イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

後宮の烏:第10話『仮面の男』感想

 嫋嫋たる琵琶の音に宿るのは、死者の妄執か生者の無念か。
 後宮霊能探偵物語、清らかなはずの音曲にも幽鬼は縛られる……という第10話。
 異国の五絃琵琶をBGMに、幽鬼を見捨てず衆生を救う寿雪の生き方と、それが広げた彼女の世界……それ故宿命との間に生まれる摩擦熱を、静かに描くエピソードだった。

 他者と触れ合ってはいけないと定められながら、高峻の来訪をきっかけに持ち前の慈悲によって、現世幽冥別け隔てなく異能によって妄念をほどき、苦しみを減らしてきた寿雪。
 そんな彼女に釘を刺す老冬宮も、かつて烏妃に惚れ込んで香を送った情があり、恩人の送り火にそれを焚きしめた寿雪の優しさに、彼も涙する。
 冬宮に封じるにはあまりに暖かすぎる寿雪の人格が、必然的に広げていく彼女の世界と、そこを宿り木とする人々。
 それは烏漣娘娘を頂点とする神秘のヒエラルキーにとっても、皇帝のみを頂点とするべき現世のヒエラルキーにとっても、望まぬ波紋だ。
 ここら辺を梟と衛青、二人の青年を切っ先にして彫り込んでいくのが、アニメ最終盤の流れかな……と思わせるお話。



画像は”後宮の烏”第10話から引用

 人情を封じる反発のためには暖かな支流が必要で、このアニメにおいて寿雪が感じるべき人の温もりは、まず皇帝から流れてくる。
 なので今回は高峻と寿雪ちゃんがメチャクチャキャッキャしてて、大変良かった。
 やっぱ優しすぎるのに人との付き合い方分かんないし、自分の気持の表し方も知らない寿雪ちゃんが、同じく器用な方じゃない高峻を前に思いを溢れさせる描写が沢山あると……嬉しい! 可愛いよなーホント(今更な真理の確認)
 高峻の高潔な人格には嫌味がなくて、寿雪という少女、烏妃という権能を私有せんとするベタついた臭みが上手く抜けている。
 ここで好感を作り、女=生殖の道具という後宮の……あるいは世間のルールから主役を切り離して動かすためにも、『お渡りのない妃』という設定があるのだろう。
 女に対する私欲を切り離した、高辺な憐れみと清廉な友情によって二人は繋がり、不器用に好意を伝え合いながら関係は深まっていく。
 政治も男子としての勤めも無縁な烏妃との関係は、否応なくそれらに絡め取られた高峻には一服の清涼剤、現世の憂さを忘れられる微かな救いだ。
 あるいは誰にも顧みられず、恐れられ弄ばれるだけの幽鬼を真っ直ぐ見据え、その苦しみを解く寿雪の慈悲が、何かと血生臭く欲深い宮廷に活きるには善良すぎる高峻の同志と、寂しさを癒やすのかもしれない。

 とまれ繋がってしまった関係性は志ある若人を強く結び合わせ、お互いを自由にしていく。
 当然互いが大事な存在になっていくわけだが、それは皇帝にとっては政治の本道を外れ、烏妃にとっては定めに背くことを意味する……と、危惧する連中が結構な数いる。
 ここで皇太后という重しが取れ、それ故極めて厄介な世間の鎖に縛られ始めた高駿の政治的立場(彼が後宮の主である以上、それは婚礼と性交、家族と出産の檻でもある)が表に立ってくるのは、なかなか面白い。
 様々な人間の欲と業、歴史の闇を飲み込み回転する宮廷という装置。
 皇帝がその歯車でしかない現実を思い知らされ、憂いは深い。
 これに加えて本来孤独なる禁忌なはずの烏妃が、慈悲の行いによって人心を集め新たな勢力になる……しかも皇帝側近をこそ切り崩す形になると、衛青としては看過しかねる事態だ。
 なので最後に釘を差していたわけだが……それは血臭と無惨な死体によって寸断された。
 次回以降はこの怪事件を追う形になると思うが、皇帝と烏妃……夏の王と冬の王を巡る錯綜した状況が消えたわけでもないので、こっちの結び目も上手く解いて、アニメをまとめて欲しいところだ。

 

 

画像は”後宮の烏”第10話から引用

 そんな現世の厄介な状況を知り目に、今日も烏妃は死者の妄念を聞き、人間の浅ましさを見届ける。
 あまりに赤く美しい五絃琵琶と、それを求め手を伸ばす悪霊のおぞましさが良い対比となり、清廉な音楽にすら呪われる人間の難しさが、上手く際立っていた。
 涼やかに透き通っていながら情熱を宿す琵琶の音が、己を鬼に変えるほどの妄執でそれを求めた亡霊の思いを上手く形にしていて、BGMとモチーフがドラマを支える形になっていたのは、とても良い。

 この妄念をすら、人間は興味深い余興として消費し、思わぬ怪異に反撃を食らったりもする。
 この世の神秘、あの世の条理を知らぬ凡夫にとって幽鬼は恐ろしく慄き、あるいは面白がって弄ぶ対象にしかならないが、それらを知る寿雪にとっては哀れな隣人であり、自力で彼岸へたどり着けない困窮者である。
 世界で唯一、彼らの声を聞き正しい行いによって鎖を解ける異能が己にあるのならば、迷える亡霊とそれに縛り付けられた生者を共に、苦しみから開放する。
 人と交わることを禁じられた烏妃が持ってはいけない性分を、寿雪という少女は生来、魂に刻んでいる。
 それは人間としては正しく、烏漣娘娘の器としては間違っている。
 彼女は寿雪なのか、烏妃なのか。
 宿命の檻で狭苦しく身じろぎしている魂の行方を、クライマックスにどう描いていくか。
 楽しみだ。

 

 

 

画像は”後宮の烏”第10話から引用

 寿雪は一切のためらいも協議もなく、国宝の琵琶を幽鬼の野辺送りと燃やす。
 それと一緒に、一人の男が鬼と変わるほどの妄念を”余興”にしていた面も、己の浅ましさが生んだ呪いに苦しんでいた男の想いも、共に燃やしていく。
 それは黄金色の生き様を反射して眩しく、男たちは呆然とその颯爽を影の中見送るだけである。
 現世においては花も咲かない宮に封じられ、怪物扱いされる烏妃が、政治だの繁栄だの色々考えなければいけない人生の勝者よりも、正しく自由である矛盾。
 それを描くエピソードでもあろう。

 同時に幽鬼の声を聞く寿雪の異能も、烏妃の埒外の立場も、ただ正しさだけを連れてくるわけではない。
 皇帝に現世の憂鬱があるように、烏妃にも見を引き裂く新月の痛みがあり、檻に閉じ込められた青春の苦しさがあり、掟と願いの狭間で苦しむ心がある。
 それでもなお、誰も耳を貸さず玩弄すらする幽鬼の苦しみに見を傾け、当代随一の霊能でそれを救う営みに、優しきは常に微笑む。
 因縁を断ち切ってなおへばりつく宮廷の泥だけが、世界の全てではないのだと確認するように。

 この暖かき光、政争と因果の嵐に吹き消える幽き灯火か。
 はたまた人道を堂々と照らす、導きの太陽か。
 ジワジワ伏線を張っていた梟(思えばこれも烏と同じ、夜の鳥か)が表舞台に飛び出して、遂に始まるアニメ終章。
 どう転がっていくか、大変楽しみです。