イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

TRIGUN STAMPEDE:第5話『祝福の子供』感想

 絶望の荒野を十字架引きずりながら進む不死人の旅路、第5話は荒野に軋む風車の物語。
 前々から重たく暗いアニメだが、長命者であるヴァッシュがあくまで善良な”人間”でしかない事実を、最悪の新生を遂げたモネヴ・ザ・ゲイルとの激突を通して描くことで、そのエッセンスが苦く滴り落ちるようなエピソードだった。
 『やや大仰な仕草で、ワーワー騒いでなんか明るい雰囲気作ってくれてるの、結構大事だったんだな……』って思ったよ、見終わった後に。
 空元気だろうが一時のごまかしだろうが、人間らしく笑って明日を信じられる明るさが無いと、ノーマンズランドの宿命は人間にはあんまりに厳しすぎる。
 なまじっか”救い”であるはずの宗教が、よりにもよってナイヴズ生き神様にするプラント信奉派として話の真ん中に座ってきたので、どん詰まり感も更にアップ!
 ”REVENGER”第5話の堂庵おじさんと合わせて、スーパー胡散臭い速水奨大量摂取週間だったな……。

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第5話から引用



 というわけで物語は、終わりきった過去と錆びついた現在を行ったり来たりしながら進んでいく。
 冒頭呑気に眠りこけてる後部座席の二人は、凸凹仲良しコンビのように見えるが、その表層を引っ剥がして奥にあるどす黒く冷たいものを暴くために、今回のエピソードがあるんじゃいッ!!
 ……もし叶うなら、ヴァッシュとニコ兄のおもしろ漫談をたっぷり堪能したかったよ、俺もさ……。

 なにかに取り憑かれたかのように……というか、実際後悔と罪悪感に取り憑かれとるわけだが、錆びついた風車の村に引き寄せられていくヴァッシュ。
 髑髏の仮面の奥にある真実は断片化されたピースを重ねていくと、なんとなく全体像が推測できるように配置できていて、硝煙の中でモネヴが笑った時大体の構図が分かった。
 どれだけ祈りを捧げても、神様が助けてくれるどころか生贄を求めてくるこの星で、それでも必死に、健気に生きている小さな魂。
 その行き着く先が髑髏面の殺戮者であり、ヴァッシュは肉体の病も魂の罪も、何も祝福できないまま空約束を垂れ流している、無力な存在だと、激しい銃撃戦にどこか漂う侘しさが伝える。

 一回”TRIGUN”が完結した後に紡がれるSTAMPEDEは、ヴァッシュが謎めいた伝説の賞金首である時間を短くして、みんなに幸せになって欲しい普通のアンちゃんなのだと、早めに見せてる感じが強い。
 ガンマンとしての圧倒的な技量を見せつけ、超人として理不尽をねじ伏せる描写が少なめで、その身に背負った重すぎる宿命は多め。
 逃げ回ってばかりの煮え切らない男が救いたいものはあまりに多すぎて、救うにはあまりに重たすぎて、ヴァッシュの人間らしい善良さが何かを芽吹かせるには、この星は生きるのに厳しすぎる。
 前々から描かれていたそういう構図を、今回はより鮮明に、救いなく切り取っていく。

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第5話から引用

 背中合わせにウルフウッドに語るのは、無責任かつ必死な約束が砂に飲まれて、何もかも終わってしまった過去だ。
 不死者が懸命に……そして無力に差し出そうとする祝福は砂の向こう側無情にぼやけて、ヴァッシュがこの星の表面にへばり付いて生きようとするものに、指す出す手がどれだけ遠いかを良く語っている。
 天使でも神様でもない(ナイヴズ一味と違い、そうならないことを”人間”として選んでいる)ヴァッシュが取りこぼすものは、この星ではありふれた無力であり、人々は当たり前にそれを諦めて銃を握り、隣人を愛したり殺したりしている。
 しかし過去を切り取った写真に今と変わらぬ姿で映るヴァッシュは、当たり前の人でありたいと願う気持ちとは裏腹に特別で異質な存在であり、自然願うもののスケールも大きくなる。
 でもそれが叶うことは、哀しいかなあまりない。

 ヴァッシュがその生身の足で砂漠を駆けずり回って探しただろう薬は、攫われ改造されたロロには間に合わない。
 彼を怪物に変えたドクターの薬が、少なくとも病からはロロを救ってしまっているのが、あんまりにも酷すぎる構図である。
 善良なる無力と、邪悪なる超越と。
 ヴァッシュとナイヴズは対照的な生き様に引き裂かれた双子なわけだが、前者を背負うはずのヴァッシュが共同体から爪弾きにされる賞金首であり、転ろう人の暮らしに明るく寄り添いつつも、滅びを共にせず時にむき出しの憎悪を叩きつけられる立場なのは、なんとも悲しい。
 ナイヴズは超越種の力を存分に振るって、信奉者やら側近やら、色々寄せ集めているのになぁ……。

 ヴァッシュはけなしの善意しか自分にはないと、神様なんかじゃないと本当のことだけを差し出して、無力な偽善に踏みとどまり続ける。
 ジュライを本拠に神様稼業に勤しむナイヴズは、そんなヴァッシュが守りたいものを噛み砕いて呪いに変えて、弟の本性を暴くべく災厄を投げつけ続けている。
 方舟を落とした共犯者という事実に怯え、人間以上の力を隠しながら、神様みたいなハッピーエンドを求める彼を、ウルフウッドは”偽善者”と断罪する。
 んじゃあ自分を殺戮機会に改造した悪の親玉みたいに、劣等種への悪意剥き出しで地獄を広げる所業に浸れば良いのか。
 答えのない問題集は、まだまだ分厚く二人にのしかかる。

 

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第5話から引用

 ヴァッシュを追い詰めるモネヴには、必死にすがって救いを求める稚気がどこかに宿る。
 子供のまま心を壊され、家族殺しの怪物として荒野に放り出されたのだから、当然ではある。
 ヴァッシュはその哀れさに向き合いたいと銃を収めて、生きるか死ぬかの瀬戸際でようやく、髑髏の仮面の奥にあった素顔が見えてくる。
 しかしそれは”救いようのないアホ”の祈りでしかなく、ウルフウッドは”断罪者”と名付けられた武器で何もかもを終わらせる。
 光条に撃ち抜かれた時、モネヴの顔貌が人間でも髑髏でもない、ただの闇になっているのが辛すぎる。

 モネヴの傷を癒やした再生薬と、同じアンプルを流し込んで殺す力を奮い立たせるウルフウッドは、この悲劇と試練を生み出した側の人間だ。
 ここら辺明かすのも早いなー、て感じであるが、1クールに再構築するとこのぐらいの速度は必要だよね……。
 死と苛烈が入り混じった濁流に押し流されながら、物語はヴァッシュの”偽善”が何も掴めないことを残酷に告げる。
 神様でもないのに、なにもかも助けたいと願うことそれ自体が罪なのだ。
 ウルフウッドの煤けた現実主義は、天使の片割れをそう断罪する。
 き、厳しすぎる……惑星ノーマンズランドの全てが、ヴァッシュ・ザ・スタンピードに対してッ!!

 

 

画像は”TRIGUN STAMPEDE”第5話から引用

 真紅の修羅場を終え、陰鬱な青と不気味なオレンジが入り交じる夕焼けの中、死こそが救いなのだとウルフウッドはうそぶく。
 ヴァッシュはそこに断罪者の傲慢を感じ取るが、同じ技術で人外の戦闘能力与えられている男にとって、それは本気の弔いなのだと思う。
 殺すものと殺さないもの、二人の立場と運命は決定的に引き裂かれ、風車の街に明かりが灯る。
 小さな約束も、微かな祈りも、なにもかも踏み倒して嵐が吹き荒れた後に風が吹いたとしても、何にもならないじゃないか。
 そんな恨み言を聞く余裕は、この砂漠の星にはない。

 さんざん『この錆びついた風力発電ギミックは、もう終わり果てた過去の象徴です!』と描いてきた上で、全部決着した後にそれが再び動き出す。
 闇の中の希望というには、あんまりに重たすぎるってマジ!!
 今回ほんとにヴァッシュが成し遂げられたことがなくて、ウルフウッドの決断も勿論正しくなくて、ガキ攫って殺戮者に作り変えてるナイヴズ側にも当然肩入れは出来ず、この星の”現実”に押し潰されそうな心の置きどころは、どこにもない。
 STAMPEDEが”TRIGUN”を描き直す筆がどんだけ苦いか、思い知らされるような第5話だった。
 俺はかなり好きだなー、この再話の手付き……無茶苦茶お腹痛いけどさ。

 たかだか心底優しい程度で、超人的な銃の技量がある程度で、何もひっくり返せない残酷な重荷を抱えて、赤衣の聖者は砂漠を行く。
 間違いなくヴァッシュの美質である”人間でありたい”という強い願いが、暴力という安易な決着を拒絶させ、遠すぎる理想は風に吹かれて消えていく。
 さて、ジュライシティでヴァッシュを待つものとは。
 ロクでもねぇ予感しかしねぇけども、みんなで楽しく見届けような!(泥沼に沈んでいく身体を、鎖で結わえ付けるムーヴ)

 ……実際地獄の底の底まで容赦なく掘り進んで、それでもなお”人”であることにしがみつくヴァッシュだけが選べるものをしっかり書けたのなら、それは間違いなく”TRIGUN”になると思う。
 なのでガンッガンにどす黒く重たくいじめ抜いて、へし折れそうになるアンちゃんの涙を絵の具にして、彼の強さと輝きをこの後、しっかり書いてほしいなと思います。