京都より透明な殺意を込めて、チェンソーマン第9話である。
姫野先輩を筆頭に、あの愉快極まる地獄の飲み会を一緒に楽しんだ人達の殆どが死に絶えた悲しみに浸る暇もなく、チェンソーマンの心臓を巡る攻防は加速していく。
その突端を走ればこそ、銃弾の無慈悲なあっけなさより、その残酷に膝を折るアキくんより、殺戮者としての圧倒的な適性を顕にしたコベニの速さより、不気味で危険なマキマの静謐。
『殺せば死ぬ』人間の条理を踏み倒し、人間一人贄にして人体をひねり壊す呪殺の異様さが、血しぶきと一緒に飛び散るエピソードだった。
冷徹な復讐者の仮面を被っても、あまりに残酷な死の実相に心を撃ち抜かれて動けない、アキくんの”まとも”さ。
それを異様なハイテンションと、肝心の場面で死んでたんで状況把握できてないバカさで押し流して、デンジは仇敵とのハイスピードバトルへ撫でれ込んでいく。
煙はスタイリッシュに朦朦と立ち込め、立方体飛び散りまくりのスーパーバトルは、愚かにも”人質”なんぞとっちゃったデンジ、再びの敗北で決着する。
抱えた味方ごと敵をぶった切れる、イカれた鬼畜の精神性を全く理解せず、(自分がそうであるように)情けで足が止まっちゃうデンジは、やっぱり姫野先輩が期待したような何もかんもぶっ飛ばしてくれる超絶イカレ野郎なんかではなく、マトモを望みつつマトモがなにかも分からない、バカで浅はかで必死な若者なのだと思う。
田中宏紀が三話に続いて大暴れ、アニメオタクの脊髄揺さぶる超いい感じの人外バトルの奥に、なかなかネジが外れてくれない……デビルハンター向いてない連中の哀しさが、ひっそり滲む。
人間、殺せば死ぬ。
あんまりにもリアルな世界の真実を口にするクソヤクザの表情は、脂ぎった勝利の充実に満ちあふれていて、いかにも人間的だ。
あっさり屍を路上に晒す荒井くんも、同じくぶっ殺された同僚たちも、殺戮の狂熱に水ぶっかけるような生々しさで、人間のあるがままってヤツを良く教えてくれる。
こんなんが”人間性”だって認めたくないからこそ、アキくんも姫野先輩も向いてない仕事やってきたのに、結末はこれ。
インスタントな暴力と、インスタントじゃない超暴力を握りしめた悪党が結局笑うんだよッ!!
んじゃあ人間の基準を遥かに超えた、極めて理不尽でシュールレアリスティックですらある殺戮の主は、何を支配できるのか。
そういうモノを、血みどろのスーパーマキマタイムは描く。
クズどもが銃というチートを使い、計画を練り上げて準備したあっけない殺戮劇。
そこに飲み込まれず取りこぼすものもいる、上手の手から水が漏れる人間的な行いを、マキマは完全に無視して表情一つ揺らさず、殺して殺して殺す。
銃による殺傷が血飛沫少なく、人間的殺傷の範疇に抑えて描かれたからこそ、どう考えても人間がしちゃいけない死に方がリズミカルに炸裂しまくる呪殺反撃からは、マキマの異様さが匂い立つ。
むせ返るような血飛沫をはるか遠くに置き去りに……というか、自分が打たれた血潮すら命の代価を払わずに、マキマは死を取り立てる。
その背後で歪んでいく新幹線の車内、異様に書き込まれたシャツのシワ。
殺気まで殺す側、強者で勝者だったはずの連中がはるか遠くの京都で押しつぶされ、捻じ曲げられ、破裂されていくあっけなさと、マキマの揺るがぬ存在感、異質性は奇妙なコントラストとなって、殺戮音楽に特定のテンポを与える。
他人銃殺しておいて『誰か助けろ!』はねーし、そのための手段として人質に銃口つきつけるのも大間違いだが、犠牲者の口元には人間らしい必死さが確かに宿っている。
それは彼らをねじ切って殺し、その対価として囚人も殺すマキマの、殺戮に揺らがぬ静謐と興味深い対比をなす。
殺しは唐突で静かで、熱く煮えたぎって激しい。
退魔特異課(ほぼ)全滅の大惨事に、敵も味方も血を絞りドッタンバッタン狂騒劇を演じる中で、マキマだけが一人撃たれて生き延び……というか”死”を踏み倒し、数多の命を自在に奪う。
彼女の着替えをねっとり切り取るカメラワークも、殺される側の眼を書き込まない匿名性も、この唐突な殺戮劇の支配者が誰なのかを、美しいグロテスクで立体化させていく。
マキマは、殺しても死ななかった。
銃弾が届かない京都から、銃弾を届けてなお止まらない異様さで静かに暴れ狂い、一方的に殺す。
それは血まみれ汗まみれな”人間らしさ”と程遠くて……んじゃあこの女、一体何者だ?
答えはまだ出ない。
怪物は安易に底を見せず、正体を明かさないから怪物足りうるのだ。
ここら辺の文法は殺しの対価に選ばれた囚人にも、同僚なはずの京都退魔課にも目隠しがなされて、事の次第がさっぱり隠蔽されている様子にも繋がっている。
殺戮現場は遥か東京……愚かな人間たちは何が起きているのかを全く理解しないまま、加熱していく状況に踊るだけだ。
だからマキマは『出来る限り高い神社』に鎮座する。
そういう自分を、多分天然で演出している。
デンジくーん、やっぱ止めておこうよ……。
そんな状況下で、”結構動ける”殺戮者、東山コベニのエントリーだッ!
マキマの清潔で静謐な虐殺から、本日二度目のスーパーアクションが超絶元気に暴れ倒し、鮮血色の緩急でアタマがどうにかなっちまいそうだぜ~~ッ!!
実際コベニが敵を屠る圧倒的な”速さ”はとても印象的で、思考や後悔や嫌悪や罪悪感……人間の”マトモさ”を置き去りに土壇場に適応できてしまう彼女の異質さと、そんな自分にビビってる震えが、良く感じ取れた。
チェンソーマン最新話、面白かったです!ホントはコベニちゃんが荒井くんを盾にしたという設定で、そう見える描写にもしていたのですが、使う暇がなく、整合性の問題もありやめました!今はあってもよかったかもと思いました!
— ながやま こはる (@nagayama_koharu) 2022年12月6日
『荒井くん……やっぱアンタ優しすぎた、デビルハンター向いていなかったよ……』と視聴者がナイーブな感慨に浸る暇もなく、原作者の方からとんでもないコベニ真実が冷水ぶっかけてきて、ひとしきり爆笑したけども。
気弱な被虐待児童がなんでこんなヤバい職場で働けてたか、ある種の答え合わせともなる殺戮と、殺戮から自分を遠ざけるための冷たいリアリズムの描写だった。
デンジの遺骸を盾に使った後、涙ながらに謝れるイカれた神経と、ズルズル死体引きずって生まれた血の十字架が重すぎて、イカれてる自分に耐えきれなくて涙する姿には、マキマとはまた違った非人間性と、絞り潰された犠牲者たちの人間性と、また違った人っぽさが匂う。
人質取ってぶった切られたデンジより、遥かにデビルハンター適正高いコハルも、この状況が……そこで生き延びれてしまった自分がイカレてるのは理解できてて、あるいはそれを飲み込みきれないから、涙と一緒に終わりを吐き出す。
退職切り出すのが上司のマキマではなく、姫野先輩なあたりコベニが職場の人どう見てたかも解るし、マトモだからこそ最後にすがろうとした人はマトモだからこそ死体も残らずブッ死んだ現実を、まだ知らない残酷も眩しい。
何もかんもメチャクチャだよッ!
『辞表? そらそーだ……』と見ている側も納得の、イカレきった凄惨さ。
その中心にいて、殺されたり殺し返したり死んだり死ななかったりしたマキマは、雑踏の中であくまで静かに、感情を動かさない。
これで、アンタの狙い通り四課に全権集中か?
言外にそう告げる円の問いかけも、極めて気まずそうな京都組の視線も意に介せず、マキマはひたすら静かに、自分だけの道を突き進む。
そう出来る怪物的実力を備えていることは、今回しっかり……ゲップが出るほどしっかり描かれた。
殺戮の中で自分は死なずに一方的に殺し、東京駅の雑踏に包まれればこそ、その人間離れした静けさが際立つ。
マキマの怪物性に切り込む今回、人間どものが腰まで浸っているろくでもない狂騒に混じれない、冷たい孤独も静かに描かれていた。
あっさり死んだり、思いを燃やしたり、それを踏みにじったり、生き延びて涙したり。
そんな人間の”マトモ”から、マキマはいつでも遠い場所にいる。
一番オーソドックスで強い人間の”マトモ”とは、つまり生まれて死んでいくことだが、そこからもマキマは遠い。
自分の血を殺戮の返り血と言い張り、人間捻り潰してその返り値は浴びず、雑踏に混ざらず孤立した美麗をまとい続ける、謎めいた女。
そんな彼女がエロティックな指先で、優しく導き隠然と支配するデンジくんに、どんな思いを抱いているか。
そこもまた、揺れぬ瞳のヴェールの奥、凶暴なミステリとして作品の中核に埋められている。
かくして、殺しの嵐は過ぎ去った。
生き延びてしまった者たちは未来を選び、殺し殺されたなお死ねない者たちは再戦を睨む。
まだ、何も終わっちゃいない。
そんなジャンプイズムと同じくらい、あんまりに多くのものがあっけなく、激しく終わってしまった虚脱感に身を委ねつつ、次回を待つ。
本当にロクでもねぇなぁ……素晴らしいッ!!