うんざりする湿り気の只中、アニメ映画をめった切りにする企画。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
第八段は『映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ(2019年)』です。
サンエックスのキャラクター・コンテンツを、ファンワークスとまんきゅう監督がアニメ化したものですね。
公式サイトは↓ https://t.co/DMz2gfeXeg
見終わった感想は…ヤバかったです!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
前評判が非常に良かったので、色んな意味で警戒した状態で入ったんですけども、それをグズグズに崩されて『あ、俺の映画だコレ…』と引きずり込まれる、可愛く強い作品でした。
同時に、児童に向けて本気で作っているのも良い。
色んな感情と感慨がグジャグジャになった状態で書いてるので、何から語りだすべきか悩みますけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
まず、キャラが可愛いですよね。ポヨンと丸っこくて、でも仕草に感情がこもって豊か。すみっコ世界のファンシーな情景も、絵本世界のピクチャリスティックな風景も、キャラによくマッチしている。
この可愛いキャラが最大限可愛く動くように、様々工夫が凝らされているのも良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
色んな絵本世界を行き来する構成は、キャラがいろんな衣装に着替えるコスプレ的ファンサービスを叶えてくれるし、冒険も優しさも勇気も触れ合いも、色んな尊さが一時間にギュッと詰まっている。
アクションとドラマにしっかり噛み合い、色彩豊かなBGMの表現力もとてもいいです。ちょっとオールドスクールな、動きと音のシンクロで楽しませる”THE アニメ映画”な魅せ方が、凄く良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
すみっコは台詞がないので、効果音と劇伴でしっかり起伏を付けないと、キャラが立ってこない。BGMは大事だ。
現実と仮想を行き来しつつ、その境界線が絶対のものとして立ちふさがる(が、想像力と優しさは壁を超えていく)このお話、相当メタレイヤーを考え抜いて作ってるわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
イノッチと本上まなみさんのナレーションがあることで、この映画自体が『絵本の読み聞かせ』に近い視聴体験になってると思う
作中でも”しかけ絵本”であることが、様々なピンチを突破するきっかけになったり、ひよこの真実へ近づくきっかけになっているように、この映画は子供が読み聞かせてもらうテンポと質感を、映画で追体験できるように作られていると思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
そこに、ナレーションの半メタな語り口がいい仕事をしている
この映画を見る時、僕は脳内の三歳児を可能な限りリアルブートしながら見てたわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
台詞のないキャラクターが今どういう状況にあるか、何をしたら良いかっていう、子供の読解力では足らないかもしれない部分を、イノッチが細やかに補ってくれるんですよね。これが、脳内児童にはありがたかった
でもナレーションは、すみっコが何を感じているかは代弁しない。それは書き文字や表情、流れる涙ですみっコ自身がこちらに伝えてくるものです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
これはキャラクターの内面に尊厳を認めて、大事に運んでいるってことだと思います。奴らは二重の仮想の中を、それでもしっかり生きておるのだ。
んで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
『ヤベーな…』ってなって一時停止したのが十三回あるアニメなんですけども、最初にキャラ紹介してくれた時点で、もう”ピッ”で。
すみっコたちは、自分達が世界のハグレモノ、世に必要ないとレッテルを貼られた廃棄物だと、知ってなお立ち、寄り添う者たちじゃないですか。
可愛い外見をしてハードボイルド…と言うか、どんなに可愛く柔らかい世界だろうが、”ノーマル”に同質化出来ない特性をもっていたり、生まれ落ちた天命を果たせなかったりする存在を、でもだからこそ”真ん中”に据えた物語じゃないですか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
コレがね…ヤバい。『あ、俺の映画だ…』って感じですよ。
世のメインストリームに立つだけの強さ、あるいは図々しさを持てず、望むと望まずと”すみっコ”に追いやられた者たちの、しかし不屈の勇気と冒険、アウトサイダーだからこその知恵と勇気の物語。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
”ロッキー”であり”サイタマノラッパー”であり”はてしない物語”であり”シュタインズ・ゲート”なわけですよ
キャラコンテンツの軸にある、そういう普遍的な強い軸を、絵本というフィクショナルな現実に迷い込む中、確認し武器に変えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
同じくアウトサイダーであったひよこに共感し、手を差し伸べ道を進む物語は、ただ口当たりの良いお菓子で終わらない、骨の太い物語的栄養素がたっぷりあります。
キャラとしては、完全にトリッシュのために海に飛び込んだナランチャだったぺんぎんと、えびのしっぽのためなら世界とも闘える気概が全身に満ちてるとんかつが、特に好きです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
可愛い動物だけじゃなく、食べ物やおばけもメインに据えるところが、想像力と公平性に満ちてすげー好き。
お話は軽い(が、すみっコたちのヘヴィな生き様は十分伝わる)キャラ紹介から、絵本という異界に吸い込まれていく所から始まります。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
そこは本来の筋書き、本来の登場人物が既に固定されている、存外残酷な世界です。すみっコたちは不在の役割の代理として、物語世界で完結するよう求められる。
そういう”ノーマル”な圧力に、流されつつも抗しつつ、すみっコたちは新しい物語を紡いでいきます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
予定されたノーマルな物語に居場所がない(最初から居場所がなかった)ひよことともに、世界に壁を開けて、死や虐殺が待つ既存の物語を、縦横無尽に駆け抜けていく。
そうしても良いんです。
桃太郎だから、鬼は殺さなきゃいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
マッチ売りの少女だから、凍えて死ななきゃいけない。
そういう”圧”(恐らくすみっコたちを、アウトサイドに押しやったリアルな流れに似たもの)は、仮想世界にだってある。既に定まっている。
しかし、それと同化し共犯する必要はないんです。
穴をほって逃げちゃうねこの資質が、新たな世界へ突破口を開くきっかけになっても良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
飛べないはずのひよこと一緒に、思い切り崖に飛び降りることで月を超え、世界と世界をつないでも良い。
それは絵本の中だからこそ出来ることで、ということは物語を終えた”現実”でも可能なんです。
そういうメッセージを、BGMと一緒にご機嫌に弾む大冒険と、可愛らしいすみっコたちの交流にしっかり据えて書いてるところが、まず良いと思うわけですよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
完全にThe Doors”Break on Through (To the Other Side)
”なんだよなぁ…原田知世にコレ歌わせな!(暴論)https://t.co/pdyq8WhpSg
すみっコたちは、居場所のないひよこの気持ちがわかり、自分の問題としてひよこのアイデンティティを探しに行きます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
危険に飛び込み、肩を貸し、自分のマッチを全部すってしまう。この”仁”が、すみっコたちが差別されたアウトサイダーだからこその優しさなのか、はたまた元々そういう資質があるのか
この判別は難しいところだと思いますが、ともかくすみっコたちが理解と共感を寄せ、様々な危機に身を乗り出して行いを持ち寄ることで、絵本世界の構造は変わっていきます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
メインページに生まれ落ちた存在ではないひよこの実在を、おにやきつね、かに達も知っていく。
僕は途中無茶苦茶キレながらこの映画を見てて、つまり『なんでコイツラがアウトサイドで肩をすくめてなきゃいけねぇんだ…革命だろッ! すみっコとメインストリームをひっくり返すんだよ!! それがし乞食にあらず!』って思ってたわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
完全に平田漫画の世界だよな、すみっコぐらし。
しかしそんな暴力的な逆転劇を仕込まなくても、すみっコからのアプローチを主役たちはちゃんと聞いて、変化されていくノーマルに対しある種の”明け渡し”を行っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
穴が開いて、筋書きが変わっていく(自分が主役として既得権益を確保できなくなるかもしれない)世界を、肩で背負う覚悟を見せる
固まった構造で敵役として端に追いやられ、殺されるばかりだったおにも、あの世界のリアリティの中で貰ったきびだんごにお礼を言える優しさを、友の危機にでかい体を張れる強さを発揮できるよう、世界の構造を変えてもらった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
メインストリームは、必ずしもアウトサイダーを”いないもの”にしない
むしろくり返される絵本の構造の”外”から来たすみっコの働きかけによって、今まで当然視していた世界構造を再認識し、自分達の魂の使い方を再構築するだけの柔軟性があったわけです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
ひよこという小さくて弱い存在では、支えきれない巨大な世界を、しっかり背負ってあるべき場所へすみっコを返す難行
それが出来るのは、絵本のメインストリームに元々いたおにやきつね達なんだけども、んじゃあすみっコが働きかけなかったら、彼等は既存の構造から外に出れたのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
ひよこの存在、その涙を見つめられたのか。
あのクライマックスには、そういう意味合いがあるように僕は思います。
アウトサイドに追いやられたものの働きかけを、メインストリームは無視してはいけないし、アウトサイドもまた、メインストリームとの対話を拒絶してはいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
極限まで甘っちょろい理想論ですが、これを通さないとどうにも動かないようなヘヴィな問題が、絵本を飛び出した”今、ここ”に沢山ある訳で
世界の味方をフィクションから学び取っていく真っ最中の児童に、凄く心に刺さる、言葉に頼らない表現で対話と行動の理想形をしっかり刻んだのは、僕本当に偉いと思うのですよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
ひよこか、すみっコか。おにときつねか。見ている者が度の立場にあるかは、様々に変わるでしょう。
でも彼等は一つの目的のために、世界の欠片をつなぎ合わせて、あるべきものをあるべき場所へと正す行いを果たすことが出来るわけです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
『キミらもそうなってほしいし、ボクらもそうありたい』
僕は勝手に、そういう声をあのシーンに聞きました。マジ堂々そういうこというの、大事なだよ。
んでですね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
ひよこが世界の壁を超えて、すみっコにならないエンディングが好きなんですよ。
このアニメは甘っちょろい理想論だけど、それを汚す”現実的”なカルマを無視しているわけではなくて。
あひるの子への差別も、花が散る死もあの世界には確かにあるわけです。
その一つに、存在と存在の断絶、というものも確かにあって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
ぺんぎんが感じた『同じだね』という(ある種身勝手な)共感だけじゃ、超えられない絶対的な崖が、絵本の内側と外側には広がっている。
それは勝手に書き換えられない、書き換えてはいけない尊厳の源でもあるわけです。
ひよこが絵本から脱出(あるいは逃亡)してENDだと、すみっコという社会集団、魂の在り方、価値観の共有に同質化すること”だけ”が救済なのだという、間違ったメッセージを与えてしまうと思うのです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
それはアウトサイドであるすみっコを中心に据えて、新たな”唯一”として打ち立てる行為だと思う。
でもそれは、また別の”すみっコ”に、誰かを追いやる行為を生みかねない。自分がすみっコだからこそ、アウトサイダーの気持ちがわかってる彼らは、その壁を超えないよう己を律するわけです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
ひよこは世界のどこにも居場所がなく生まれ、世界の外側へと脱出も出来ない不自由を、己の在り方と選びます。
その差異を涙とともに飲み込んで、しかしけして忘れ去るでも無視するでもなく、自分の立ち位置から可能な限り最大の働きかけを続けること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
創作者としてのメタ的優位を生かして、アウトサイドに用意された白紙に新しい未来を、新しい仕掛けを作っていくこと。すみっコたちは、それを選んだ。
これは”描く”という行為の可能性、”読む”という行為で広がる共感の力を、最大限信じた描写だと感じます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
二次元と三次元のごとく、絶対に隣り合えないように分断されたような世界でも、手を差し伸べ橋を架ける手段はあるんです。
自己との共通点を足場にした、個人的共感とも(似てて)違う想像力。
それがどうしようもなく分断された”あなたと私”を、”奴らと我ら”に冷たく分離するのではなく、その断絶を寂しく抱きしめつつも、人間存在の真実に背くことなく生きていくためには、非常に大事なんだと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
断絶を前にニヒリズムに膝を折るより、ギミックを作り想像力を働かせろと。
そういうメッセージも、僕は勝手に感じ取りました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
何も用意されていない白紙のキャンパスは、ひよこの哀しみを深くする孤独な絶望であり、無限に新しい物語を紡げる可能性のカナーンでもある。
それをどんな色に変えていくかは、孤独の只中にいるひよこと、外からそこにアプローチするすみっコと
そして絵本世界で既に役割を持ったメインストリームの住人の、共鳴の相互作用で決まると、60分の物語は語っています。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
すみっコたちは、自分達が作者でありひよこたちの世界が絵本であるという”分”を知ったことで、知った上で、”描く”ことを選んだ。
んじゃあ、俺らはどうすんの、って話ですよ。
すみっコたちのように、己の痛みに震えず忘れず、誰かの涙に共鳴し、世界のシステムを勇気満載で変えていく生き方は、本当に難しいと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
でもそれに感動し、少しずつ近くなれるように己を改めて行けるのも、創造と虚構の凄く大きな力だと思います。
そういう根源を震わせる力が、有る映画です。
このデカいテーマ性は僕が勝手に感じ取ったもので、映画ダイレクトに語っているものではありません。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
しかしその映像詩学が、フィルムに焼き付けられた表現が伝えたいものは、多分そんなに外していないとも思う。
極力説教臭くなく、明るく楽しく可愛い冒険譚として最高に仕上げつつ、分厚い普遍を問う
これは凄く難しいし、物語…特に児童(と、かつて児童であった全ての人間)に向けた物語では絶対やらなきゃいけんことだと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
それをしっかり果たした作り込みは、非常に鋭く力強い。まんきゅう…お前”龍”だったのか…。(超失礼)
そんな感じの、マジでヤバい話でした。ぶっちゃけ六十分泣きっぱだった。差別と反抗と人のあり方のオタクに刺さりすぎなんだよなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
ここに書いた感想はネタバレですが、これ読んでも映画の本質は一かけらも削れないと思います。未見の方は、是非に見て欲しい作品です。マジオススメ!!
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
現実と幻想の間で、幻想に属する花を持ち帰れない描写がシビアなルールを感じさせて良いんですが、んじゃあすみっコは冒険から何も持ち帰れなかったのか。
どんな財宝よりも貴重なものを、現実に持ち帰り駆動させていることは、見りゃ理解るのが凄い”絵本”的でいい。
たとえそれが絵空事でも、誰かに寄せた感情や共感が消えてなくなることはないし、そういう心の財は誰にも奪えない最高の武器になって、現実を変えうる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月6日
『そこにこそ、フィクションの力と尊厳があるんだ』と言えてるのは、やっぱ強いよね。メタネタ扱う上での本気度が、緩く見える展開に骨太入ってる