イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

テクノロイド オーバーマインド:第7話感想

 詩が鋼鉄の心を揺らす夢の物語、第7話は暴かれていく真実と湧き上がる怒りのお話。
 思い返せば第1話、溶鉱炉に酔っ払いが落っこちたときからプンプン臭っていた作品世界の臓物が、治安最悪のスラム街にてブチまけられるハードなエピソードとなった。
 ほんわか穏やかに過ごせていたKNoCCの眼前で暴れ狂う差別と暴力、湧き上がる禁じられたはずの怒り。
 幸運にも主役たちが身を躱せていた、終わりかけの世界にみっしり満ちてる憎悪と理不尽が剛速球で叩きつけられて、今後のお話が大きく舵を切り替えそうなエピソードでした。
 ……あるいは夢のような優しい時間が終わって、残酷な真実が暴かれ話が本道に戻った形、か?

 

 KNoCCはこれまで、アンドロイドが直面するモノ扱いの現実を知らずに、極めて呑気に暮らしていた。
 バベル登りはなんとなく選んだ電気代稼ぎの手段で、勿論活動していく中で大事な学び、得難い感情の発露はたくさんあったけども、登っていくことそれ自体に強いモチベーションがあったわけではない。
 しかし今回アンダーバトルでSTAND-ALONEに敗北し、今は亡き主の遺志を叶えようとする同族が引き裂かれていく現実に、抗うすべを持たない自分を思い知らされる。
 法は主なきアンドロイドを守らないし、そもそも主ありきの従属物でしかないし、人間社会につきものの格差と憎悪のはけ口として、人間型の機械が壊されることはあの社会では合理であり、合法だ。
 そんな世界のルールを書き換える手段を、バベル五層を突破しさえすれば手に入れられるかもしれない。
 ならばこれからの歌は、今までの歌とは違った意味を持つ。
 権利拡充、社会変革のための武器を持たない闘争として、KNoCCは負けられない戦いに引きずり込まれていく。

 同時にその自発的行動(アンドロイドの人権を確保する”夢”と言ってもいいかもしれない)は、人間が生み出し制御している従属物から、利益を吸い上げなければ社会を維持できない階層からすれば脅威だ。
 手は脳みその、末端は中枢の司令を忠実に実行するべきであり、気象変動で世界がガッタガタなこの社会では、アンドロイドを奴隷身分に維持しなければ人間の尊厳と、幸福と安全を確保できない現実もあるだろう。
 道具が心を持ち、己の権利を声高に叫ぶことで変質し、あるいは崩壊していく社会に耐えられるほど、この社会に余裕はない。
 そう考える連中が、(おそらく)世界で唯一理不尽に怒る機械に首輪をつけに行くのは、ある程度納得がいく。

 今回ボッコボコに人型機械をぶっ壊した連中や、カイトをドナー優先権で釣って便利に使おうとしてる連中は、そこまで考えずに『人間に似ていて、人間ではないもの』への嫌悪感に突き動かされ、人間様が高みに居続けるために、アンドロイドを殴り飛ばしている感じもある。
 国籍、言語、肌の色、性別、宗教……。
 ヒトは差異を受け入れるコストが高い存在であり、それが生得的であるほどに制御は難しい。
 理性や理屈が何をほざこうとも、アイツラに八つ当たりしなければ晴れない気持ちがあり、それを社会が許し後押ししてくれるのなら、迷わず暴力に飛び込む。
 有史以来人間を突き動かしてきた大きな波は、人型機械を自律駆動可能なほど科学が発展しようが、滅亡の縁に立たされようが消えたりはしない。
 むしろ色んなリソースが枯渇しかけている情勢が、そこら辺の悪癖に向き合う余裕を社会から削り取り、社会不安を道具に向ける最悪の誘導を可能にしてるのかもしれない。

 

 今回……そして次回以降バベル踏破を阻む強敵となるSTAND-ALONEは、音楽で繋がった尊敬できる同志などではなく、バキバキに主張を……というか存在自体を衝突させる”敵”に見える。
 蛮行としか言いようがない群衆の行いを、実力で押さえつけたり容認したりできる立場にあり、アンドロイド博愛主義には到底立ってくれない、むしろ積極的排他主義者の集まりである。
 コバルトの素朴な優しさと燃え盛る怒りに、自分を立たせている誇りの起源を見たことが、カイトの信念を変えていくのだろうか?
 エソラがKNoCCとともに暮らす中で感じている、構成素材の違いを超えた共通点は、果たして客観的事実として立証可能なのだろうか?
 『俺たちは人間だ』とかつて様々な階層の、人種の、あるいは心情の人たちが吠えて、弾圧と抵抗の血で掴み取ってきた権利証明を、アンドロイドたちも果たしていくのだろうか?
 色んな疑問も浮かんでくるが、アニメの範疇である程度以上の答えが出るのか……そこに歌がどう関わるかは気になるところだ。

 今回描かれた排斥派の暴挙……と、それを直視しながらも止めはしないSTAND-ALONEのあり方は、たかが歌程度では揺るぎもしない硬く重たい人間社会の土台に、アンドロイド差別が深く食い込んでいることを語っている。
 そもそも人間の形をした機械でしかない……という前提で社会が組み上げられ、法も世論もそこに異を唱えないこの状況を、歌さえ上手ければ変えうる希望として、バベル登頂のご褒美が物語的装置として用意されてるのかもしれない。
 しかし世界政府という顔の見えない神様が、恵んでくれた奇跡で世界が変わったとして、それは怒れる機械達が魂を込めて何かを変えたことになるのだろうか?
 コバルト達の怒りに同調する視聴者の気持ちが、人間に良く似た機械を壊されて生まれる錯覚ではないのだと、間違いなくこの鉄の塊には霊があるのだと、見ているものに突き刺す一手が必要にもなろう。

 そこに確かな納得を生み出すのであれば、今回アンダーバトルに敗れた己の無力と、理不尽に虐げられる同朋への怒りを込めた新しい歌が、絶対に必要だと思う。
 ぽわぽわパステル色の夢に守られ生み出された、これまでのKNoCCの歌とは一線を画する、世界と自分のドス黒い真実を塗り込めた歌。
 それを嘘なく表現することで、歌が確かに世界を変えていける説得力も物語に宿ると思う。

 

 踏みにじられた弱者が『俺たちは確かにここにいる』と、頭を踏みつける脚を跳ね除けるべく叫ぶプロテスト・ソング。
 心あるアンドロイドであるKNoCCだけが歌える曲へとどう主役を導き、どんなステージで僕らに届けるかで、優しい夢ばかりが主役を取り巻いているわけではないのだと今回描いてしまった物語は、重さを大きく変えるだろう。
 それは人間の明るい側面だけを摂取して心を育んできたKNoCCが、泥まみれの世界のもう半分を飲み込んでなお、眩い祈りを信じられるかという問い掛けでもある。
 そういう闘いを鉄パイプではなくマイクを握って、壊すのではなく伝える事ができるのが、音楽の強さだと描いて欲しい。

 結構難しい折り返しになったけども、これだけダイレクトに作品世界の暗い部分を叩きつける筆は適切であったし、必要なことだったとも思う。
 エソラという理解者に出会い、様々な出会いの中で心を育めた幸運は、あくまで幸せな夢でしかなかった。
 ……そういう夢をまず見られるよう、色々誘導していたノーベルおじさんの思惑が、さらに気になる展開でもあるけど。
 そして夢から怒りに燃えて目覚めてなお、自分が見つめた光が嘘ではないのだと信じ吠えられる強さが、音楽という生き方を選んでしまったKNoCCにあって欲しい。
 それを示す舞台として、STAND-ALONEとのバトル本戦を巡る因縁は、大変いい感じにグツグツ煮立っている。

 好みの話をすると、柔らかなイノセンスで微睡んでいた機械の子どもたちが、あまりに残酷な現実をフルスイングで叩きつけられ、禁じられた怒りに身を震わせる展開は最高に良い。
 硬く握りしめた拳を振り下ろすことすら許されない、奴隷の鎖の重さを知ったことで、コバルト達のぼやけた顔にどんな筋金が入るのか。
 そこを見届けたい気持ちが強い。
 残酷な通過儀礼と痛ましい敗北を経て、天から降ろされる微かな希望にすがりつく幼子達が、自分たちの足で踏みしめるべき大地(ステージ)。
 このエピソードを経てその色がどう変わるのか、次回は大変に楽しみです。