きが、現実の岡山よりも強く輝く心象主義。心と心のふれあい、女と女が向き合う時の重力と湿度も、コメディに交えて本気でやっていく。背景が何も言わないからこそ、力強く伝わってくるものがあった。そういう無言のメッセージこそが、作品への信頼感を高めるのだと僕は思っている。

他にもアイドル全体を切り取る横幅の手際とか、コメディとシリアスのバランスとか、勢いの良い出だしからしっかりパワーを引き継いで、1クール走りきれる信頼感を与えてくれる話数でもある。
12話アニメ見きるのって結構大変で(こんだけダラダラと感想垂れ流してても、やっぱ大変なもんは大変なんよ)だからこそ早い段階で、作品への信頼を掴みたいわけだけど、それをしっかり与えてくれる話数だった。
ここで掴んだ確信は、基本裏切られること無く最終話まで進むことになる。よく出来たアニメであったし、アニメという媒介、アニメで届けるべき客層にしっかり向き合ったアニメ化でもあった。非常に面白かったです。二期希望!

 

・地縛少年花子くん
ベストエピソード:第5話『告白の木』

夕日のぶつかり会い、お互いの顔を見せる交錯で、ようやく二人の関係が始まった感じもある。 それはお互いをしっかり見る人間関係の踏み込みだけでなく、どうしようもなく二人を隔てる境界線…生と死、過去と現在、実体と情報…へと進んでいく物語でもある。 だから、この接近は”校門の上”で行われる。

地縛少年花子くん:第5話『告白の木』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 正直最初は、浅い話だなぁ、と思っていた。
花子くんというキャラクターの強烈な存在感、漂うエロスは強い誘引だけども、主役が甘やかされすぎている。浅はかで優しくなく、愚かで好感が持てない。その事自体に、斜めから流し目で生暖かく見守りつつ、序盤を見ていたと言われれば否定はできない。
寧々がとにかく浅薄で危うい存在であること自体が、『そういう存在』としての少年少女、彼らが踊る思春期を扱うためのある種の仕掛けではないかと気づき始めたあたりで、この話が来た。
境界線上で、相手の顔を見る。自分が大事だと思える他者と向き合うことで、世界の形、自分のあり方が見えてくる。それは最もシンプルで力強い、ジュブナイルの本道だ。
このポップでオリジナリティ溢れる話が、そこを全く外していない。それどころか、選び取った”オカルト”という題材への深い見解と表現力に溢れた、かなり油断ならない作品であると思い知らされたのが、このシーンだと言える。

ナメてた所で横っ面を張られるというのは、強烈で気持ちのいい体験だ。そのファーストインパクトが、自分が期待していたものが想像以上のパワーで押し込んできた喜びが、深く突き刺さる話だとも言える。
描かれた感情の濃厚さ、身を切るような切なさでいえば第6話『16時の書庫』とか第8話『ミツバ』とかも、素晴らしい切れ味を持っている。特に第8話は一話に濃縮した出会いと離別、少年が生き様を選び取る決定的瞬間が凄まじいパワーを発揮して、シンプルな仕上がりならベストだろう。

ただ僕はオカルトオタクだから、学校の中と外を隔てる”校門”で、死者と生者、男と女、怪異と人間が向き合い、その顔を見つめるカットの魔術的な”正しさ”みたいなものに、ズバンと撃ち抜かれてしまった。
境目は常に、厳密に何かを切り離すために存在し、その役割を完全には果たせない。触れ合っていないのなら、そもそも境界が存在する必要など無いのだ。境界線は常に侵犯され、混ざり合い、それが愛と憎悪、善と悪を生み出していく。背中合わせに対立しているように思えるものは、常にお互いの背中を噛み合うことで己を見出し、より真実に近づいていくのだ。

変化球ミステリが大豊作だった、2020年1月期のアニメ。全く期待していなかった所で、花子くんの過去とか、秘められた魔術的象徴だとか、色々読みがいのある”ミステリ”を出されたのも喜びだった。
思わず読まされる魅力的な出題編で、アニメの範囲が終わってしまうのは非常に残念でもある。しかし、ポップな物語に隠された確かな叡智に触れ、一人で勝手に納得する三ヶ月はとても楽しかった。その足がかりを作ってくれたのも、この話数である。
だから、ベストは”ここ”だ。

 

・歌舞伎町シャーロック
ベストエピソード:第12話『にゃんにゃん打破』

人は死んでも噺は続く。傷は増えても塞がっていく。

歌舞伎町シャーロック:第12話『にゃんにゃん打破』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 何度か言ってるけども、深夜アニメが嫌いだ。
いや好きだからこそ、こうして益体もない感想を幾度も重ねてはいるのだけれども。どーも定型化した表現を、特定層への”お約束”として自前で解体・再形成することもなく垂れ流している感覚を憶えて、その手癖感にウンザリすることがある。
一切深夜アニメに免疫のない人が、そのまま消化するには結構難しいメディアだろうなと、既にズブズブにハマった身から思うこともある。圧縮された文脈と共通言語があってこそ、ディープな表現もまた可能だから、”型”があるってのは良いことでもあるんだろうけども、そこに甘えられるとなんともベトついて、気持ち悪い……ことがある。

このアニメもまた、深夜アニメの”型”を当然利用している。
濃い口のキャラクター、話の起伏とテンポ、荒唐無稽な設定。溢れかえるような差別と暴力に満ちた、ガチャガチャ騒がしいお話。
”深夜アニメ”のフレームで勝負する以上、それは必要な武器であるし、見てもらうための闘いへの参入チケットでもある。その上で、結構自分なり”型”を噛み砕いて、ゼロから組み直した部分があるアニメだったと思う。

バカバカしくも楽しい日常と、血みどろで重たい犯罪とカルマ。ともすればそのどちらかだけが”真実”だと語ってしまう粗雑さを、ジリジリと両方追いかけ、積み重ねて繋がりを見つけていく。
全てをどす黒く塗りつぶすようなショックで惹きつけてなお、その先に続いていく生活と希望をジワリ描き、届ける。離別と哀しみに置き去りにされてなお、男も女もクィアも生きていくのだという、やるせないタフさへの視線。
『これが答えだ!』と堂々胸を張る空々しさより、『世の中、本当に不思議だねぇ……』と語りかけてくるように、己の物語を繰る手腕。
そういうモノを一話一話、しっかり積んでくれたこと。ありものの真実に飛びつくのではなく、自分だけが選び取り、語り届けることが出来る”噺”を組み上げてくれたことが、僕には舌にも肌にもあって嬉しかった。

お話の構成上、1クール目のクライマックスはこの前の第11話にある。
暴かれる邪悪、止めようのない悲劇、訪れる破滅。でもその先にも物語は続く。絵空事の中でも、モニタの向こう側でも、だ、
今まで見たものが嘘だったのかと、フワフワ落ち着かないこっちの心情をキャラと重ねながら、一話使って再生を描いていく。人が死に、殺されるということが世界にどういう傷を残すか、そのかさぶたを丁寧になぞっていく。
そういうことに、ちゃんと時間を使ってくれる深夜アニメって結構無くて。派手な起伏の後には、もっと派手な起伏を押し込んでグイグイ引っ張ることが経験上多めに感じるわけです。
でもこのアニメは、そこで足を止めてくれた。ホームズの歪さも、ワトソンくんの『マトモさ』も、定形で処理するのではなく自分たちなりの描き方で、丁寧に向き合ってくれた。
『ああ、そういう話なんだな。なら、俺のアニメだ』という予感が確信に変わったのがこの話数で、その実感は裏切られること無く、最終話まで続きました。本当にありがたいことだと思います。

 

・22/7
ベストエピソード:第11話『ただその背中を追いつづけて』感想ツイートまとめ

あの視線、あの描写に込めていた期待が、一気に回収される気持ちよさがあったな…。

22/7:第11話『ただその背中を追いつづけて』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 思い返すと、ナナニジアニメは凄く秋元康らしい話だったな、と思う。
”一番やりたくないことを、やらされてる”所から始まる仕事論。どれだけあがいても、本物に到達できない徒労感。それでもなお、人が生きて過去を背負い新たに己を作っていく実感。詩人であることを捨てきれない青臭さと、怪物的な計算高さ。
商業主義の権化として、あるいはアイドルちゃんを庇護してくれるグレートファーザーとして、色んなキャラクターをひっつけられる人だけども、そこには個別の作家性が当然あって。
それを上手く拾い上げて、ナナニジの半自動な物語に上手く重ねてた物語だなぁ、と思った。
作ってるものの総量があまりに膨大で、毀誉褒貶も激しい人だから、秋元康ってどんな人なのか、落ち着いた視点でまとまった語り口って結構少なくて。
なんだかんだ、彼が気になっている自分としてはそういう『評論・秋元康』として面白いアニメだったりする。この視座でナナニジアニメ見てたのは、ほぼいないと思うが。

そういうメタな視点での評価を廃して、”純粋”に作品としてみるとまぁ、瑕疵の多いアニメで。
アイドルアニメでやる話でも構造でもないし、新規ファンをガッチリ掴んフィーバーさせるには冷たい仕上がり。
ジャンルとニーズに全く噛み合っていない新しい挑戦は、結局既存ファンと一部のクレイジーな好事家に届いただけで終わってしまった肌感覚もある。ここら辺は、アニメというブースターをリアルの”22/7”がどう活かすか次第ではあるけど。

少女が何かを成し遂げる、アツい自己実現。アイドルアニメはその実、青春群像劇というより大きな、分かりやすい、マスに届く構造を下敷きにしている。”アイドル”という職業と立ち位置の特異性は、飲み込むのが結構難しい。アイドル文化へのリテラシーを、アニメファンが必ずしも備えているとは限らない。だから、ジュブナイルの汎用性に足場を乗っけるのが常道だ。
それを横目で睨みつつも、ナナニジアニメは凄く捻ったスタンスで、青春を描き続けた。
重たい過去はある。強い決意もある。しかしそれは顕にならず、見えているのは本人と視聴者だけ。過去回想と現在のアイドル活動を重ねて描く、八重の個別エピソードは全て、捻じれた繋がり方をしている。
何もかもが素直に繋がらないねじれの中で、では個人の意志や記憶がムダであるかというと、そんなことはない。結局その熱量を使うことでしか、変化も突破も生まれない。その唯一性に対して、ナナニジはニヒリズムでは答えていない。

それしか持ち得ないが、それだけでは何も動かし得ない、無力な武器。ジュブナイル最強の切り札である”想い”を、そういう遠い場所に位置づける時点で、ナナニジアニメは”アイドルアニメ”としては異端中の異端である。
経済も成功も、全て壁が用意してくれたレールの上で進む。用意され、やらされている仕事の中でも、成長の実感も、仲間との絆も生まれていく。このエピソードで掴んだ反逆への暴力的な意志も、全てを突破し構造を変える力には成りえない。
”壁”はいつでも、そこにある。それは全ての前提で、最初から最後まで変え得ない。デスゲームとして見ても相当特殊な描き方であろう。

それでも、人には心があり、意志があり、それしかない。それは人生を支える背骨となり、顕にならなくとも変化を生み出していく。
そういう視線もまた、思い出に向けられていた。ニコルがみうに向けていた視線の意味が、全て判明するこのエピソードは、そういうこのアニメの奇妙な熱量と温もりが、一番出ていると思う。
第3話、第5話、第7話。個別の仕上がりが抜群に良く、しっかり視聴者に届くエピソードは他にも沢山ある。ちゃんとキャラクターのことが判って、好きになれる話が奇妙な構造のただ中にあったのは、ありがたいことだ。

その上で、タメにタメたニコルの感情と演出を爆発させ、主人公の特権性を”暴力”に定めたこの話は、ぶっ飛び方含めて非常にナナニジ的であった。暴力と百合の組み合わせが死ぬほど好きだ、という個人的嗜好も、強く影響しているが。
物語を駆動させる、底流としての感情。それは全ての過去編で顕にならず、思いから生まれた行動だけが現在に影を伸ばす。それでいいじゃないか。それでも、理解らなくても人はお互い影響し合い、変化していくのだから。
そういう一見冷たくて、でも妙に温もりのある世界認識で貫かれたこの話が、一番元気良く暴れる話だと思う。
何しろ、みうは結局自分が助けたニコルのことを思い出さないで終わるのだから。ヒーローに思い出してもらえなくても、ヒーローになろうと思った自分は消えない。
それでいいのだ。

 

・虚構推理
ベストエピソード:第5話『想像力の怪物』

境界線を前に足踏みをしているのは、九郎や紗季さんだけの特権ではない。境の種類はそれぞれ違うが、登場人物は皆、願いの前で空回りを続けているのだ。

虚構推理:第5話『想像力の怪物』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

人造怪異による殺人という”真実”を見せた上で、それを駆逐するための虚構推理を複数開示し、嘘によって悪しき”事実”を駆逐する。虚実の境界線を明瞭に引くことで、スリリングな知的遊戯として成立しうる”ミステリ”というジャンルが、時に行う挑戦の極北。
この作品はミステリとして異端であり、『謎解きによる混乱の駆逐、秩序の回復』というその機能には忠実だ。琴子はエキセントリックな変人であり、一般的な倫理からはみ出した大嘘とハッタリを活用しつつも、結局は平穏な日常を維持するために言説を駆使する。そこに、”神”たる彼女の居場所はないのに、だ。
整然とした日向の住人である紗季は、そうであるがゆえに九郎とは一緒にいられず、破綻した恋は再生しない。警察官として、堂々犯人を逮捕することも出来ない。勝ち負けで言えば登場段階で負けている彼女は、しかし奇妙な爽やかさを持って鋼人七瀬事件に巻き込まれ、自分と世界の有り様、元恋人との距離感を学んでいく。
一連の物語を通して何かを決着させるという、物語的なダイナミズム。その視点で見れば、琴子と九郎は未だ続く物語の途中であり、何事もなしえなかったが”納得”を得た紗季は主役として、始まりと終わりを持っている。

事程左様に、何もかも境界がはっきりとせず、同時に鮮明な境目が惹かれているこの作品。物理的レイアウトによる境界線の明示が、人間関係や心理状態を示すアニメ的表現もまた、随所で冴えを見せていた。
この第五話は、事件のあらましがだいたい説明し終わって、メインキャラクターの配置、挑むべき事件の構造がだいたい見えてくる話数だ。
神であるが故に、守るべき平穏に腰を下ろせない琴子。事件と恋の中心から隔絶され続ける紗季。奇妙な冷たさと熱量で、女達から距離を取る九郎。
彼らを切り取る筆致は、のちの事件と人間関係がどう進むかを丁寧に示していく。こういう構図の巧さが、ジャンルを越境し、なかなかスッキリした解決を与えない物語を”アニメ”として魅せる上で、大きな仕事をしていたと思う。
ストーリーラインで言えば中盤の調整、話が大きく動くわけではないが、作品の構造と巧妙さが見え、よく仕上がった回である。

 

ドロヘドロ
ベストエピソード:第6話『キノコの山は食べ盛り/はじめてのケムリ/マンホール哀歌(エレジー )』

どっちにしても、壊れて白紙になった記憶の上、今のカイマンは、ガスマスクに涙雨を貯める。

ドロヘドロ:第6話『キノコの山は食べ盛り/はじめてのケムリ/マンホール哀歌(エレジー )』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 このエピソードをベストに選ぶのは、みんな大好き心先輩のオリジンが、鮮烈な血の色で刻まれているから……というだけではない。
ツギハギのまま血の涙を流し、『面白くなってきたぜぇ!』と吠える彼の悲愴な勇姿をしっかり描けるクオリティ。猥雑な美麗さを、様々な場所で駆動させる筆の強さ。そういうものはあらゆるエピソードに宿って、常時元気なので特筆も出来ない。あらゆる瞬間、このレベルを維持し続けたのは、見終わった今思い返してもマジで狂ってるね……。

今までも描かれてきた直線的な暴力と、そこに滲むやけっぱちの切なさ、確かな湿り気。このエピソードはハイテンションで無茶苦茶な世界に、強引に視聴者を取り込み振り回す話運びがちょっと緩んで、テンポが落ち着く話数だ。
死が終わりでしか無い、物語にも魔法にも選ばれなかったモブを前に、カイマンのガスマスクは雨色の涙を貯める。記憶を失った人非人は泣くことを許されず、だからこそ泣くほどに哀しい。
そう、この狂った話が結構哀しく切ない物語でもあることを、この話数は思い出させてくれる。ただ狂っているだけでなく、そこに順応しきれない人間性の軋みがあればこそ、人は人を殺し、血まみれの道を突き進むしか無い。
混沌の中には僕らが理解できない過剰な暴力や、理不尽な魔法だけでなく、凄く手触りの良い友情や優しさがあって、でもそれは無惨に弾け飛んでしまう。そしてその破綻は終わりではなく、無情にも続いていってしまう世界の起点でしかない。
どれだけ終わり果てても、立ち止まることを許されず進むしか無い。そんな過酷さを前に、ツギハギの少年は『面白くなってきたぜぇ!』と叫び、蜥蜴顔の男は流せぬ涙を流す。
つまり、この話数は”ドロヘドロ”がかなり正調のハードボイルドでもあること、僕がとても好きなジャンルのエッセンスを備えていることを、思い出させてくれたのだ。そういう湿り気ともしっかり向き合える作品なのだと、自分の筆で証明できる話数。作品の見方を、もう一つ付け加えてくれる話数。
そこを、僕はベストに選びたい。

 

pet
ベストエピソード:第2話『「ヤマ」の景色』

この作品”最初の事件”である健治と横田の物語は、主役たるヒロキと司に強くシンクロしている。 水と金魚、二人の”イメージ”はお互いを支え合うよう調整され、司に導かれることでヒロキは力を適切に使える。

pet:第2話『「ヤマ」の景色』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 正直、petには期待していなかった。
友人の一人が独特かつ鮮明な”漫画眼”を持ってて信頼しているんだけども、彼が非常に強く推す作品のアニメ化だったから、とりあえず見てみようか、くらいの気持ちだった。
第1話は明かされない謎が多く、不鮮明で掴みが弱い。さてどうなるか、と見た第二話で、思いっきりぶっ飛ばされた。(IDみたいに、一話二話一挙放送を地上波でもやれりゃ良かったんだろうけどね……)

ペット達が潜るヤマとタニの、鮮烈な景色に眼を焼かれた、というのもある。第1話では不明瞭だった、精神に潜る異能の妖しさと危うさがググッと迫ってくるのも良い。
でも一番心に届いたのは、なんの異能力も持たないオッサン二人が、自分たちの心を顕にして繋ぐ美しい瞬間の描き方だった。あの海と同じ景色が、多分ヒロキと司にもあって、でも彼らはそれを蔑ろにしてしまう。自分と同じ存在を書き換えて、後悔しつつも”会社”から出ることは出来ない。
そういう書き方は、いつか傲慢と暴虐のツケを払うだろう公平さ、人間にとって何が大事かを見据える倫理観、大切なはずのそれが簡単に踏みにじられてしまう厳しさを、僕に感じさせた。
一言で言えば、作品の顔が見えた気がしたのだ。

petは異能者を描きつつ、非常に普遍的な親子(を越えた親子)の情、人が人を求め愛する根源を掘り澄んでいく。そこに異能者も常人も無いはずだが、超越的な力は本来平等であるはずの人間に落差を生み、そこに暴力が流れ込んでいく。
体に傷はつかない。だからそれが発覚して、正義の裁きを受けることもない。ペット達の犯罪は、しかし彼らに軛をつける”会社”も、縛られる本人も強く歪めていく。正しくないことを積み重ねていくと、人の心は軋み、痛み、壊れていってしまうのだ。
そしてそういう本能的な倫理を持ちつつも、人は現実に流され、欲望に負け、あるいは愛すればこそ過ちを積み重ねていってしまう。正しさを求めつつ、正しく在ることのあまりの難しさを、様々な人間、様々な思いを重ねながら描いていく。
この話数で書かれる”最初の事件”に、登場人物たちが見せた対応。滲む人格。やっぱり見取り図が早い段階で掴めるアニメは信頼が置けるし、見ていて楽でもある。

加えて言えば、この段階で抱いた『こういうアニメだろうな、こういうアニメになってくれると良いな』というイメージを、本編は大きく上回り、より悲惨で崇高なものを描いていった。司は暴走して山程ゲロを吐き、きーやんが大した声優であることを再確認させてくれた。ホント2020最ゲロ声優は決まったよ……。
期待を強く懐き、予想を大きく上回られる物語に出会えるのは、とても幸福なことだ。林さんのラーメン爆食、苦しみの中成長していくヒロキ、鬼畜ロンが見せる身内への情、ジンとのほのかな恋とその破綻……どれも、この話数では予想もしていなくて、でも高まった期待に答えてくれる展開だった。
桂木さんがばらまくタバコの煙に、何かを感じた二話。その裏側が明かされたのは最終回で、あまりに全てが遅かった。彼もまた誰かを愛し、美しいものを見つけられる存在であったのに、記憶を隠されることでヤマが崩れ、人が変わってしまったと知って、僕は奇妙な安心を憶えた。
あの時感じた不思議な引力は、まだ煙草をしがみ、眉間にシワを寄せる前の桂木さんが生み出したものだったのだと、納得できたから。だからこそ同時に、愛する人に寄せ、返ってきた愛のままに生きれなかった過去、愛の結晶である娘に殺されてしまった終わりが、切なくもある。
そんな感慨の起点は、やっぱりこの話数であろう。

 

SHOW BY ROCK!! ましゅまいれっしゅ!!
ベストエピソード:第6話『ヒロメネス』

答えは一つしかない。 マシマヒメコが、マシマヒメコだからだ。

SHOW BY ROCK!! ましゅまいれっしゅ!!:第6話『ヒロメネス』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 言葉を選ばず飾らず言えば、ましゅまいれっしゅは下手くそなアニメだった。
3バンドをサンリオから借りてる形なのに、ましゅまいにリソースを寄せすぎている。根本的に交流や変化がバンド外に生まれにくい構造なのに、形を整えようとレイシグと衝突させたことが変な凝りになって、ララリンが話の都合に空回りさせられた印象が残る。
音楽というものが個人を変え、人と人をつなぐことはよく判るけども、そういうプレシャスな存在にましゅまいは”寝坊”で答えてしまう。

『クライマックスなんだから、ひと悶着上げ下げあったほうが良いでしょ!』

そういうお仕着せで、コア以外の部分を固めていった結果、コアとなるましゅまいの小さな成長、隣り合う大事な人への思いもまた、濁ってしまった印象がある。もうちょい周囲を蔑ろにしない感じでいてくれれば、この最高の関係性もツルリと飲めたのに……。

そう、”最高”なのである。
ヒメコが序盤見せていた頑なな雰囲気も、生み出す摩擦も、それを乗り越え『ヒメコちゃんは、ヒメコちゃんだから』という唯一の答えを堂々突き立てるほわんの踏み込みも、全て正しい。
少女四人の狭いサークルを描く筆は、この作品異常にキレている。尺と作画・演出リソースをたっぷり使い、細やかな視線・指先・空気の芝居を贅沢に散りばめて、女と女の感情を切り取る。その技量は、異様かつ秀逸だ。
この第6話は間違いなく作品のピークであり、ここから更にジャンプしてより大きなものを描ききれなかった(と僕は感じた)ことが、
この作品の弱さでもあろう。ヒメコとほわんは判りあった。決定的に、他の全てがいらないほどに。そういう”選択”の強さを、問答無用に叩きつけ飲み込ませる圧倒的なパワーが、このエピソードにはある。
でも、いつだって最高の先には最高が待っている……はずだ。個人と個人が繋がり、バンドになる。その先の景色へ、せっかく六話もあったんだから僕はたどり着いて欲しかった。

そんな未練がありつつも、この話の仕上がりは全くもって嘘ではないし、ここを経由して素直な自分を構えず出せるようになったヒメコの描画もまた、とても良いものだった。
痛みや恐怖がひっかかって、己の感情や資質が出せなくなっていた子供が、素直さを表に出す姿はいつでも感動を呼ぶ。そこは、一切間違いなく描ききれていたと思う。
まぁ良いところは『ほわヒメに全力投球』で、悪いところは『ほわヒメに全力投球』だよ、このアニメ。そしてこの話数は、ほわヒメに全力投球するべきエピソードなのでベストです。ほんとに最高。

 

Bang Dream! 3rd season
ベストエピソード:第11話『パレオはもういません』

心のクローゼットを決定的に明けてくれる、本当に特別な一人。そういう存在が嘘偽りなくいることが、時に傷を生み、時に運命を変えていく。 そのドアを開けられるのは、やっぱりたった一人だけだ

Bang Dream! 3rd season:第11話『パレオはもういません』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 馬齢を重ねてなお、子供であること、大人であることは自分の中で答えが出ない問いだ。アニメを見るにしても、現実を眺めるにしても、僕の中で『子供』というのはとても大事な存在で、そこをアンカーに作品と付き合っていくことは多い。
チュチュは13歳の小さな体に、過剰な成熟と才能、ズタズタにされた自己評価と世界への反骨を詰め込んだ、面白いキャラクターだ。世界を俯瞰で見たり、誰かを尊重したりといった『大人っぽさ』はあまりないのだけども、作中一番ビジネスの最前線でバリバリやってて、知能も年不相応(この言葉も、よくよく考えてみれば使い方の難しい言葉だと思うけど)に発育している。
二期から色んな連中に噛みつき、ギャーギャーワーワー騒ぎ立てて話を盛り上げてくれたチュチュが、どんな人間なのか。何故過剰に”勝つ”こと、自分の音を掴み取ることにこだわり、時に暴力的に己を振り回しているのか。
僕はずっと知りたかったし、RAS結成とその先に焦点を当てた三期は、それによく答えてくれた。

チュチュが見据える過剰なクオリティが、クラシックの荒波で揉まれ敗退した(あるいは、適切に負けられなかった)結果だとする話運びには納得がいったし、そこで躓いて上手く共有できなかったものを、バンドの仲間(特にレイヤ)が受け止め開放してあげる物語には、優しさと賢さがあったと思う。
『しょせんは13歳の子供なんだし』と、実態にそぐわない数字を貼り付けて判った気になる態度はチュチュに失礼であるけども、彼女の中には母には適切に受け止めてもらえなかった幼さの残滓が、確かに残っている。それを誰かに抱きしめてもらうことで、彼女は発達した頭脳に相応しく”大人っぽく”なれていくのだろう。

それを最初に、最密に抱きしめたのがパレオという少女で、彼女が一体何をチュチュに望み見ていたかもまた、三期の大きな主題であった。僕はパレオが凄くエゴイストで、かなりシリアスな意味でもマゾヒストであることを高く評価しているのだが、このクライマックスに至るまでの道のりはそういう彼女の諸相を、非常に細やかに描き出していく。
チュチュ様と、そのキーボードメイド。嘘っぱちの演技に自分の全部を繋ぎ合わせて、常人をぶっ千切る才覚を全部燃やし、演じ抜く。『本当』であることではなく、自分が生存するためにつかみ取り、共犯者と作り上げた『嘘』をいかに本当にしていくかに、身を投げる。
そういう道化師の気概を、二期の頃から僕は勝手にパレオに感じていて、この話数でそれは裏打ちされた……以上に、より細密で危ういものが見れた。満足であるし、ここから先の物語もより強く見たくなった。
パレオは過剰にフィジカルな存在として描かれていて、清廉なローティーンの友情と本気の”ごっこ”の隙間に、赤黒い性欲が見え隠れするところが好きである。従者としてチュチュの”下”に入り込もうとする動きがその実、チュチュのあり方を規定し支配してしまう逆転現象を、半ば意識的に、半分無垢に駆動させている清廉なるエロティシズム。
身勝手で献身的で、ピッタリ整えた心身の隙間から時折、野獣のような芳香が立ち上る不可思議な存在。そういう賢く獣的な存在として、パレオはとても面白い。チュチュ様への過剰な愛情と、それに反射する自己愛と自己否定の揺らぎが見える時、更に面白い。

そんな二人の密接した関係性が、”バンド”とけして切れていないこと。非常に危うく孤独な場所に滑り落ちてしまいそうな二人が、”音”への崇拝にも似た真摯さで世界と、他人と繋がっている様子も、この話数はちゃんと書く。
マスキングの暴走する一本気も、六花の方言混じりの真剣さも、レイヤの落ち着いた面倒見も、チュチュとパレオを”RAS”にする決定打にはならない。結局二人は特別に二人であり、しかし残りのメンバーが、彼女たちを取り巻く世界のすべてがなければ、二人は二人になれていないのだ。
内側に閉じて自足する不健全を、人間の真実としてしっかり見据えつつ、バンドリプロジェクトが根底に据える健全な交流と変化、多様性からのみ生み出される個人の唯一性は、しっかり肯定しそこにたどり着く。
身勝手や欲望や自閉や拒絶という、黒い感情を頭ごなしに全否定するのではなく、人間の諸相として認め見据えた上で、そこからのみ生まれうる可能性へと希望をつなぐ。明暗同居する人間性に対し、ニヒリズムではなくオプティミズムをもって、暗さも含めて肯定していく。チュチュとパレオの決着には、そういう靭やかな英名さがしっかり滲んでいて、非常にガルパっぽかったし、バンドリアニメっぽかった。こういう決着になったことで、チュチュがエンジンとなり色々引っ掻き回した物語も、収まりの良い決着を迎えたと思う。

本当にチュチュは、何かと落ち着きがちな(アプリで蓄積した歴史を鑑みれば当然な)物語に波乱を呼び込み、2期26話停滞しないだけのエネルギーを生み出すダイナモだった。『物語の中で、キャラクターが果たすべき構造的仕事』ってのもまた、僕の興味領域なのだけども。それで見ると、やっぱりチュチュに負担がかかりすぎな、ちょっとアンフェアな話ではあったと思う。
でもこのアニメは、傷ついてなお立ち上がろうと瞳を上げ、制御しきれないエゴに振り回されつつ『私だけの音』を探して他人を取った女の子の旅路を、ちゃんと掘り下げてくれた。彼女が出会い、御簾を上げて世界と己の真実に出会わせた少女とのふれあいも。
綺麗なものと汚いものを、さっぱり切り離せる鮮烈さは多分、何処にもない。色んなものが背中合わせで、悲しさや摩擦の中にこそある輝きをひっつかみながら、僕らは進んでいく。
そしてそれが自分だけじゃ見つけられないから、誰かが隣りにいる意味はあるのだろう。RASにとって、チュチュとパレオにとって、アニメの物語はずっとそんな感じで進み、この話数で一つの決着に至る。
その先に物語が続くことも含めて、素晴らしいエピソードだ。