輪るピングドラム 第17話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
ゆりと真砂子が己の起源を顕にし、高倉兄妹と苹果ちゃんは最後の平穏な日常に浸る。
他人行儀なガラスの向こうで、物分りの良い真実を語っていた男が、地下の激闘を置き去りに魂を焚べる。
燃えよ、燃えよ、復讐のほむら。
カインの烙印は、我が魂に深く、深く…
もっと深く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
そんな感じの、ピングドラム第17話である。
苹果ちゃんのヤバキチ青春ドタバタコメディだった第1クールを、さり気なく彩る脇役。
そう思えた人たちが皆、魂の奥底に秘めたリビドーと我欲が、青く燃え始める第2クール。
それは秘密でも真実でもなく、ずっとそこにあった。
ゆりさんは小粋な恋敵であり、多蕗はぼんやりした善人の被害者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
そう思い込みたいからこそ、一度描かれたものを永遠の真実だと受け取る怠慢を、サスペンスは的確に揺さぶる。
顕になる秘密、転倒する事実。
そうこのお話、ひっくり返すのは得意なのだ。
序盤、高倉兄妹の幸福な日々が描かれる…前に、地下鉄で兄弟の悪巧みが進行する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
それは毎日のように繰り返された儀式で、陽毬の前ではけして顕にしてはいけない、金と命のシリアスだ。
幼い兄弟は純粋無垢なる妹を、現実の嵐から守る壁となるべく、幾度もああいう会話を続けてきた。
そこでは食材と料理人の境界があやふやになり、深海に潜むものにペンギンが襲われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
眼前を流れる幸福な家族の肖像こそがフェイクであり、どーでもいい賑やかしに思えるペンギン劇場にこそ、状況の真実が刻まれている。
作品がずっと続けていた転倒が、そろそろ本格的に牙を剥き出す。
ウテナにおいて、アンシーの本心が常にチュチュに照射されているように、ペンギンは賢しい人間が覆い隠すものを露骨に演じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
残酷にタコを切り刻み、糧にしようとするものが逆撃を食らって、運命に食われていく。
それはこれから起きる未来の予言であるし、秘された過去の暗喩でもある。
迫りくる/既に起きてしまった破滅に目をつぶり、たこ焼きがどーのセーターがどーの、極めて平和な対話に溺れる兄妹たちは、しかしあまりに幸福そうで、それが永遠であることを思わず願う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
そして、そう思ってしまう時点でもう敵わないことを、既に結末を見届けた今の僕は知っている。
楽しいタコパをぶち壊しに、プリクリ様が告げる残酷な事実。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
晶馬は相変わらずその重たい真実も、少女の裸体も知り得ぬまま、地下へとボッシュートされていく。
それはコメディに見えて、ピュアな弟が現実の泥に溺れずすむよう己が引っ被る、もう一つの兄心なのだろう。
冠葉一人が細すぎる裸身の痛ましさ、透明なエロティシズムを抱く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
そこにはプリクリ様が依代としている陽毬への、背徳と入り混じった恋慕とはまた違った、奇妙な戦友意識のようなものが滲む。
互いに利用し、素肌を晒し、心臓を抉って。
この荒野を共に歩いていく、過ちまみれのアナタ。
その繋がりを晶馬は知らず、陽毬も知らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
晶馬は身体を現場から遠ざけられ、陽毬の身体はそこにあるのに、肌の触れ合いに何が宿るかを解っていない。
眠り姫は自分の体が勝手に動いている時、世界がどんな色合いなのかを把握しない。
夢遊病、あるいはゾンビの変性意識。
そんなガラスのように脆く儚く、だから美しい表層。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
それはゆりと多蕗の仮面夫婦生活にも、強く反射している。
既に己の裸身を晒し、そこに刻まれた欲望とカルマを顕にしたゆり。
間違っていると当然知りつつ、ただ己の魂の炎にのみ従う熱い身勝手。浅ましき幼気。
それを僕らは知っているので、ワイングラス、窓ガラス、眼鏡のレンズ…透明な膜が幾重にも覆うう夜の部屋で、多蕗が語る世界の真実は、冷たく体温のないものに感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
ワインボトルの中の東京タワーが、二人の間を阻む。
第14話で示された、ゆりを傷つけ未だ支配する透明なファロス。
打倒されてなおその残影を残す、東京を睥睨するダヴィデ像を、覆い隠してくれるカーテンはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
かといって、素裸の魂…桃果という救世主亡きあとそれでも継続してしまう現実を、抱いてくれる存在もいない。
あるいはいるのに…透明に曝け出されているのに、手が届かない。指を伸ばす決意が足らない。
そんな状況を、あの部屋のスケッチは非常に精妙に切り取っていることを、この物語を見果てた今の僕は感覚する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
同じ部屋にいて、隣り合っているのに混ざり合わない。
たった二人、桃果が喪われた欠落を共有できるパズルのピースは、どうしようもなく隔たれられている。
それが、物分りよく正しさを飲み込む多蕗の倫理…欲望を押さえつける意思の強さに支えられているのが、その脆さを語って怖い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
それは回をまたぐことなく、今回のラストカットで崩壊する。
あるいは、既に崩壊してて、柔らかな微笑の奥で深海の怪物のように蠢いていたことが判る。
大蛸はいつでも、ペンギンを狙っているのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
眞悧がウサギをブラッシングしながら(その気取ってどこかエロティックな仕草に、生理的嫌悪感が募る見せ方は流石の一言だ)語る”戦争”は、意外な場所で狼煙を上げる。
しかし多蕗にとっては、必然的で計画的な行動である。
苹果ちゃんのつたなき”M”の犠牲に見えた彼が、判っていても止められない憎悪の主体であり、むしろ食らう側であること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
教師という教え導き間違えない大人な職を選んだ彼が、その実桃果に救われ呪われた子供時代から、一歩も動けていないこと。
スキャンダラスに、それが暴かれていく。
穏やかで長閑に見えるものの奥に、凄まじくグロテスクな凶暴が渦を巻いていて、その上に微睡むものも、見守るものも、嵐に気づいていなかったこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
見返すと的確にヒントが出ているだけに、この転倒のラッシュは衝撃的で、殴りつけられた後、奇妙な爽やかさが、鼻に抜けて納得する。
のんびりと人のいい、いつも笑顔で正しい犠牲者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
多蕗に知らぬうちそんな役割を押し付けて、彼も眼鏡の奥に歴史と傷を秘めた、人生を生きる一つの主体であることを見落としていた罪悪感。
初見時このエピソードからは、そんなものを強く感じた。
やられてみりゃ、そらそーだ。人生劇はみんなが主役だ
運命に特別に選ばれ、苦悩し疾走し暴発する特権。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
本来あらゆる人間がそれを持ち、生存への希求と復讐への権利に対し開かれているはずなのに、我々は主役と端役を別ける。
何者かである存在と、何者にもなれない存在を分割し、分かりやすい物語へと不条理を咀嚼する。
しかし人目のつかない地下で圧殺された者たち、それを覚えている者たちにも血の通った人生はあり、それは代価を要求する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
たとえそれが当人の罪科でないとしても、復讐に逸ったところで死者たちは報われないとしても、ズタズタになった魂は否応なく、その救済を求める。
そんな暴力的なプロテストに突き進む多蕗は、塔を駆け上がるエレベーターで仮面を外す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
そこにはもう、ガラスはない。
彼を教師に、幼年期を超えた大人にしていた覆いは引っ剥がされ、ただただ欲望に素直な幼子がある。
戦争が始まるのだ。
それは嘘がなく、爽快で、とても悲しい。
一足早くおっ始まる、ヨザワヤ地下の大激戦。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
お互い運命日記の欠片を求める、我欲VS我欲のバトルなんだが、結果として無辜なる幼子を理不尽に踏みつける危うさから、ゆりと真砂子は遠ざけられていく。
誰かが向き合ってくれることは、それが結果でしかなくとも、何かの救いになりうる。
決闘を準備しながら革命を語る二人は、やっぱりウテナの香りが色濃く漂っていて面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
老いにすり潰されないために亡霊と化した祖父に、強く呪われた真砂子が、若さを切り売りするゆりをDisるのも。
幼さを蹂躙されたゆりが気づけば、生娘の臆病を嘲る立場になのも。
なんとも歪で、寂しい構図だ。
自分を脅かし、殺してでも跳ね除けたかったものは、勇猛なる暴挙の結果取り除かれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
しかし透明な残響はあまりに大きく残り、被害者は自分に牙を突き立てた怪物と、気づけば似通った存在になっている。
恐怖の根源と同化することだけが、大人へと成長することなのだろうか?
現在進行系で大間違いしまくる連中の狂騒には、そんな問が焼き付けられているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
晶馬が隣りにいてくれたことで、大間違いの未来からレールを乗り換えた苹果ちゃんも、多蕗が発酵させた憎悪の前には、無力な子供でしか無い。
再演が叶えば過ち、道を違えれば弱まる。なかなか、上手く行かない
大事なものを見失って、街を駆け抜ける少年たちは果して、日常の終わりに何を見つけるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
多蕗が自分に言い聞かせ、不自由に縛り付けていた透明な枷は、決定的な破滅から人を守る安全装置でもあることを、むき出しのエレベーターは静かに語っている。
それは、もう無いのだ。
本当に? というのも、この話が繰り返す問いかけである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
決定的に喪失され、絶対的に過った過去はもはや、取り戻し得ないものなのだろうか。
祈りは常に呪いとなり、死者は現世に良き影響を及ぼしえず、家は呪詛を増幅する揺籃としてしか機能しない。
そんな下向きのルールだけが、世界を支配する。
そのシビアな視線は常に作品を貫通しているが、同時に『本当に?』と問いかけ、ニヒリズムに沈みきらない意思と祈願が、水底の宝石のように固く、強く輝いてもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
間違えまくる衆愚の中で、確かに生き様を変え、とてもバカらしく大事なものを育み、掴み得た少年少女。
厳しく吹き荒れる嵐の中で、確かに私を見つけてくれる人は在る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
在って欲しいし、在らねばならない。
そういう硬質なヒューマニズムが、炸裂するセンス、どす黒くシビアな認識、人間を突き動かすものへの詳察の底を支えているところが、イクニ作品の好きな所だったりする。
無論、ただ祈れば真実が…戦争の火種となる欲望ではなく、在りのまま在る世界の在り様が立ち上がるわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
重力は常に、下向きに働く。
根室記念館ではそっちの方向に沈んでいったエレベーターが、多蕗と少女たちを逆向きに運ぶことの意味を、2021年の僕はちょっと考えている。
炎の奈落へ沈んでいく世界から、すくい上げられる世界樹の子供たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
あの子が命を賭してラグナロクの果て、愛を託したリーヴとリーヴスラシルは今回、重力に反して高く昇っていく。
そこはいつ落ちるかわからない危うい場所であり、覆いなく全てを見ることが出来る場所だ。
また一つ、サスペンスがヴェールを剥ぎ取られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
穏やかに笑えたコメディの底で、確かに煮立っていたエゴとカルマが、石田彰の声で過去を吠えだす。
思い返せば、それは既に強く強く、唸り続けていたのだ。
山内重保の演出も含め、とても好きな回が次に待つ。楽しみだ。
例によってサブタイトルは多重で、復讐者達が睨みつける高倉の呪い、過ちと知りつつ牙を剥く大人たち…そして、それを引き受けてテロルへと進んでいく少年が視野に入る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
許されざるものを、誰が許さないのか。
世界を覆い、その輪郭を保つ透明なガラスでは、おそらく無いのだろう。
追記 多蕗の変態性の書き方は、なにかと記号論に陥り変態が変態として生きるしか無い生の切実さをカットオフしがちなフィクションにおいて、凄く大切なオリジナリティ、仮想された妄想への誠実さを宿していて、僕の理想の一つである。
ピンドラ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
今回のエンドカードは犯罪臭が致死量の多蕗&桃果だったけども、OPでもこの『取り残され大人にされてしまった男と、冥府と思い出にて永遠に少女である女』のアンバランスの象徴として、エナメル靴のフェティシズムを上手く使っている。
可食性のサイズ感と照り、少女の武装でしかありえない儚い可憐さが同居するエナメルの靴に、大人の男が膝を曲げ愛と忠誠を誓う歪さ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
しかしそこに支配の香りはなく、多蕗を突き動かすのは純粋すぎて凶暴な、切実な愛とノスタルジーだ。
退廃と清廉の同居、危うさの奥の輝き。
抉り取ってくる”絵”だ
多蕗はもう一度、自分の全てを救ってくれたものに心を込めて跪けるのならば、全てを捧げ全てを奪うだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
それは叶わない夢想で、エロティシズムが微熱のように宿り、しかし今、ポンと実現可能性が投げ出されてしまっている。
それは大人に成り果てた彼が、大事にしたいもの全てを焼き尽くす。
それでも…あるいはそれだからこそ欲しいと思えるものへの熱情を表すのに、あの小さなエナメルの靴は、大変優れた物神(フェティッシュ)である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
フェティシズムに特徴的な死体愛好が、多蕗にとってはほぼ無いのも面白い。
あくまで彼の桃果は、永遠に輝く生者、己に生きる意味をくれるモノだ。
しかしそれは、傍から見りゃ死人への操、虚しい過去への逆行でしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年11月3日
ネクロフィリックな欲望の中にしか、自分を活かす糧がない状況の中で、一体何が本当だと言えるのか。
皆そんな転倒の中にいるが、多蕗は特にその色合いが濃い。その身を捩りきるような変態っぷりが、僕は好きなのだ。